Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

快眠健康法

2009年10月05日 10時34分50秒 | Weblog
電車で座るとすぐ寝てしまう。本を読むと睡魔に襲われる。果ては運転中に眠くなる。ともかくいつも眠いんです。
また、妻からは就寝中のイビキでしょっちゅう起されると文句を言われます。
さてはと思い病院で検査をしてもらいました。診断は案の定『睡眠時無呼吸症候群』。睡眠中に喉の筋肉がゆるんで気道をふさぎ、熟睡できなくなるという病気です。今の横綱白鵬も昔の大乃国も同じ病気とか。
私の場合は1時間に平均46回、長いときは78秒間、つまり1分以上も呼吸が止まっていました。
このまま止まりっぱなしになっても不思議ではないし、睡眠不足で車の運転中に事故も起こしかねません。危ないところでしたね。
医師が治療法として勧めてくれたのが陽圧療法。
眠るときに蛇腹のチューブで機械につながった鼻マスクを着用し、そこから持続的に鼻へ空気を送り込むことで喉の気道が閉じないよう圧力をかけるというものです。
鼻マスクを着けた寝姿は、おどろおどろしいものですが、この療法を始めてからは極めて快眠。何より寝覚めの爽やかさが違います。以来、1日たりとも手放せなくなりました。
今は、1泊の旅行でもキャリー付きのバックをごろごろ転がし、本体装置ごと持ち歩いています。
ご賢察の通りこの療法は対症療法に過ぎません。たとえば体重を少し減らすだけでも状況は好転するとのこと。
しかし、この療法があまりに簡単で快適なため、根本的治癒には取り掛かろうとの意欲がわきません。これではあまり健康法として胸は張れませんね。


目覚めよ知的好奇心

2009年09月02日 16時43分04秒 | Weblog
若い日の私は、まったく勉強せずに遊びまわる怠惰な学生でした。
40年ほど前の大学は、今ほど出席にうるさくないこともあり、毎日のように仲間と麻雀荘に入り浸っていました。
大学を卒業し広告会社に入社した私は、5年ほどして母校を担当する営業になり、再び大学に足を運ぶことになったのです。
遅い春のある日、時間が余った私は何の気なしに教室に入り、たまたまそこで行われていた授業に耳を傾けたのです。
衝撃的な経験でした。授業の内容が良くわかったし、しかも面白かったのです。
たまたま面白い授業だったということでしょう。しかしそれ以上に、5年間の社会人としての経験が授業への理解力や共感力を高めてくれたのです。
私は4年前からマスコミ学科で教鞭をとる一方、サテライトセンターの所長を務めています。大学時代に授業をサボっていた私が後日教員に転身するきっかけの最初のひとつが、この晩春の衝撃でした。
今日、生涯学習の重要性が叫ばれる理由がここにあります。学生のみならず、社会人や定年後のシルバー層など社会のさまざまな対象の知的好奇心に応えることも、大学の重要な社会的役割なのです。
江戸川大学の「サテライトセンター」は、地域のみなさまを主対象とした社会人学習の施設として、昨年より流山おおたかの森駅に隣接して開設されています。駒木会の会員は優待制度により半額で受講できます。
さまざまな講座を開講していますので、何かのついでにぜひのぞいてみてください。あなたに衝撃を与える運命のプログラムが含まれているかもしれません。


ラヂオの時間

2008年10月23日 22時59分58秒 | Weblog
今から70年前の1938年10月30日。ちょうどハロウィーンの前夜のことです。CBSラジオから流れていたラ・クンパラシータの音楽が突如中断し、臨時ニュースに切り替わりました。
ニューヨークから程近いニュージャージー州に巨大な隕石が落ち、中から火星人が現れ、地球の侵略を始めたというのです。
これを聞いた多くのアメリカ人がパニックに陥りました。
隕石が落ちたと報じられた町では直ちに自警団が結成され、火星人と間違えて風車に発砲する始末です。森に逃げ込む人、毒ガスマスクを買い求めようと店を駆けずり回る人、ヒステリーを起こして失神し病院に担ぎ込まれる人・・・・。騒ぎは全米に広がりました。
この放送は、後に『市民ケーン』や『第三の男』などの映画で知られるようになる若き日のオーソン・ウェルズが、『宇宙戦争』(H.G.ウェルズ作)の火星人襲来シーンをラジオドラマに仕立てたものだったのです。
その手の込んだ演出手腕が迫真のリアリティを生み出したのはもちろんですが、ラジオという、聴取者のイマジネーションを掻き立てるメディア特性が、このような大きな反響につながったといえるでしょう。

ラジオの楽しさがここにあります。
音声だけという限界が、聴取者の『想像の翼』を大きく広げてくれるのです。
テレビと異なり、たった一人でも作れる手軽さが、個人の『創造の魂』を形にしてくれるのです。
加えて、最近はポッドキャスティングなどで自由に情報発信できるようになりました。
テレビに比べ地味に見えるラジオですが、表現メディアとしてむしろ多様な可能性を秘めているのかもしれません。
私も高校時代放送研究会に属し、ラジオ番組を制作していました。
最近こそ制作する機会に恵まれませんが、いつか『一人放送局』を作って、ラジオ放送を流してやろうと、密かにたくらんでいます。

見事なカンファレンス進行

2006年05月31日 10時54分54秒 | Weblog
ということで、連合のブロガー懇談会に参加した行きがかり上「RTCカンファレンス」に参加してきた。

なるほど、こういうシンポジウムはおもしろいなあ。
主催の「ちょーちょーちょーいい感じ」の保田隆明さんも「近江商人JINBLOG」の上原仁さんも力まず自然体で進行していく。
「素人目線」を大事にして、ゲストの連合の山根木さん、大橋さんに税制への質問をなげかけ、その回答にファシリテータの「ガ島通信」藤代裕之さんが絡むというスタイル。
質疑応答の詳細は、チミンモラスイ?さんのサイトが見事にまとめてくれている。

ひとしきり終わった後は、参加者によるグループディスカッション。
ここでのお題が秀逸。

■ケーススタディ
-将来のある日、あなたが首相になりました。しかし、喜びも束の間、日本国が財政的にパンクしそうです。費用削減と増税のパッケージプランを考える必要がありそうです。
 そこで、どれか1つの公的サービスの費用を大幅に削減し、新たな税金をつくることにしました。どの公的サービスの費用を削減し(対象世代も含め)、どんな新種の税金を導入しますか?


このお題を突きつけられて、国の財政の根本をまったく理解していない自分に気づいた。

みなさんはどうですか?



少子化に拍車をかける? サラリーマン増税!

2006年04月14日 17時14分43秒 | Weblog
YAHOO!で見かけた記事
サラリーマン増税、9割反対=「子づくり控え」防衛も-連合調査
 連合が13日まとめた「サラリーマン増税に関する意識調査」によると、政府税制調査会が昨年打ち出した定率減税や給与所得控除の廃止などのサラリーマン増税に対し、「絶対に反対」「どちらかといえば反対」を合わせ、給与所得者の92.5%が反対していることが分かった。

サラリーマン対象の調査の結果ですから、サラリーマンの92.5%が反対して不思議ではありません。
それより面白いのは、増税で生活が苦しくなるから子作りを控えるとの回答が30.4%の高率に昇ったこと。
連合のサイトにニュースリリースがアップロードされていて興味深い。
それと同時に驚くのは、サラリーマン増税を理解していたのが22.2%に過ぎないこと。
サラリーマンがお人よしなのか。
政府与党の広報不足なのか。
連合の努力不足なのか。
ちょっと脱力感に襲われるデータです。


サラリーマン増税がヒタヒタと押し寄せてくる。(その1)

2006年03月22日 16時16分29秒 | Weblog
確定申告の締め切りに、漸く間に合った。
このところ、国税庁の確定申告書作成サイトがずいぶん使いやすくなっている。
必要事項を記入していくと、申告書類を自動的に作成し、PDFでプリントできるようになる。
これまで、何回か計算間違えで呼び出されたが、これで少なくともその手のミスだけは回避できるわけだ。

何でサラリーマンの分際で確定申告をしているかというと、平成のはじめ=バブルの最末期に、おろかにも節税マンションに手を出してしまった報い。
たとえ赤字でも損益通算で節税し、値上がり益を狙うといったバブルの投資パターンだった。
確かに当初は節税効果があったが、平成4年に土地分のローン金利を損益通算することが禁止されたあたりから節税メリットが薄れ、いまや完全に不良債権になってしまった。

そうなると、確定申告の際になるべく節税効果を出そうとあれこれ工夫するのが人情というものである。

所得税の計算には3つの段階がある。
1)かかった経費を最大限算入し、「所得金額」を圧縮する。
2)「控除額」をもれなく把握する。
3)「所得金額」から「控除額」を差し引いて「税額」を計算する。

このうち、一番手間暇がかかるのが、1)の段階。
修繕費はもちろん、交通費とか、通信費とか、ローンの金利とか。
マンション経営として認められそうな項目を最大限かきあつめる。
時々会議費として、飲食店の領収書を紛れ込ませたり、パソコン関連の費用や書籍代を算入したりする。
ハラハラドキドキしながら、せこく経費を積み上げるのだが、苦労する割にはそれほど節税効果があがらないのがもどかしいところだ。

2)の段階では医療費の領収書や保険料の証明書を集める。
ここの扶養控除や配偶者控除は金額が大きいだけに税額計算の基礎数字に多大な影響を及ぼす。

なんといっても、税額に直接的な影響があるのが3)の段階だ。
この段階では申告する立場での工夫の余地はないが、ここにある「定率減税」は税額に決定的な影響を及ぼす。
1)2)の段階で金額を圧縮しても、税額への反映は1割とか2割とかの税率がかかる。つまり、10万円分の領収書を集めても税金が安くなるのは1万円とか2万円に過ぎない。
しかし、3)の段階での定率減税はそのままストレートに税額に反映する。
25万円の定率減税は所得金額にすれば250万円ぶんに相当し、消費税額に換算すれば500万円分の消費に相当するということだ。

政府は定率減税の廃止をもくろんでいるようだが、これが実現すればストレートに税額が跳ね上がる。
サラリーマンにとっては、チマチマした節税努力を一発で吹き飛ばす大打撃だ。


(この項続く)

酒飲みはブログが続かない?

2006年03月21日 09時31分11秒 | Weblog
文芸春秋06年04月号にあった記事。
紀田順一郎・御厨貴・坪内祐三が『日記読み達人が選ぶ三十冊』として鼎談している。
エピソード満載の面白い記事だが、その中で坪内祐三によるとハンガリー文学者の徳永康元が「酒飲みは日記が書けない」との名言を吐いているらしい。
激しく同感。

この半年ほど全くブログをお留守にしてしまった理由がこれである。

「週刊!木村剛」の今後

2005年01月08日 12時33分34秒 | Weblog
1月4日の「週刊!木村剛」をどうすべきか?のエントリーに(時期遅れの)トラックバックします。

>「BLOG of the Week」については、皆さんのご要望がこれまでどおり強いのかどうなのかを
>確認した上で、今後の運営を再考してみたいと思っています。

木村氏の「BLOG of the Week」の努力には、かねて敬服していました。
トラックバックのすべてに眼を通すことすら大変なのに、ちゃんと行間まで読み取ろうとの姿勢がうかがえていたからです。
なまなかなエネルギーではできないことです。
そもそも、投稿(トラックバックもその一種でしょう)を読むに際しては、2つの視点が重要だと思っています。
「検事の視点」と「弁護士の視点」です。
前者は物事を批判的に見ようとの視点で、これなくして評論や批評は成立しません。
後者はどんなわずかなことでも良い点を見出そうとの視点で、これが新たなる才能を発掘する源泉となります。
人間は悲しいことに、ほっておくと「検事の視点」に偏りがちです。
100の投稿を読み続けるとすると、最初は2つの視点を維持しようと努めるのですが、ちょっと気を抜くと、すべてを批判的に眺めている自分に気づきます。
最後のほうになると、「弁護士の視点」を維持するために、膨大なエネルギーを要するようになるのです。
木村氏は「検事の視点」と「弁護士の視点」をキープするため、膨大な時間を費やし、尋常ではない努力をされていたと思います。

「BLOG of the Week」をカタチだけ続けることは、今後とも可能でしょう。
しかし、日本振興銀行の社長業への投入時間は中途半端ではないでしょうから、ブログを読む時間が削られることは疑いないでしょう。しかも、銀行の社長業はストレスが多いでしょうから、心の平安を保ちつつブログを読むことは困難なのではないかと想像します。
せっかく、多くの魅力的なコンテンツを世に出してきた名物企画のレベルが落ちるのは残念です。
であるとするなら、「BLOG of the Week」は潔く手仕舞いされたらいかがでしょう。

問題は、これまで「週刊!木村剛」が有力なトラックバックハブとして広く認知されていたことです。
これまで、「週刊!木村剛」にトラックバックしていたブロガーはこれからどこにトラックバックすればいいのでしょう。

ひとつのアイディアは、木村氏が後継者を指名し、代替わりする手です。
顧客基盤をすっかり譲り渡すということですね。
木村氏は「BLOG of the Year」のようなカタチで、随時参入すればいいでしょう。

もうひとつのアイディアは、なにもせず自然に任せること。
ブログ界で木村氏が占めていた地位が空位になるとすれば、その後を襲いたいとの、健全な野望を抱く人は多くいるでしょう。
ポスト木村剛を目指すいくつかのサイトが競争原理で試行錯誤を行い、勝ち抜いたところはそれなりの見識と魅力的な語り口とわかりやすい仕組みを持ったサイトになるはずです。
どうもこちらのアイディアのほうが、ブログというメディアにはふさわしいように思います。



参加型ジャーナリズムでのブロガ―の役割

2004年10月18日 13時21分15秒 | Weblog
参加型ジャーナリズムでのブロガ―の役割って3つぐらいあるんじゃないかしら。

1.広汎な一次情報の発掘。
2ちゃんねるは、事件ネタの場合、マスコミより木目細かく(真偽不明でも)ネタを拾ってきますよね。

2.多様な視点や論評の表明
今回の「週刊!木村剛」で期待するのはこのへんかな?

3.数によるニュース価値の評価と、クレディビリティ(信憑性)の評価。
GoogleNewsは、マスメディアの記事を対象とすることで、クレディビリティの問題を一応クリアし、マスメディアの関心度合いを測ることでニュースバリューを判定する仕組みだけれど、これをブロガ―の数によって実現するのも、ブロガ―新聞の役割として期待できると思います。

ぼくが、ブロガ―新聞に期待するのは、以上の3つの役割を兼ね備えた存在。
時事通信の湯川さんが紹介してくれている、韓国オーマイニュースほそんな機能を備えているように思う。

このあたりになると、本格的な事業計画と、独自のシステム、それなりの投資なしでは難しそうですね。
3つの役割の1番目と2番目あたりを検証しながら、どこかの報道機関とか、ポータルサイトとのアライアンスの機会を模索するということになるのかしら・・・?

共同通信記者ブログのライブドア騒動

2004年08月02日 11時05分38秒 | Weblog
8月2日の「週刊!木村剛」と時事通信の湯川鶴章氏のネットは新聞を殺すのかが、ともに署名で書く記者の「ニュース日記」の休止騒動を取り上げている。

この問題については、上記二つと次のブログがすぐれた論評を掲げている。
大西 宏のマーケティング・エッセンス
カトラー:katolerのマーケティング言論
あざらしサラダ

【騒動の概要】

1.騒動の震源地の署名で書く記者の「ニュース日記」は、共同通信の編集委員室が開設しているチャンネルKの中にあるコンテンツで、01年の暮れからスタート。小池新編集長と伊藤圭一記者が執筆している。
04年3月18日からは、同じ原稿をブログでも公開しており、共同のサーバにブログ機能がないためか、ライブドアの無料サービスを利用している。

2.問題の発端は、6月26日に小池新氏が執筆した記事。
ライブドアのブログに公開されている、ライブドア堀江貴文CEOのブログ社長日記が、同氏のややバブルがかった生活ぶりを書き連ねていることを指摘し、以下の批判を加えた。
もちろん、ご商売のことも書いておられるが、はっきり言って、これこそ「スノッブ」以外の何ものでもないと僕には思える。要するに「成功した青年実業家とは、こういうふうにしているものなんだよ」というやつだ。たしかに、livedoorはBlogで成功しているようだし、僕もこうした新しいメディアが広がってほしいとは思う。が、そのこととこのことは全く別だ。いかに商売がうまくいっているといっても、この程度の内容を載せて、結果的に若い人たちをだまくらかすのはちょっとどうかと思う。さらに言えば、社長の日記をトップページにシルエット入りで紹介しているというのは、一体どういう神経だろうか。
ちょっと言いすぎたかもしれないが、こういうのが鼻持ちならないというやつだ。読んでいる人たちにはぜひ言いたい。こんなのにだまくらかされていてはいけない!


3.小池新氏は翌27日にも、トラックバックに答える形で、次のようにコメントした。
web上の文章もまた、書いた人間を表す。「文章は人」だからだ。長い(ただ長いだけだが)記者経験から、僕にはそれが分かる。だから、この「社長日記」の文章を読めば、この堀江というlivedoorの社長さんの人間が読める。人間は、どんなに背伸びをしても、正体を隠そうとしたとしても、しょせん、その人間以上の文章は書けないのだ。
また、会社の戦略であろうが、書いたものレベルが低いことの言い訳にはならない。以上をトータルして、僕はこの「社長日記」の内容は「スノッブ」そのものだし、鼻持ちならないと思う。それはたぶん、この社長さんの人間自体がそうだからだ。


3.これに対し堀江氏は、29日の早朝、27日付けの自分のブログでさらりとコメントした。
そうそう、このblogへのコメントで「署名で書く記者の云々」というblogで私の日記のことが書かれているらしく見に行ってみる。なんか鼻持ちならない人間らしい>自分。こんなこと言われたのはじめてかも。感動。もっと感動したのはスノッブだといわれたこと。
また、翌28日には、
署名で書く記者の云々は私が紹介したおかげで結構話題を振りまいているようだ。blogの良いところは本音がフィルタをかけずに気軽に書けるところだね。本音ばかりだとギスギスしがちなんだけど、情報化の世の中、隠し事は外っ面だけ良くしていても、すぐにばれてしまう。外っ面がよければよいほど、裏の顔がばれたときのダメージは大きい。すべてをさらけ出せとは言わないけど、パブリックな人ほど、いろんなことを最初っからさらけ出していることは一種の保険になる。隠せば隠すほど泥沼にはまっていく。

4.6月29日になり、署名で書く記者の「ニュース日記」は集中豪雨的なコメントとトラックバックの嵐に見舞われる。
このためか、6月29日の記事を最後に、このサイトは更新停止に追い込まれた。

5.更新停止後も書きこみやトラックバックを制限していないため、次々と新しいコメント・トラックバックがつけられている。
8月4日正午現在の状況は以下の通り。
□6月25日分 コメント   4 トラックバック  0  平常時?
■6月26日分 コメント 145 トラックバック 30  最初の記事
■6月27日分 コメント 135 トラックバック 27  2番目の記事
□6月28日分 コメント  30 トラックバック  1  他の話題
■6月29日分 コメント 376 トラックバック  8  他の話題 この日で記事掲載終了
記事の掲載された26と27、最終記事の29日に異常な書きこみがなされていることはあきらかだ。


【騒動の原因と背景】

この騒動に関するぼくの感想は、残念ながら、共同通信の小池編集長が一人相撲の末勇み足をし、桟敷席から座布団が乱れ飛んだという印象だ。
小池氏は、編集委員になってもうすぐ5年。論説委員兼務になって3年のベテラン。
ご本人によると、それまでの経歴は社会部の記者生活約17年。デスク3年のほか、警視庁3年、農水省・通産省(いずれも当時)2年、その他は遊軍(クラブ担当以外で、基本的には本社に常駐している記者)で、警視庁も「がさつ」な捜査1課3課担当。社会部の中で専門性があるとされる裁判所や文部省、厚生省(いずれも当時)、防衛庁などの経験がない。とのこと。

◆記事のクオリティ
今回の記事は、客観的な説明と説得力に欠けているといわざるを得ない。
「文章は人だからだ。長い記者経験から、僕にはそれが分かる。」というのが唯一の立証というのは、ジャーナリストとしていかがなものか。
その上で、「日記の内容はスノッブそのものだし、鼻持ちならないと思う。それはたぶん、この社長さんの人間自体がそうだからだ」とまで断じてしまっていいものなのだろうか。単なる誹謗中傷とどこが違うのだろう。

◆理由なき沈黙
29日を最後に、小池氏は沈黙の殻にこもる。なぜなのだ。
社会的な批判を受けた人や企業に、記者会見を迫るのはジャーナリストの常なる習性であり、批判を受けた以上記者会見に応じるのがその人や企業の責務ではないのか。
沈黙の理由はわからないが、報道機関としての自殺行為とは思わないのだろうか。
この不可思議な沈黙が、コメントの書き込みに拍車をかけている。
そこで理解しがたいのが、コメントの書きこみやトラックバック受信をストップせずに継続していること。

◆公私の弁別
そもそもこのサイトは共同通信としての公式なサイトなのか、小池氏と伊藤氏の個人的なサイトなのか。
チャンネルKのコンテンツである以上、企業としての情報発信であり、「署名で書く記者のニュース日記」と銘打つ以上、個人の思いを書き連ねたものだ、すなわち、共同通信としては、企業の枠組みの中で、どこまで個人のオピニオンを前面に出しうるかを検証するための実験サイトと読み取れる。
共同としての実験的トライアルだったのなら、それだけ個人の意見の出し方について、通常以上の慎重な配慮が必要だったはずだ。これでは、妬み嫉みといわれても反論できないだろう。
「社長日記」は多くの人に読まれ、ライブドアの株価にも影響を与えるブログだ。堀江氏は、会社からの公式発言とは一線を画し、堀江氏の個人的な日記の体裁をとるためにも、スノッブと評された個人生活の身辺雑事を書き連ねているのだ。このことに小池氏はなぜ気がつかないのだろう。

◆大企業、特に大マスコミへの反感
ネットコミュニティは概して大企業に冷淡である。基本的にネガティブであり、時としてアンチに転じることがある。
また、既存マスコミに注がれる視線には冷たい光が宿っている。
マスコミに対する視線は、ネットにとどまらず、一般社会でも変化してきている。
朝日新聞の論説主幹から代表取締役専務を歴任した中馬清福氏が退任後著した「新聞は生き残れるか」(岩波新書:03年)をひもといてみよう。
“新聞批判に質的な変化が起こり、重苦しいものになった、と気づいたのは九〇年代の後半、それも終わりのころだった。<中略>同じ仲間だと思っていた読者が「報道の暴力は許さない」といって、はっきりと背を向けだした。広がる一方の報道被害に原因があったことは明らかである。<中略>読者はわりあいに早くから人権問題に敏感になっていた。しかし、新聞が的確に反応したとはいえなかった。私自身、新聞は弱い市民に代わって権力と向きあってきたと信じていたし、読者もそれゆえに支持してくれていると思っていた。そこにあったのは昔ながらの〈権力〉対〈新聞(背後に市民)〉の構図だった。しかし、人権意識の高まりにつれて分かったのは、読者は「新聞イコール市民」などとは全然考えていない、ということだった。次第に〈新聞〉対〈市民〉という構図があらわになり、市民が権力といっしょになって新聞を糾弾する〈権力(背後に市民)〉対〈新聞〉という空気さえ出てきた。新聞は双方から敵視されるようになったのである”(58-59ページ)
「署名で書く記者のニュース日記」へのコメントに読み取れるのは、高い立場から啓蒙的な言辞を垂れるマスコミに対する市民的反感そのものではないだろうか。

◆身内意識の中の甘え
共同通信は、通信社という性格上、「天声人語」のようなコラムを持たない。小池氏は、ウェブやブログという場で、彼自身の「天声人語」を書きたかったのではないか。
しかし、チャンネルK中にあるコンテンツも、ブログ版も、一部の読者が読んでいるだけだったようだ。そして、その読者との間ではコメントのやり取りが存在していた。少数読者とのファミリアな空間であったことから、身内意識的な甘えが生じ、筆が滑ったのではないかと、ぼくは勝手に想像している。
一方、堀江氏のブログは多くの読者を持っている。特に株を持っている人たちの中には信者といっていい人も含まれている。
たまたま、この時期、堀江氏はいくつかの理由で注目されていた。
6月25日には、ショッピングモールサイト「livedoor デパート」のサービスを開始している。
さらに、7月3日付けで日本グローバル証券株式会社の商号を「ライブドア証券株式会社」に変更し、証券業務に名実ともに進出。
もうひとつ、6月末日にライブドア株は1株を10株に分割。
堀江氏のブログが注目されていただけでなく、YAHOO掲示板のライブドア板は、株価上昇期待で、近来にない盛り上がりを見せていたのだ。
堀江氏は自らのブログで「署名で書く記者の云々は私が紹介したおかげで結構話題を振りまいているようだ。」と書いている。
自分で反論しなくとも、さらりと事実を紹介するだけで、ネット内で急速に情報が増殖することが、堀江氏には読めていたのではないだろうか。


【増殖のメカニズム】

それでは、ほとんど読む人もいない、共同の記事が、いかにして騒動に拡大したか、その増殖のメカニズムを推理してみよう。
堀江氏が共同の記事の存在を知ったのは、社長日記へ読者が書きこんだコメントではなかったか。

2004年06月28日 03:48 
読んでいる人たちにはぜひ言いたい。
こんなのにだまくらかされていてはいけない!
・・と共同通信編集委員室の編集長さんが言っておりました
http://chk.livedoor.biz/


堀江氏は翌日これに返事を返す。
2004年06月29日 00:00
共同通信編集委員室の編集長さんのblog面白かったです。ははは。
後でblogでトラックバックしてみますわ。


そして、2004年06月29日 01:10に、27日付の日記に前掲のかきこみを行う。

「社長日記」がアップロードされて1時間少し経って、
YAHOOのライブドア板に最初の書きこみが現れる。
共同通信
2004/ 6/29 2:30
メッセージ: 250952 / 278399
投稿者: pj_site
共同通信編集委員室の編集長が「社長日記」に異議アリ!
http://chk.livedoor.biz/


これを契機に、29日以降YAHOO掲示板は共同通信ブログ問題で盛り上がりを見せた。
更にその翌30日、超弩級のニュースがさらに掲示板を盛り上げる。
近鉄バッファローズ買収問題の浮上である。
共同通信は、6月30日1時4分「ライブドアが買収の意向 プロ野球、近鉄球団を」の見出しで、このニュースをネットに流した。
ライブドアが突然注目を浴びたとき、これと足並みを揃えるかのように共同通信記者ブログのライブドア騒動も予期せぬ注目を浴びてしまったのである。
大西宏氏の「マーケティング・エッセンス」によると、アクセスの急増とコメントの殺到で、このblogは、いきなりLivedoorの総合ランキング20に登場するようになりましたが、この事件があるまえは、気の毒なくらいアクセスも少なく、私を含めた数人がコメントやトラックバックを送っているにすぎませんでした。とのこと。
その結果開設以来4ヶ月なのにアクセスカウンターは8000そこそこだった「署名で書く記者のニュース日記」は29日から30日にかけ荒れに荒れまくって2日間でアクセスカウンターが20000件ほども回ってしまったと「なんでも評点」ブログは書いている。


【残る問題】

この騒動からはさまざまな教訓が得られるだろう。
事実、方々のブログでこの問題が、多様な側面から論じられている。
ここでは3つの論点を提示しよう。

まず、この騒動をどう収束させるか。
小池新氏は、ジャーナリストとしての矜持にかけて、釈明なり謝罪なりの見解を表明すべきである。

次に、既存ジャーナリズムとブログとの関係をどう考えるかの問題がある。
ぼくは、通信社本体がブログを運営するより、ジャーナリスト個人が(仮に組織に所属していようとも)個人の見識のみに立脚し、ブログを運営すべきだと思っている。
この問題に付いては、時事通信の湯川鶴章氏がネットは新聞を殺すのかで、重厚な議論を展開しているので、ここでの議論の深まりを期待したい。

最後に、このケースはブログにまつわる騒動としては最初の大型事件であると思う。ブログにおけるリスクは今後さらに語られてよい。
たまたま、署名で書く記者の「ニュース日記」に次のような一節があった。
ネットの危険と背中合わせに生きていく。それが、この時代に生きあわせた人間の宿命だ。個人がネットを利用して人を傷つけるのは許されることではないが、そうさせてしまう教育や社会、政治にも問題がある。改善されなければならないのは、まずそちらのはずだ。
これを書いた小池氏が皮肉にもリスクの当事者になったわけだが、書きこみやトラックバックをコントロールする、技術的な側面と、古くて新しい「ネチケット」の問題が改めて論じられる必要があるのではないだろうか。