エッセイ -日々雑感-

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目玉の松ちゃん

2016年09月26日 | 雑感

                                                                                   2016年9月26日                                                      

 

                                                                        

 

 

これはシルバーどころか、ゴールドエイジ、もしくはその上のプラチナエイジ(?)にしか通じない話だろう。

いつものように高野川沿いに下がって行って、鴨川(加茂川)との合流点に着いたときにトイレに行きたくなった。

たしか高野川と鴨川との間の、下賀茂神社に行く道の横に公衆トイレがあったことを思い出した。トイレがある所は小さな広場で、鴨川公園と名付けられている。

用をたして出てくると、家内がある方を指さしている。見ると胸像があった。

 

「目玉の松ちゃん」と家内が言う。

その名前は私も子供のころに聞いた。なぜ私より5歳下の彼女が「松ちゃん」を知っているかといえば、 「宝塚ファンのお母さんが、実は松ちゃんのブロマイドをこっそり持っていて、それを見つけたおじいちゃんに叱られた」という義母の若かりし頃の話を聞いていたからだ。

「目玉・・・」というからにはどんな目をしているのだろう、とよくよく見たがただ鋭いだけでなんということはない。

 散歩から帰ってネットで調べた。

尾上松之助(1875年から1925年)、本名中村鶴三(かくぞう)、歌舞伎界から牧野省三に薦められて映画界に入り、日本初の映画スターとなる。大スターらしかった。実物を見た人は、今では優に100歳を越えているだろう。

目玉をギョロリとむいて敵に対峙するのがうけて、「目玉の松ちゃん」の名がついた。

人間的にも立派で、貧乏な家から出て、映画でお金をいただいて裕福となった。そのお礼にと京都市、赤十字その他に巨額の寄付をした。

亡くなった時、葬儀に参列したのは数万人、沿道は棺を見送る人で埋め尽くされたという。

彼が貧しい人のために建てた府営住宅が老朽化して立て直されることになった時に、時の京都府知事・蜷川虎三が、松之助の功績が忘れられるのを惜しんで、余った金で建てたのがこの胸像だという。1966年のことだ。

慾にまみれた話が蔓延している現代、こういったいい話を聞くと心が和む。

そこらへんをうろついていると、意外に近いところで興味あるものに出会う。

 

2014年5月21日記


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