私が小学6年生の時につれられた広島。
原爆資料館を見学した夜、あまりの衝撃と恐ろしさで
一晩眠れなかったのを、今でも覚えています。
あまりにも多くの命が奪われ、それだけでなく
今尚苦しみを課し続ける核兵器の恐ろしさを
小学生ながらに痛切なショックを伴って感じました。
3年前、もう一度母と二人で広島を訪れた日も
その夜は眠れませんでした。
惨劇のショックと、人間がこれほどまでに醜い心を
持ちうるのかということへの激しい思いだったように思います。
あの戦争を終わらせるために、原爆を落としたことを
正当化する人もいます。
しかし、あの資料館に一度でも訪れたことのある人は
絶対にそんなことを言わないと、いや言えないと思います。
慰霊碑の前には、
「安らかにお眠り下さい。
もう二度と過ちは繰り返しませぬから」
との言葉が刻まれています。
この言葉は、「主体」のないものに感じるのです。
『誰が』『どんな』『過ち』を犯したのか。
戦後60年を過ぎ、1945年8月6日と言っても
多くの若者が多くなったと各誌が報じています。
信じられない現状だと思うのも、ある一定以上の年代なのかもしれません。
伝え行くことの大切さと共に、何を伝えるのかを学びたいと
思っています。
原爆資料館を見学した夜、あまりの衝撃と恐ろしさで
一晩眠れなかったのを、今でも覚えています。
あまりにも多くの命が奪われ、それだけでなく
今尚苦しみを課し続ける核兵器の恐ろしさを
小学生ながらに痛切なショックを伴って感じました。
3年前、もう一度母と二人で広島を訪れた日も
その夜は眠れませんでした。
惨劇のショックと、人間がこれほどまでに醜い心を
持ちうるのかということへの激しい思いだったように思います。
あの戦争を終わらせるために、原爆を落としたことを
正当化する人もいます。
しかし、あの資料館に一度でも訪れたことのある人は
絶対にそんなことを言わないと、いや言えないと思います。
慰霊碑の前には、
「安らかにお眠り下さい。
もう二度と過ちは繰り返しませぬから」
との言葉が刻まれています。
この言葉は、「主体」のないものに感じるのです。
『誰が』『どんな』『過ち』を犯したのか。
戦後60年を過ぎ、1945年8月6日と言っても
多くの若者が多くなったと各誌が報じています。
信じられない現状だと思うのも、ある一定以上の年代なのかもしれません。
伝え行くことの大切さと共に、何を伝えるのかを学びたいと
思っています。