先日、伊勢佐木モール3丁目を歩いていたとき、オデヲンの隣のブロックに巨大な空き地を発見! う~ん、ここには以前、何があったんだっけ… 最近の私は脳の老化が激しく、昨日のことすら思い出せないというのに、町の風景の記憶などが残っているはずがない。 それでも必死に想いを巡らせていると、ハンバーガーショップがあったことを思い出した。 映画館もあったような…なかったような… 町は日々刻々と変化している。 人間と同様、まさに生きているのだ。 だから、町にも履歴書やアルバムが必要となってくる。 ある町の由来や年表などは、図書館の郷土史コーナーに行けば、かなりの情報を得ることができる。 しかし、町の風景を時系列でまとめたアルバムとなると、ほとんど手に入らないのが実情だ。ましてや定点観測した写真など皆無と言っていい。 横浜は関東大震災と昭和20年5月29日の大空襲によって、かなりの資料が焼き尽くされてしまったから、仕方ないといえば仕方ないのだが。 それでも、市民が持っている古い写真をどこか一箇所に集めて、誰もが閲覧できるようにすれば、かなりの情報量となるのではないだろうか。 そして、古い風景写真と同じ位置から現代の風景を撮影し投稿すれば、立派な町別アルバムが出来上がると思う。 ということで、開港150周年を記念して、こんな事業が始まった。 これが記念イベントだけで終わることなく、ずっと続くことを願おう。 さて、冒頭の空き地であるが、その向こうに古い商家が見るでしょ。 昭和2年創業の釜飯「お可免」である。建物自体は空襲で焼かれてしまっているので、創業当時のものではないけれども、それでも戦後すぐに建て直したというから60年ほどの歴史がある。なかなかいい感じの建物だ。 もちろん看板メニューの釜飯も美味しい。 四川料理だの激辛だのといった中華ランチを食べていると、たまには優しい味わいの和食がほしくなる。 そんなときのお勧めが、ここの釜飯だ。関内勤務の方々にとってはちょっと遠いのが難点であるが、外回りや営業で伊勢佐木方面に出かけた際には、ぜひ立ち寄っていただきたいと思う。 (先日食べた時の写真、いくら探しても見当たらないの。画像なしでごめんなさいね) ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ |
ワシもここに何があったかは欠片も思い出せませんなぁ…
酔華さんの写真の提案いいですね。たかだか150年の歴史なのに写真の記録が残っていないのは残念なことだと思います。赤レンガ前にも遺構がありますが遺構といっても100年くらい前の話です。それでさえ分からなくなってしまうのは残念です。当時は人々が写真を持っていたのではないので仕方ないですが今はほとんどの方がデジカメや携帯でさえ撮ることができます。皆さんが撮った風景写真をどこかに集めて後世に残せることが簡単にできればいいなと思いました。
いくら記憶を辿っても、
ここに何があったか思い出せないものって、
よくありますよね。
最近はもう諦めています。
ありがとうございます。
そうでした、東映でしたね。
>赤レンガ前にも遺構がありますが遺構といっても100年くらい前の話です。それでさえ分からなくなってしまうのは残念です
そうなんです、横浜の歴史といったって、
その大部分は、たかだか150年ほどのことなのに。
関内の居留地跡から時々、遺構が出土しますが、
市の教育委員会が言うには、
これらは文化財ではないのだとか。
どうやら貝塚とか弥生時代の住居跡とかが対象のようです。
開発事業者の好意によって工事を中断し、
調査ができればラッキーだったということなのでしょうか。
映画館が無くなって 「お可免」 の場所がはっきりしましたよね
もぅ4~5年は行ってなぃのでまた寄ろうかしら …
まるで終戦直後のような更地。
おかげで「お可免」がよく見えるようになって、
よかったかも。
それが急にアスファルト崩し始めて、ただの更地に逆戻りです・・・・
以前はイセザキ側に、東映、東映の階段奥にローソン、ウェンディーズ、DPEの店、角に紳士服
闘牛家(旧キラク)の前に風俗情報のボックス、スポーツ用品店、歩道で野菜販売がありましたね
数年前には風俗情報ボックスのところは
「ジャッキー・チェンもびっくり」の看板の
刃削麺の店がありました
その後ジャッキーの名前は消えて毛沢東もびっくりに変わって、その後韓国家庭料理だったかな?・・・・・
よく覚えていますねぇ!
刃削麺の店があったんですか。
へえ~~、です。