
東日本大震災から5年目の3月11日を迎えました。 震災による死者は宮城、岩手、福島を中心に合わせて15,894人に上り、いまだ行方の分かっていない人が2,561人もいるそうです。 また今日の朝は、東京電力福島第1原子力発電所の事故による放射線の影響などで、10万人近い福島県民が故郷から離れた場所で避難生活を続けているというニュースも流れました。 復興に向けてこれからあと何年かかるのでしょうか…… 早く元の生活に戻れることを願ってやみません。 さて、横浜でも大正12年の関東大震災では壊滅的な被害を受けましたが、赤レンガ倉庫や開港記念会館など一部の建物は全壊を免れ、その後の改修を経て今なお多くの人々に利用されています。 冒頭の写真は大正6年に創建された開港記念会館。大震災による火災で内部やドームが焼失してしまいましたが、躯体を残す形で昭和2年に改修復興されました。 ![]() 赤レンガ倉庫。 その誕生、震災被害、復興については様々なところで語られています。書きだすと面倒なので詳しくは施設のHPをご覧ください。 ここでは、「三塔の日」記念イベントで聴いた青木さんの講演の後半部分、横浜の赤レンガについてメモ程度に残しておきたいと思います。 横浜の煉瓦といってまず思い出すのは、元町にレンガ製造の工場をつくったジェラールですよね。同じころ富岡製糸場もできるのですが、この建物は木骨煉瓦造でした。 その建築部材となった煉瓦は製糸場の近くの土を利用して製造したそうです。 以後、あちこちで煉瓦工場ができ、明治の中頃にはかなり普及していきました。 煉瓦を窯で製造するための燃料やできあがった製品を運送するために使われたのが河川です。船で運ぶのが便利だったんでしょうね。 横浜近辺では鶴見川、多摩川の流域にレンガ工場がたくさんできたそうです。 講演会では鶴見川流域の地図がスクリーンに映し出されましたが、そこに煙突と窯を描いた地図記号が書かれていました。 工場を表す煙突マークはよく見ますよね。これだけだと単に工場なのですが、その横に窯のマークがあると、これは煉瓦工場ということが分かるのです。 何年前だったでしょうか、神奈川芸術劇場を建設するにあたって予定地を発掘したら山下居留地遺跡が出現しました。 ここから出土した煉瓦は矢向の工場で造られたものが大半だったそうです。 建物を建築するためにレンガを積み上げていくわけですが、その方式にはいろいろあります。なかでも有名なのがイギリス積みとフランス積みです。地震に強いのは前者であるというお話しでした。 開港記念会館は金町煉瓦という製品を使っているそうですが、本体の外に化粧煉瓦を貼っているのでフランス積みかイギリス積みかは不明とのこと。 ただ躯体の中に鉄の棒をいれているので関東大震災でも倒壊しなかったそうです。 化粧煉瓦だと高級感がでないということで、県立博物館は石で化粧して恰好をつけているとか。 私は石貼りよりも暖かみのある赤レンガ+白い花崗岩というスタイルの方が好きですけどね。 青木主任調査研究員のお話しは、もっと深く幅広いものでしたが、私の弱った頭と記憶力ではこれ以上の再現は無理…… ということで、最後に「東北人家」で食べたランチを載せておきます。「東北人家」といっても日本の東北ではなく、中国の東北地方の料理を提供する中華料理店です。 ![]() 8種類あるランチメニューから「漬け白菜と豚バラ肉、春雨の東北煮込み」を選択♪ ![]() 分かりにくいかと思いますが、床にはこんな籠が置いてあります。 荷物やバッグを入れるためのものです。嬉しい心遣い♪ ![]() 味の説明は難しい……複雑すぎてね…… ただ美味しいとしか言いようがない。 ポイントになっているのが漬け白菜だと思うのですが、どうやって作っているのだろうか。 「東北人家」で美味しいランチを食べて思い出しました、東北の宮古に単身で支援に行っている先輩の活動を。 そして、自分が2012年2月にボランティア活動のため釜石に行ったとき、そこで聴いた被災者の話や現地の状況を、何度でも繰り返して横浜で伝えてほしいと言われていたことを。 繰り返しになりますが、そのとき聴いたことは、コチラからどうぞ。 ![]() |
酸菜は中華街のお店でも売ってますよ。
先日は、西門通りの朝陽物産で見かけました。
野沢菜より使い道がありそうですね。
買ってみようかな・・・
一時期よく買ってスープにしました。
独特の酸味が美味しいんですよね~。
今回食べたのもスープみたいなものでした。
寒い日には良さそうですね。