中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

海軍横浜航空隊から漁連市場へ

2014年10月26日 | レトロ探偵団

 ここは富岡総合公園。

 京急杉田と富岡の間くらいに位置する大きな公園だ。
 
 この日はランチがてら史跡探訪をするつもりで出かけてきた。
 maruto082さんの情報によれば、周辺はランチ僻地だそうだが、こんな寿司屋とか、こんな食堂があるという。
 
 で、公園に入る前に寿司屋でランチするか、それとも公園を出たあと食堂でランチにするか、けっこう真剣に悩んだ結果、後者にすることに。

 散策後の食事を楽しみにして、まずは正面入り口から。


 横浜航空隊(略して浜空)の隊門がそのまま残っている。

 そう、この先は戦前・戦時中に飛行艇専門の航空隊があったのだ。


 この柵も当時のままだろうか。


 公園の案内図。
 この日の目的は浜空神社を訪問することなのだが、地図には掲載されていないようだ。


 近づいてよく見ると、参道らしきものと三角の屋根を持つ建物が描かれている。
 どうやら、これが浜空神社のようだ。

 やはり公の公園なので、神社の表示はできないのかな。
 と言ったって、現物の神社が建っているのだがね…


 ここが参道入り口。


 傍に浜空の碑が建っている。

 
 裏に書かれた碑文。

 この地に原隊を有せし飛行艇隊元横濱海軍航空隊は 昭和十七年八月七日未明 南太平洋ソロモン群島ツラギに於いて 米軍の反攻上陸を受け 二昼夜にわたる死闘の末 宮崎重敏司令外五百余名全員玉砕せり
 これらの人々の冥福と恒久平和を祈念してこの碑を建立す

 昭和六十一年四月吉日


 参道を進む。



 これが神社なのかな。
 お社はないけど。

 階段手前の左側にもなにか碑が建っている。


 浜空神社の由来だ。読みにくいので漢数字などを少し修正して…

 昭和11年10月1日、飛行艇隊の主力として、横浜海軍航空隊が当地に開設された。その守護神として造営されたのがこの浜空神社である。
 昭和20年8月15日、大東亜戦争終結後、当航空隊跡地は横浜市富岡総合公園として生れ変ったのである。
 浜空会では、特に願い出て、戦没者の鎮魂と恒久平和を祈念して、浜空神社の修復復興をはかり、全海軍飛行艇隊の戦没者殉職者、約2000柱の御霊を合祀した。

 横浜航空隊は浜空神社を中心とした広大な陸上の敷地と、現在埋立てられた根岸湾水上の飛行艇発着場を専有していた。隊員約1000名、大型飛行艇24機を有する海軍最大の飛行艇専門航空隊として、その威容を誇ったものである。

 今なお隊門附近の桜並木と飛行艇大格納庫が当時を偲ぶ面影を残し、訪れる者に静かに語りかけてくれる。

 時局の推移に伴い横浜航空隊から新たに東港航空隊が分立した。昭和16年12月8日大東亜戦争勃発するや、この両隊は直ちに第一線に出動した。
 引続き第14航空隊対潜専門部隊輸送教育等各精鋭飛行艇隊が、横浜空を母体として誕生し第一線に、又後方に配備され、その強大な航続力を発揮して、洋上大遠距離の哨戒・攻撃・輸送・救出・作戦等を展開し、ハワイ・印度・アリュウシャン・豪州・ソロモンにわたる広大な戦域を駆け巡って、勇戦奮闘した。

 作戦上部隊名を801空(横浜)、851空(東港)、802空(14空)、901空(対潜)等に変更し、戦争終期には兵力集中の為、詫間航空隊に全飛行艇隊を集結して、沖縄攻防戦に死闘を演じ、満身創痍全力を尽し果たして、戦の幕を閉じたのである。

 中でも横浜航空隊はソロモン最前線のツラギに進攻作戦中、強力な敵の反撃をうけて、昭和17年8月、宮崎司令官以下338名が壮烈な玉砕を遂げたのである。

 富岡のこの地は、かくの如く誇りある海軍飛行艇部隊発祥の歴史をもっているのである。この事実を永く後世に語り継がんが為、ここに記念碑を建立する次第である。


 桜の由来が書いてあるようだが、どこに桜があるのか不明。
 見落としたか…
 

 すぐ傍にあるのは棕櫚。
 なんだか南洋っぽいね。

 浜空神社のずっと先の方に航空隊の格納庫や揚陸スロープなどがあった。

 1963年に国土地理院が撮影した空中写真をご覧いただこう。
 そこに航空隊の跡地が写っている。

 富岡が埋め立てられるまでは、ずっとこの形で残っていたようだ。


 これは現在の航空写真である。

 黄色い線が、航空隊のエリアだった部分だ。そこは現在、神奈川県警第一機動隊の敷地になっている。
 赤い四角が飛行艇の格納庫。修復しているようだが、そのまま現地に残っている。


 下に降りてみる。
 三角ののこぎり屋根が元格納庫。


 かなり大きい。
 おそらくジャンボ機でも格納できるのではないか。

 それにしても、こういった戦争史跡がほとんど市民に知られずに残っているというのも、どうだろう。
 もっとPRして皆さんに見てもらってもいいのではないかと思うのだが…

 でも、跡地が機動隊じゃ無理か。
 

 近くの広場。
 この先にあるモノは…


 日本飛行機だ。
 通称ニッピ。


 現役で操業している。

 この辺で、戦時中のロケット戦闘機「秋水」が発見されたそうだ。


 杉田は飛行機との関係が深いようだね。



 シーサイドラインの近くで見つけたなんかの碑。


 野村泰三の歌碑だって。
 知らない人だ…

 レンズが曇ってしまい見づらくて申し訳ないが、満蒙で活躍したとある。
 
 さて、散策後のお楽しみは「漁連市場」でのランチ♪



 maruto082さんお勧めの「漁連市場」に到着。




 ショック!

 昼の営業時間は終了していた……
 ちょうどお店の人がカギをかけて出ていくところだった。


 次に開くのは、夕方だって。

 ……。

 

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11 コメント

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残念… (とも2)
2014-10-26 20:27:27
出だしが酔華サンにしては少しくどいかと思ったら、ラストの悲しい出来事の予告も兼ねていたのですね(悔)

市内には、維新から始まり、関東大震災、第二次大戦…とイロイロな史跡が残っているのでしょうが、いかんせん認知度が低いですよねぇ(嘆)
返信する
Unknown (小径のヌシ(^-^))
2014-10-26 20:50:55
あちゃ~ ぎょれん市場 残念でした (> <)

富岡総合公園は知りませんでした
こんどポタるときに寄ってみようかしら
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結果 (淡々斎)
2014-10-26 22:22:33
最後に、何処で食事されたのでしょう…?

「玉ねぎ」
海軍の「肉じゃが」公式レシピには、玉ねぎが出てくるんですよね…
「玉ねぎ」「じゃが芋」
もしかしたら、海軍用食材として、栽培が奨励された可能性があるのかも?
まだ調べてませんがね(笑)
返信する
浜空神社 (馬の骨)
2014-10-26 23:22:34
尊い命の犠牲のお蔭で、拙のこんにちがあります。
有難うございます。
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Unknown (小径のヌシ(^-^))
2014-10-27 08:22:09
あれれ~
なぜかコメントが途中でブッタ切られちゃいました (><)
今度は大丈夫かしら ??

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Unknown (酔華)
2014-10-27 08:30:03
>とも2さん
とくに航空隊の史跡などは忘れられているようです。
でも機動隊の敷地内じゃ、公開もできないでしょうね。
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ランチ (酔華)
2014-10-27 08:31:06
>小径のヌシさん
次回は何かのついでではなく、
食べるためだけで出かけます・・・
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ネギ (酔華)
2014-10-27 08:32:57
>淡々斎さん
開港後、根岸の丘で西洋野菜が作られ始め、
そこでは玉ネギもあったと思うのですが、
西洋人が食べていたんでしょうね。

ランチは自宅になってしまいました…
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浜空 (酔華)
2014-10-27 08:35:36
>馬の骨さん
大日本航空の飛行艇の方は夢やロマンがあって楽しそうな話が残っていますが、
浜空の方は玉砕という悲しい結末ですよね。涙
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Unknown (酔華)
2014-10-27 08:36:54
>ヌシさん
(>_<) でしょうか。
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