本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

父の入院

2007年08月07日 10時55分48秒 | 心についてのあれこれ
父が入院して一週間になります。
8月1日の朝発熱し一人で立ち上がれなくなったので母が救急車を呼んだのでした。
どうやら歯の膿が体の中に入ってしまい、熱がでて、白血球の数がものすごく増えてしまったとのこと。
結果としては、そんなに深刻な事態にならずにすんだのですが、入院の間、何しろ父は認知症で徘徊のおそれがあるため、夜も付き添いが必要な日がありました。
どうやらまもなく退院できるようなので、とりあえず少し安心です。

でも、今回は父の入院で、またいろいろ学ぶことがありました。
父が認知症になる前、父と私はほとんど会話がありませんでした。
父は大正生まれ、私とは40以上も歳が離れています。無口な人で、神経質で口やかましく、コントロールの強い母にいつも圧倒されている、という感じでした。
私はそんな父が理解できなくて、母の攻撃から私をかばってくれない情けない父、と見ていた時期もかなり長かったと思います。

そんな父ですが、認知症になってからは、私に会うと、以前は言わなかったような言葉が飛び出すようになりました。「お前は性格はいいんだからな、自信を持って」とか、「お前はよくやってるよ。」など。どうしてそんな言葉が飛び出すのか分かりません。

今回の入院では、父の長所をまたいろいろ発見しました。
父は、他の患者さんと比べても、普段はとても穏やかです。半分はもう別の世界に行ってしまっているからか、時々は仏様のように見えるときもあります。

ただ、目の前で私と母が口論したり、イライラしている人が周りにいると、それが父にも伝染してしまうようで、目に見えて機嫌が悪くなるのが分かります。
すると私は、「ああ、いけない、いけない、父の前では平静な気持ちでいなくては」と思うのです。

他界した私の祖母は、寝たきりになって認知症になってから子供のようになってしまい、よく周りの人にわがままを言っていました。でも、それに比べると父はたいそう穏やかで、子供がえりもせず、大人としての品格を保っているようであります。管理が楽だからとオムツで済ませようとする周りに対して、オムツで用を足すのをよしとせず、歩けるようになると断固として自分でトイレに行こうとします。
看護婦さんにも、年長者としてねぎらいの言葉をかけます。若い可愛い看護婦さんに話しかけられるとニコニコと嬉しそうにし、「どうもお世話になります」とか、「ご苦労」と声をかけたりするのです。

食事のときには周りに人がいると、「オレはいいから、あなたが食べなさい」などと言ったりし、私には「お前、お金は大丈夫か、お金がなかったらお父さんがお前にやるからな」と言ったりします。

ああ、こんな父の美点を、私は長い間分からずに来たのかも知れないな、と思いました。

こんなふうに病院で父に付き添って、父の意外な面を発見することは、父から私への最後のプレゼントなのかもしれない、とも思います。