どうせ地球のチリだからな。

生き方を変えたから、ブログも変えようと思った。
企画屋の日記です。

金沢、暑!

2012-07-17 17:50:27 | Weblog
ナイス兼六園!
タッチ!
ダッシュで見て回ってやった!けけけけ!!
砂利がサンダルの隙間に入って痛いです。
さて、富山富山。
自分を追い込むために宿をとったんだよね~。
富山に。

おばあちゃん。

2012-07-17 15:40:14 | Weblog
名古屋駅。
おばあちゃんが階段でカートと格闘してた。
「任せろ。」
と言って立ってたら仰天した顔で見られたけど、ニッコリ笑って、
「お願いします。あなたも重そうね~!」
「軽いです。」
カートを持って階段を駆け上がって、おばあちゃんを待ってた。
「ふ~。えらい階段ね。あなた、すごい荷物、どちらから?」
「仙台からです。」
「あらあら!それは大変でした!遠路遥々ありがとう。」
「暑くて大変でした。ねぇ、ウナギ屋さん知ってる?」
「時間があるなら一緒に並びましょうか?色々あるけど一番混んでる美味しいお店があるのよ。空いてるお店はダメよ。」
そう言って、一緒に並んでくれた。
「蒸したウナギは食べられないわ。名古屋のウナギは美味しいのよ。香ばしくて。一緒に食べてもいいかしら?お友達も呼ぼうかな?呼んでもいいかしら?」
「もちろんです。」
「お友達はやっぱりやめましょうね。あなたにご迷惑だから。若いのかな?学生さんかしら?」
「若くないし学生じゃないです。」
「日本一周?それとも世界一周?」
「日本一周です。一周?ジグザグです。日本ジグザグ。」
「あら。それで正解!」
そんな風にして、出会ったおばあちゃん。
正解だって。

「一番高くて、量の多いのにしなさい。」
ひつまぶしをご馳走になっちゃった。
「目が優しいわね。鋭くて優しいおメメ。あはははは。誤解されちゃうね、それじゃあ。何かあったんだね、あなたにはね。」
年末に亡くなった洋子ばあちゃんに似てる人だと思った。
旦那さんが亡くなって、17年間社長として頑張ってきたこと。
息子さんに会社を譲る前に世界一周をしたけどギリシャには行けなかったこと。
ウナギが大好きで、毎日だって食べられるってこと。
「だってね、いっぺんしかない人生よ」
って笑ってくれたこと。
僕はずっと忘れない。

お礼に熊野古道を歩いて本宮大社で買って来たお守りを差し上げた。
「大変だったから、ご利益あると思うんだけど。」
名乗ったかどうかも分からないのに、
「了ちゃん、どうもありがとう。これ、ずぅっと大事にしますからね。」
って喜んでくれたのだ。
了ちゃんって呼ばれた事が嬉しくて、ビックリして、さらに、
「はい来たよ。召し上がれ?」
って言う笑顔と声がばあちゃんにそっくりでボロボロ泣いてしまった。
少し曲がった指先も同じ。
あんなに美味しかったのに、あんなに泣くなんてね。
「世界を知る前に、先ずは日本のことを知ると素敵だと思うわよ。」
下を向いて食べてたけど、話しかけてくるから、
「そのつもりで間もなく一ヶ月です。」
その言葉にも胸がいっぱいになって、涙が止まらなかった。
「あら!あなた泣いてるの?あらま、どうしよう。」
そう言って、おしぼりやらハンカチやらを出してくれればくれるほど涙が止まらなくて困った。
胸がギューってなるのだ。
「了ちゃんには何かあったのね。仙台からですものね。さっき大変でしたでしょうなんて言ったのは道中のこと。去年のことは大変だねなんて言わないし、聞かないわ。やせてるわね、いっぱい食べなさい。楽しかった場所とか旅のお話しを聞かせてくれる?」
波照間島、与那国島、石垣島、ずっと順番通りに昨日の夜までのことを話した。
「素敵だなぁ。私は70歳だから出来ないなぁ。」
と言うので、
「僕が知ってる80歳のおばあちゃんは、私があと10歳若かったら何でも出来るって言ってました。だから、大丈夫です。人はいつでも、そう思うものなんだと教わりました。」
「確かに、10歳若かったら私は何だってするかも。」
穏やかでゆっくりな時間だったなぁ。
亡くなった旦那さんに、毎年手紙を書いていて、ある日ね返事が来たそうです。
「書斎を片付けていたらね、【何年後かの君へ】という手紙を見つけたの。癌で亡くなったから遺書を書いていた訳ね。私のことをどれだけ愛してるか、どれだけ愛していたのかを知ってるかい?って書いてあってね。そして、お金が入ってたのよ。好きなモノを買うといい。って。だから、指輪を買って頂きました。」
花火のことを思い出しながら聞いていた。
花火のことは、なんか話せなかった。
おばあちゃんは最後に、
「最初驚いたんだけど、この人は素晴らしい青年って目を見て分かったから。私にとっても大冒険だったよ?私の荷物を持って走って行っちゃうんだもの。でも、信じてたからね。追いついて、了ちゃんが階段の最後に手を差し伸べてくれたから嬉しかったの。やっぱりねって思ったよ。」

おばあちゃんは桃をくれた。
「高島屋さんで買った美味しい桃をあげるわね。
あなたは男の子だから、どこでもかぶりつけるでしょ?」
桃、いつ食べようかな。

名古屋も大好きになった。
どうかお元気で。
いつまでもお元気で。
一期一会という言葉の重さと、同時になんだか切なさも感じました。

しかし、一瞬でもひったくりに思われていたのか…。
ははははは。

金沢を目指す。
そして、なんとか富山まで行くぜ。
おばあちゃん、ありがとうございました。
それと、天国のばあちゃん。
俺は…僕は元気です。


思い出しながら話して、耐えて、笑う。

2012-07-17 09:27:17 | Weblog
大学時代の同級生、良太。
今は彼の家を出ました。
良太の奥さんも、同級生だったから知っている。
「了くん、変わらないね。」
「君もな。」
思い出と思い込みのまま人は生きるから、やはり二人ともあの頃のままだと思った。

昨夜は、四人で飲んだ。
手羽先旨かった!!
良太の他に、岐阜にお住いの渡辺先輩。彼は元々仙台。スコップ団を陰ながら応援してくれてました。
サイベイトの西坂さんとも所縁の深い方で、ヨコシンの応援もしとったんだね。
人の繋がりとは不思議なもの。
それと、波照間島で舎弟となったヨッシー。
相変わらず元気そうだったけど、全く懐かしくなかった。(笑)
「よう!三週間ぶりくらい?」
「そうだね、そのぐらいかな?」
「元気そうね!変わらないね!」
「当たり前だよね。」
ま、そりゃそうだ。
嬉しかったのは、
「僕もスコップ団です。スタンバイです。」
って力強く言ってたこと。

たくさん、話をした。
渡辺先輩からは、活動に対してお礼を言われたけど、そんなんじゃないから、いいんす。
「歯痒かった。」
誰もが皆、胸の奥底に満たされないモノを抱いてるもの。
それでいいよとも言えないけれど、それぞれにやれる事を続けましょう。

思い出しながらヨッシーに話して、泣きそうになるから渡辺先輩を見て耐えて、良太の顔を見て笑えた。

それでも、まだ辛いんだなぁと思う自分にね、それでいいよとも思えます。やっとね。
良太の家で少し飲み直しながら、写真を見せて話をした。
過去の記事を追いかけながら。

そんな中で、
「これからのこと」
という記事を今読んだ。
どこで誰と話しても最近はずっと、これからのことばかりを話す。
これまでのことのようで、これからのこと。

中略しながらペーストしよう。

スコップ団は、なにもドロカキだけじゃない。
それは、もう説明するのも面倒くさいので分かってる人だけに。

あの頃、俺達は情報を得る為にはエネルギーが必要でした。
ガソリンと電気。
電気はガソリンがあれば車で充電しながらいけるので、やはりガソリン。
テレビもラジオも車が動けば、偏った情報は得ることができた。
でも、やっぱり市長とか、区長と話をしたり、街の人達に直接話を聞いて回った方が「生の声」だった。

俺は支援活動とか、ボランティアなんて無縁だったから何をしたらいいか分からなくて、毎日、何かしらで泣いてた。
悲しくて、辛くて。

本当にいつもの生活に完全に戻った感があるけれど、毎週末、手を付けてない家を見ると背筋が凍る。
暗い夜を思い出す。

暗い夜道に子どもが寝てた。
手に力が入ったまま、何かをつかむように。
男の子。

それが、この地震の、最初に俺が見た【犠牲者】

この子の未来は奪われた。
なんにもしてねぇのに。

怖くてね。
今も、夢に見るのはこの子のこと。
だから、あまり寝たくない。
暗くしたくない。

Smile for birthdayも本当にいっぱい支援してもらって、応援もしてもらって、俺の息子たちのポスターも有名になったものだ。
「先輩、誕生日ケーキを届けてあげよう。」
「うん。そうしよう。やろう。」
「Smile for birthdayって企画名にします。」
「いいね。やろう。」

ゆきえさんの娘のハルネちゃんがその一人目。
今では何百個届けたのかね?

あの男の子にも届けてやりたいけど、どうしたらいいのかね?
分からないから考えるのはよそう。

そうして要望を得た中で一番多かったのが、
「ボランティアの方々がここには来れないので、なんとか人手が欲しい。」
という話でした。
「じゃあ、友達は来れるの?」
「友達や家族はOKみたいなんですけどね・・・。」

なんだ。簡単じゃないか。
友達のフリしてやりゃいいんだね。

それで結成【ドロカキ隊】
名前がひどすぎるので、【スコップ団】に改名!(一日で!!)

スコップ団は「今やること」をやる。
その先に、未来があるから。
逆を言えばそれしか出来ない。

たくさん文句を言われたりもするけど、いいんだ別に。
考え方は様々で正解なんて、ない方がいい。

これが正解だよ。

と言われたら、俺はやる気無くしちゃう。
力の限り足掻くのみ。

近い未来に、必ず。
彼等と時間を共有する時が来ます。
その時に、堂々とお話を聞いてあげる大人になっていようと思う。

「そういう人達がいたね。」
と子ども達に、あとから気付いてもらえるだけでいいと思う。
ケーキもスコップも、犬の世話も。

「それは、うちの父さんだよ。」
「母さんだよ。」
と自分の息子や娘たちが、堂々と彼等と対峙出来るように。
自分を誇りに思うほど、特別な事なんかじゃない。
そんなことしてない。
ただ、子ども達に恥をかかせないように生きよう。

彼等の心からの笑顔を守ること、与えることが、俺達がしてもらったように俺達でも出来る事じゃないか。

10月22日。(これは昨年のこと。)
泉ヶ岳でイベントをします。

13:00~
馬に乗せる。馬は5頭だってさ。
16:00~
牛タンを食わせる。嫌いな人はどうすっぺし?喜助の牛タン定食。
18:00~
VIXENの星空観望会。当日は流星群のピークだ。
流れ星って、シュバッて音がするって知ってる?
それをスコップ団の皆にも聞かせたい。

馬は、スコップ団のアタロウチーム。
星は、VIXENチーム。
牛タンは・・・スコップ団で焼くか・・・。
山の夜道は暗いので、赤色灯での誘導やテントの設営、準備、片付け、リフトの付添等の雑用をスコップ団。
寒いと思うから、ダウンは必要だと思う。
晩飯は出す。
昼飯は・・・自分で頼む。

参加者は無料。
基本的には、現地集合。
どうしても足のない親子は泉中央まで迎えに行こう。

参加した子供たちは、ただ楽しかったでいい。
今は分からなくてもいい。
後から、
「そういう人達いたっけなぁ。楽しかったなぁ馬。それと星。」
と思ってくれたら良かろう。

怖そうな人達が、なんか楽しそうな事をしてくれた。

そんな思い出を、10年後の仕事仲間になるかもしれない奴にしてやろうぜ。
10年後の子どもの親友になるかもしれない奴にしてやろうぜ。
10年後の息子や娘になるかもしれない奴にしてやろうぜ。

【かもしれない】は可能性。
ゼロじゃねぇなら、それは、俺達の為でもあるのでしょう。
限りなくゼロに近いかもね。
でも、ゼロじゃない。

またアホがアホなことやろうとしてる。

その通りです。

VIXENの社長が言ってた。
「私たちが生きている内に、ギリギリ宇宙に行けるかも。でも、子ども達は絶対に宇宙に行く時代が来ます。」
うらやましいなぁ。

その興味の種を、少しでも撒こう。
宮城の土地は終わってない。
種を撒こう。

未来への種は、無意味じゃねぇって俺は知ってんだ。
彼等に支えてもらう時が、必ず来るからね。

今こそ、ゲリラの出番だよ。
凄そうなことを、もっと企んでるけど、まだ言えない。
それは、もう少しだけ待ってください。

今週末は史上最大のヘビーさです。(これも昨年の話です。)
見た瞬間に、
「・・・。スコップ団を呼ぼう・・・。」
と俺が言っちゃう感じです。
ヨロスコ!

ジュンペイ。
頑張ろうな。

俺はお前の側にいる。
お前は俺の側にいろ。

お前の気の済むまで、付き合うぜ。

がんばろう。

…………

そんな内容だった。
思い出しながら話して、耐えて、笑った昨夜と違い、今は少しだけ切ない。
こんな笑顔がずっと続けばいいのに。
そして、毎日が幸せだと心から思えれば、あんな後悔はないのにね。

なんでもない日が特別だったと、後で思ってもダメなんだ。


俺の旅も、特別なこと。
こんな事が出来るのは、もうないかもしれない。
だから、時間を楽しもう。
だから、しっかりと感じよう。

ウナギ食べたい。

食べたら北上しようか。