エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

消毒の思想 - 父の思い出(1)

2015年10月08日 | 雑感

2010年8月13日記

           

父が生まれたのは明治36年だ。当時は結核が猛威をふるっており、国民病あるいは亡国病と呼ばれていて結核による死者はきわめて多かった。

父の村やその周辺ではとくに結核患者が多かったが、それはその地域がランプ生活をしているような辺鄙な田舎で住人の意識が低かったことと、食生活がまずしかったことによる。

父の母の生家は結核に弱い家系で、兄弟4人のうち3人までが結核で死んでいる。だから彼女は消毒の大切さを身にしみて感じていた。そして子供たちをいかにして結核からまもるかということに必死だった。

彼女が消毒に使ったのは昇汞水(しょうこうすい)だ。これは塩化第二水銀を水にとかしたものだが、それ自体猛毒であって今では使われていない。

子供たちが外での遊びから帰ってくると、彼女は昇汞水を入れた鉢の中で手を洗わせ、手が乾くまでそのままにさせた。そして手が乾いたらやっと水で洗っていいという。それをやらなければ子供たちは家に入れなかった。鉢の中の昇汞水が真っ黒になっても効果は同じだからかまわない。

 

父の兄弟は10人いたが、誰一人として結核にかかったものはいなかった。幼くして亡くなったものもいたが、それは敗血症など他の病気が原因だった。

彼女が塩化第二水銀の量をはかっていたのは小さな黒い上皿天びんだった。

 

長男だった父は、母親の子供に対する思いと、その“消毒の思想”の象徴である古びた小さな上皿天びんを死ぬまで大事にした。

そしてそれは、いま私の手もとにある。