この画像は横浜市三千分の一地形図からプリントスクリーンした昭和8年のもの(川の色が薄いので、濃い水色に加工した)。 この川は根岸森林公園あたりを水源とする猿田川、江吾田川、簑沢川が山元町で合流して千代崎川となり、麦田町、本郷町、本牧町を経て小港町で根岸湾に流れ込む。 今では河口の一部を除いてすべてが暗渠(あるいは下水道本管)となっているが、旧千代崎川を歩いてみると、かつてここに川が流れていたことは一目瞭然。 今日はその中から大和町周辺を眺めてみたい。いろいろ古いものが残っているのだ。 鷺山1番地の千代崎川跡。左手は老舗の「桜湯」である。今年になってから永いこと閉まっていたが、最近はどうなのだろうか。気になる。 昔は多くの住民がこの鷺山橋を渡って銭湯に通っていたのだろうね。 手前にあるゴミ箱のようなものは…… 防火用水だ。麦田町の銘板が貼られている。戦時中は町内のどこかに置かれていたのかな。 大和町商店街に架かっていた大和橋の親柱。 2本だけ残っている。 なんかおかしくないか? この看板は古くなったから作り直したと思うのだが、昭和60年に横浜市環境創造局なんてなかったのに。当時は横浜市下水道局だった。 駐車禁止なのに、重量制限は2t車までとは、どういう意味なのか。駐車はだめだけど、通行するんならOKということかな。 造り替える前のモノ。これは過去の写真ではなく、今現在ある看板だ。上の写真と同じ日に撮影。以下の写真も同じ。 ホワイトで消した部分にはなんて書いてあったのかな。気になるなぁ……。眼を近づけて確認すると「歩行者専用の道路…云々」と書かれていた。 よく分からないが、たぶん歩行者専用道だから車は通行するな、なんて書いてあったのではないかな。 しかも、新しい看板にはないものが、昔のものには付いていた。 「青空駐車禁止 この道路に車は止めないで下さい。車は車庫に入れましょう」 かつて、この川の両側には家々が並んでいたのだが、当然、車はこっちから入ることはできなかったはず。大きな家なら反対側から出入りしていたと思われるけどね。 千代崎川にフタをしたことによって、こちらから車の出入りが可能になったんだろう。それで駐車場代わりに利用する人も増えたのだと考えられる。 それを禁止する看板が付いていたのだ。 以前のままの看板なので、管理者は横浜市下水道局となっている。 同じ時代の看板と思われるが、こちらは錆がひどい。しかも下の部分がない。 これも、 これも、同じ時代の物のようだが、劣化が激しいね。 新しく造り替えるのなら、なんで全部一緒にやらなかったんだろうか。 ということで、今日は旧千代崎川周辺に残る古いものを訪ねてみた。 ここからは勝手にPRだが、「はじめての横浜暗渠散歩」というイベントがある。7月21日(土)に開催されるようだが、その日は仕事が入っていて行くことができない。残念……。 詳しくはコチラ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
いいですよねえ、千代崎川。イベント当日でも、私のパートではこの川についてお話しようと思っておりました。
千代崎川がご縁で初めてこちらのブログにお邪魔いたしましたが、横浜、特に中華街に関しての情報が満載、ですね!
これからも拝読させていただきます!どうぞよろしくお願いいたします。
日程が合わずイベントに参加できないのが残念です。
盛会になるといいですね。
千代崎川の麦田町から千代崎町あたりは永いこと工事をしていました。
下水道の本管を入れるという工事でしたので、
あの部分は暗渠ではなくなり、下水本管になったという話を聞きました。
でも、川の跡であることには変わりませんね。