エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

青汁 - 父の思い出(2)

2015年10月10日 | 雑感

 

  2014年1月13日

 

青汁が出て来たのは今から二十数年前で、悪役俳優の八名信夫が飲んで 「わー、まずい!」とかいったコマーシャルで広く知られるようになった。

一般の青汁の歴史は長くてもたかだか30年程度だろうが、我が家では50年以上の歴史がある。

 

青汁の原料はなんでもいいが、代表的なものはキャベツの原種であるケールだ。キャベツのように丸くはならず上に伸びて、そして大きな葉をつける。

古くは九州地方の一部でしか食用に使われなかったという。

 

父の故郷は暖かいのでほったらかしておいても、それは背丈ほどに伸びる。ふんだんにとれるいい緑色野菜源だから、父はジュースの原料にと考えたのだろう。

 

毎朝父はこれを作った。家ではまったく何もしない父だが、それだけが唯一価値ある仕事だった。

最初は、ただケールを刻んでミキサーにかけるだけだった。あるときうちに来た父の弟が、「これは人間の飲むものではない」と云ったが、それは健康のためと覚悟して飲めばなんとか飲めるような代物だった。

やがて父は改良を重ねていった。りんご、オレンジ、レモンを入れ、はちみつで甘みをつける。ぐんと飲みやすくなる。

 

ただ、我が家の青汁は市販のものと違ってすごく濃度が高い。大きなグラスに入れて冷蔵庫にいれておくと固まる。これをかきまぜて柔らかくし、グラスを傾けると、時にはドバっと顔全体が青汁泥をかぶるとになる。

だから、普通は飲むというより大匙ですくって食べる。濃度が高すぎるときは汁を吸い取った後にかすが口に残る。これを吐き出すのか、嚙んで飲み込むのかはその時の気分次第だが、このかす(繊維)は便通にいい。

 こうして私は高校時代から、父が亡くなるまで、そしてあとは母が受け継いで作り続けた青汁を飲んできた。

 

花は黄色で、ここからけし粒ほどの大きさの実を抱いた、長さ6センチ、太さ5ミリくらいのさやえんどうのような物ができる。それを十分に干してから、小さい種をあつめ、時期がくればプランターに植える。そして庭土に移し替えて、次世代青汁作製用ケールを育てる。

 

やがて母は高齢となりケールを育てる元気がなくなり、いつの間にか我が家の庭からケールは消えた。植物を育てることに関して殊の外、怠け者の家内には、これを続ける根気も才能も無かった。

 

いま、これを栽培しているのは、母の遺伝子を十二分に受け継いだ根気の権化のような妹である。

 

                 

             庭にケールが咲いていたころの写真          収穫されたケールの種