Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

総理答弁は国会議論の形骸化の元凶ではないか

2005年01月25日 02時05分39秒 | 失敗学
24日の衆議院代表質問を衆議院テレビのビデオライブラリーで聴いてみた。

従来、国会の代表質問は総理と野党党首とがそれぞれ言いたいことを言い募り、対話が成立しないのが通例だ。
しかし、今国会の岡田代表の場合、総理があいまいな答弁でかわそうとした次の9項目につき、再質問のカタチで、追い込もうとした。

1.被災者再建支援法で政治決断すべし
2.年金について全体を議論するとの名目でこれまで先送りにしてきた
3.公共事業のありかたを全体的に見直せ
4.公務員の給与定員削減は純減ベースで5ヵ年計画を策定せよ
5.三位一体ではっきりした方針を示せ
6.郵政民営化後の民営化法人は国債を売れるのか、国債暴落の懸念はないか
7.イラクの国連決議の受け止めと甘い判断につき反省せよ
8.国連改革のハイレベル委員会の5原則への見解を示せ
9.迂回献金についての明確な姿勢を示せ。

論理的で説得力のある質問で、これにより、与野党の立場や主張の違いが浮き彫りになった。
ところが、総理はそれらすべてについて言及しているとして、答弁を拒否した。
果敢に論戦を挑もうとした岡田代表に対し、議論を逃げた小泉総理。
総理の宿痾であるアカウンタビリティの欠如は、いよいよ国会をまっしぐらに形骸化の方向に追いやろうとしている。

思うに小泉総理は岡田代表との論戦に苦手意識を持っていると思う。
菅前代表のようにレトリックに頼ったり、鳩山元代表のように変に物分りの良さを印象付けようとするような相手は手玉に取れるが、不器用でひたむきに迫ってくる岡田代表をどうあしらえばいいのか、戸惑っているのではないだろうか。
その苦手意識が、再質問全体を門前払いするという拙劣な暴挙を選ばせたのではないか。

これで、今国会の党首討論が面白くなった。
総理答弁に不満を覚えている岡田代表は、国家基本政策委員会ごとに、今回の怒りをぶつけるだろう。総理は苦手と議論するうっとうしさを抑えつつ正面から向き合わねばならない。

国会審議のビデオライブラリーはテレビや映画よりよほど面白いエンターテイメントとして、最近ぼくのマイブームだが、今国会は岡田克也が旬だと思う。




提訴ほのめかしに追い込まれた「朝日新聞虚偽報道問題」の醜態

2005年01月22日 21時39分27秒 | ニュースコメント
この問題については、私は朝日新聞の勇み足だと思っている。

「女性戦犯国際法廷」を仕掛けた元朝日新聞記者の故松井やより、
番組のプロデューサで、同時に女性戦犯国際法廷の運営委員池田恵理子、
その部下で今回内部告発したNHKチーフ・プロデューサーの長井暁、
朝日新聞の記事を書いた本田雅和、高田誠。
この問題の本質は、海老ジョンイルスキャンダルに悪乗りした、彼ら一派の卑劣なキャンペーンではないのか。

朝日新聞の不幸は、社説や18日の全ページ特集などで、全社を挙げてこのキャンペーンに乗ってしまったこと。
しかし、そもそもが思い込み取材で強引に纏め上げた記事だ、次から次にボロが出てくる。
放送前に中川昭一がNHKと会ったのか会わなかったのか。なぜこんな基本的な疑問に朝日新聞は答えられないのか。

この疑問を含め、全部で18の疑問をNHKが21日に朝日新聞社への公開質問状として発表した。
事実関係を確認しようとする、わかりやすい質問状だ。私もこの質問状への回答をぜひ知りたいと思う。
しかし、朝日新聞としては、何としても答えたくない内容なのだろう。事実関係を積み重ねていけば、朝日の取材の杜撰さ、記事の低い信憑性が明らかになるからだと思う。

NHKの公開質問状が事実関係を確認する具体的な内容であるのに対し、朝日新聞の対応は抽象的なレベルである。
1月21日夜、朝日新聞社は、本沢義雄・取締役広報担当、柘一郎・広報宣伝本部長、帆江勇・東京本社編集局長補佐、横井正彦・同社会部長が出席し、記者会見を開いた。
NHKが開いた会見や一連の報道について、「虚偽の事実を示し、朝日新聞社の名誉を著しく傷つけた」として、NHKに対し、法的措置を前提として訂正と謝罪放送を求めるとして、10日以内の誠意ある回答を求めている。

せっかくNHKが明確な論点を整理して提示したのに、朝日が打ち返してきたボールは裁判沙汰を匂わせるファジーな内容だ。
質疑応答で、録音テープの存在などNHKの公開質問状と重なる質問が出ると、提訴を考えているので具体的な事実には言及できないと逃げを打っていた。
ふむふむ、公開質問状に答えられないことから、提訴をほのめかしたわけね。姑息だなあ。

しかし、言論機関として、自分が責任を持って掲載した記事に対する批判があるからといって、法的措置に訴えるというのはどんな神経なのだろう。
この他、法的措置でこそないが、朝日新聞は週刊新潮の広告掲載を拒否している。
「朝日『極左記者』とNHK『偏向プロデューサー』が仕組んだ『魔女狩り』大虚報」というタイトルが、「広告内容が虚偽で、かつ当社を意図的にひぼう中傷する文言」だというのがその理由だ。
あ~あ、朝日新聞の言論機関としての終焉ですね。





「安倍・中川問題」か「NHK問題」か「朝日新聞問題」か

2005年01月16日 17時59分04秒 | ニュースコメント
安倍晋三代議士が先日の「報道ステーション」に続き、16日には「報道2001」と「サンデープロジェクト」に出演した。
スキャンダルの渦中にある政治家として、その内容は満点といえよう。
長井氏の記者会見に対する、今日の安倍氏の反論の基本線は、Irregular Expressionさんがまとめられた「報道ステーション」での発言と大きく変わっていない。
「公平公正といっても、それが特定の番組についてのコメントの場合は圧力とみなしうる。」との批判は、今後とも続くだろうが、新しい情報が出ない限り、安倍・中川批判が持続するとは思えない。

むしろ風向きは、「朝日新聞問題」に変わりつつある。(とはいえ、NHKが免罪されるわけではない。)
NHKのトップページからは、「ETV2001」NHK関根放送総局長見解 朝日新聞社へ抗議へのリンクが目立つように張られている。
「自分のところの不始末の処理も、充分な情報公開もできないくせに朝日新聞社へ抗議できる立場か、」との批判はあろうが、タイミングのいいカウンターパンチといえるだろう。

どうもこの「番組への不当介入問題」は、朝日新聞の仕掛けの拙劣さが目立つ。
そもそも、いわくつきの元朝日記者故松井やよりさんがらみの、現在裁判進行中のいわくつき番組「問われる戦時性暴力」にまつわる、記事を、社説を含め紙面を挙げてキャンペーンとするというのは、あまりにセンスが悪かろう。
番組がとりあげた「女性戦犯国際法廷」というイベントの思想的背景はグーグル検索結果をちょっと眺めただけで、容易に理解できる。

01月13日付の社説■NHK――政治家への抵抗力を持てに書かれている、「番組や記事が視聴者や読者、つまり国民のためになるか、中立公正であるか、それを判断するのはあくまで報道機関自身でなければならない。」の文言は、そのまま朝日新聞にブーメランのように戻ることばだ。

勝負あった感のある政治家介入疑惑だが、いくつかの問題を副産物としてクローズアップさせた。

ひとつは、「社内通報制度の問題」だ、
18年度から施行される公益通報者保護法では、証拠隠滅の恐れがある場合や、内部に告発をしても2週間以上調査が行われないなど告発が放置された場合などとしている。
アサヒコムによると、長井さんは、NHKの「コンプライアンス(法令順守)通報制度」に基づき、昨年12月9日に内部告発した。だが「通報から1カ月以上たった今日にいたっても、聞き取り調査さえなされていない」と話した。とある。
施行前とはいえ、法の精神を尊重し、NHKとしては長井プロデューサーの処分はできないだろう。
内部通報に迅速的確な対応を怠ると、悪意の内部告発者をも保護せざるを得ない事態に立ち至りますよとの教訓を残した。

もうひとつは、日本の裁判官の頭の悪さ。
「問われる戦時性暴力」については、周知のごとく、模擬裁判の主催団体の一つで、故松井やよりさんが代表をつとめていた「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW―NETジャパン)が、NHKと制作会社NHKエンタープライズ、ドキュメンタリー・ジャパンの三社を相手取って提訴していたものであるが、東京地裁・小野剛裁判長は2004年3月24日、番組内容の変更は編集の自由とした上で、「取材に協力したVAWW―NETジャパンに国際法廷の忠実なドキュメンタリーが作られるかのような期待を抱かせてしまったのが悪い」として、最終段階では制作から降りていた制作プロダクション、ドキュメンタリー・ジャパンに対し、「原告に百万円を支払え」と命じた。ドキュメンタリー・ジャパンはこれを不服として控訴している。
いったい何を見ているのだ、小野裁判長!

嵐のときこそ、へさきを風に向けよ。

2005年01月15日 02時07分49秒 | クライシス
今日の「週刊!木村剛」のエントリーの末尾に、「トラックバック選択的削除宣言」と読み取れる表現があった。

なお、これまで「週刊!木村剛」は、あらゆるトラックバックは削除しない方針を採っておりましたが、残念ながら、世の中には基本的なマナーすら弁えずに、「検事の視点」でしかコメントできない方々がいらっしゃるということも確認できました。色々と考えましたが、今後は、歪んだ「検事の視点」からコミュニティを荒らしにこられる方々のトラックバックについては原則として削除する方針で臨んでいきたいと思っております。

ぼくの書いた「検事の視点」は、そういう意味じゃないんだけれど、まあ、それはひとまず置いておこう。

問題は、ここでの「トラックバック選択的削除宣言」が、木村さんにとって「損」か「得」かということだ。

日本振興銀行の社長に就任されて、木村さんの立場はこれまでと様変わりした。
これまでは、木村批判に対しては木村さんが立ち向かえばよかったが、これからは木村批判が日本振興銀行のビジネス上のリスクに直結しかねない。
落合氏、切込隊長と続いたアンチ木村の動きは、今後も折に触れ頭をもたげるだろう。
「トラックバック選択的削除宣言」は、一見リスク遮断のためのファイヤーウォールの役割を果たすかに見える。
しかし、どうだろうか。

アンチ木村剛を意図するブロガーが、悪意のトラックバックを送り、それを皮切りに誹謗中傷キャンペーンを展開するケースを考えてみよう。
木村さんがトラックバックを削除した後で、同時多発ゲリラ的に祭りを仕掛けたとすると、木村さんはブログという有効な反論の手段を封じられることにならないだろうか。

自ら削除したトラックバックに対する反論を、自らのブログで展開したら、口さがない善意の第三者ブロガーは、
「トラックバック選択的削除宣言」を、
「トラックバック恣意的削除宣言」として受け止めるだろうと思う。
一旦その認識が広がった途端、木村さんの反論にいかに説得力があろうと、中身に耳を貸さない批判の怒涛が襲い掛かる懸念がある。
結論として、いかに悪意に満ちたトラックバックであろうと、それをそのまま置いておくことが、反論の権利を留保することにつながるはずだ。
「トラックバック選択的削除宣言」は木村さんにとって「損」だとぼくは思う。

日本振興銀行を軌道にのせるため、この半年ぐらいは勝負の時期だろう。
悪意の誹謗中傷も、無責任な揣摩憶測も、嵐となって襲いかかるかもしれない。
嵐の中で、風に横腹を見せてはいけない。風にへさきを向けてこそ嵐を乗り切ることができるのだ。






政党PRにプロの知恵

2005年01月10日 23時51分10秒 | PR戦略
読売新聞朝刊の連載シリーズ「政治の現場」。1月7日の「50年目の自民党(2)」では、政党PRにプロの知恵と題し、民主党に続き、自民党もPRコンサルタントと契約したニュースを取り上げた。
記事は選挙・政治ニュース@自由党支持者に再録されている。

広告を扱う広告会社に対し、PR会社は「ニュースになりそうな情報を流し、記事として掲載してもらうことに比重を置く」と業態である。
簡単にいえば、新聞の下段の広告欄に広告を出すのが広告会社、上半分の記事欄に載せる情報を仕込むのがPR会社ということだ。
02年に話題を呼んだ「戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争」でとりあげられているのは、正しくは「広告会社」ではなく「PR会社」の仕事だ。

民主党の菅前代表は昔からPRに理解を持つ政治家で、99年には勢いあまって担当の女性広報パースンとのスキャンダルを週刊文春に攻撃されたことがある。この経緯は、戸野本優子著「瓦解」に詳しい。
この時伸子夫人から「脇が甘い」としかられた菅直人は、その反省からか、03年の衆院選対策として、オムニコムというメガエージェンシーグループ傘下のPR会社フライシュマンヒラードの日本法人と契約し、成功を収める。この年、民主党はコンサル料や調査費として約1億4760万円を支払ったと読売は報じている。
04年の岡田代表が指揮をとった参院選でも、この成功を受け同社がコンサルをしたようだ。

自民党は、この民主党の動きに刺激され、昨年6社の競合コンペを行い、プラップジャパンの起用を決定した。
プラップジャパンは日本資本のPR会社。業界では、ガリバーの電通パブリックリレーションズを別格とすれば、大手と呼べるPR会社が3社ほどあるが、その一角。特に早くから中国進出を試み、日本企業の中国のPR業務では多くの実績を持つ会社だ。

さて、ここで注目すべきは、果たしてプラップのコンサルが効果を挙げられるかどうかだ。
PR周辺の話題を取り上げるスーパー広報Blogも、日本もいよいよおもしろくなってきましたね。どちらがどう世論操作をするのか。一国民として外野席から2人のプレーヤーをじっくりと拝見しよう。としている。
確かにその観点はありうるだろう、しかし、私の見方はこれと異なっている。

自民党が世論操作をなしうる客観的環境にはないことをまず認識しなければならない。
自民党的なるものへのアゲインストの風は吹き募り、その風を知らぬげに、変人宰相は独自の道を歩み続ける。
しかも自民党の舵取りは、非力な武部幹事長だ。
PRコンサルティングが効果を挙げるためには、トップのリーダーシップが必須条件だが、自民党にリーダーシップを求められるだろうか。
今日のPRでは、情報の伝達に先立ち、伝えるべき事実の創造が重要だが、武部幹事長にその腕力が期待できるだろうか。
官邸では飯島勲秘書官が実質的にPR業務を取り仕切っていると思われるが、飯島秘書官とのバッティングも心配である。
結論として、今回のコンサルティングで世論操作を意図しても、その達成は困難である。
むしろ、コンサルの戦略目標をどう設定するかが重要であると思われる。

言うまでもないことだが広義の広報には、社会の声を組織体に取り入れる「広聴」のプロセスと、組織体からの情報を社会に発信する「狭義の広報」のプロセスとが含まれる。
今の自民党に必要なのは、まず、社会の声に虚心坦懐に耳を傾ける「広聴」の姿勢だろう。
それも、従来の自民党支持層にとどまることなく、都市型無党派層にもウィングを伸ばさなければならない。
この新たなターゲットとの間にどのように対話のチャネルを拓くか、新たなターゲットのニーズを政策に反映させる回路をいかに構築するかがキーポイントになるはずだ。
この認識のないまま、社会からの批判を小手先だけでかわす役割のみを担うとするなら、プラップのみならず、いかなるコンサルといえども成功はおぼつかないはずだ。

在外公館は変わったか?

2005年01月10日 11時45分33秒 | クライシス
団藤保晴氏のブログ時評で知ったスリランカ津波被害者の手記

「私は自分のバンガローのベッドサイドにおいてあった、カシオの完全防水の時計をしっかり握り締めたままだった。この時計と上下別々の水着以外はすべて流されてしまった。」

ウナワトゥナのビーチ(コロンボから約120キロ離れたスリランカ南西部のリゾート)で津波の直撃を受け、パスポートや現金・カードを含め持ち物の一切を失ったこの女性は、被災直後は怪我人の救急措置に挺身した後、2日かけて首都コロンボにたどり着き、日本大使館でパスポートの再発行を申請する。

「するとパスポートの再発行には10250ルピー(約1万円)が必要でお金は貸せませんというではないか。愕然とする。津波より怖い日本大使館!
とにかく私は何もなくなってしまって、この洋服ももらいもので、お金もぎりぎりバス代があるだけなんだということを伝えるしかない。
私はインドに住んでいるから、インドに帰ればすぐにお金も返すことができる。どうか貸して下さいと何度も頭を下げてお願いする。」

(中略)

「ロビーに誰もいなくなって一人で待っている間も涙がぽろぽろ出てきて困った。セキュリティのスリランカ人がどうしたのか?と小さな声で聞いてきたので、津波で全部なくなってしまった。2日かけてウナワトナからキャンディ、コロンボにたどり着いたけど、お金を貸してくれないといっている。お金がないとパスポートも再発行できないし、お腹も減っていて疲れていると答えた。悲しいというよりも惨めだった。」


日本の在外公館の相変わらずの対応に暗澹としてしまう・・・・。
救いは、大使館ロビーで一夜を明かした翌日、須田明夫大使と思われる人物が現れるに及び、待遇が漸く好転したということだ。
須田大使をググルと、JICAの総務部長務めた方のようだ。

「大使館を出るとテレビ東京のインタビューがあった。
私はそのスタッフの方々に助けられた。エアラインのオフィスやインド大使館に車で送ってくれたり、彼らのホテルで休憩もさせてくれた。この場を借りてもう1度お礼を言いたい。本当にありがとうございました。
そして、そのおかげで使わなかった200ルピーはホテルにあった災害救助の寄付金箱に入れた。」


ふーん、ご本人の直後の映像が残っているようですね。>テレビ東京さん。


さて、私が悲しく思うのは、まったく改善しない在外公館の対応のまずさだ。

・未曾有の災害の中、被災地には助け合いの精神が生まれている。この被害女性も自らの被災にかかわらず、現地で救急措置活動に粉骨砕身している。なんで日本大使館の対応にはやさしさのかけらも感じられないのだろう。

・眼の前に、水着にわずかな衣料を羽織っただけ(?)の着の身着のままの女性が立っているのだ、当人の状況を思いやろうとの発想はないのだろうか。

・在外公館の重要な任務のひとつが邦人保護であることをどのように受け止めているんだろう。まさか、津波被害にあったのは被害者の「自己責任」と考えているのではないでしょうね。

・そもそも大惨事の2日後だというのに、邦人保護のための対応が出来ていないかに見えるのはなぜなんだろう。正月休みで人員が少なかったとしてもそれは理由にならないだろう。


瀋陽のハンミちゃん事件や北朝鮮の拉致問題で露呈したのは、外務官僚の人権意識の希薄さだった。
公金詐欺事件で明らかになったのは、予算を湯水のように私的に流用して恥じない、外務省高官のさもしい体質だった。
そして、海外の日本大使館の一般邦人に対する冷たさは、かねてから耳にしていることだ。
例えば、傷ましいことに毎年何人かの留学生や旅行者、駐在員などがアメリカで銃の犠牲になっている。94年に最愛の子息をニューヨークで失われ、それ以来銃廃絶のため「ストップガン運動」の先頭に立っている砂田向壱氏によると、銃で撃たれたとの領事館から家族への第一報は、コレクトコールでくるという。受信を拒否したら連絡しないということなのかしら。
国際電話代ぐらい、大使や総領事のシャンパン1本倹約すれば、年間費用が出そうなものなのに。

そんな外務省の体質改善を図るために、川口前外相は「変える会」なる、名前からは目的意識のうかがえない第三者の組織をつくったのではなかっただろうか。
参考のため、平成14年7月22日に出された、「外務省改革に関する“変える会”― 最終報告書 ―」を見ると、

XI.危機管理体制の整備

1.領事業務

(1) 政策優先順位の飛躍的向上【平成14年12月までに結論】

 外交政策と外務省の外交執行体制における領事業務と危機管理の政策優先順位を飛躍的に高める。その際、もっとも重要な任務が海外における邦人保護であることは言うまでもない。



お題目だけはちゃんと掲げられているじゃないの。
これが実効性を持つに至っていないということは、
やはり「ポン子」だったのだろうか、あの人は・・・・。

コロンボ大使館の対応に問題があったとして、他の大使館はどうだったのだろう。
バンコクの大使館からは、不幸にして吉野貞行一等書記官親子という犠牲者を出している。
ニューデリーやジャカルタは迅速な初期対応が出来ていたのだろうか。
情報があればお教えいただきたい。
私たちはせっかくブログという道具を手に入れたのだ。
ガ島通信さんが中越地震の際に、マスコミの取材活動の実態を地道に検証をされたように、
国民の立場から在外公館の活動を検証していく必要があるのではないだろうか。


辞任の美学

2005年01月08日 13時34分58秒 | クライシス
辞めるの、辞めないの海老沢会長。

1月7日の新聞各紙は一斉に会長辞任の新聞辞令を出したのに、NHKの広報はこの件について沈黙を守っているそうだ。
この経緯については、8日のサンケイ新聞朝刊が 沈黙守るNHK 会長辞任示唆 真意不明“異様な展開” という興味深い記事で次のように報じている。

「平成十七年度の事業計画と予算をきちっとしてから、私自身の判断で身の処し方を判断する」
 六日の会見での言葉は、先月十九日の特別番組「NHKに言いたい」で自らの進退に触れたものとほぼ同じだった。だが記者団との受け答えでは、「辞める気は全くない」としてきた従来の強気は海老沢会長の表情から消えていた。
 「(来年七月までの)任期途中の辞任はあるのか」との問いに、「任期ってあと一年半あるんですね。ですから、まあ、任期…。そう言うと、また記事になっちゃうから」と苦笑しながら、言葉をにごした。
 海老沢会長の口からはこの日も最後まで「辞任する」という言葉は出なかった。しかし会見後、NHKの一部幹部が「辞任示唆と受け止めざるをえない」と認めたこともあり、記者団の判断はその方向に傾いた。


同じ記事によると、追加取材に対して経営広報部はNHKが辞任示唆を報道しなかった点について、「そもそもNHKの報道スタッフは会長会見(の会場)に入っていないから」と説明。「会長の記者会見での発言に経営広報部がコメントすることはあり得ない」と言っているそうです。また、視聴者からの反響については「まとめていない」とのこと。

海老沢会長が従来どおりの発言をしたのに、それが辞任表明と報道されてしまい、肯定も否定もかなわず驚き戸惑っている経営広報部の様子が眼に浮かぶ。
まっとうな広報担当者なら、
「いままでどおりの見解を申し上げただけで、それ以上でも以下でもありません。」とか、
「突然の辞任報道に戸惑っております。具体的に辞任に言及した事実はありません。」
ぐらいのコメントを出し、ひとまずの沈静化を図るのが定石だ。
もしかすると経営広報部は、これ幸いと辞任の流れの定着化を狙っているのだろうか?
まさか海老ジョンイルが怖くて竦みあがっているなら、広報としての役割を果たしていないと思うが・・・・。

さて、特別番組「NHKに言いたい」の圧倒的な不評、紅白の視聴率の低落、磯野克巳チーフ・プロデューサーの更なる着服の発覚、止まらぬ受信料の拒否・保留の増加、加えてNHK社会部OBである柳田邦夫氏が「週刊文春」1月13日号に「NHK海老沢会長が辞めるべき10の理由」と題した辞任勧告を寄稿するなど、アゲインストの風は吹きつのり、海老沢包囲網は確実に狭まりつつある。
おそらく海老沢会長は自らの辞任と引き換えに17年度予算の成立を果たそうとしているのだろうが、到底それまで持つとは思えない。
ひとたび辞任の流れができたとなると、あらゆる抵抗を押しのけて、辞任圧力が奔流のように押し寄せるからだ。
前任のシマゲジ会長の辞任劇もそうだった。
雪印の石川哲郎社長も、辞任奔流により、それまで表明していた時期を前倒しし辞任、入院してしまった。
かつて海部首相は、解散を意味する「重大な決意」ということばを不用意に用いたばかりに、辞任奔流が生まれ、心ならずも退陣せざるを得なかった。

正月以降の動向を眺めると、7日の報道を契機に辞任奔流が発生したと判断せざるを得ない。
海老沢側近に潮目を読んで辞任を勧奨する知恵者はいないのか。
既にレームダック状態に陥ったかに見える海老沢会長の辞任が一日遅れれば、NHKの経営に1日の停滞が生まれる。
最後の期待は経営委員長の強権発動である。
シマゲジの前任である池田芳蔵会長は、老害が極まったとして、当時の経営委員長の磯田一郎により解任されたという歴史がある。
はたして、経営委員会の石原邦夫委員長はまっとうな判断ができるのだろうか。




「週刊!木村剛」の今後

2005年01月08日 12時33分34秒 | Weblog
1月4日の「週刊!木村剛」をどうすべきか?のエントリーに(時期遅れの)トラックバックします。

>「BLOG of the Week」については、皆さんのご要望がこれまでどおり強いのかどうなのかを
>確認した上で、今後の運営を再考してみたいと思っています。

木村氏の「BLOG of the Week」の努力には、かねて敬服していました。
トラックバックのすべてに眼を通すことすら大変なのに、ちゃんと行間まで読み取ろうとの姿勢がうかがえていたからです。
なまなかなエネルギーではできないことです。
そもそも、投稿(トラックバックもその一種でしょう)を読むに際しては、2つの視点が重要だと思っています。
「検事の視点」と「弁護士の視点」です。
前者は物事を批判的に見ようとの視点で、これなくして評論や批評は成立しません。
後者はどんなわずかなことでも良い点を見出そうとの視点で、これが新たなる才能を発掘する源泉となります。
人間は悲しいことに、ほっておくと「検事の視点」に偏りがちです。
100の投稿を読み続けるとすると、最初は2つの視点を維持しようと努めるのですが、ちょっと気を抜くと、すべてを批判的に眺めている自分に気づきます。
最後のほうになると、「弁護士の視点」を維持するために、膨大なエネルギーを要するようになるのです。
木村氏は「検事の視点」と「弁護士の視点」をキープするため、膨大な時間を費やし、尋常ではない努力をされていたと思います。

「BLOG of the Week」をカタチだけ続けることは、今後とも可能でしょう。
しかし、日本振興銀行の社長業への投入時間は中途半端ではないでしょうから、ブログを読む時間が削られることは疑いないでしょう。しかも、銀行の社長業はストレスが多いでしょうから、心の平安を保ちつつブログを読むことは困難なのではないかと想像します。
せっかく、多くの魅力的なコンテンツを世に出してきた名物企画のレベルが落ちるのは残念です。
であるとするなら、「BLOG of the Week」は潔く手仕舞いされたらいかがでしょう。

問題は、これまで「週刊!木村剛」が有力なトラックバックハブとして広く認知されていたことです。
これまで、「週刊!木村剛」にトラックバックしていたブロガーはこれからどこにトラックバックすればいいのでしょう。

ひとつのアイディアは、木村氏が後継者を指名し、代替わりする手です。
顧客基盤をすっかり譲り渡すということですね。
木村氏は「BLOG of the Year」のようなカタチで、随時参入すればいいでしょう。

もうひとつのアイディアは、なにもせず自然に任せること。
ブログ界で木村氏が占めていた地位が空位になるとすれば、その後を襲いたいとの、健全な野望を抱く人は多くいるでしょう。
ポスト木村剛を目指すいくつかのサイトが競争原理で試行錯誤を行い、勝ち抜いたところはそれなりの見識と魅力的な語り口とわかりやすい仕組みを持ったサイトになるはずです。
どうもこちらのアイディアのほうが、ブログというメディアにはふさわしいように思います。