エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

伊勢神宮参拝記(2) - 先達(せんだち)はあらまほしきものなり

2015年10月14日 | 雑感

さて、私は伊勢神宮でも失敗した。

ここは最近大学の同窓会旅行でも行っているから、そこそこ知っていたはずだった。

 

内宮の入口の鳥居で帽子をとって参拝に入った。そして通過する鳥居ごとに礼をする。

 五十鈴川のほとりを通ってぐるっと回ってかなりの道のりを歩いた後、一つの大きな鳥居に入るところだったが、一人の年配の婦人が鳥居を背にして逆方向を向いてお辞儀をした。

 

私、「鳥居じゃなくて逆方向にお辞儀をされるんですか?」

ご婦人いわく、「ええ、本宮の方に向かってのほうがいいかと思って・・・」

その鳥居を出ると、いや入るのかな、そこは私たちが入ってきた出発点入口だった。つまりご婦人は本宮に参拝して、ぐるっとまわって、出る前の鳥居で本宮に向かってさよならと拝礼したのだ。

 

ということは、我々は本殿に行かず、ただ内宮をむやみにまわって出てしまったのだ。

 

もう一度入り直した。道を清掃している人に聞くと、「ここを道なりに真直ぐに行っていただきますと一番奥に階段がありまして、そこに本殿があります」

 

ふたたび同じところを歩いて行くと、なぜ私たちが間違ったのかに気がついた。 私たちは、本宮に参拝して帰って来る沢山の人の群れにつられて出口に行く左側の道にそれてしまったのだ。本宮はそこからかなり奥の方にあった。

 

 徒然草で、仁和寺の坊主が京都の男山八幡宮に登り、皆がぞろぞろ帰ってゆくので山頂の本殿(八幡宮)まで行かずにつられて帰ってきて、馬鹿にされたのと同じことを私らはやらかしたのだ。

その話の最後に“すこしのことにも先達(指導者)はあらまほしきものなり”とある。

 

 しかし二回も伊勢神宮内宮をまわったからには、なにか御利益があるかもしれない。

 

ところで二見ヶ浦神社中には至る所に蛙の置物があった。この蛙は「無事カエル」「貸したものがカエル」「お金がカエル」などと縁起のいいものだという宣伝がしてある。トリボウシ岩ならぬ蛙岩にちなんだのだろう。

 

このカエル、内宮前のおかげ横丁でも見た。昔はこんな横丁はなかったが、このおかげ横丁の一角に宝くじ売り場があった。その横には大きい蛙の置物があって、ここで宝くじを買えば「お金カエル」で大当たりになるとのことが書いてあった。そこで2000円出して宝くじを買ったら、それが一万円になった。

 

福のカエルのお蔭か、内宮を二度も廻ったお蔭か、間違ったカラスボウシを直してあげたお蔭か(このひとつ前の投稿記事)、多分三つのお蔭が合体したのだろう。それにおかげ横丁が入ると四つになる。

 

でも、四つも”おかげ”が重なれば、もう少し大きく当たってもいいんじゃないだろうか。

 

                            

 

 

 

 

 


伊勢神宮参拝記(1) - 二見ケ浦のトリボウシ岩

2015年10月14日 | 雑感

 

2013年4月13日

 

 家内と伊勢神宮に行き、翌日二見ヶ浦の夫婦岩に行った。

  夫婦岩付近の様子は、小学校修学旅行の時の記憶とは全く違っていた。60年ほど前のことだから当然だろうが、ごく普通の海岸から海の中に見えた夫婦岩は、今は神社ができ、おみくじなどが売られている社務所もある整備された歩道から見ることになる。引き潮だからだろうか、海の中ではなくて岩は陸続きだ。

                            

  夫婦岩の周囲には三つの岩がまわりに散らばっている。昔の記憶はまったくあてにならないものだ。あとの岩などなかったような気がする。

 私は気がつかなかったが、私のあとから追いついて来た家内が「あの説明文では、エボシと読ますのは無理ね、トリボウシとしか読めない」と言う。

なんのことかわからなかったので戻って見たら、絵があって岩の昔の名前がつけてある。夫婦岩は別として、烏帽子岩、屏風岩、そして獅子岩とあった。これが本来の名前らしい。

ところが烏帽子岩は歳月が経って形が変わって今は蛙岩とよばれているらしい。その名に変わった由縁を説明する立札が横にあった。

                                             

 確かに説明文を見れば、烏帽子岩にあてられた漢字は“カラス”でなくて“トリ”だった。

 社務所の中のおじさんに声をかけに行った。

「あの岩、“カラスボウシ岩”というのですか?」

おじさん、「いやあれは昔は・・・・」と説明をはじめた。

私はしかし、おじさんの説明を聞く気もなく、「いやあれでは“カラスボウシ”とは読めない。あの立札の文字は “トリ”で、カラスだったら横棒が一本いらない。“カラス”でなくてあれは“トリ”です」と言って、立札まで行ってその字をおじさんに示した。

 家内に顛末を話したら、

「あなた、みっともないわね? どうしてエボシと言わないの!」と笑う。

たしかに烏帽子とくれば“エボシ”と素直に読める。しかし家内が言った“トリボウシ”の音韻が頭に残った結果、“カラスボウシ”と言ってしまったのだろう。他人をからかうおっちょこちょいの性格が裏目に出て恥をかいた。

 

しかしあの立札は直されるだろうから、私は二見ヶ浦神社に貢献したことは確かだ。

二見ヶ浦に行く予定がある人は、“鳥”が“烏”に直っているか確認してきてください。

 

 ところで、夫婦岩のところで、家内、「この小さい岩が夫で、大きい方が妻でございます」とおどけた。

我々の年代になった多くの夫婦たちの立場は若い時とは完全に逆転している。私、納得する。

次は伊勢神宮参拝失敗の記だ。