2015年4月12日
統一地方選挙の投票に行った帰りに近くの公園まで散歩した。
そこには大きなきれいな池があり、その周囲を散歩、ジョギングする人は多い。
池には沢山の鯉がおよいでいる。群れをなしたカモ、アヒルなどに混じって、時にはサギが悠然とたたずんでいる。
前はつがいだったアヒルが連れ合いをなくして寂しそうだ。
連れ合いがいたときは、よく二人してカモをコツコツいじめていて、家内を怒らせていたが、一人になってみるとかわいそうな気になる。
池を一周して喫茶店で休憩していると、すらっとした外人の夫婦が入ってきた。若くはないが、老人でもない。円熟した働き盛りの感じだ。
やがて亭主が携帯でしゃべりだした。極めて正確、流ちょうな日本語だ。
彼の話が終わると、今度は奥さんも別の人物に携帯をかけだした。
これで、びっくりした。
「いま京都にいるからね・・・、特講(多分)のほうは〇〇さんにたのんでおいて・・・・」
彼らの方を見なければ、とうてい外人がしゃべっているとは思えない。しかも我々の関西弁とちがって標準語だ。
「オレ、あかんな!」と、頭をかかえた私を見て、家内は笑いながらうなずいた。
私は仕事の関係上英語を使わねばならなかった。読み書きは常時だが、問題は時たましゃべることだった。
30歳のころ(四十数年前)一念発起。
当時日本で最高の教材と云われた全25巻のテープを手に入れほぼ毎日40分ほど、全教材を二年にわたって二回終了、同時に修道院のシスターに個人教授で3年間ならった。
このシスター教室のいいところは授業料が安いこと。そして欠点は、英会話の教師とはなんたるかを理解しないシスターが、自分が話すことに夢中になることだった。
イエスさまが水の上を歩かれたことは本当、パンをどんどん出されたことは本当・・・・、エトセトラ、エトセトラ。
このように一応は努力してあとは実戦だったが、今の流ちょうな英語時代では私の英語はしゃべれますというレベルではない。
奥さんの携帯が終わって、二人はしゃべりだした。
家内が吹き出した。 「あのひとたち!英語もしゃべれるのね!」
二人は英語で話していた。やはりそのほうが楽なのだろう。
蛇足)外人のお相撲さんの日本語すごい。
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