
これは昭和21年(1946)5月1日の神奈川新聞に載った広告。クリフサイドといったら、ハマっ子なら多くの人が知っているでしょうが、他県の方々のために一応、ご紹介しておきましょうね。 なぁ~んて言ったけど、面倒なのでクリフサイドのホームページで代用させてください。 オープンが1946年8月なので、この広告はその3ヶ月前ということになります。開業に向けて大募集をかけたんでしょうね。ホームページには当時、200人のダンサーがいたと書いてあります。 ということは、1,000人募集して200人採用したのか、あるいは1,000人のうち毎晩200人がシフト制で働いていたのか、それとも1,000人が200人に減ってしまったのか、そのへんのことはよく分かりません。 募集人数のうしろに、どんな人を期待しているのかが書かれています。 新建築と新構想に成る純粋の高級舞踏場。 再建日本の社交場裡に立つ女性として矜持と抱負を有する上品明明朗なる方の来館を俟ます。 舞踏場=社交場なのね。 さて、この広告の右隣には、グランドカフェー新世界の社員募集も載っています。 春の散策がてら新世界へ 税共五五圓の日本人社交場 募集しているのは「少女ボーイ社交係」。年齢は15歳~16歳。 この職種をどう読んだらいいのでしょうかね。 少女社交係? ボーイ社交係? 少女はホステスで、少年はボーイなんでしょうかね。 クリフサイドに続き、ここでも社交場という言葉が使われています。クリフサイドでは社交ダンスを踊っていたから社交場でもいいのかもしれませんが、グランドカフェー新世界はどうなんでしょうかね。チークダンスを踊っていたのかな? さて、社交場と聞いて思い出すのが、横浜公園内に設置されている「岩亀楼の石灯籠」の解説板。そこには、こんな風に書かれています。 横浜開港にともない新田の沼地約一万五千坪が更に埋立てられ、港崎町と命名され、その中に岩亀楼などが開業し国際社交場として栄えた。以下省略 岩亀楼といっても、聘珍樓や萬珍樓のような中国料理店ではありません。遊郭にある妓楼です。 そんな遊郭を国際社交場と言い換えてしまっていいのか、山崎洋子さんはノンフィクションで何度も指摘されています。 「天使はブルースを歌う 横浜アウトサイド・ストーリー」 そして、最新刊の「女たちのアンダーグラウンド――戦後横浜の光と闇」 でも、最近は新しい案内板を出しています。そこには港崎遊郭と、はっきり記載されました。 同じ横浜市が建てた案内板や発祥の地記念碑でも、表現が異なるモノが他にもあります。 なんだかな~、統一してほしいなと思いますけど、難しいのかなぁ… ![]() |
ロシアの記事にコメントしたつもりでしたが、送信できていなかったようです、残念。
クリフサイド、横浜に旅行に行ったときに「発見」しました。直前にWOWOWの「コールドケース」でドラマの舞台に使われていたので、外から覗いて喜んでいました。東京にはない、横浜らしい雰囲気があるところですね。あのトンネルも素敵です。近くには美味しいパン屋さんもあるし……。
横浜にはこのように学校の教科書には載らない歴史がたくさんあって、しかも今につながっているものが多いように思います。また酔華さんの記事で読ませていただくのを楽しみにしています。
あのトンネルは素敵でしょ。
本牧に入るには3つのトンネルがあります。
山手隧道、見晴トンネル、そしてここのトンネル。