中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

クラブ「シルバーワゴン」から「欧州航路」まで

2018年04月20日 | 中華街(西門通り)

 西門通りにあった「酔仙酒家」が閉店し、しばらく空き店舗状態だったビルに新しい動きがでてきたことは、前の記事で書いたのだが、この角地が昭和34年以降、どういう変遷をたどってきたのか、昔の地図を使ってすこし眺めてみようと思う。
 

 昨日の記事でも載せた昭和34年の西門通り。クラブ「シルバーワゴン」が話題の角地である。


 昭和37年の地図では、「シルバーワゴン」と一緒に「銀馬車」という日本語名が登場。日本人客も多くなったのだろうか。
 218番地の4軒分が空白になっているが、焼失と書かれているところを見ると火災があったのだろう。
 このときにクラブ「カルホルニヤ」、コーヒーバー「パイロットハウス」のほか、民家と会社が消えたようである。
 ここで気がついたのだが、福建路にあったバー「チェッカース」の2軒隣の豆腐屋さん。ここはわりと最近まで残っていたのだが、やっぱり古い商店だったのね。

 左側のラインにあるバー「ブルーバード」と中華料理「復陽軒」の間にレストラン「ジャックス」がオープンしている。
 レストランと書いてあるが、ここはステーキ屋さんだった。


 「ジャックス」の厨房でステーキを焼く経営者の小倉さん。(白神義夫著『横浜の味』昭和51年保育社より)
 白神さんの記述によると、こぢんまりとしているが、アメリカ人(とくに米兵)や芸能人にはかなり知られた店だったっという。近隣の中華料理店の店主も常連で、よく通っていたらしい。
 店主の小倉さんは、もと横浜にあった米軍関係のクラブにいたときの愛称がジャックだったので、それを店名にしている。
 のちに同店はここから間門に移転した。そして、それも2011年頃に閉店したと聞く。


 昭和40年の地図。この前年に根岸線が磯子まで延伸し、現在の石川町駅が新設された。

 店名の表示が食事カクテル「ワゴンコーナー」になっている。昭和40年というと、あちこちにカクテルコーナーというのが広まってきた頃だ。
 2階には陽光商事、東進建設の2社が入った。
 火災のあった4軒分のところには空地の表示が。
 右側Y字路の角にあった横浜華僑基督教会が移転し、そのあとに「協和物産」が入っている。その3軒ほど隣に、あの懐かしい和食「菊水」が見える。37年の地図にはなかったので、38年から39年の間に開店したと思われる。「菊水」が閉店したのは平成の初期だったろうかね。


 昭和41年。2階が再びクラブ「銀馬車」に。


 昭和43年。1,2階ともカクテル「ワゴンコーナー」に。斜め前の角地にレストラン「三春」なんていうのが登場。カタカナ店名から日本名の店に転換し始めた頃なのかな。
 「徳永組」があった場所に「新徳永ビル」建築中の表示が。


 昭和47年。上の地図から4年も経っているので、いろいろ変化が現れた。
 カクテル「ワゴンコーナー」の一部に「上海ラーメン」が登場している。バー・クラブ営業から、すこしだけ中華料理へ転換し始めたのかな。
 火災の跡地は駐車場に。
 クラブ「レッドシューズ」が消え、替わってサウナ「山王」が出てきた。その向かい側には小さなバーが連なっていたのだが、解体されたようでこの地図上では建築中となっている。
 「鳴海ホテル」も撤退し、そこに中華料理の「廣州飯店」が開店している。ここはレトロなお店で、某新聞記者がよく利用していた。もちろん私もランチを何度も食べていたのだが、2004年ごろだったか廃業してしまったようである。その後、ここに今ある新しいビルが建った。龍峰ビルだ。
 新徳永ビルの2軒右隣に焼き鳥「七鳥」が現れている。中華街には焼き鳥屋がたくさんあったのだが、この辺からブームが始まったのかもしれない。
 そんな焼き鳥屋のなかで強烈な店があったのを思い出す。


 昭和49年。カクテル「ワゴンコーナー」の斜め前角地にある「三春」は、和風レストランと書かれている。2年前にはどんな飲食店なのか分からなかったが、これによって中華でもない、洋食でもない、和食のお店だったことが判明。
 その隣、サウナ「山王」が同じ業態のまま「銀河」という店名になっている。
 道路を挟んだ向かい側を見ると、昭和47年当時建築中だった場所に新しいビルが建ち、スナック「ニューノルゲ」が出現した。現在あるバー「ノルゲ」の前身だろうかね。


 昭和51年。サウナ「銀河」がなくなり、いよいよバー「ウィンドジャマー」が登場する。
 バー「ニューノルゲ」の隣り、角地の2階に麻雀クラブができている。麻雀人口が多くなった頃なので、中華街の中にもいくつかできたのではないかな。


 昭和53年。カクテル「ワゴンコーナー」が消えて、共同ビルの建設が始まっている。これが現在あるビルになるようだ。


 昭和56年。新しくできたビルの名前が「堀田・和田共同ビル」となっているのが分かる。
 左下方に酒処「八文銭」という店ができている。


 昭和57年。共同ビルの住み分けがはっきり出てきた。
 1階は「紅い宝石」の事務所、丸栄大安商事(酔仙かな)、そしてワゴンコーナーが入っている。建て替えたあとも、1階の片隅でカクテルコーナーを営業していたようだ。そういえば、「酔仙酒家」の内部は、どことなくスナック風な部分があった。あれは、カクテルコーナーの名残だったんだね。
 そして2階には中華料理「紅い宝石」。ここは県民ホールでの演奏会を聴いたあと、仲間同士で打ち上げと称してよく呑みに行ったことを思い出す。
 3階から5階はビジネスホテル「トーア」だ。現在の外観を見ても、それっぽい雰囲気があるよね。

 道路を挟んだ向かい側(下方)の角にビリヤードができている。ここには以前、雀荘があった。
 右端の三角路に「中華街薬局」が出てきた。二日酔いの朝など。よく利用したもんだ……
 その先に和食の「菊水」、さらにその先にバー「九竜」がある。「菊水」がやめたあと、そこに「九龍」という店が入ったけど、なにか関係があるのかなぁ。
 
 左下の方に目を転じると、山菜「蔦屋」なんていうのが見える。和食のお店だろうか。
 かつてはバー・クラブがたくさんあった町であるが、このあたりから和食やその他の店が進出し、さらにビル化が進んできたように思える。


 昭和58年。共同ビルの内部には変化がないが、隣に永いことあった駐車場に動きが出てきた。大きなビルを建てるための工事が始まっている。ここにはマンションができるのであろう。
 
 バー「チェッカース」の隣りに中華仏教会ができている。


 中華仏教会の外観。


 看板がかろうじて読める。


 昭和60年。58年の地図では工事中だったところが清和ビルと表示された。ビル化がどんどん進む。そのため、地図上ではなんというお店があるのか、巻末のビル一覧を見なければ確認できなくなってしまった。


 平成7年。さらにビルが増えている。


 平成11年。もはや、どこがどう変わったのか、ビル欄のページで見比べないと確認できなくなっている。

 ということで、これから先の地図はなし。そして現在の姿が冒頭の写真である。
 「酔仙酒家」あとに「欧州航路」が5月18日にオープンする。

 

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