ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

墓店

2006-08-13 21:07:27 | つれづれに
ちーろぐをご覧頂いている皆さんは『墓店(はかみせ)』
なるものをご存知でしょうか?

これは私が住んでいる大阪忠岡町で毎年お盆の中日に
お墓の前の通りに、夜様々な屋台が出るのでその屋台を
『墓店』と呼んでいます。

亡くなったご先祖様をお迎えするお盆の飾りや、昼間に供養の経を
唱え、お盆の行事がひととおり終わった夜の墓店は、夏の風情を
感じるものです。

私も小さい頃、母屋の親戚宅へ行き、お墓参りをした後
浴衣を着せてもらい、子どもだけで夜店見物が出来るこの日を
とっても楽しみにしていました。
母からもらったお小遣いを握って、何をしようか、何を食べようか
妹と迷いながら歩いたものです。

ご先祖を迎える「お盆」の懐かしいひと時を思い出します。

21年絶てど癒えぬ悲しみ「日航機事故」を思う

2006-08-12 22:24:27 | つれづれに
あれから21年も経ったなんて、月日の流れの速さに
ただ驚くばかりですが、日本中があの日に起こった
大惨事を忘れることはないと思います。

御巣鷹山に激突した日航ジャンボ機は、521人の命を奪う
といういまだかつてない大量輸送機事故を引き起こしました。
やむを得ぬ事故だったのか、それとも防げるはずの事故
だったのかを人間模様と、商業ベースに真実を忘れた姿を
ドキュメンタリータッチで描いた
「沈まぬ太陽~御巣鷹山編」山崎豊子



私はこの本を、去年の5月に手にしました。
きっかけは、JR尼崎事故の衝撃からです。
「ありえない、そしてあってはならない事故を
 一度起こせば会社の存続をも揺るがすということを
 知りながら、なぜこのような惨事が起こるのか?」

このことを思うと、日航機事故に重ね合わせてしまいました。

日航機ジャンボ事故機は、数年前に油圧幕壁の亀裂を
ボーイング社に修理に出した際の欠陥修理が原因であったと
報告されています。
修理を半分でおさめようとしたために、その「はとめ」が
十分ではなく、圧力に耐えかねて破裂をしたのでした。

521人の乗客は、極限の状態の中で家族に震える文字で
遺書を書き、愛するわが子を胸に抱いて恐怖の中命を
失ったことが、事故現場で回収される遺体と遺品が
物語っていました。

まさか・・・
わが身に・・・
起こるなんて・・・

人々のいつもの生活を突如奪ったものは、不幸にも
起こってしまった自然災害や不可抗力に起因するものではなく
人間の人間による「怠慢と過失と無責任」であったのです。

この世に起こる全ての人災は、幾万の「はっと」した瞬間
つまり「えらいことにならなくて良かった」と胸をなでおろす
ことを背景に持っていると言われます。

人によって引き起こされる事故を限りなく‘0‘に近づける
為には、底辺(水面下)にある「はっとするようなこと」を
なくさなければならないのです。

21年前の悲しみを思うとき、私自身背筋に冷たい氷のような
ものを感じました。
はっとする瞬間を幾度私が、やれやれとやり過ごしたことか。。。と
今一度自らを省みた一日でした。



食育指針「ねらいと内容」②

2006-08-11 13:04:40 | 食育
引き続き、食育指針のねらいと内容をご紹介いたします。

毎日が発見の連続を体験している子ども達は
日々食を通しても、様々な発見と学びをしています。
生命維持の第一義的な「食」ではなく、真に豊かな「食生活」
を行うために、保育園ではこのようなねらいを定めて、
体系的に「食育」を行っているのですね。

◆第三のねらい
 『食と文化』
  ・様々な料理に出会うことによりその食事の背景にある
   文化に気づく
  ・地域で培われた食文化を体験することにより、
   郷土への関心を持つ
  ・国によって食事や、食事習慣が違うことに気づく

◆第四のねらい
 『いのちの育ちと食』
  ・自然の恵みと収穫までの労働の大切さを知り、
   感謝の気持ちを持って食事することを味わう
  ・実際に栽培・飼育・などの体験を通して、
   身近な存在に気づき、命あるものを食していることに気づく
  ・食材の豊富さを知る

◆第五のねらい
 『料理と食』
  ・身近な食材を使って調理を楽しむ
  ・食事の準備から後片付けまでの食事つくりに
   子ども自らが関わり、味や盛り付けなどを通して
   考え方などを生活に取り入れる
  ・食事にふさわしい環境を考えて、食卓を飾ったり
   落ち着いて食事が出来る環境に気づき、行う


以上のように保育所ではこの5つの観点で食育をその保育カリキュラムに
取り入れて行っておられます。
基本的生活習慣の源である「食事」は、私達の想像以上に子ども達の
情緒の安定をはかり、感性を育てています。
人間形成の重要期である幼児期に、この「食」を通したつながりを
子どもと持つことがなかったら、また希薄であったらそれは子どもの
人格形成にも大きな影を落としかねないことは、言うまでもありません。

保育園でまた幼稚園で、このような視点で「食育」が実践されていることを
多くの方々に知っていただきたいと思います。


ちーろぐの思い
 スーパーへ行けば、何でも揃う今日、ついつい便利さに流されて
 そのような加工品を手にしていることがあります。
 私は、去年一年間の青年塾の学びの中で、「食を正す」ことで
 「かなりまっとうな人生を営むことが出来る」ことを知りました。
 本当においしいものを感謝していただく、為には私自身が
 手間を惜しんではいけないと今は強く思っています。
 本物を作り出す農家の方々の汗は本当に真実の汗です。
 また、いづれご紹介させていただければ幸いです。

食育指針の「ねらいと内容」①

2006-08-10 18:46:59 | 食育
食育指針とは、正確には「保育所における食育に関する指針」
のことを言います。
家庭生活における『食育』を、ご紹介してきましたが
今回からは、保育所施設を利用する子どもに対して
厚生労働省が示した『食育指針』についてご紹介いたします。


保育所に通う子どもの生活は
  朝8時頃   登園
  午前10時ごろ おやつ 
  午後12時ごろ 昼食
  午後3時ごろ  おやつ
  午後5時ごろ 降園
とその生活の大半を、保育所で過ごしています。
実は、私も母が仕事を持っていたので、小学校まで
ずっと保育園で過ごしました。

そこで、正しい子どもの生活の基礎つくりの指針をまとめて
「食育指針」として全国共通の認識を広めているものです。

◆第一のねらい
 『食と健康』
  ・メニューの基本は、主食・汁・主菜・副菜の構成
   であることを知る
  ・手洗いやいただきます。の基本的な生活習慣を身に付ける
  ・食事の雰囲気を楽しむ(テーブルクロスなどで食卓を飾る)

◆第二のねらい
 『食と人間関係』
  ・他者と食事を共にできることの喜びを味わう
  ・様々な人との会食を通して、信頼感や安心感を持つ
  ・食事のマナーを身に付ける


子ども達は、家庭を離れて初めて出会う知らない世界に
大きな戸惑いを持って保育園生活を始めます。
決まった時間内に食事をすることも、大変なことに感じる
子どももいるのです。

しかし、同年代の友達と一緒に食事をし、保育の中で食べ物の
話を楽しくしてくれる先生の存在を感じている中で、
安心して食事自体を楽しめるようになります。
そして、知らず知らずのうちに、『食』の楽しさと豊かさを
体験していくように保育園では、取り組まれています。



孤食・・・では決して味わうことの出来ない喜びを
多くの子ども達の心に残してほしいと思っています。


   


1945年8月9日

2006-08-09 18:30:41 | つれづれに
ヒロシマ・ナガサキ
この言葉の意味を忘れつつあるという日本人

被爆者の平均年齢は73歳を超えています。
今語れるべきことは何なのか
伝えるべきことは何なのか


声高に戦争反対と叫んでも、イラク戦争に難なく
また大義なく、安保を理由に自衛隊を派兵した今日においては
むしろ空々しいたわごとに響いてしまうのもまた事実です。

今日長崎市長は、明確に核兵器保持国と核兵器保持疑惑国
についても、イラン・北朝鮮の名前を挙げて非難を加えました。

戦争は全てのものを動員し、全てのものを戦争のために利用する
まさしくモンスターであります。
人間の叡智も、文明も文化も大きく口を開けたモンスターの前には
ただひれ伏す無力なものとして、利用されることを私達は知らなければ
なりません。

アメリカによってABCD包囲網で資源の流通経路を絶たれた上に、
ハルノートを突きつけられた日本が、開戦以外の選択肢を持たなかった
ことも知っておかなければならないのではないでしょか。
さらに、終戦の糸口を探り続けていた日本に、完成直後の原子爆弾の
実験を何が何でも行いたかったアメリカは、国家そのものがモンスター化
した姿だったのだと思います。

都市を狙い、そこにある人々の命を一瞬にして飲み込んだ核兵器を
生み出すのもまた、人間の集結した叡智であることを、
心に刻んで『自分はいかなるもののために用いられるのか』を
考えておきたいと思います。

「他国との外交的均衡を図るため、核保持も致し方なし」
平気でうそぶく人たちを、容認する風潮を心から危惧します。
戦争反対と叫ぶその根底に、人間への畏れを持ちたいと思います。

1945年8月9日
その日を忘れない、そしてその日の悲しみを今尚身体と心に
負っおられることを、見つめていなければならないと思います。

今年は、知覧の訪問も叶い、国家のあり方を自分自身において
考える機会を頂いています。
『その時自分はどうする?』この言葉を常に持ち続けていたいと思います。



泉大津市 2005年の教室始まりました!

2006-08-08 17:30:52 | エルピス
2005年の教室??とお思いかもしれませんが、
これは内閣府に設けられた『IT戦略室』が構想した
IT教育の進化形のことを言っています。

この度泉大津市では、その政府方針にのっとり
パソコン教室の充実を図られました。
さらに、パソコン教室でではなく、普通教室で
ITを使った授業を行うことにより、子ども達の
「へー・ほー・なるほど!」を引き出し
「感動と発見と臨場感」のある授業を行っていただくために
『電子黒板』の導入を行われました。
まさしく、2005年の教室スターットです。

政府構想にはうたわれていても、財政難などの理由から
導入を見送られる自治体が多い中、南大阪では唯一の導入に
踏み切られたことは、大変素晴らしいと思います。

本日、この度の新規導入に伴いソフトメーカーやLAN構築の
メーカーそしてエルピスを含めて、導入説明会を開催させて頂きました。


左がウチダ インタラクティブユニット
右が中村  アクティブボード

今回お届けする2種類の電子黒板をご説明しました。

「電子黒板でできること」を中心に授業シーンを
先生方にイメージしていただきました。
「なんだかとっても楽しそうね」そんな風に仰っておられました。


電子黒板が最大の効力を発揮するのは、
★「えっ???何でなの?どうなってるの?」
 の子ども達の疑問や興味にダイレクトに応える事が出来ること
だと思います。

地元泉大津市で、生き生きとした授業を先生方も子ども達も
体感していただけるように、先生方の所にこれから研修に参ります。
何卒よろしくお願い申し上げます。

ちーログをご覧頂く先生方で興味がおありの方は、
どうぞ研修会にお越し下さい。ご案内申し上げます

1945年8月6日

2006-08-06 10:54:36 | つれづれに
私が小学6年生の時につれられた広島。
原爆資料館を見学した夜、あまりの衝撃と恐ろしさで
一晩眠れなかったのを、今でも覚えています。

あまりにも多くの命が奪われ、それだけでなく
今尚苦しみを課し続ける核兵器の恐ろしさを
小学生ながらに痛切なショックを伴って感じました。

3年前、もう一度母と二人で広島を訪れた日も
その夜は眠れませんでした。
惨劇のショックと、人間がこれほどまでに醜い心を
持ちうるのかということへの激しい思いだったように思います。

あの戦争を終わらせるために、原爆を落としたことを
正当化する人もいます。
しかし、あの資料館に一度でも訪れたことのある人は
絶対にそんなことを言わないと、いや言えないと思います。

慰霊碑の前には、
「安らかにお眠り下さい。
 もう二度と過ちは繰り返しませぬから」
との言葉が刻まれています。

この言葉は、「主体」のないものに感じるのです。
『誰が』『どんな』『過ち』を犯したのか。

戦後60年を過ぎ、1945年8月6日と言っても
多くの若者が多くなったと各誌が報じています。
信じられない現状だと思うのも、ある一定以上の年代なのかもしれません。
伝え行くことの大切さと共に、何を伝えるのかを学びたいと
思っています。

食育は子育てそのもの

2006-08-04 17:42:41 | 食育
生まれたばかりの赤ちゃんは、誰に教えられるともなく
母親の母乳に吸い付きます。
これは、赤ちゃんの「生きようとする力」です。

大人と比べて、生活の中心部分を「食」が担っている
のですから、必然的に3度の食事は生活習慣と密接に結びつくのです。
そのため、子どもの発達段階に合わせて「食育」を行う必要が
あります。
生まれながらに持った「生きようとする力」は、
大人との関わりによって、培われ育まれていくことを覚えていたいですね。

このようなかかわりが、子ども達の安定した心を育てていくからこそ
「食育」はまさしく「子育て」と言えると思います。

専門家が提唱するポイントは、以下のような事柄です。

 ★おなかがすくリズムがわかる子ども
   →規則正しい食事をとる

 ★食べたいもの、好きなものが増える子ども
   →バランスよく食事をとる。

 ★一緒に食べたい人がいるこども
   →食事を通しての会話を楽しむ
    孤食では味わえない、家族のコミュニケーション

 ★食事つくり、準備に関わる子ども
   →食材に愛情を持つようになる
    食べ残し、偏食をなくす

 ★食べものを話題にする子ども
   →季節感を養い、感性を育てる

 
ちーろぐの思い

最近夜遅くに、ファミリーレストランで食事をとる家族を
よく見かけます。
勤務形態の多様化によって、家族団らんのシーンも変化
していることは、否めない現状です。
この問題は多角的な改善と検討を、加えなければならないのですが
夜11時に食事をとる子どもは、何時に寝るのだろう・・・とか
朝起きて朝食をおいしく食べられるだろうか・・・と考えてしまいます。

子どもの生活は親の生活、多くの人はその中に立ち入ることは出来ません。
やはり、親の考えが子どもの生活に、大きな影響を与えていることを
強く感じました。



    



亀田興毅とリングに想う・・・

2006-08-03 11:13:50 | つれづれに
昨日の試合を全部見ました。
恐らく多くの方が思われていることですが、
判定に疑惑・疑問だったのではないでしょうか?

20歳までに世界チャンピオンになる、
と豪語していた亀田選手は、自身がチャンピオンになることで
父親のトレーナーとしての能力を世界に知らしめる役割を
担っていることに、大きな意味を持っていたことを感じました。

「親父ありがとう。このベルトは親父に贈る」

この言葉が勝利の雄叫びよりも、涙にぬれた声で日本中に届きましたね。

正直12ラウンド全てを見て、素人ながらこ試合は「負けた」
という直感でした。試合前の会見から、また亀田選手の言動から
常にパフォーマンスとは言いながら、何ともいえない思いを感じていました。

19歳の若者・・・だから・・・
また、おもしろいから・・・痛快だから・・・
このようにマスコミは競って、亀田選手を取り上げています。
しかし、試合後敗者を罵倒したりする姿に『品性』のかけらも
見られないのは、う~んこれでいいのかな?と思いました。

誰が見ても「負け試合」に、勝ってしまった亀田選手の姿は、
私にはむしろ痛々しく写りました。

この試合を通して、私は勝手に
ボクシングの四角いリングと、茶道の4畳半の四角いお茶室を
重ねてしまいました。

リングに入れば、そこは自分の鍛え上げた肉体だけを頼りに戦う世界
地位も、名誉も、お金も、人気も、そこには持ち込めない。
お茶室も、にじり口を通る時武士の体面を象徴する刀の持ち込みは
許されない、そこは亭主と客のただ向かい合う世界
権威ある全てのものを排除した、無の世界。

千利休は、人間の本性をそこに見出し、無の世界の中に侘びと寂びの
文化を生み出した茶道の先人であります。
その利休のたぐい希なる才能を認めたのは、時の最高権力者豊臣秀吉
しかし、彼はその後利休の妻を欲し、利休を切腹に陥れたのです。

リングと茶室、完全なる動と静の対比でありながら、
そこは、むき出しになった人間の有り様が現れる「場」であることを
強く感じる時、利休の求めた無の世界を、貫いた品性を持っていたのは
亀田興毅選手ではなく、ファン・ランダエタ選手でありました。

世界チャンプの称号を手に入れた彼が、入るべき境地を指し示す
指導者が与えられることを願います。
指導者ではなく、彼が見出すものなのかも知れませんが。

学びの場.com 

2006-08-02 10:48:29 | 教材【小学校】
内田洋行が先生方にご活用いただければ、と
立ち上げた学びの場.com
が、大変充実した内容になっております。


教育現場において、今何が話題となっているのか
様々なデーターと共に、論点を整理して解説させていただいて
いたり、先生方の活動をご案内したり、教材紹介・研修会案内
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是非一度ご覧になってください。