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Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

乙部綾子さんの講演を聞いた。

2005年04月21日 17時34分54秒 | PR戦略
日本PR協会の定例研究会で、ライブドアの美人広報、乙部綾子さんの講演を聞いた。
さすがに、乗りに乗っている企業だけあって、話からうかがえるライブドアの企業文化には勢いを感じる。
会議で時間を無駄にすることを嫌い、思い立ったら即実行。
失敗を恐れぬ風土を築いているらしい。

驚いたのは、広報にも売上げをあげる使命が課せられているという話。
言うまでもなく、広報に求められるミッションの第一は、さまざまなステークホルダーと良好なリレーションを構築・維持し、社会の中での当該企業の存立の基盤をつくること。
当然、売上げどころかコストのかかる仕事が山のようにある。
特に、現状のライブドアのポジションを考えたとき、存立基盤の地固めは喫近の課題と思うがどうなのだろう。

例えば私はこう思う。
ニッポン放送株のフジテレビへの第三者割当増資が問題になったとき、多くの心ある人は、こんなことが許されるなら、日本の株式市場も終わりだと思ったに違いない。
しかし、正面に出てホリエモンを擁護する人は現れなかった。
オピニオンリーダーは皆腰を引き、一般論としてフジテレビの手法に疑問を呈するだけだった。
結果として、ホリエモンはテレビ取材に逐一対応し、一人持論を展開せざるを得なくなった。
テレビのインタビュアーや取材記者の質問のお粗末さには、あきれ果てるばかりだったが、それが世論を動かすには至らなかった。
ライブドアは戦略的にオピニオンリーダーとのリレーションを構築し、ライブドアの理解者を増やすべきである。
それをしない限り、プロ野球参入、ニッポン放送買収に続く第3弾も同じ憂き目に合うだろう。
しかしながら、広報にも売上げを要求されるとなると、こうした戦略的な動きは出来なくなってしまう。

乙部さんはクレバーな人だから、ホリエモン講演会のギャランティのタフな交渉をしたり、ライブドアデパートの商品をテレビパブリシティに載せる努力をしたり、さまざまな手を打っているようだ。
今月からは、商品を推奨する「組織アフィリエイト戦略?」として、乙部綾子のお仕事日記というブログもはじめたという。

このような「マーコム(マーケティング目的の広報コミュニケーション活動)」の重要性を否定するものではないが、今後のライブドアの発展にとっては、経営レベルの広報「戦略」の検討がより重要であることに気付くべきだと思う。


なお、livedoorBlogランキングの欠陥を明らかにする公開実験ブログがホリエモンの「社長日記」のアクセスランキングを上回ったことについても質問してみた。

乙部さん自身はこの経過については、詳細を把握していない様子だったが、
「堀江はその状況については認識しており、社内では、一日も早く改善しろ!!と号令をかけています。」
「かつては、顧客を大切にする文化を持たない会社だったけれど、これでも随分ましになったのです。温かく見守ってください。」
との返事をいただいた。
こういう事態への対応こそ、広報の重要な役割であることに気付いて欲しいと思う。
ライブドアブログのユーザーこそ、ライブドアのコアなサポーター層のはずだ。
新規顧客の獲得より、既存顧客の維持の方がよほどコストもかからず、ブランドロイヤリティを形成する有効な手法であるとの単純な事実に留意すべきではないのか。
そんな感想を抱いた。



あ、それから。
実物もやっぱり魅力的な美人でした。


中国ビジネスでの現地化努力

2005年04月12日 20時27分22秒 | PR戦略
日中関係の地合が従来になく悪化している。
しらとりじゅんさんのブログに、リアルな現地の写真が掲載されていた。
イトーヨーカ堂やジャスコが反日活動の対象になっているようだ。
今日の日経流通新聞の終面の記事によると、アサヒビールや味の素も排斥の対象となっているという。

20世紀には憧れの対象だった日本企業は21世紀の声を聞くに及んでその地位をずるずると後退させて現在に至っている。その理由を思いつくまま挙げると、
欧米系の企業が本格進出を果たし、日本企業を上回る評価を得始めた。
現地資本が力をつけ、ハイアールやレノボを筆頭にグローバルブランドに名を連ね始めた。
これに対し日本企業は、いつまでも東京の本社に顔を向け続け、現地化に失敗している。
雇用や昇進制度でも差別を設け、現地採用社員の気持ちを掴みきっていない。
真偽のほどは確認していないが、こういった指摘をかねてから耳にする。

確かに、小泉首相の靖国参拝をはじめとした問題はあるだろう。
中国政府が反日教育を行い、国内の不満のガス抜きとして日本叩きを見過ごしているとの指摘も当たっているかもしれない。
しかし、中国ビジネスにこの種のリスクが存在していることは最初からわかっていたことだろう。
日中関係がどうあれ地元に中国社会に愛されるための努力が、いまこそ日本企業に求められているのではないだろうか。

例えば「希望工程」という社会貢献活動がある。中国の貧困地域における未就学児童の就学を援助するプロジェクトだ。
日本からもキヤノンや全国各地のNPOなどが協力しているが、なんといってもこのプロジェクトを支えているのがコカコーラだ。
希望工程により僻地にいくつもの学校が建てられているが、コカコーラの援助で建てられた学校にはコカコーラの社名やマークが掲げられている。
このため、中国奥地には、コカコーラを学校のことだと信じている人が多くいるという。
こうした地道な活動の積み重ねがあってこそ、国籍を超えて支持される強靭な評価を得ることが出来るのだろう。

8月7日、愛地球博会場で国際シンポジウムを開催する。広報の観点からこうした問題を考えようというものだ。
たまたま、中国での日本に対する風あたりはアゲインストであるが、こういうときこそ、個々の企業の努力が必要であり、ひいてはそれが日本に対する好意も醸成するのだろう。




万国博の歴史の中での「愛・地球博」

2005年03月20日 10時29分59秒 | PR戦略
今週末から始まる愛・地球博。
開幕に先立ち、19日のプレスプレビューに紛れ込んできた。
5万人の人出。それでも会期中の土日の3分の1だという。
外国政府の出展は工事中で準備が間に合っていないものがいくつもある。
開幕に間に合わない国も出るのではないだろうか。

グローバルハウスや日本館には入れず、瀬戸会場には足を踏み入れず、長久手会場で企業パビリオンを3つとグローバルコモンをいくつか回ってきたにすぎないため、全体を語る資格はない。
葦の髄から天井を覗くとの謗りをおそれず感想を述べれば、テーマパーク慣れしているためだろうか、気がせいてじっくり鑑賞する余裕がないためだろうか、感動したり、触発されたりという出展が意外に少ない気がする。

その中でのお勧めはフランス館の映像プレゼンテーション。
地球の環境がいかに蝕まれているかを、真四角な部屋の4面に映し出すドキュメンタリー映像と、ときどき提示する短いテキストで訴求する。
地球環境を捉えるマクロな視点と、ミクロな現実を映し出す映像の迫力と、それらをつなぐ気が利いたコメント字幕が、問題の深刻さを鮮やかに提示している。

ロンドンにはじまる万国博の歴史は、永らく「モノ」を見せる場だった。
水晶宮やエッフェル塔に始まり、ベルの電話やハンバーガーを見せることに発展し、大阪万博の月の石で頂点に達した。
モントリオール万博以来、「映像」を見せることに焦点が集まり、筑波の科学万博はその流れの中の映像博覧会の色の濃いものだったと思う。
愛・地球博は、それを一歩進め、「コンセプト」を見せる博覧会になるべきだと思っていた。
その成功例をフランス館に見ることが出来て満足した。

万国博の歴史を別の切り口から整理すると、国家が万国博開催の中心となった時代から、これも大阪万博を節目として、企業が中核を担う時代が永らく続いた。
愛・地球博に期待されるものは、国という第一のエンジン、企業という第二のエンジンに続く第三のエンジンとして、市民の役割を拡大することだ。
つまり市民サイドから見ると、「見る万博」から「参加する万博」への転換である。
そのための仕掛けは、「地球市民村」「市民パビリオン」「ボランティア参加」「エコマネー制度」など、すでにいくつかビルトインされている。
これらの試みがどの程度効果をあげるかどうかは、開幕してからの展開のいかんにかかわっている。
ばく自身も8月にロータリーホールを借りて実施する国際シンポジウムのプロデューサーを務めるが、フツーの人が博覧会に携われる仕組みが機能するかどうかに注目していきたい。


政党PRにプロの知恵

2005年01月10日 23時51分10秒 | PR戦略
読売新聞朝刊の連載シリーズ「政治の現場」。1月7日の「50年目の自民党(2)」では、政党PRにプロの知恵と題し、民主党に続き、自民党もPRコンサルタントと契約したニュースを取り上げた。
記事は選挙・政治ニュース@自由党支持者に再録されている。

広告を扱う広告会社に対し、PR会社は「ニュースになりそうな情報を流し、記事として掲載してもらうことに比重を置く」と業態である。
簡単にいえば、新聞の下段の広告欄に広告を出すのが広告会社、上半分の記事欄に載せる情報を仕込むのがPR会社ということだ。
02年に話題を呼んだ「戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争」でとりあげられているのは、正しくは「広告会社」ではなく「PR会社」の仕事だ。

民主党の菅前代表は昔からPRに理解を持つ政治家で、99年には勢いあまって担当の女性広報パースンとのスキャンダルを週刊文春に攻撃されたことがある。この経緯は、戸野本優子著「瓦解」に詳しい。
この時伸子夫人から「脇が甘い」としかられた菅直人は、その反省からか、03年の衆院選対策として、オムニコムというメガエージェンシーグループ傘下のPR会社フライシュマンヒラードの日本法人と契約し、成功を収める。この年、民主党はコンサル料や調査費として約1億4760万円を支払ったと読売は報じている。
04年の岡田代表が指揮をとった参院選でも、この成功を受け同社がコンサルをしたようだ。

自民党は、この民主党の動きに刺激され、昨年6社の競合コンペを行い、プラップジャパンの起用を決定した。
プラップジャパンは日本資本のPR会社。業界では、ガリバーの電通パブリックリレーションズを別格とすれば、大手と呼べるPR会社が3社ほどあるが、その一角。特に早くから中国進出を試み、日本企業の中国のPR業務では多くの実績を持つ会社だ。

さて、ここで注目すべきは、果たしてプラップのコンサルが効果を挙げられるかどうかだ。
PR周辺の話題を取り上げるスーパー広報Blogも、日本もいよいよおもしろくなってきましたね。どちらがどう世論操作をするのか。一国民として外野席から2人のプレーヤーをじっくりと拝見しよう。としている。
確かにその観点はありうるだろう、しかし、私の見方はこれと異なっている。

自民党が世論操作をなしうる客観的環境にはないことをまず認識しなければならない。
自民党的なるものへのアゲインストの風は吹き募り、その風を知らぬげに、変人宰相は独自の道を歩み続ける。
しかも自民党の舵取りは、非力な武部幹事長だ。
PRコンサルティングが効果を挙げるためには、トップのリーダーシップが必須条件だが、自民党にリーダーシップを求められるだろうか。
今日のPRでは、情報の伝達に先立ち、伝えるべき事実の創造が重要だが、武部幹事長にその腕力が期待できるだろうか。
官邸では飯島勲秘書官が実質的にPR業務を取り仕切っていると思われるが、飯島秘書官とのバッティングも心配である。
結論として、今回のコンサルティングで世論操作を意図しても、その達成は困難である。
むしろ、コンサルの戦略目標をどう設定するかが重要であると思われる。

言うまでもないことだが広義の広報には、社会の声を組織体に取り入れる「広聴」のプロセスと、組織体からの情報を社会に発信する「狭義の広報」のプロセスとが含まれる。
今の自民党に必要なのは、まず、社会の声に虚心坦懐に耳を傾ける「広聴」の姿勢だろう。
それも、従来の自民党支持層にとどまることなく、都市型無党派層にもウィングを伸ばさなければならない。
この新たなターゲットとの間にどのように対話のチャネルを拓くか、新たなターゲットのニーズを政策に反映させる回路をいかに構築するかがキーポイントになるはずだ。
この認識のないまま、社会からの批判を小手先だけでかわす役割のみを担うとするなら、プラップのみならず、いかなるコンサルといえども成功はおぼつかないはずだ。

トカゲが来た!

2004年10月19日 17時29分24秒 | PR戦略
今度の台風23号には「TOKAGE」という名前がついているんですね。
日本他北西太平洋の14ヶ国で構成する台風委員会が、各国10個、合計140の名前を用意し、順繰りに台風に名前をつけているそうです。
たまたま、今度の23号は日本の名前にあたったということのようです。
日本は、天秤・山羊・ウサギ・カジキ・カンムリ・鯨・コップ・コンパス・トカゲ・ワシの10名称を登録しています。
どんな脈絡があるのかと思ったら、星座の名前とか・・・。
「トカゲ座」「コップ座」なんて星座があること知ってました?
「カジキ座」なんて「歌舞伎座」の間違いかと思った!(笑)

このアジア名、テレビでも新聞でもほとんど目にしません。
気象庁はどう考えているのかな、番号方式で充分ということなのでしょうか、
伊勢湾台風や洞爺丸台風のような、被害を中心とした事後命名方式を主体に考えているのでしょうか?

ところで、明日からの広島出張。トカゲ襲来に怯えて、11月に順延になりました。
人命や家屋に被害を出さず、穏やかに去って欲しいものですね。

球団は損害賠償を請求できるだろうか?

2004年09月18日 01時55分36秒 | PR戦略
古田泣いてましたねぇ。「すぽると」で。

球団vs選手会。今日の勝負は選手会の圧勝です。
新聞もテレビも古田を批判できない空気が生れました。
これで、土曜日曜のマスコミ論調は古田支持一色になるでしょう。

なにしろNTVの「今日の出来事」さえ、野村克也を出演させて、選手会支持を表明させていたくらいですから。
極め付きは「すぽると」の坂井保之氏。
真偽はともあれ、根来コミッショナーが、「ストを行えば選手会に損害賠償を請求できるから強気に交渉しろ」との機密文書を全球団に回していたと、驚愕の暴露発言を行っていました。

記者会見の質疑応答で、全球団が損害賠償を検討することになるだろうとの経営サイドの発言がありましたが、これで平仄が一致します。

いうまでもなく根来コミッショナーは、東京高裁の仮処分判決で「高名な法律の専門家」と名指された検事出身の法律家。
法律家が陥りやすい過ちは、法律的な勝ち負けにこだわりすぎ、それに伴うイメージ上のデメリットに配慮が及ばない傾向がまま見られること。企業が視野狭窄の弁護士の指導で無謀な裁判に訴え失敗するケースは意外に多いもの。
判決が出るまでには時間がかかり、その間世論のサンドバッグになり、判決が出たときにはすでに過去の話題になって臍を噛むのです。
たとえば東芝のアフターサービス事件のとき、AKKY氏に対し仮処分申請をしたとたん、世論の総反撃を受け、あわてて申請を取り下げた醜態などはその典型でしょうね。

法的リスクよりイメージリスクの方がダメージが甚大なケースがあることを知らなければなりません。
今回の損害賠償問題は、そのケースであることを球団は悟るべきでしょう。
ぼくが球団のコンサルであったならば、損害賠償を請求すべきではないと、アドバイスします。
よもや、そんな愚挙に出るとは思いませんが、万が一勢いに押され損害賠償請求に踏み切ったとすれば、経営サイドは大きなしっぺ返しを食らうことになるはずです。

オリックスは規制緩和の旗手のはず・・・

2004年09月17日 10時44分05秒 | PR戦略
とうとうプロ野球選手会がストライキを決行することになりましたね。
新規加入の審査に時間がかかるので、来期の12球団体制を確約することは出来ないというのが、スト突入の直接の引き金のようだ。

なんでそんなに時間がかかるの?
郵政公社生田総裁のシステム変更に時間がかかる発言と同様、時間を口実にした逃げのように聞こえるんだけどどうなんだろう。
なんでそんなに時間がかかるのか?
ドッグイヤーの真っ只中で生き抜いてきたライブドア・楽天とのスピード感覚の相違を感じさせる。
態のいい参入障壁ではないのか?
なんとしても来期はパリーグ5チームで選手の年俸抑制の揺さぶりをかけろという球団側の強固な意志が背後に隠れているのではないのか?
マスコミに検証して欲しいものだ。


ところで、大西宏さんが、マーケティング・エッセンスで、楽天のプロ野球参入表明を受けて、球団を持つ会社の損得勘定に触れている。
この間の騒動でいちばん得をしたのはライブドア、逆に一番損をしたのは読売新聞としたうえで、
得をしようとしているのがオリックスです。黙って超法規的な選手強化ができるのですから。宮内さんもしたたかです。しかし、これほどアンフェアのことはありません。合併という選択は、この点でも問題があり必ず歪みがでてくると思います。
としている。

ぼくも大西さんと同様、オリックスの宮内オーナーのスタンスには、何か割り切れない思いを感じている。
今回の騒動の最初から、ナベツネ・堤両オーナーに注目が集まっているが、なぜか合併当事者の宮内オーナーの存在感は希薄だ。
ファン層の反発が、生保や証券などオリックスのビジネスに影響することを恐れているのだろうか。

本来、宮内オーナーは球界の閉鎖性に風穴を開けて、新規参入を梃子とした活性化をリードすべき立場の人じゃないの?
同オーナーは政府の総合規制改革会議の議長として、小泉規制緩和の旗振り役だ。

既得権を手放したくない人が「痛みを伴う」と叫んでいる
出典:週刊ダイヤモンド/2001.6.16号

構造改革を断行しなければ日本に明日はない
出典:「THE21/2001年7月号」 猪瀬直樹の「智恵の輪」講座

オリックス証券のホームページには、こんな、宮内オーナーの高邁な発言が並んでいる。
官に対しては規制緩和を獅子吼しながら、自分のところは民間だから参入障壁は正当な経済行為だとでも言うのだろうか。
ライブドアに続き楽天も名乗りを上げた今も、合併は当然のディシジョンというのだろうか。
オリックスが球団を買ったのは、オリエントリースからオリックスに名称変更したのを契機に、社名認知を高めようとしたのが直接的な契機だったと記憶しているが、ライブドアに対しては、単なる売名行為だと非難するのだろうか?

長い目で見れば宮内オーナーのこの問題への奇妙な沈黙は、オリックスに言行不一致のツケをまわすことになるような気がする。

いまや国民的ヒーローの古田選手会長にはがんばって欲しい。
「構造改革を断行しなければプロ野球に明日はない」ですよ宮内さん。


米軍ヘリ基地外墜落問題

2004年08月18日 10時44分58秒 | PR戦略
明治外交の先達は不平等条約の改正に心血を注ぎました。
陸奥宗光がイギリスとの間で治外法権の撤廃に成功したのが1894年。ここに至るまでには大隈重信外相がテロにより隻脚を失うなど多大な犠牲が支払われました。治外法権の撤廃は過去の日本政府が血で贖った権利なのです。

日米地位協定という名の不平等条約に治外法権規定が含まれているとは、知りませんでした。

事実関係を整理しましよう。
13日午後2時20分ごろ、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学敷地内に米軍のヘリコプター1機が墜落しました。
沖縄県警はただちに令状を取り、翌14日に現場検証をしようと数十人の捜査員を待機させていましたが、米軍から拒否されました。
事故機は米軍の財産であり、これを捜査する為には米軍の同意が必要とのことです。
事故機だけでなく、民有地であるはずの事故現場も米軍が管轄下に置き、日本側の警察や消防の立ち入りも排除しました。
16日午前、米軍は沖縄県警の捜査要請に同意を与えぬまま、墜落現場の沖縄国際大学構内で周辺の樹木を伐採し、午後に入り機体を搬出しました。
17日に至り、在沖縄米海兵隊法務部は沖縄県警に対し、機体を含めた墜落現場の検証を、日米地位協定や日米合意議事録を根拠に拒否すると回答しました。
外務省はこの事態にどのように対応しているのでしょう。外務省の荒井正吾外務政務官は、日本側の要請を受け入れさせるべく、現地沖縄で精力的に動き回っているようです。
しかしながら本省は、川口順子外相を筆頭に及び腰です。
そして、われらが小泉総理は、16日には歌舞伎座で「元禄忠臣蔵」を泣きながら鑑賞し、夏休みを満喫していたようです。

拉致被害者や特定失踪者への冷淡な対応、アジアカップサッカーでの国旗焼き捨てへの不感症、今回の治外法権問題への沈黙。
国家主権に対する小泉内閣の無関心もしくは逃避的態度はいつまで続くのでしょう。

マスメディアはいずれも、この問題に注目し報道しています。しかし、アテネオリンピックの喧騒にかき消され、充分に国民には届いていないようです。
そこで、どうすれば国民的関心を呼べるのか、広報視点からいくつか提案したいと思います。


■宜野湾市の伊波洋一市長は直ちに上京し記者会見すべき

やはり情報発信の中心は東京です。
沖縄現地に入りたいが、東京を留守に出来ないジャーナリストはいっぱいいます。
東京で記者会見をすると同時に、沖縄好きの筑紫哲也キャスターのニュース23、日曜朝の報道番組への出演交渉を早速はじめたら如何でしょう。
その際、沖縄の特殊ケースではなく、国内のどこでも同様な事件が起きたら、地位協定により警察の捜査権が及ばない可能性があることを強調してください。

■沖縄現地で「画」になる集会を

墜落機の残骸が撤去された今、テレビメディアは動く画を欲しがっているはずです。
沖縄で画になるシチュエーションを作り出す必要があります。
「沖縄県警を応援する県民集会」が開けないでしょうか。
普天間基地の正面で開ければいいのですが、規制により困難な場合は、沖縄国際大学のキャンパスがいいと思います。

那覇の目抜き通りでの署名活動の絵柄も欲しいところです。

■喜納昌吉がんばれ

こんなときの為に、喜納昌吉は参議院議員になったのではないですか。
直ちにサンシンを抱えて沖縄に帰り、ゲリラ集会で抗議の意志を表してください。
阪神大震災のときの泉谷しげるのノリです。
できれば先島にも行脚し、カチャ―シーのリズムでおばさんたちと踊り狂ってください。

■アメリカへの直接抗議

どうせ小泉総理や川口外相に働きかけても糠に釘にきまってます。
むしろ米国へ働きかけたほうが、外務省はあわてて重い腰を挙げるはずです。
おりしもアメリカは大統領選挙。
しかも、ブッシュ大統領は、同盟国との調整抜きで海外駐留兵力の削減方針を発表したばかり。
アメリカと外務省、防衛庁との擦り合わせが充分でないときだけに、
思わぬ効果をあげそうです。
稲嶺恵一知事はただちに訪米し、日本政府にガイアツをかけることが有効です。

■評論家・コメンテータ・コラムニストのコメント集め

週刊誌や、沖縄の地方紙、琉球新報、沖縄タイムスは、新聞やテレビに登場する回数の多い評論家・コメンテータ、週刊誌に連載を持つコラムニスト・エッセイスト、沖縄フリークの文化人、芸能人など、数多くからコメントを取るべきです。コメントすることはすなわちコミットメントすることです。
なるべく多くの人にコミットメントしてもらうことは、関心を広げる触媒になります。

■ブログデモ

幸い、今年に入り、無料ブログサービスが充実してきました。
これを使わない手はありません。
これまでのデモは、街頭での示威行動を意味しました。
これからは、ネットの中のバーチャル空間でも示威行為が成立すると思います。
抗議するひとりひとりが抗議のためのブログを立ち上げ、トラックバックでつないで見ましょう。
世界初のブログデモが出来るのではないでしょうか。
英語の堪能な人は、ぜひ英語でブログを書いてください。
世界に広がるはずです。



コミュニケ―ターとしての曽我ひとみさん

2004年07月27日 14時59分20秒 | PR戦略
曽我さんの文章にはいつも心が洗われる思いだ。
文章がうまくなくても、その行間に、彼女のやさしさ、みずみずしい感性、木目細かな周囲への心遣い等、彼女の人格が感じられるからだ。「文は人なり」は至言である。

彼女の人格の発露はメッセージの相手やタイミングにも感じられる。
ジャカルタを出発するにあたっては、大統領、インドネシア国民、在留邦人へのメッセージを発表した。
帰国2日後には、安倍幹事長、細田官房長官。その4日後に川口外相を表敬訪問し謝意を表明。
病院からホテルに移るにあたっては「支援してくれた全国の皆さまに心から感謝しています」と、広い目配りを怠らない。

ことばがないがしろにされ、ことばの力が失われつつある今日。的確なタイミングで的確な内容で発せられることばは、世の中を動かす力になりうるのだということを、改めて教えてくれる。




曽我ひとみさんの文章

2004年07月24日 08時03分52秒 | PR戦略
■02年10月17日
10月15日に北朝鮮から二十四年ぶりに帰国した曽我ひとみさんが、新潟に向かう新幹線の車内でつづったメモを公表した。 

私は夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みな温かく美しく見えます。空も、土地も、木も私にささやく。「おかえりなさい。頑張ってきたね」。だから私もうれしそうに「帰ってきました。ありがとう」と元気に話します。

■02年12月28日
母、ミヨシさんの誕生日にあたり、母への思いを語った。

今日は、お母さんの71歳の誕生日です。日本に来る1週間前まで、家でわたしのことを待っているんだと思っていました。1週間前に、お父さんと妹だけが生きている。お母さんは日本にもいないし、北朝鮮にもいないと知らされ、泣くばかりでした。
これは、わたしとお母さん2人しか今まで知らない話です。
小学校6年生のころだったと思います。友達が学校で新しいセーターを着ているのを見せてくれ、うらやましいと思いました。セーターがあったらと思いながらも、買ってくれとは言えませんでした。その時頭に浮かんだのが、たんすの中にあった少しのお金で、そのお金をこっそり持っていって新しいセーターを1人で買ってしまいました。
その日の夜、お母さんは「新しいセーターを見せてくれ」と言うのでした。わたしは怒られると思いましたが、一言も怒りませんでした。涙を流し「母ちゃんが新しい服を買うてやれんもんだし、ひとみがセーター一つ買うてきたんだな」と言われた時、怒られるより、もっともっと悪いことをしたなと思い、わたしも泣きながら「ごめんね。これから絶対こんなことしんし、許してな」と心から謝りました。
わたしは誰が何と言おうと、お母さんが死んだとは思いません。わたしは母さんと会える日を心から願いながら、いつまでもいつまでも待っています。

■03年4月14日
帰国後半年たったおりに、「この半年をふりかえり」の題で発表したコメント。


24年ぶりに日本に帰って来て、もう早いもので寒い冬も過ぎ、あたたかい春が来て、もう日本で半年という日が過ぎてしまいました。この半年の間、私にとって一生のうちで一番頭の中が混乱し、複雑なことが起きたと思います。

日本に帰りたくて、泣いて泣いて涙がかれるまで泣きました。帰れないのなら死んだ方がいいと何度も何度も思い込んだものの、弱虫の私には死ぬことはできませんでした。

いつもいつも気になっていたのは、同じ場所から別ればなれになったおかあさんのことでした。誰に聞いても、はっきり答えてくれる人はいませんでした。なぜ私とおかあさんがこんな目に遭わなければいけないのだろう。私何も悪いことなんかしていません。なのに、なぜなんだろう。こんなつらい思いをして、生きていかなければならないのですか?

やっと帰って来て、おとうさんに会って妹に会って、親せきそして友達、ふるさとの人、日本国中の人と会いました。みんなやさしく、あたたかく心配して下さいました。一緒に笑ってとても楽しい時間です。

月日は長く長く過ぎていたけれど、人の心は昔のままでした。本当に帰って来られてよかった。ずっと長い間あきらめていたことが、私の目の前で起きているんだと思うと、ある時は誰かにまただまされているように感じることもありました。私にとっては思ってもいない大きな大きな出来事だったからです。

このごろはもう一つの大きな大きな出来事。20年余りも一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に励まし合って生きてきた、私の大切な大切な家族との生き別れ。初めは旅行、今は家出でもなく、なんと言えばいいのだろうか?

私に会う人たちは「がんばって下さい」と、あたたかく声をかけてくれます。「ありがとうございます」と答えながらも、時々どうしてがんばればいいのか、自分でも分からない時が多くなりました。一つ解決したらまた新しく悲しい出来事、あまりにも私にとってはつらいです。

この半年、家族の深い深い愛を心から感じています。1月に届いた娘の手紙の中に、こんな言葉がありました。「おかあさん。おかあさんとこんなに長く離れたのは初めてだヨネ。もうすぐ冬休みです。冬休みになったら、おとうさんにおいしい物を作ってあげます」と、泣きながら書いてくれた手紙。それは私にとって、この世界の中で一番の宝物です。

私の二つの家族。おとうさんとおかあさんと私と妹の一つの家族。向こうにいる夫と私と娘2人の家族。この二つの家族をばらばらにしたのは、誰ですか? そしてばらばらになった家族を、また一緒にしてくれるのは誰ですか? そしてそれはいつですか?

心から喜び合える幸せの日を、一日でも早く私に返して下さい。

  03年4月14日 曽我ひとみ

■04年6月15日
第2回日朝首脳会談で家族の来日がかなわなかった時のことを、曽我ひとみさんは「現在の心境(母として娘としての思い)」と題し、佐渡市の支援室を通じた自筆の手記として公表した。


5月22日。あの日から早いもので20日という日が過ぎてしまいました。「時間」として見れば早いようだが、私にとってはあまりにもたくさんの出来事が次々と起こり、時には自分を見失ってしまいそうな事もありました。涙でくれた時間もどのくらいあっただろうか。

当日のことを思い返してみる。5人のあまりにも違う立場。報告を待っていた5人。その時のあの部屋の静けさ。その中でただ一つ聞こえていたのは、時々開いたり閉まったりするエレベーターのドアの音だけ。今でも私の心の中から離れない。(いつか、いつか)と落ち着かない気持ちを抑えながら沈黙の中で、時間だけが過ぎていった…。

ついに報告を聞いた。悲しさの海を彷徨(さまよ)っていた。100パーセントの期待はなかったが、やはりショックだった。つらい時間だった。

それからどのくらいたったのだろうか。ふと気が付くと4人に「おめでとう」の言葉を掛け忘れていた事を…。

その後会見を行うことになった。周りの人たちはとても心配してくれたが、私の気持ちは固まっていた。(会見は5人一緒にやるんだ。5人はいつでも、どこまでも一緒だと…)

張りつめた気持ちのまま会見は終わった。とても疲れた。部屋に戻ると自然と目がいくニュース…。

次の日1人で佐渡に帰ってきた。周りの人たちもみんな心配してくれている。何も話はしないが私には十分温かい気持ちが伝わってきた。しかし、私自身どうすることもできなかった。誰を責める訳でもない。責めようとも思わない。ただ私1人ではどうしようもない現実に心を痛めていた。

そんな日々を過ごす中、全国から励ましの手紙や心のこもった荷物がたくさん届いた。毎日毎日、手紙を一枚一枚読ませてもらいました。みなさんの心がうれしくて、読んでは涙しました。おじいさん、おばあさん、お父さん、お兄さん、お姉さん、弟、妹となる皆さま方からの手紙。こんな私に、こんなたくさんの方々から届くとは…。私ってとても幸せ者だと思いました。

私にとって日本は、みんなが温かく励まし合いながら仲良く暮らす大きな家族です。届いた物の中には、娘たちにとオルゴール、服、鏡、かばんなど、また勉強に使ってと参考書や本、それから音楽を聴いて元気を出してくださいとCD、その他花や食品など、ここに書ききれない程数多くありました。どれもこれもひと言で「ありがとうございました」とだけでは感謝の気持ちを表すことができないものばかりです。そしてそれらは今の私にとって大変ありがたいものであります。このような皆さま方の気持ちは、家族と会った時に必ず伝えたいと思っています。

またあまりにもたくさんの手紙や荷物なので、お一人お一人に返事を書くことが時間的に困難です。この場をお借りして心よりおわび致したいと思います。本当にありがとうございました。

今、目の前に来ている幸せをつかむために、自分なりにも一生懸命やっていきたいと思います。母として娘としてこれからまだまだやらなければならないことがたくさんあります。

お母さん、会いたいです。娘として母に会って「こんなに優しいお母さんに苦労を掛けてしまってごめんなさい」と謝らなくてはと思います。町中をいないと分かっていながら捜す、娘としての私。少しでも早くこの気持ちを母に伝えたい思いでいっぱいです。私に母親としての大切なことを教えてくれた母。今度は私が娘たちにしっかりと教えていきたいと思います。

美花へ。6月1日はあなたの21才の誕生日でしたね。ママは朝起きてテレビの上に飾ってあるあなたの写真に向かって「美花、21才の誕生日おめでとう。今年も一緒に祝ってあげる事が出来なくてゴメンネ。もう少し我慢してネ」と声を掛けた。そして仕事が終わってからあなたの誕生日のプレゼントを買いに行きました。カバンとネックレスを買いました。このプレゼントを1日も早くあなたに渡せる日が来る事を願っています。

ブリンダへ。今度のあなたの誕生日には家族4人揃(そろ)って祝うことが出来ればいいね。その時は家族みんなでプレゼントを買いに行こうね。その日が1日でも早く来るようにママは毎日祈っています。

これからまだまだ険しい道もあると思いますが、皆様方の力をお借りしながら一つの家族がもっともっと大きな幸せを掴むまで温かく見守っていただきたいと思います。

私も母親として妻として娘としての役割をしっかりと愛情を持って果たしたいと思います。「いつでもどこでも4人一緒に暮らしたい」と心より思っております。

  平成16年6月15日  曽我ひとみ