エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

今日の1日 ― 老いに抵抗

2017年05月05日 | 雑感

2017年5月3日

 

 連休が始まったが、私には連休であろうが平日であろうが関係ない。

久しぶりに、昨日大文字山に登った。観光客が門前通りに群がっている。

                                       

私は右肺上部1/3を2014年11月に切っている。

それ以前は毎日ほどジョギングをやっていたから、急いで行けば銀閣寺から25分ほどで“大の字”の中央、弘法大師さまのお堂まで行けた。

ところが、手術後は次第に気分的運動拒否反応が出て、まったくの怠け者になった。歳をとるのは当然だ、あまり抵抗しないでおこう、という理屈をつけていた。

 登りはしんどかった。特に つ づらおりの坂で上から幼い子供たちを連れた親たちが降りてくるとどうしても道をゆずりながら登らねばならないから横に避ける。運動不足の筋肉で、足元までぐらついてくる。

何人かに抜かされる。二度立ち止まる。こんなことは前にはなかった。

ハアハアと、35分かってやっと大の火床についた。

                                            

 私の高校時代からの友達Mは山岳部だったが、一緒に里山を歩く時、私の歩き方を“バカ”だという。“お前はなんでもかんでもジョギングのしんどさの時間に換算する”、と。      しかしこれは私の性癖だ。

 

帰ってからMにメールしたら、“衰えは あまり悲観せんでもエエのと違う。今までが強すぎたのや。これが歳相応ではないでしょうかね。”と返事が来た。

 近所の、私と同じくらいの歳の方が、毎日大文字に登っているという。たいしたものだ。

ということで、今朝も大文字に登ってくるといったら家内に止められた。そこで、家から宝ヶ池を一周5キロのジョギングに変更した。

                                   

このコースは何十年と走っているが、ゆったり走って42分±1分で、JRのダイヤ並みに正確だった。

ところが、今朝は走っては歩き、走っては歩きを繰り返して52分だった。

 このところの私の友人たち、そして私自身のこの衰えは、私に老化に抵抗すべきだと教えている。

 

ちなみに昨日、今日の運動で身体がかるくなった。バランスも良くなった。靴下を履くのがぐらついていたが、すっと一本足で安定して立って出来るようになった。

まだしばらくは老いに逆らって生きることを旨としようか。

 


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