Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

イラク人質事件とテレビ報道

2004年06月25日 11時39分27秒 | クライシス
イラクで韓国人人質の金鮮一さんが殺された。
韓国では、主要新聞各紙が、6月23日朝刊で生存の誤報を流したことに関するお詫びを掲載したり、
外交通商部の対処の国会で追及されたり、
遺族が盧武鉉大統領の献花を拒否したり。
騒ぎは収まる気配を見せない。

この機会に、あらためて日本人人質事件について考えてみたい。

4月8日(木)夜8時33分、イラクで日本人3人が拘束との第一報がNHKで流れた。追いかけるように、アルジャジーラが放映した一部編集済みのビデオが各テレビ局から流された。

4月9日(金)早朝、3人の家族は、相次いで上京。
今井紀明さん(18)の父隆志さん(54)と母直子さん(51)は、兄洋介さん(23)を伴い札幌から。
高遠菜穂子さん(34)の弟修一さん(33)と妹井上綾子さん(30)は千歳から。
郡山総一郎さん(32)の母きみ子さん(55)は宮崎の佐土原町から。
3家族は北海道東京事務所を拠点に、支援者のバックアップを受け精力的な活動を開始した。

このイラク人質事件の被害者は、“自己責任”をキーワードとしたバッシングを受け、後味の悪い展開を見せるが、この原因はいつにかかって、金曜から日曜にかけて3日間の家族の行動と、それを助長したテレビ報道が原因と私は考えている。

「画が無いものはニュースではない」というのは、テレビの、特にワイドショーの基本認識である。
木曜日の第一報以来、テレビは画の少なさに悩んだはずである。
当時アルジャジーラのビデオ以外に何が存在しただろう。
・スタジオのキャスターとイラク通のコメンテーター
・首相官邸前広場の報道記者のレポート
・アンマンからの特派員の現地レポート
・過去の資料映像(サマワ・奥大使遭難他)
いずれも緊迫感にかける映像である。
政府の要請を奇貨としてイラク国内から記者を引き上げた大手報道機関は、いずれも深刻な素材不足に直面したのだ。

金曜日早朝。
そんな状況で登場したのが、被害者家族である。
その番組出演を確保するため、テレビメディアはジャーナリズムの矜持を片隅に追いやり、家族の囲い込みに走ったといえば言いすぎだろうか。
特に、スタートしたばかりで、低視聴率と低評価に悩んでいた報道ステーションにその傾向が顕著だった。
家族をおだてにおだて、のせにのせた責任がテレビ報道にありはしまいか。

突然人質の家族という立場に立たされての困惑はいかばかりだろう。真っ当な対応が出来なかったとしても、責めることはできない。
彼らの対応のガイドラインとなったのは、北朝鮮拉致被害者の家族会の対応であり、彼れと行動をともにした支援者のアドバイスだろう。
ちなみに、今井直子さんは共産党の党籍を持つと報じられている。
高遠修一さんは千歳のJCで活動しており、千歳市長選でも保守系の候補を応援しているようだ。また、郡山総一郎さんは自衛隊の経験があるなど、3家族それぞれに政治的立場を異にするが、
これらの立場を超えて共同歩調をとった。

自衛隊撤退要請。小泉首相への面会の要求。外務省職員の難詰・面罵。15万人の署名の提出。
テレビはこれらの動きを概ね無批判で報じた。
署名の総理府への提出は11日(日)の夕方である。金曜の夜に拘束が明らかになってから、日曜日の夕方までの間に15万人の署名を集めきるという手際の良さはどうだろう。
組織的活動なくしてはありえないことではないだろうか。

月曜日午前中、人質家族は北海道東京事務所の電話とファックス番号を公表し、情報の提供を求めたところ、寄せられた連絡のほとんどは、批判と非難と中傷だった。
彼らの行動に割り切れぬ思いを抱いていた人や、人質家族と反対の政治的立場に立つ勢力、愉快犯的野次馬が一斉に反応したのだ。2ちゃんねるには土曜日から人質家族批判の声が増加し、日曜には既に批判の嵐になっていたが、電話番号の公開がその批判に突破口を与えたといえよう。

これは、ある意味、情報を垂れ流すテレビ報道に対するアンチテーゼである。

外務省の竹内行夫事務次官は12日(月)午後の記者会見で、イラク日本人人質事件に関し「自己責任の原則を自覚していただきたい」と述べ、人質となった3人の行動に疑問を呈した。
本来外務次官が語るべき言葉ではないと思うが、高まる人質家族への反感を背景に、「自己責任論」に火をつけることとなった。

人質問題の潮目が、12日(月)に変わったのである。
3人の人質が解放されたのは4月15日だった。

大邱市地下鉄火災事故

2004年06月20日 19時29分10秒 | 失敗学
失敗学会の研究会でまとめたスタディです。


【事例概要】
韓国第3の都市である大邱市の地下鉄で,乗客の放火により車両内で火災が発生.さらに反対車線に進入した対向列車にも引火し,それぞれ6両編成,計12両が全焼した.火災とそれに伴う煙や有毒ガスにより,死者は192人,負傷者148名に上った.
死者のほとんどが対向列車の乗客であったが,これは運転士が乗降扉を閉じたままで避難したため,多くの乗客が逃げ遅れたことによる.2月20日の朝鮮日報によると死傷者のうち放火された列車の乗客の占める比率が7.7%なのに対し,対向列車の死傷者は92.3%を占めるという.

【発生日時】
2003年2月18日9時53分ごろ.13時38分鎮火.

【発生場所】
大韓民国慶尚北道大邱広域市中区南一洞 地下鉄1号線 中央路駅構内

【経過】
放火犯は脳卒中で失職し,失語症,脳梗塞,右半身麻痺の症状を呈し,「脳病変障害2級」の認定を受けている56歳の元タクシー運転手.「死にたい」が口癖だったという.
9時53分ごろ,放火犯は,乗車していた1079号列車が中央路駅に停車するのとほぼ同時に,持っていたペットボトル2本に入ったガソリンと思われる引火性物質にライターで着火.まず,放火犯自身の着衣と座席シートに火がつき,急速に延焼し始めた.乗客は直ちに避難を開始した.
火災が発生した場合,対向車線の列車は運転を停止し入線しない,もしくは火災発生現場をノンストップで通過することが鉄道運行の鉄則である.大邱広域市地下鉄公社の場合,各列車は公社本部にある総合司令チームと無線電話でつながっており,緊急時には総合司令チームが管制を行うことになっている.しかし,運行全体を管制すべき総合司令チームは,現場の状況を把握できなかったため,付近の列車への運転停止命令を怠った結果,発火から約3分を経過した9時56分45秒,反対線ホームに対向の1080列車が入線する.
この地下鉄は,運転手のみが乗務するワンマンシステムで,駅到着と同時に自動的にドアが開く.火災を認知した対向列車の運転士は類焼を避け発車しようと,乗客が乗降中のドアを手動スイッチにより閉めた.直後に動力源である電力が列車・駅舎ともダウンしたため発車できず,火災はこの対向列車にも飛び火した.
対向列車の運転士は,総合司令チームの管制を受けようと指示を仰ぐが,総合司令チームは状況を把握できず,意志の疎通ができぬまま5分間を空費する.
対向列車の運転士は,火の手と黒煙にパニック状態になり10時2分に乗降ドアを閉めたまま運転室から脱出したが,その際,列車のマスターキーを引き抜いている.
この運転システムではマスターキーを抜くと運転室にあるドア開閉コックが機能しなくなる上,非常用バッテリーも作動しなくなる.これにより対向列車の乗客は燃え盛る車中に取り残されることになった.対向列車6両のうち2両では,たまたま乗客として乗り合わせた鉄道庁や地下鉄公社の職員が座席下のコックを操作し非常ドアを開けることに成功した.
対向列車乗客の多くが逃げ遅れ,火災とそれに伴う煙や有毒ガスの犠牲となった.2月27日の韓国の国立科学捜査研究所発表によると,対向列車車両内で確認された死者は142体であるという(放火列車内には遺体はなし).これは,対向列車の推定乗客数180人の79%,死者全体の74%にのぼる.50体が駅舎内で収容されているが,ホームの1階上にあたる地下2階改札口付近に多かった.

【対処】
97年に開業した大邱地下鉄は,2号線が現在建設中で1号線のみ運行している.事故の発生した中央路駅は市内中心部に位置し,隣は国鉄と連絡する大邱駅である.
中央路駅の駅員は6名,うち1名は事故当日休暇中であった.駅員のうち2名が殉職している.また,前述のように運転士のみが乗務するワンマンシステムである.
このように大邱地下鉄は現場の職員を少数にとどめ,総合司令チームが遠隔コントロールを行うことで経費を節減し作業効率を高めている.結果として,地下鉄公社のスタッフは事故の初期対応に失敗し,被害を拡大させた.その詳細については,後で検討することとする.なお,2003年8月6日,大邱地裁は放火犯とともに,総合司令チーム職員5名,両列車の運転士,中央路駅員1名の計8名にも,被害拡大の責任を認定し有罪判決を言い渡している.

大邱広域市消防本部は,出火の1分後の9時54分には火災を認知し,55分に出動司令を発令し,58分には第一陣が現場に到着した.
出火の第一報は,市民の携帯電話から入ったようである.出火した列車の運転士は総合司令チームへの迅速な報告を怠っており,総合司令チームは火事を認知しても消防へ連絡していなかった.一方,被害にあった乗客の多くが携帯電話で外部に連絡しており,消防本部への乗客からの携帯電話での通報だけでも100本にのぼったという.それが最後の通話となった犠牲者も数多い.市民からの通報を消防や警察が受け,総合司令チームへの問い合わせとなり,総合司令チームが列車や駅に確認するという,通常とは逆の情報の流れとなり,実態把握に混乱が生じた.
消防本部は中央路駅近くにあり,第一報を受けたときには,窓から立ち上る黒煙が確認できたという.この黒煙は,避難活動にも救出活動にも大きな障害となった.酸素ボンベを使用しても,地下深度18メートル,移動距離では160メートルに及ぶ地下三階ホームへの進入は困難を極め,始めは消火活動より救出活動を優先せざるを得ず,燃えるに任せる状況だった.煙突状となった駅舎からの進入を避け,隣接駅から線路伝いに現場に到達することで,実質的な消火活動が可能となった.鎮火までには3時間45分を要している.

【原因】
放火犯の放火にいたる経緯にはここでは触れない.引火性物質による放火は,日本においても新宿バス放火事件,青森消費者金融放火事件など多くの大量死傷事件が発生している.このような放火が発生したとき被害を最小限にとどめるため,どのような対処がなされたのか,なぜ,被害がこのように拡大したのかを問題意識とし,検討することとする.

被害拡大の要因として,以下のことが指摘できるだろう.
1. 車両の問題
車両材質の不燃化が徹底しておらず,急激に延焼したことに加え,燃焼により煙や有害ガスを発生させたこと.
2. 駅舎の問題
駅舎が地下深くにあり,階段,改札口等の構造も複雑で,避難ルートがわかりにくいこと.
消火設備や器材,避難誘導路や退避施設など,空間の安全設計思想が脆弱であったこと.
また,そもそも地下鉄駅舎の構造自体が,空気の流入と流出が一定方向であり,燃焼を促進する「かまど構造」であること.
3. オペレーションの問題
地下鉄公社内部で,総合司令チーム・列車・駅のコミュニケーションが混乱し,適切な危機対処をなしえなかったこと.
また,列車のドアを開けなかったことをはじめ,乗客の避難誘導がなされなかったこと.
以下,項目ごとに見ていこう.

<1>車両の問題
地下鉄の車両は,ドイツのシーメンス社が製造したものを,韓進重工業が輸入し,香港で一部の部品や内装を取り付けている.
外装はステンレス製.
内装は,床部分は塩化ビニール,天井と内壁はFRPで内壁の内側に断熱材としてポリウレタンフォームが入っている.座席は,表面が天然羊毛,クッションはポリウレタンフォームである.
鉄道車両は軽量化のために,昨今,高分子化合物を多用する傾向にあるが,大邱地下鉄も例外ではなく,また,不燃材ではなく,難燃材が多用されている.なかでも,ポリウレタンフォームが燃焼に際し煙を多量に発生させ,犠牲者拡大の要因となったと思われる.韓国原糸織物試験研究所によると,防災基準設定に際し,有毒ガスの基準は存在せず,測定も行っていないという.なお,98年2月に韓国では車両材質について安全基準が設定されているが,97年11月に営業開始したこの地下鉄には適用されていない.また,車両間連結部の扉の開閉状況により,延焼の速度に差があることが明らかになった.放火列車は,連結部の扉が閉まっていたのに対し,対向列車は,連結部に扉がなく開放されている構造であった.このため,対向列車の延焼速度は速く,発火後1時間経過した時点で,放火列車は3両目まで延焼,対向列車は6両すべてに火が廻っていた.これは,連結部が開放されていたため延焼が容易だったことと,連結部の蛇腹が燃易性の合成樹脂だった影響が大きい.

<2>駅舎の問題
駅舎の設備は小規模な火災のみを想定したかに見え,このような大火災の前には無力だった.
駅舎では,スプリンクラーが作動したが,駅舎全体のスプリンクラーを有効に機能させるためには,給水量が不足し,効果には限界があった.
車両内にも駅舎にも消火器が備え付けられ,駅舎には消火栓も設置されているが,使用されていない.パニック状況の中では,避難が精一杯で,消火活動を行う余裕はなかったのだろう.
中央路駅のホームは地下3階にあり,上り下りそれぞれのホームから各4箇所,合計8本の階段で地下2階のコンコースに通じており,ここに改札口がある.地下1階は地下街につながっているが,火災発生時は開店前でシャッターがしまっていた.駅舎の構造はわかりにくく,特に照明が落ち,暗闇になったため避難を一層困難にした.避難誘導サインも設置はされていたものの,黒煙の中1メートルを下回る有効視界の条件下では効果を発揮しなかった.また,駅員による誘導もなかった.退避シェルターは設置されていない.地下鉄の駅舎の構造は,退避するに際しては閉鎖的空間でありながら,トンネルを通じての空気の流入量が多く,いったん火災が発生したときには,かまどと煙突の構造に転化する.
そのため消防隊は上からの突入を諦め隣駅から進入した.また,線路伝いに避難した人は助かっている.
中央路駅の排煙設備は地下2階のコンコースに設置されていた.能力が低く充分に機能しなかったが,ひとつ間違えれば,下から上への空気流通を助長するターボの役割を果たしかねないところだった.
対向列車の入線は,燃焼中の放火列車に大量の酸素を送り込む「ふいご」の役割を果たした.走行中の地下鉄の起こす風は50メートル先にまで影響を与えるといわれる.この風に煽られ,放火列車の火勢が強まったさなかに,対向列車は入線したことになる.


<3>オペレーションの問題
大邱地下鉄は現場の職員を少数にとどめ,総合司令チームで中央コントロールを行う組織設計である.突発事件に対処するためには,運行管制の責任を負う総合司令チームのリーダーシップのもと各列車の運転士,駅務員とがスムーズに連携することが不可欠である.総合司令チームには,運転司令室と機械設備司令室がある.9時53分,火災発生と同時に機械設備司令室のモニターには「火災発生」の表示がなされ,警報ベルも鳴ったが,機械設備司令室は,これまでもモニターの誤作動が多かったことから,この警報を無視し,火災の認知が遅れた.02年12月だけで,90件の誤作動が発生し,そのほとんどが火災関連だったからという.
総合司令チームは中央路駅員からの通報で火災発生から2分後の9時55分に火災を知ることになる.ちなみに放火された列車の運転士が運転司令室に火災の事実を報告したのは,発生から22分後であった.運転司令室は直ちに運行中の全列車に対し火災発生を連絡している.しかし,対向列車に対しては,注意するよう指示したのみで,運転停止命令を出さなかった.
対向列車は入線後,一旦開いたドアを手動で閉めたものの,発車直前に電力がダウンする.その後,運転司令室は現場の状況を掌握できず,運転士は運転司令室の指示を待ち,約5分間を空費する.10時2分の最後の通話において,運転司令室は対向列車運転士に対し,ドアの開放と車内放送を指示するが,既にパニックに陥った運転士はマスターコントロールキーを引き抜き避難した.
こうして見てくると,総合司令チームと各列車の運転士,駅務員とのチームワークが機能せず,それぞれのプロ意識,安全意識に欠落があったことが指摘できよう.
それ以前に,次項で述べるように,総合司令チームが全体の運行の責任を負うという設計思想そのものに無理があった.

【知識化】
<過度のITシステム化の陥穽>
大邱地下鉄には無人でも運転可能なハイテクシステムが導入されている.例えば搭載されているTIS(=Train Information System)では各車両の状況を一目で確認できるようになっている.また,駅への停車を認識し自動的にドアが開き,乗客が乗り終えると自動的に閉まるようになっている.現場の負担を極小化することで乗務員を1名とし,人件費の圧縮と業務の効率化を実現している.そのため,緊急時には運転司令室が管制を行うことになっている.列車の運転席からは無線電話で運転司令室とつながっているが,他の列車や駅と通話することはできない.
今回の事故では,現場の運転士や駅員が危機に遭遇したとき,適切な基本動作をとれない実態を露呈した.他方,総合司令チームは機器を通じた情報のみでは現場を把握しきれず,ここでも適切な対応をとれなかった.人命を預かり,安全と安心を確保すべき職場においては,現場で,現物に触り,現実を見極める姿勢が何にもまして重要であることを示している.過度のITシステム化には陥穽があることを認識すべきだろう.

<地下鉄駅舎の「かまど構造」>
一般に,煙は廊下など水平方向の移動スピードは,秒速0.3から0.8メートルだが,階段など垂直方向の移動速度は秒速3~5メートルに達するという.燃焼物の上に筒状の煙突を立てると燃焼効率が良いのはこの原理による.合計8ヶ所あった階段は,煙突の役割を果たした.秒速0.5メートル前後に過ぎない人間の歩行速度では,階段を昇って逃げようとすると,瞬く間に煙に飲み込まれることとなる.
煙の上昇するルートと人間の退避ルートが重なると,必ず被害が拡大する.煙の流れを阻害する上部遮蔽幕の設置や,水平方向に避難する非常時退避ルート・避難シェルターの設置など煙からの分離の方策が求められる.
地下鉄大江戸線の六本木駅は地表から42.3mの深さにある.地下7階のプラットフォームから上層階へはエスカレータ2基,エレベータ1基,階段1基でつながっている.エレベータで地上に出るためには4~5基を乗り継ぐことになる.駅舎のわかりにくさ,電力が途絶した場合の避難方法,エレベータ・階段が煙突の機能を果たす「かまど構造」などいくつかの懸念が浮上する.
その他,大江戸線の各駅,JR東京駅京葉線ホームなど多くの大深度地下駅が日本にも存在する.「かまど構造」は中央路駅にとどまらず,地下駅すべてに関わる問題ではないだろうか.

【後日談】
対向列車の運転士は,事故発生から12時間近くたった午後9時半ごろ,警察に出頭するが,それまでの間,地下鉄公社の幹部と会い証言の仕方についての打ち合わせを行っていた,また,地下鉄公社の監査部長は,事故直後に駅の構内ビデオの録画テープを持ち出している.地下鉄公社は事故直後から証拠の隠滅に動いたこれらの痕跡を残している.さらに,事故車両が車両基地に移された直後には,保全すべき現場である駅舎の大掃除を行い,社会的指弾の的になった.これらの証拠隠滅を指揮したとして,地下鉄公社の尹鎮泰(ユン・ジンテ)社長は解任の上起訴され,懲役3年と罰金刑の判決を受けている.
また,事故の翌日には早くも,内装材を変更せぬまま運行を再開し,根本的な問題の解決をしようとしないとして非難を浴びた.結局,運行を停止せざるを得ず,内装の変更や防炎処理等の改善を加えた上での運行再開まで約8ヶ月間を要すこととなった.
このように,大邱地下鉄公社には,隠蔽や責任逃れの体質があり,事故の原因や経過を情報公開し,その失敗の教訓を将来に生かそうとの姿勢は見られない.失敗から教訓を導き出すためには,第三者による事故の原因の究明と報告書の作成がその第一歩になると思われるが,寡聞にしてそれに向けての動きは確認できなかった.韓国社会での失敗学の普及が期待されるところである.

翻って日本の鉄道火災事故の歴史を辿れば,鉄道火災の安全性強化の多くが,事故の尊い犠牲の上に成り立っていることに気がつく.
106名の死者を数える「桜木町事故」(1951年4月24日)は,垂れ下がった送電線に列車のパンタグラフがからまりショートして火事になった事故だが,戦時規格の車両から乗客が脱出できず焼死した反省に鑑み,3段式の窓枠や連結部の内開きドアの廃止,車両への防火塗料の塗布,パンタグラフの絶縁強化などの対策をこうじた.
死者こそ出なかったものの,車両の不燃化対策の大きな契機となったのが「日比谷線神谷町駅車両火災事故」(1968年1月27日)である.
東武鉄道からの乗入れ車両がブレーキ作動状態で走行したため主抵抗器が過熱し発火,1両を全焼させ,他の1両も半焼した.事前に車掌が異状に気づき,六本木駅で乗客を降ろし回送中であったため,乗客はいなかった.
この事故にショックを受けた運輸省は,不燃化基準の見直しを行い,1969年に「電車の火災事故対策について」の通達を行う.ここで定められた耐火基準(「A-A基準」と呼ばれる)は国際的に見ても高い水準にあり,以降,日本においては車両の耐火基準のスタンダードとなった.「日比谷線神谷町駅車両火災事故」が電車の耐火基準設定の契機となったのに対し,「北陸トンネル列車火災事故」(1972年11月6日)は,食堂車や寝台車を含む列車の耐火基準作りを促した.
NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられたこの事故は,全長13870メートルの北陸トンネルのほぼ中央で列車が炎上し,30名の死者を出すという,社会的な耳目を集めた事故である.同年3月の六甲トンネル誕生以前は日本最長のトンネルであった
深夜1時過ぎ,暖房機の漏電により急行「きたぐに」の食堂車から出火.乗客から連絡を受けた車掌がトンネル内で臨時停車させ,消火作業と列車連結の切り離し作業を行うも失敗,走行不能に陥った.
睡眠中の乗客を起こし避難するが,長大なトンネルのほぼ中央部であったことと,断熱材等から発生する大量の黒煙・有毒ガスにより被害が拡大した.
この事故を契機に材質の見なおしが計られると同時に,廃トンネルを利用した燃焼実験結果を踏まえ,トンネル火災に際しては,停車させず走行脱出を図るようマニュアルの変更がなされた.
今日の日本の安全は,上記の3つをはじめとする多くの失敗から教訓を得て構築されている.
今回の大邱地下鉄火災が,日本の過去の事故と相通ずる失敗をしていることを見るにつけ,鉄道事故の失敗学が対馬海峡を越えなかったことは残念である.

一方,日本はこの事故から何を失敗の教訓として学ぶべきだろう.
ソウル大社会学科の林玄鎭(イム・ヒョンジン)教授らは,その著書『韓国社会の危険と安全』において,韓国社会では「『安全』よりも『速度』を,『中身』よりも『外見』を,『過程』よりも『結果』を,未来に『付加される費用』よりも現時点での『費用節約』を最重要視する傾向にあり,私たちは拙速に建設した巨大な建物の数々が,いつどこでどう崩れるかも知れないロシアンルーレットのような危険にさらされている」と書いている.
この指摘は日本にとっても他人事ではない.これに「『事実の直視』より『官僚的無謬神話の保持』を」を加えれば,そのままバブル以降の日本社会への批判に転用できるかもしれない.大事故は多かれ少なかれ,その社会の価値観の反映でもある.

ケイタイで取りつけ騒ぎ

2004年06月05日 18時05分20秒 | クライシス
昨03年12月に起こった佐賀銀行騒動を考えます。
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緊急ニュースです!
某友人からの情報によると26日に佐賀銀行がつぶれる そうです!!
預けている人は明日中に全額おろすことをお薦めします(;・_・+ 
一千万円以下の預金は一応保護されますが、
今度いつ佐銀が復帰するかは不明なので、 不安です(・_・|
信じるか信じないかは自由ですが、中山は不安なので、明日全額おろすつもりです!
松尾建設は、もう佐銀から撤退したそうですよ! 
以上、緊急ニュースでした!! 
素敵なクリスマスを☆彡
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絵文字のあしらわれたこのメールが発端になり、師走の佐賀に、時ならぬ取付け騒ぎが発生しました。
メールの送り主は22歳の女性。クリスマスイブから日付が変わった25日午前1時半ごろ、自宅から26人の知り合いにこのメールを送信。やがてメール転送、メーリングリスト、BBS、そして口コミを通じ噂は広がり、25日午前中には佐賀銀行にも問い合わせが入り始めます。

昼ごろからは、店舗やATMでの払い戻しが増え、一部の店舗では現金が不足し始めます。
3時に店舗のシャッターが閉まった後も、店内には多くの客が残り、5時ごろにはATMが長蛇の列となりました。
ATM操作に慣れないお年寄りが手間取ると行列の苛立ちは募り、現金を追加するためATMを一時使用停止にすると、行列に緊張感と不安感が高まります。
噂を信じていなかった人にもその不安感は伝染し、噂を知らなかった人にはゆがんだカタチで情報が伝わりデマが拡散していきました。
NTTドコモ九州によると、午後5時ごろから佐賀県全域で携帯電話がつながりにくい状態となり、一時発信規制を行ったそうです。
「佐賀銀行のが記者会見するとのテロップがテレビに流れた」との根も葉もない噂が広がりました。
列は列を呼び、7時ごろには本店営業部にある8台のATMには300人の列ができました。
銀行は、倒産情報はデマであるとのチラシを配布しましたが、不安感はおさまりません。
ATMの稼働時間は通常9時までですが、延長していた最後のATMを終了できたのは10時半を回ったころと報道されています。

佐賀銀行の対応を見ていきましょう。
・午前中の問い合わせで、佐賀銀行は既に異常に気づいていました。
・午後1時からの定例常務会の冒頭でこの件が報告され
・2時過ぎには、メールの現物を入手します。
・15時 被疑者不祥で刑事告訴するとの方針を決めて常務会終了
・17時45分 佐賀署にデマメール送信者を氏名不祥で告訴し受理される。
・17時50分 頭取記者会見
新聞報道で、銀行トップの動きを見る限り、告訴に固執し、顧客対応・マスコミ対応には関心が向いてないように見うけられます。
記者会見が遅れたことで、テレビの夕方6時のニュースには入りませんでした。騒ぎを鎮静させるための有効な手段をみすみす見逃したことになります。
記者会見では、記者の質問に「ピークは過ぎた。本店で最大30人程度が並んでいる。」と答えたようですが、実際には、その時点でも200人は並んでいたようです。現場を自分の目で確認することを怠っていたといわれても仕方ありません。
金融機関の取付け騒ぎが起こったときの伝統的対処方法は、店頭に現金の山を作り、顧客に安心感を与えること、店頭に並んだ客は全て店舗ロビー内に誘導し、周囲への波及を防ぐことです。
しかし、街中のATMでの払い戻しが増えた今、伝統的対処の有効性については疑問のあるところです。
佐賀銀行は店頭で、破綻の懸念はないと説明するチラシを配ったり、ハンドマイクで説得しましが、効果はなかったようです。

佐賀銀行は、連結自己資本比率8%を越え、BIS(国際決済銀行)の基準をクリアした地域の優良銀行です。専門家の目から見れば、堅実で安全な地方銀行です。
その佐賀銀行で、何故このようなパニックがおきたのでしょう。
そこにはいくつかの伏線があります。
まず、03年8月26日の佐賀商工共済協同組合の破綻の記憶です。
陣内孝雄参院議員が暫く理事長を務めていたこの組合は、資金運用で失敗した穴を埋めるため、投機的なアルゼンチン債に手を出し、アルゼンチン経済の崩壊による利払い停止のあおりを食い、債権総額約56億円で破産申請を行ったものです。
15700人の組合員には、掛け金の2割程度しか戻らないといわれていました。
九州北部をエリアとする情報サービス、コンサルサービスの企業、データマックスのサイトには、佐賀銀行の中でも、三田川支店(上峰町)は現金がなくなるほど、多くの人が押し寄せてきたとのこと。これは、昨年破綻した佐賀商工共済協同組合(佐賀市)に対し、上峰町住民だけで約4億円引っかかっているといわれている。との噂が紹介されています。
次に、12月に入ると、10日に豊栄建設が、県内過去最大の135億の負債を抱え、民事再生法の適用申請を行います。メインバンクである佐賀銀行は79億円が回収不能になる恐れがあると翌日の新聞で報道されました。
さらに、佐賀県のトップゼネコンで、デマメールでも言及されていた松尾建設にも倒産の噂が根強くあり、これはそのまま佐賀銀行の不安材料と受け止められていました。
そして、12月3日のZAKZAKには、 足利銀行の次は「九州北部のアノ有名地銀」という記事が掲載されています。この記事は佐賀銀行を指した記事ではありませんが、対象を特定していないだけに、漠然とした不安感を醸成しました。

このように、佐賀銀行の財務状況とは無関係に、佐賀銀行および金融業全般に対する不安感が一般化していたようです。しかし、佐賀銀行はこうした一般の空気を理解せず、適切な情報公開を怠っていました。広報担当の専門セクションも存在していないようです。これらの背景として、地銀特有の地元での殿様意識の存在を指摘する向きもあります。
こう考えてくると、佐賀銀行に起こったことは決してひとごとではありません。97年の拓銀以来、大銀行だから安心だとの昔からの「常識」はひっくり返され続けてきました。いままたUFJが漂流し始めています。
地域や顧客は信頼してくれているだろうとの根拠無き思い込みを捨て、堅実かつ誠実に情報公開を行い、理解を求め続けていくことが、今重要だと心すべきでしょう。メールを媒介とした取付け騒ぎは、今後も必ず再発するはずです。

元となったデマメールを発信した“中山”さんは、04年2月17日、信用棄損の疑いで書類送検されました。
佐賀県警は、佐賀銀行からの告発を受け、発信元を辿り、中山さんに行き着いたようです。
彼女はメールの送信前、友人から電話で「佐賀銀行がつぶれるって知っている」と聞かれ、経営危機と信じ込んだということですが、悪意は無かったようです。事実、彼女自身も預金を下ろしていました。
また、警察サイドも犯意や、メール送信と取り付け騒ぎの因果関係の認定は困難でしょうから、捜査はこれをもって終結するでしょう。
なお、佐賀銀行は後日、この一連の騒ぎにより、450~500億円の預金が流出したと発表しています。

デマによるパニックの古典的事例としては73年12月に起こった豊川信用金庫の取付け騒ぎが有名ですが、このプロセスは、日本テレビのサイトディープ・ダンジョンver2.1に詳しく書かれています。

ブッシュが出演したアラビア語テレビって・・・

2004年06月01日 17時28分01秒 | プロパガンダ
アルグレイブ刑務所での収監者にたいする拷問・虐待事件の発覚を受け、ブッシュ大統領は04年5月5日、2つのアラビア語テレビに出演し、『憎むべき行為であり、米軍人の本来の姿を反映していないと釈明、実行者の処罰を約束した』(毎日新聞)。
この時出演したのが、「アル・アラビヤAl Arabiya」と「アルフッラAl Hurra」です。
放送衛星技術の発展で、イスラム圏には成長著しい「アルジャジーラ」をはじめ、「アル・アラビア」、「アブダビ」、「MBC」、「LBC」、「アル・ムスタクバル」など多くの衛星局が誕生しました。
ブッシュの出演した「アル・アラビヤ」は「アルジャジーラ」につぐ評価を得ている衛星放送ですが、「アルフッラ」って何でしょう。
アルフッラ Al Hurraの本拠地はバージニア州スプリングフィールド。04年のバレンタインデーに生まれたばかりの放送局です。

米,中東向け新アラビア語衛星テレビを開始
米政府が出資するアラビア語チャンネル,「アルフッラ(Al Hurra,自由なるもの)」が2月14日から中東22か国向けに放送を開始した。アルフッラは,アメリカの放送理事会(BBG)を通じて議会が資金を提供する非営利組織「中東テレビネットワーク」社が運営する。バージニア州の放送局と中東各地の支局から,アラブサットなど2つの衛星を使って放送される。アルフッラの放送は,ニュースや情報番組を中心とするが,議会から資金援助がなされているため,公正な放送が可能かどうか,疑問視する声も出ている。
  
『放送研究と調査』より

放送を通じたプロパガンダは昔からアメリカのお家芸でした。
二次大戦中の日本に対する謀略放送は、山本武利早稲田大学教授のブラックプロパガンダに詳しく述べられています。戦後もFENはぼくら以上の世代にはなつかしい存在です。
ベルリンの壁を崩し、ソ連邦の瓦解を促した「自由ヨーロッパ放送/ラジオリバティ」はいまでも28ヶ国語で放送され、その中にはチェチェン語も含まれています。02年1月には「ラジオ・フリー・アフガニスタン」も放送を開始しました。

との文脈をたどれば、「アルフッラ」の設立は、アメリカとしては当然の行動です。しかしながら、当初期待した効果はあげられていないようです。

CPAは、テレビが死んだイラク人の亡骸を映し出すのを見たくもないのだ。アル・ジャジーラとアル・アラビアが、アル・フッラをお手本にして、海外に住む占領支持派のイラク人のぎこちないアラビア語インタビュー番組を延々放送したら、連中は大喜びするだろう。もちろん、こういったインタビューの合間には、アラビア語吹替えのドキュメンタリーが散りばめられる。
Baghdad Burning 2004年4月14日(水)

なぜ共産圏で成功した作戦が、今日の中東で成功しないのでしょうか。
一言でいえば共産圏にはアルジャジーラがなかったため成功したといえるのではないでしょうか。アルジャジーラの前では、アルフッラは魅力ないアメリカの大義を一方的に押しつける、退屈な存在でしかありません。
ブッシュ政権が今なすべきことは、2つ。
まず、アルジャジーラとのリレーションを作り上げ、アルジャジーラを通じてイスラム世界からの好意を獲得すべく努力すること。そのためには大胆な、国連への権限委譲はもとより、指揮権の放棄、撤退をも含めた政策変更が必要なことはいうまでもありません。
2番目は、「自由北朝鮮放送」を作ること。アルジャジーラのないここなら、アメリカの戦略もまだ有効でしょう。