
(教会から中国に行かれた方々のお土産)
【今日のQT箇所より(ルカの福音書3:1~9)】
ザカリヤの子ヨハネは
「主の道をまっすぐにせよ」との神の召しに
応じて生まれた人でした。
人はそれぞれ自分だけにしかできない何かを
持って(持たされて)生まれてきているのでしょうね。
それが何かはこの年令になっても(68歳)よくわかりません。
私は世のクリスチャの方々よりも信仰生活も短いですし
不信仰になることが多い人間です。
この世のことに捕らわれることが多くて恥じています。
半分ぐらいは娘が天国に持って行ってくれたかも・・・。
デモ今でも時に身動きがとれなくなってしまうことが
よくあります。
でも、イエス様が私の罪の身代わりになって
十字架で死んでくださって、過去も現在も未来も
私の罪を白紙に戻して下さったことはしっかりと信じていますし
心配せずに全てを主に委ねることが大切ということも分かっています。
それなのに目の前に起こることに動揺し、不安に襲われるので
安定剤や抗うつ剤を飲んでいます。
そんな不信仰な自分がなんとも愚かしくみえて
落ち込んでしまうこともしばしばです。
主の前にでても恥ずかしくない信仰をもっと強く持ちたいと願いながら
祈らなかったり、QTをしなかったり、
全然反対なことをしてしまっている自分が
情けなくなることもしょっちゅうです。
決して自分自身の強さを求めているのではないのです。
弱い自分だからこそ、
頂けている祝福もあると聖書にありますから。
神の武具をまとい、生かされている間に
神様に与えられた仕事をして天に帰りたいとの希望と願いは
山盛りあるのですが、
なかなかうまく自分をコントロールできません。
弱い上に我儘というおまけもついていますしね~(笑)
今日もし神様の時がきたら、救いの網目から落ちこぼれそうな私なので
聖霊様助けてくださいと願わずにはおれません。
『今日の適応』
兎に角、祈りが足らない自分ですから、祈り祈り祈りです。