先週から始まっている「週刊新潮」の特別連載に目を通されているだろうか?
“【実名告白手記】私は朝日新聞「阪神支局」を襲撃した!”
実行犯が時効後に初めて公に登場して裏話を明かしたという、
独占スクープ記事のことである。
私は先週から、この「週刊新潮」のことで、大ショックを受けている。
実は私は
先週号の新聞広告を見たとき、
あまりの驚きでのけぞり、
すぐに買って読みたいと思った。
ただその時は、
朝からバタバタしていたので、
結局KIOSKで雑誌を手に取るのが
発売日の夕方になってしまった。
そして
そのKIOSK店頭で再度、のけぞることになった。
なんと、
この「週刊新潮」が全然棚から減っていないである。
私はてっきり、
朝からガンガン売れていると思っていた。
慌てて、コンビニや書店も覗いてみた。
どこも同じである。
(寧ろ何の特集もない「週刊文春」の方が減っているくらい)
もしかしたら、買いに走ろうと思ったのは、俺だけ・・・?
そう思ったら、寒気がした。
雑誌というメディアは、
立ち位置を変えないと本当にヤバいかもしれない。
それから新聞も・・・。
私が感じたのは、以下の4点である。
①今の日本は、
世代ごとの文化がバラバラになり、関心が分散してしまっている、
ということ。
よく言われていることだが、
日本には既に「大衆」はいないことが改めて実感できた。
つまり
今の日本では「スクープ」が全世代を貫通することはないのである。
②個々の世代で、情報に麻痺、社会への関心が鈍化し始めている、
そしてそれは新聞雑誌の主要読者層である中高年も例外でない、
ということ。
この事態を目撃するまでは、
私は実は、少なくとも我々の世代(40代以上)は違うと思っていた。
我々は長く新聞・雑誌文化に親しんできた世代だから、
同時代の「スクープ」が掲載されれば、当然購入する。
そう単純に思っていた。
ところが、
今回の「週刊新潮」について
我々の世代ですら「買う」というアクションを起こさなかった。
社会への関心が鈍化しているのは、我々の世代も同じだったのだ。
そもそも社会への関心が鈍化すれば、有料のメディアは不要である。
③それから、ここ数十年守られてきた「広告の方程式」の崩壊。
雑誌と言えば、新聞広告。
少なくとも、中高年は、
新聞広告を見て→雑誌を買う。
とまだまだ漠然と信じていた。
ところが!というわけである。
④最後に、こうしたことを
雑誌・新聞のメディア側の人間が明確に意識していないのではないか?
ということ。
もし店頭で感じた私の予想が正しければ
「週刊新潮は売れてない」(いつもと大差ない部数という意味です)
つまり、
記事も空振り、
宣伝も空振り、
だったということになる。
(私にはジャストミートしたけど)
そして
新聞も広告が効かないことを証明してしまったことになる。
(私には効いたけど)
もし私の予想が正しければ、
いまごろ出版社も新聞社も
「アジャパー」と叫んでいることと思う。
これは本当に、頭を切り替えなければ、ヤバいです。
では、どう頭を切り替えるべきか?
それが問題だ。
次項に続く。
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※The reason why the title is“広告代理店はイヌと同じだ”
“【実名告白手記】私は朝日新聞「阪神支局」を襲撃した!”
実行犯が時効後に初めて公に登場して裏話を明かしたという、
独占スクープ記事のことである。
私は先週から、この「週刊新潮」のことで、大ショックを受けている。
実は私は
先週号の新聞広告を見たとき、
あまりの驚きでのけぞり、
すぐに買って読みたいと思った。
ただその時は、
朝からバタバタしていたので、
結局KIOSKで雑誌を手に取るのが
発売日の夕方になってしまった。
そして
そのKIOSK店頭で再度、のけぞることになった。
なんと、
この「週刊新潮」が全然棚から減っていないである。
私はてっきり、
朝からガンガン売れていると思っていた。
慌てて、コンビニや書店も覗いてみた。
どこも同じである。
(寧ろ何の特集もない「週刊文春」の方が減っているくらい)
もしかしたら、買いに走ろうと思ったのは、俺だけ・・・?
そう思ったら、寒気がした。
雑誌というメディアは、
立ち位置を変えないと本当にヤバいかもしれない。
それから新聞も・・・。
私が感じたのは、以下の4点である。
①今の日本は、
世代ごとの文化がバラバラになり、関心が分散してしまっている、
ということ。
よく言われていることだが、
日本には既に「大衆」はいないことが改めて実感できた。
つまり
今の日本では「スクープ」が全世代を貫通することはないのである。
②個々の世代で、情報に麻痺、社会への関心が鈍化し始めている、
そしてそれは新聞雑誌の主要読者層である中高年も例外でない、
ということ。
この事態を目撃するまでは、
私は実は、少なくとも我々の世代(40代以上)は違うと思っていた。
我々は長く新聞・雑誌文化に親しんできた世代だから、
同時代の「スクープ」が掲載されれば、当然購入する。
そう単純に思っていた。
ところが、
今回の「週刊新潮」について
我々の世代ですら「買う」というアクションを起こさなかった。
社会への関心が鈍化しているのは、我々の世代も同じだったのだ。
そもそも社会への関心が鈍化すれば、有料のメディアは不要である。
③それから、ここ数十年守られてきた「広告の方程式」の崩壊。
雑誌と言えば、新聞広告。
少なくとも、中高年は、
新聞広告を見て→雑誌を買う。
とまだまだ漠然と信じていた。
ところが!というわけである。
④最後に、こうしたことを
雑誌・新聞のメディア側の人間が明確に意識していないのではないか?
ということ。
もし店頭で感じた私の予想が正しければ
「週刊新潮は売れてない」(いつもと大差ない部数という意味です)
つまり、
記事も空振り、
宣伝も空振り、
だったということになる。
(私にはジャストミートしたけど)
そして
新聞も広告が効かないことを証明してしまったことになる。
(私には効いたけど)
もし私の予想が正しければ、
いまごろ出版社も新聞社も
「アジャパー」と叫んでいることと思う。
これは本当に、頭を切り替えなければ、ヤバいです。
では、どう頭を切り替えるべきか?
それが問題だ。
次項に続く。
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※The reason why the title is“広告代理店はイヌと同じだ”
もっとも今は、
マスであるはずのテレビまで同じになってきています(こっちの方が問題)。
モラルに反すること、非常識なことを、あたかも「視聴者(読者)が求めていることでござい」と正義の御旗を振って正当化し「カネを儲けようとする」という姿勢が見え見え。
全部がそうなっちゃったから、みんなが辟易し、「新潮」のような週刊誌も地盤沈下し始めているのでしょうか。
LEO3さんのご意見を拝見して、そんなことを思いました。
コメント、ありがとうございました。
主な理由は、胡散臭い。
いまさら10年以上も前の話、「だからどうした」って感じなのですが、それだけでなく、少なくとも、殺人という罪を犯しておいて自慢げにそれを披露する人、そして、それをネタにカネを儲けようとする雑誌の編集姿勢に胡散臭さを感じました。こういった姿勢には、真実を追求する姿勢が全く見られないからです。
どうも茶番っぽくて、本当らしさが感じられないのです。
それほどまでに、既存マスコミは、かつてあった権威を見事なまでに喪失しています。
これは、今までのマスコミの行いがそういった土壌を作ってきた、つまり、自業自得だと思うんです。
たまたま、ネットの普及時期と重なって、加速されている向きはありますが、ネットの普及が主原因ではないと思います。
つまり、なんていうか、彼らマスコミが今まで垂れ流してきたコンテンツそのものが、原因だと思うのです。
時代は、ますます、ホンモノ志向になってきていると思います。週刊新潮は、その点、まったく、偽物ですね、残念ながら。
長くなってすみません。