セントラル豊橋FCジュニアユース 

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力を出し切れない日本代表から

2015-10-16 00:10:11 | 日記
型にはめたい大人が子どもの判断を奪う

この夏、幾多の年代のサッカーの風景を眺めていて、違和感以上の不快感を覚えた。

サッカーとは常にピッチにいる相手が何処にいるのか見て考え、どこにボールを置くのか見て考え、どこにパスするか見て考え、どのルートをドリブルすべきか見て考えるところに楽しさの一端がある。しかし、多くの大人は大人が考える型にハメたがる。大人視点で見た型にはまったサッカーを教えたがる。もっとあーしろ、こーしろと。子どもは自分の感覚ではなく、ベンチの大人の判断で子どもはプレーせざるを得ない。何故か?それが大人自身が経験してきた、「せまいフットボール」の常識を押しつけることに満足しているからだ。
実はフットボールは教えられるものではないということが基本だ。サッカーでまず一番重要なのは感覚である。そのなにかを”感じる”感覚を失った時に、一つの重要な”なにか”は失われる。大人は、特に経験者の大人は、自覚にその大事な”なにか”を失わせていることに気付いていないことが多い。
さらに人間は美しい動きに魅了され見て真似る。真似ることによって身体の動かし方に独自性が出てくる。その独自性がいつのまにか個性になる。その感覚は誰かに教わるものではないということ。サッカーでは各年代において子どもが、自身で考える”ことは重要である。問題なのは大人が”考える”機会を奪ってしまっている現実だと思う。我々大人ができることは良い環境を作ることしかない。というかそれだけで良い気がしている。良い環境とは子どもが自然に頭を使って考える場の提供だ。究極を言えば好奇心を刺激してライバルが存在する環境を提供するだけだ。それだけで勝手に伸びる。もっと巧くなりたいから”考える”。もっと巧くなったら楽しいから”考える”。相手に勝つために”考える”。育成年代でやるべきことは本当はものすごくシンプルなんじゃないかと思う。

ラ マシアの挑戦である。本物の育成プロセスへ、セントラルらしさへの追求。