中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

中央図書館から関内駅まで

2020年10月03日 | レトロ探偵団

 先月のことだが、野毛の横浜市中央図書館に行った帰り、桜木町駅に戻らず関内駅まで歩くことにした。
 ここは吉田町のメインストリート。久しぶりに来たので、自分の知っている町の姿とは様変わりしていた。この角地、以前は何があったのかな、思い出せない。左の奥は「梅林」がある、あの場所ね。この角地には何があったんだっけ……。


 こちらはその駐車場の向かい側のビル。これは防火帯建築だ。野毛寄りの角店は何屋さんが入っていたのか、それも思い出せない。


 関内駅側の角店は最近閉店したようである。


 その先の建物は、有名な吉田町第一名店ビル。これも防火帯建築である。小さな画廊や画材屋さんが並んでいたが、最近は飲食店なども入っているようだ。


 そこから福富町側を眺めた町の様子。1階が飲食店で2階から上が住居という構造のビルが連なっている。


 私の青春時代、しばしば訪れたスナック・バー「美代」が入っていたビル。お店は1階の角にあった。
 美人姉妹と婆さんがやっている呑み屋で、もともとは福富町の「エイトセンター」に入っていた。

 あの頃は楽しかったなぁ……。

 そのエイトセンターから移転していった先が、このビルだったのだ。


 福富町日用品市場があったのは、ここだったのかなぁ……。
 近くの店で呑んでいて、先輩に買い物に行かされたっけ。


 懐かしい「リトルジョン」♪ ベーシストのエヌ君とよく通ったよなぁ。


 この通りは以前、「おいしんぼ横丁」と呼ばれていたけど、いつの間にか「ノラねこ通り」に変わっていた。なんで「ノラねこ」なんだろう。そう思って調べてみたら、ただ単に野良猫が住んでいるからだという。

 う~ん。

 野良猫がいなくなったら、不思議な愛称だけが残るんだね。こうして町の謎がつくられるのだ。


 「ノラねこ通り」でもなく、「おいしんぼ横丁」とも呼ばれていない、単なる裏路地だった時代、ここに市民酒場の流れをくむ「杉田屋」があった。
 内部の構造はよく思い出せないのだが、野毛宮川町にあった「尾張屋」と似たようなコの字カウンター形式だったと思う。エイトセンターを知る前、あの頃は「尾張屋」へ行くか「杉田屋」へ行くか、どちらかだった。
 夏には路地に面した戸が開け放たれた状態で営業していた。だから店内は暑かったけど、外から入ってくるいい風を感じながら飲むビールが旨かった。

 あの頃はいい店とか旨い飲み方なんかをすべて先輩たちが教えてくれたもんだ。もっと上の先輩は、戦後野毛で大人たちからお金をだまし取った話を懐かしそうに話してくれたっけ。。。



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