エッセイ -日々雑感-

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 星野道夫の旅 - 没後20年展

2016年10月01日 | 雑感

 2016年10月1日

 

 きのう京都高島屋の“星野道夫の旅”没後20年展へ行った。

                          

 

彼は1996年8月8日アラスカでヒグマに襲われて死んだ。

享年43才。

私が星野道夫という写真家の名前を知ったのはその時初めてだった。

 

 写真展は圧巻だった。

 

カリブーの巨大な群れ,ジャコウウシ、グリズリー、ホッキョクグマ、埋れてなおかつ立ち上がっているクジラの骨、ニシンをとるザトウクジラの乱舞、昔ながらの方法で巨大なクジラを仕留め皆で分けあう村人たち、死ぬまで角突き合わせて闘う雄のカリブー、生まれた場所で果敢に朽ち果てるまで生き続けるトーテムポール、村人の出自を象徴するワタリガラス、そしてオーロラ・・・・。

 

展示の途中途中に、彼の言葉が紹介されている。

 

 彼が活躍していた時には、すでに地球の危機がずいぶん叫ばれていた。

レイチェル・カーソンの“沈黙の春”(農薬の害:ケネディ時代)、オゾンホール、温暖化、人口過密・・・。 

 

しかし、ここでは特にこれらのことには触れていない。

 

私がそれらしき主張と見た唯一のものは、夕日を背景にカリブーの列が石油輸送パイプラインの横を通っている、他の写真と比較するとごく小さな写真だった。

 

 

「・・・白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい・・・・

ふと立ちどまり五感の記憶の中にそんな風景を残しておきたい」

 

 彼は現状を理解したうえで、当時のアラスカを皆の記憶に残しておきたいと思ったのだろう。

 

 最後に彼の自筆の書があった。

 

 「短い一生で

 心魅かれることに

 多くは出会わない

 もし見つけたら

 大切に・・・ 大切に・・・」

     Michio Hoshino。

     1996.1.16

 

彼が死ぬ半年前に書いたものだ。期せずして、それは彼の遺書になったような気がする。

 

星野道夫は、その生涯にわたって、その名のとおり 星への道に向かって歩いていった。

 

 


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