不思議なことに、この広大な根岸米軍住宅エリアの中には、接収されていない土地がポツンと飛び地のようにあるのだ。今まで忘れていたが、今回、接収解除の話が持ち上がり、改めて地図を広げ思い出した次第である。 ここは戦前、ほとんどが畑と住宅だった。そこを接収したとき、おそらくブルドーザーでガーッと整地し、道路や住宅を建設していったに違いない。そんなアメリカ的なやり方からすれば、このような飛び地を残すことは不思議なことと言わざるを得ない。 いったい何があったのだろうか。 数年前、横浜市の渉外部の方に聞いてみたが、ことの真相は判らなかった。 そんなとき、「サンデー毎日」だったか「毎日グラフ」だったか忘れたが、この不思議現象について、写真入りで特集しているのに出会った。雑誌は昭和30年代のものだったと記憶している。 なぜ、この部分だけが接収されていないのか、そのワケは書いていなかったが、そこに住む人たちに対する次のような取材記事が出ていた。 『ここは360度、周囲を米軍に囲まれているため、自宅敷地への出入りに際しては、いちいちチェックされるのです。そこで当局に掛け合った結果、パスを発行してもらうことになり、以後はこれを見せるだけで通行できるようになりました』 『また、ゴミの収集も自宅近くまでは来てくれないので、パスを持って、かなり先の「日本」まで運ばなければならなかったんです。でも、最近はゴミ収集車もここまで入ってこられるようになったから、だいぶ楽になったよ』 さて、この根岸住宅地区であるが、土地の所有関係はどうなっているのであろうか。横浜市の資料によれば、3分の2近くが国有地だという。もし、これを市が買い取り公園などにするのだとしたら、この飛び地的非接収地が問題となってくるのは明らかだ。 この地区が実際に返還されるのはまだまだ先の話であるが、新たな接収問題が起こらないとも限らない。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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