中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

会芳楼跡地に「ヴィラ会芳亭」が

2005年09月27日 | 中華街いろいろ
 関帝廟通りにある山下町公園。よく山下公園と間違われますが、こちらには「町」がつきます。居留地時代、ここに会芳楼という劇場兼料理屋がありました。
 7年ほどでこの店は姿を消しますが、その後は同じ場所に清国領事館ができました。今でも華僑総会婦人部とか華僑の幼稚園などがあり、ここは由緒ある土地といえるでしょう。そんな場所に休憩所「会芳亭」が出来たのは、2000年6月20日。六角形の休憩所で、観光客がよく休んでいます。
 今年開催されるトリエンナーレ(現代美術展)の一環として、この休憩所「会芳亭」をホテルに仕立て上げるという、大胆な計画が持ち上がりました。マリンタワーを「こけし」にするとかいう話もありましたが、それに比べれば穏やかなものです。

 夏、休憩所を覆うフェンスが張り巡らせられ、工事が始まりました。そして完成したのが「ヴィラ会芳亭」です。泊まることは出来ませんでしたが、昼間、見学に行ってきました。
 ところで、「瞼の母」や「一本刀土俵入り」などの名作を遺した長谷川伸は、1884年(明治17年)、横浜に生まれており、彼の「自伝随筆 新コ半代記」には、今の中華街の話がたくさん出てきます。
 当時は中華街という名称もなく、単に中国人の多く住む居留地として山下町が登場していますが、そこでは「会芳楼」にも触れられています。
 同書のなかにある「居留地」という話の中から抜粋すると… 
 
『遠芳楼の外に会芳楼というのもありました。ここも旨くて廉かったといいますが、知らない。新コが故郷を出て東海筋へいき、永らく経ってから行ってみたら、遠芳楼はなくなっていました。会芳楼もなくなっていたように思う、その代り新しい派手な店構えの料理店が幾ツか出来ていました。』

 さすがの長谷川伸も行ったことがなかったようです。 

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