
自分が住んでいる土地は昔、どんなところだったのだろうか? 東日本大震災以後、そんなことを考える人が増えているらしい。 あるいは「まち歩き」をしていてヘンなものを見つけたとき、その場所の来歴を知りたいと思うことも多いだろう。 それを簡単に調べてくれるWEB MAPがある。 スクリーンに古い地図と現在の地図が並び、古い地図の上にカーソルを置くと、現在の地図上にその場所を示す十字マークが出る、そんな便利なシステムだ。 これを開発したのは埼玉大学教育学部の谷謙二先生。 私はこの「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)のお世話になることが多い。 ちなみに冒頭の画像は神奈川台場の現在の位置を探ってみようというもの。 検索窓に「神奈川」と打ち込んで検索をすると、ほぼそこに近い場所が表示される。 左端に年代を選択するラジオボタンがあるので、最も古い時代にチェックを入れる。 これで幕末に築かれた神奈川台場の現在地が示された。 この時代の地図は多分まともに描かれていたのだろうが、戦時中になると情報隠しが始まってくる。 たとえば戦前の海軍横浜航空隊。 基地は富岡にあったのだが、ためしに「今昔マップ on the web」で1927年~1939年の地図を見ると、屏風ヶ浦から先は消されているのだ。 横須賀に海軍鎮守府があったからね。 昔の姿を知ることはできないが、逆に情報を隠していたということがよく分かる。 さて、今日はこのシステムを使って普天間基地の昔の姿を探ってみようと思う。 ![]() まずは「普天間飛行場」で検索をかけ、地図の年代を1919年にすると、こんな画面が現れる。 右側が現在の普天間基地(赤い線の中)。その真ん中に普天間飛行場がある。 左側は1919年(大正8年)測量の地図。 これを拡大してみよう。 ![]() 現在、米軍の飛行場となっている場所には、かつてこんなに集落があったのだ! 大正8年でこの状態だったのだから、敗戦前にはもっと人が住んでいたのではないだろうか。 それなのに、百田尚樹はあんな発言をしている。 『もともと普天間基地は田んぼの中にあった。周りに何もない……』と。 彼には是非このweb mapを閲覧してほしい。 下にリンクを張っておきます。 「今昔マップ on the web」 ![]() |
早速、子供たちにも教えてやることにします。
以前に住んでいた場所は古い街道の目の前で下から予測が付いたのですが、今の場所は新興開拓された場所です。
少し前までは、本当に山だったようです。
住宅密集地のど真ん中に飛行場が酷いという問題でしたが、普天間周辺の開発は返還後に本格化していったわけで、占領前の集落の帰還者が仕方なく住んだ例だけでは、到底説明できない規模の大きな街に膨れ上がっています。
耐え難い騒音や危険性に日々悩んでいる被害者の多くは、居住移転の自由の元で、自らその地を選んで集まり、好んで住み続けているのも事実。
そこに900億からの地代やゴネ得利権、基地と密着した生活が絡んで、民意や移設運動も字面通りには受け取れないというのが本筋なのかと。
神奈川も同様の基地問題を抱えた土地ですが、やはりそんなに嫌ならば住まなければいいし、引っ越せば済む話だと思います。反政府運動の住民にはライフワークがあって、かえって幸せに暮らせるのかもしれませんが。
このソフトを根拠に語るのは如何なものかと思います。
語るなら自身の足で調べることが肝要かと思いますね。
既存マスメディアもネットも吟味が必要かと
基地問題に付いては、もういっそのこと本土に持ってきちゃえば良いと思います。「嫌だ」と言ってる人たちの側に作るよりは「必要だ」と言ってる人たちの敷地に作れば、万事丸く納まると思うのですが。
良い道具です、有難うございました。
静かで安全に住む権利もあるんですよ!
>語るなら自身の足で調べることが肝要かと思いますね
地図に富士山は3776Mと記されているが自分の足 で調べないと語れないのですか!
「今昔マップ」は便利ですけど、
地域が限られているし、
全年代が揃っているわけではないので、
最終的には図書館に行かないといけません。
ごもっともです。
普天間飛行場の周辺は70年代から80年代にかけて、
かなり開発され人家が増えています。
新聞などがこういう航空写真を使って時系列で解説してくれたらいいのですが。
確かに完璧ではありません。
とくに沖縄に関しては地図が少ないです。
1920年~1972年までスッポリ抜けていますから。
ただ、1973年以降、飛行場の周囲に人家が増えてきていることは分かります。