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他サイトからの「あるある」指導者

2016-11-22 23:16:25 | 日記
つい最近『◯◯トレセン』というチームがたくさん集まる、小学5年生の大会を観る機会がありました。
トレセンというくらいなので、各地域の能力のある子が選抜されて来ているわけです。
ならばその『能力の定義』って何なのさという話になるのだけれど、小5の段階で能力の優劣を判断するとしたら、それはどういう基準でなされているのか。
また、トレセンを率いる指導者は、試合の場でその『能力ある子達』に何を求めてるのかなど、自分なりに興味深く観ていました。(主審も2試合させてもらって)
簡単に言えば、各地域の指導者が持つ基準、そして質が、よく表れていたなと。
ピッチ上で見られた、基準や質。それはそのまま、日本における少年サッカーの問題点を如実に表しているのではと、僕は試合を観ながら(指導者の声を聴きながら)感じていました。
ひとことで言えば。余裕がない。選手にも指導者にも。
ゲームがせわしない。リズムの抑揚がなく、常に一本調子で無駄に速い往復サッカーが続く。
ミスをしないように、しないように、ボールを失わないように、より安全に。
だからまずは広い場所へ! まずはサイドのスペースへ! そして最後はスピードスターに決めさせる。
あとは相手のミス待ち。そんなサッカーが多く見られました。
ボールがない時の駆け引きや狙いを持った動き出しも、まるで見られない。全てボールを持ってから、ヨーイドンで何かが始まる。パスもドリブルも、一か八かの「一発勝負」ばかり。
トレセンなのに、能力の高い選手が集まっているはずなのに、化け物みたいな選手や、「凄ぇ!」という選手は、とうとう一人も見つけられなかった。
だから、主審をしていても騙されることがないんです。いい意味で裏切られることがない。次のプレーがほぼ100%予測できるから、ポジショニングが楽。もっと、こちらの予測や想像を上回る選手がいてもいいと思うのだけれど。
なぜ、こうなってしまうのか。本来ならば、一番自由度が高くていいはずのジュニア年代で、なぜ、自由さ、突飛な発想、突き抜けた個性が姿を消してしまうのか。
答えは簡単。指導者の質に尽きます。
上述したトレセン大会はあくまでも一つの例ですが、それ以外の普段、グラスルーツで行われているジュニア年代のあらゆる試合を観ても、とにかく感じるのが『8人制』のせわしなさ。
一つのミスが即失点につながりやすく、まずはサイド、というサイド偏重攻撃ばかりで、最後は一人のスピードスターで何とかなってしまう8人制。目先の試合に追われ、8人制に勝つにはこう、負けないようにするにはこうという手っ取り早い方法ばかりに目を眩まされ、子供達が身につけるべきものを失わせている指導者が非常に多いと思います。
ジュニア年代に蔓延る『中より外、狭より広、緩より強、遅より早』ワールド。中央は悪、狭いのなんてもってのほか、とにかく強く!速く! ばかり。
そんなに急がせてばかりで、この子達をどうさせたいのか。初めから危機回避ばかりさせて、数年後、この子達にどうなってほしいのか。
効率よく、危機回避。多くの人にとってはこれが最大の目的だから、攻撃時はまず相手がいない、安全な場所ばかりを選ばせる。中央でボールを受けると、ファーストタッチで半自動的に必ず外を向く選手が、最近は本当に多い。いやいや、今、相手センターバックの間が空いてるやん、というシーンが多々あるのに。
相手がいない安全な場所。実はそこは『相手にとっても安全な場所』ということに、指導者自身が気づいていない。「お前にとって安全ってことは、相手から見ても、お前は安全な選手ってことだかんな」と、本来ならば言ってあげなければいけないはず。
自分のことをマークしている相手のそばで受けて、足元でその相手を剥がせば、それが最大のフリー。その自信があるのなら、例え相手が最初からそばにいたって元来フリーなはず。
ボールを受ける時、相手が「あ、奪える」と思って寄せてくる、足を出してくる、その足のわずか先にコントロール出来るのが本当の技術だし、その足のわずか先を抜けていけるのが本当のドリブル。
自由にできれば、どこでもフリーなんですよ。川崎フロンターレの風間監督も、フロンターレの選手達に対して、同じようなことを言っていますよね。
そんなギリギリの駆け引きや技術の斬り合い。相手との間合いを感じながら、味方とタイミングを合わせてリズムを変えていく。そんな判断を繰り返していくチャレンジを、ゲームの中でもっと練習させてあげましょうよ。まずは無駄なく! 手っ取り早く! 効率よく! 危機回避! なんて大人のバイアスを、子ども達にかけないでほしい。
練習試合の相手を募集するマッチングサイトなどの投稿を見ても、
「市大会を控えているので8人制でお願いします」
「県大会を控えているので11人制でお願いします」
というのをよく見かけます。
公式戦を控えてるから◯人制… 基準はそこなんでしょうか。
今、こういう技術を身につけさせたいから8人制をどうしてもやりたい。
今はこういう練習をしたいから、あえて11人制でやりたい。
8人制の公式戦を控えてはいるけれど、今はそこに重きをおかず、それ以上にこういう練習がしたいから、9人制でやりたい
本来ならばこういった基準で、試合のレギュレーションを決めていくべきなのでは?
「市大会を控えているので8人制で〜」
多くの指導者が何にプライオリティを置いているのか、この一文だけでよくわかります。
子供の頃から、効率よく、無駄なく、無茶をさせず…みたいなことを教育することが、本当に正しいんでしょうか。
もっと好奇心をもたせて、無茶をさせて、チャレンジさせて、冒険させて。その中から、子ども達が自分なりの正しさや自分なりの流儀、やり方みたいなものを見つけていく。
これは子どもに許された特権だと思うのだけれど、サッカーではそれすら許されないんですかね。
教育しよう、教えなければいけない、勝たなければいけない、という大人の余計なお節介によって、結果として、子ども達から本当に大切なものを失わせてはいないだろうか。
僕らは目の前の選手達の数年後に触れている。その視点を持って指導している人が、一体どれくらいいるんだろう。
自分が尊敬する岩谷篤人氏(元・野洲高校コーチ)が、育成を盆栽に例えて話をしてくれたことがあります。
『枝を切って切って、自分のいいように修正して、こじんまりとした盆栽を作って満足してないか。自分の作品です〜、とか言うて』
『あの枝を切らなかったら、どういう育ち方をしていたんだろう、と。枝を切るなら、切る責任を持たなアカン』
みんな長生きしたい。でもだからって、ただただ健康に気を使って、本当に食べたいものを我慢して節制し、味気ない毎日を過ごすのか。
みんなお金が欲しい。大金持ちになりたい。だからって、金を稼げるならば手段を選ばず、どんな方法でもいいのか。
寒さをしのぐためなら服を何枚も重ね着すればいい。でも、どうせ服を着るなら、自分のセンスでオシャレに着こなしたいじゃないですか。
空腹をしのぐためならただただ白飯を食えばいい。でもそれだけじゃ栄養が取れないから野菜をとるし、それだけじゃ味気ないから、いろんなおかずを食べる。彩りにも気を使う。
みんな勝ちたい。でも…
この後に続く言葉を、指導者が自分だけの言葉で表現すべきなのだろうと僕は思っています。
それは、生き方を、サッカーを通じて伝えることにもつながる。
子ども達がそれぞれの生き方を自分で見つけ、そこに自分なりの彩りをつけていく。そのきっかけがサッカーだった。最初に出会ったコーチだった。本当の指導者は、それができる人だと思うのです。
ジュニア年代の指導者の方々、もう少し、のんびりやりません?


ラマシアの中止グランドで、あるジュニア監督さんとお話した「まさに」この話。
同じ理念を感じながら立ち話。
指導者の皆さん、自らの育成力を問いましょう。トレセンの子をかき集めて力任せで試合に勝って自己満足は、指導力ではなく押し付けですよ。自戒の念を込めて。

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