
2008年2月29日、横浜名物がまた二つ消えた。一つは大桟橋のたもとにある東西上屋の倉庫。正確に言えばまだ消えてはいないのだが、近く解体されるということで、この2月末日をもって閉鎖され一般市民は立ち入れなくなった。![]() この東西上屋(とうざいうわや)というのは、横浜公園から日本大通りを真っ直ぐ行くと、港の寸前で皆さんの行く手を遮る古い倉庫である。 上屋という言葉は、横浜に来てから初めて知った。その言葉から、なんとなく屋根のある大きな倉庫を意味する日本語だと思っていたが、実はそうではないらしい。これは英語のWare House(倉庫)が訛って「ウエアハウス→ウワヤハウス→ウワヤ」となった、れっきとした英語なのだそうだ。 ![]() 倉庫のすぐ裏には横浜港が広がっている。その少し先に、上から見ると象の鼻に似ていることから通称『象の鼻』と呼ばれる突堤がある。この辺一帯はペリーたちが上陸した歴史的な場所で、横浜の港はここ象の鼻地区から始まったといえる。 来年は開港150周年。さまざまな記念イベントや事業が計画されており、この象の鼻や東西上屋を含むエリアでは、広場や緑地の整備が進められていくことになっているそうだ。 その事業のために東西上屋が解体される。これが完成すると、日本大通から港が一望できるようになるのだ。新しい観光スポットとしては良いのかもしれないが、古いもの好きなおじさんにとっては残念でならない。 観光客のあまり訪れない船溜まりは、ランチのあとに散策するには抜群の場所だった。岸壁を洗う小波が艀(はしけ)を揺らすと、舫(もやい)綱がギギギーッとけだるい音を立てていたのが、なんとものどかな光景だったのに…嗚呼。 ![]() もう、この風景は見られなくなるのだ。 そういえば、この上屋の中に“コレクターズモール”というのがあったけど、東西上屋解体に先立って移転し、今はシルクセンターのなかで営業している。 そして同じ日、もう一つの横浜名物が消えた。シウマイの老舗「博雅亭」である。 ![]() 明治14年創業の「博雅亭」が2008年2月29日をもって閉店するという新聞記事が出た。(2008.2.26神奈川新聞) ここのファンは大勢いたのだろう、この記事が出た翌日から松坂屋1階にある売店は大騒ぎになった。「もう二度と食べられない」と思ったおばさん達が殺到したのである。なかには有給休暇を取って駆けつけたというおじさんもチラホラ。 うちの若い衆なんか、昼休みにチャリを飛ばして買いに走ったのだが、1階フロアでおば様方に弾き飛ばされ、ヨロヨロとやっとの思いで売店にたどり着いたときには、もう既に完売! 結局、1個も買えずに帰って来た。 ![]() こんなことなら、もっと早く買っておけば良かったなぁ…なんて思っても仕方ない。いつでも買えると思っていたんだからねぇ。 そして突然出たあの記事。26日の朝刊だったから閉店まで4日間だった。なんせ短すぎた。 ああ~、もう食べられないのだ と思うと、無性に食べたくなる。 ![]() そして最終日。とうとうゲットした方がいた。 これが、そのシウマイだっ! ![]() 1個だけおすそ分けを頂いた。 やっぱり美味しい! 肉がギッシリ詰まっている、まさに博雅亭のシウマイだ。 これが最後のシウマイだ。 ごちそうさま! 「博雅亭」については、いろいろ書きたいことがあるが、それはまた後日の記事にゆだねよう。 まあ、とりあえずは「ご苦労様」と言いたい。 お店にも、おすそ分けくださった方にも。 ![]() 「ハマる横浜中華街」ランチ情報はコチラ⇒ ![]() |
寝耳に水といった気分の私。
知りませんでした。
あの倉庫がなくなっちゃうんですか?
博雅のシューマイもなくなっちゃったんですか。
博雅は伊勢佐木町に合ったお店おぼろげな記憶ながら覚えています。
なんだかさびしいですねぇ。
失礼しました。
http://www.ntv.co.jp/kuitan/2006/index.html
ノスタルジックな風情を失うのは、横浜らしさを失うのと同等の意味
だから、淋しいものがあるね。でも、時代の流れには逆らえないから、
新しい歴史を刻んでいってもらいたいものだと思う。
「博雅亭」は伊勢佐木町商店街の有隣堂の隣にありましたよね?
「とにかく寒い日に行ったことがある」という記憶だけが残っている。
ところで、「中華街の博雅亭にまた行ってみたいのですが、いまもあ
りますか?」という質問を受けたことがあるのですが、記憶のなかに、
博雅亭はないなあ。50年くらい前にあったのかな?
ここもそうだけど、崎陽軒もシウマイと表示していますよね。シューマイじゃないんです。伊勢佐木町の跡地は歯科医院なっています。
「日本の華僑 改訂版」朝日新聞社 1991・菅原幸助著
その中に「横浜、伊勢佐木町の「博雅亭」(現在は廃業)は、横浜の焼売の元祖といわれる老舗である。」
とあったので、とっくに無いものと思っていました。
でも気づくのが遅すぎた・・・もうダメなんですねorz
ところで東京・八重洲にも「中華博雅」というそこそこ歴史を感じさせる店があります。餃子で有名な泰興楼の隣です。何か関連があるのでしょうか?それともあやかって店名をパクッた??
中華街に「博雅」という焼売屋がありました。西門通りですね。今は「満福楼売店」の場所だったと思います。
あれが「博雅亭」とどういう関係だったのか、当時はちょっと調べたのですが、忘れてしまいました。
『今日が最終日だ』と思い出して松坂屋へ行ったところ既に完売でした…
そっか整理券が出るほどだったんですね ( ̄□ ̄;
そこのSifoという車屋さんはルノー乗りにとっては聖地でした。
私もルノー乗りなのでときどきお邪魔していたのですが…
倉庫建物は第二次大戦後に霞ヶ浦から移設されたもので、零戦のエンジン工場と部品庫だったらしいですね。
ttp://www.sifo.jp/blog/2007/10/post_1.html
「博雅亭」さんは一度食べてみたかったです。
恥ずかしいことに、そのような名店があったことすら知りませんでした…反省。
あったお店が浮かぶのですが違うのでしょうか。
そのあと有隣堂の横の路地の方に移った様な気がするのですが。
私、結構記憶が残っている方で、3~4歳ぐらいの頃の、
横浜の記憶があります。
相鉄ジョイナスが相鉄名店街だったアーケード街の記憶もあるし、
当時の伊勢佐木町の記憶もおぼろげですが…。
南京町(横浜中華街)も美味しいけど、横浜はやっぱり博雅だよ!
って言っていた亡き祖母の言葉を思い出します。
新聞にもあるとおり、店主が1973年に死去し、7年ほどは奥さんを中心にやっていたのですが、結局は後継者がいなかったことから1980年に閉店しました。
それでも、「幻のシューマイ」復活を望む声に押されて、横浜松坂屋が奥さんと交渉。子会社の「龍泉(ロンシャン)が商標権とレシピを借り、1983年に製造を再開していたのです。
私の気持ち的には1980年の廃業です。それからあとはオマケみたいなものかな。