Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

堀江社長逮捕のパターン予測

2006年01月23日 18時12分18秒 | ニュースコメント
夕方のニュースによると、地検特捜部から堀江社長への事情聴取が続いている。
報道では、六本木ヒルズの中でやっているという。

警察や検察が事情聴取をするときには、行政の施設やホテルに呼び出して行うのが普通である。
被疑者の本丸で事情聴取とは珍しい。
なぜなんだろう。

となると今日の逮捕はないのかしら。
逮捕するときは、都内某所で逮捕状を執行し、人目に付かないように拘置所に送り込む、あくまで「推定無罪」段階である容疑者の人権に配慮するからだ。

しかし、時に検察は逮捕した容疑者をマスコミのカメラの砲列の前を「市中引き回し」のように歩かせることがある。
記憶しているのはロス疑惑の三浦和義氏が引き回しをされたことがある。
やるのかしら?
特捜部はホリエモンの引き回しを・・・・?

それにしても、乙部広報は全く機能していませんね。
落第です。
資料が根こそぎ持っていかれたというのは理由になりません。
企業不祥事の場合はいつでも似たようなものです。


【23日20時35分追記】
NHKによると、
「東京地検特捜部は今夜19時55分、ライブドアの堀江貴文社長(33)を証券取引法違反で逮捕した。」とのこと。
地検に同行を求めた上での逮捕で、市中引き回しはありませんでした。


がんばれ乙部綾子さん

2006年01月17日 07時15分27秒 | クライシス
ライブドア本社への東京地検特捜部の強制捜査は、18時半の立ち入りから早朝までかかった。
ライブドアニュースによると、堀江社長自身も「午後6時40分ごろ捜査令状を見せられ、メーンのパソコン一台と関連書類を押収された。」という。

特捜部の狙いは何なのだろう。
容疑は、ライブドアマーケティング(旧:バリュークリック)に関わる偽計取引と風説の流布だというが、強制捜査の力の入れ方から見て、敵は本能寺と見るべきだろう。
ダイナシティの買収にともなう広域暴力団とのかかわりをはじめ、黒い噂はいくつか耳にしている。

寝耳に水のクライシス勃発にあたっては、広報の役割は重要である。
対応の原則は2つ。
ひとつは「クイックリー&オネストリー」。
その点早朝7時から記者会見し、質問を打ち切らず質疑に答えた堀江社長の対応は、クイックリーの観点からは一応合格である。ただし、報道されている疑惑に対して正面から答えることを避けたことは、オネストリーの面で疑問を残した。
もうひとつは「企業内部の価値観より、社会の価値観に軸足を置くこと」。
名実とも捜査に協力することがまず求められよう。
広報を担当する乙部綾子さんの真価が問われる局面である。


ヒルズ族になれなかった男

2006年01月04日 10時53分17秒 | 失敗学
ガ島通信さん経由で、毎日新聞の連載「縦並び社会・格差の現場から」に元クレイフィッシュの社長、松島庸さんがとりあげられていることを知った。
香港でIP電話などを手がける投資会社の雇われ社長をしているという。
そうか、松島さんは今香港にいるのか。
松島さんと知り合ったのは94年だから、もう12年になろうとする・・・・。

95年にぼくがプロデュースしたイベント「ネットワーカーズジャパン(おふらいんまつり)」でホームページを作ってくれたのが松島さんだった。
ぼくにとって初めてのホームページの仕事だった。
イラストにクリッカブルマップを重ね、ホームページビルダーがまだなくて手作業でタグを打っていた時代には手の込んだ仕上がりだった。
ニフティのビジネスヒントフォーラムのシスオペだった松島さんは、武蔵大学の学生の傍ら、すでにクレイフィッシュ・プロジェクトをスタートさせていた。
とにかく多忙な男で、お宅に電話をかけてもなかなかつかまらない。
ご母堂がでてきていつも申し訳なさそうに、不在で連絡がつかないと謝罪されるのが常だった。
当時、松島さんは日本のインターネットの先覚者であった高橋徹さんの東京インターネットのシステムメンテナンスを引き受けており、新宿御苑のそばにあったオフィスに泊まりこんでいることが多かったようだ。
やがて、東京インターネットが手仕舞いをするに伴い、松島さんは光通信との関係を強めた。99年ごろからのITバブルの波に乗り、00年には26歳の最年少社長としてマザーズとナスダックに同時上場を果たし時代の寵児となる。
この時ぼくのいたセクションでIPOにともなうIR業務を引き受けた。クレイフィッシュを意味するメタリックなザリガニをモチーフとした印象的な広告キャンペーンを展開し、ニュースステーションをはじめとしたTV番組にもとりあげてもらった。
しかし、そのピークも長くは続かず、01年にはスキャンダラスな混乱の中、光通信などの大株主により社長の座を追われることになる。
その後、東京や上海でいくつかの会社を立ち上げたもののうまくいかず、今、香港で何回目かの挑戦をしているようだ。
この12年の起伏のなんと激しいことか。

95年のイベントで知り合った仲間は、インターネット草創期のサムライが多かったせいで、その後もさまざまな活躍をしている。
96年に松島氏に代わりホームページを創ってくれたのは、当時慶應SFCの学生だったRESETの仲間だ。彼らはその後、プロバイダビジネスの進出に出遅れた三菱電機と組んでドリームトレインインターネット(DTI)を立ち上げ成功させたものの、軌道に乗るや三菱電機から追われてしまった。
グループの中心にいた石田宏樹くんたちは独自にフリービットを立ち上げた。
ホリエモンがライブドアを買収し直後に黒字転換させた秘密は、フリービットへのアウトソーシングにある。
昨年はソニーCEOを退いた出井さんを最高顧問に迎え、順調に業績を伸ばしている。IPOもそう遠くは無いだろう。

知り合ったときは車椅子の中学生だった家本賢太郎くんは、中学卒業後クララオンラインを15歳で創業した。
途中、危機的状況にも陥ったようだが着実に成長し、いまや名古屋と東京に本社を構え、台湾や韓国、ポーランドなどにまたがるグローバルな業務を行っている。
家本くん自身も車椅子から回復し、昨年結婚し、暮には長子誕生。この春には慶應SFCも卒業予定で、若手経営者として広く注目を集める存在となった。

一方、起業に失敗した友人もいる。家本くんを紹介してくれたI氏はニフティで数多くのフォーラムのシスオペを務めていた。本業は九州大学医学部助手でエイズの研究者だったが、多くの仲間がITバブルの波に乗るのを見て、自身も医療情報のネットワーク化ビジネスに乗り出したものの頓挫し、失意の中で覚醒剤に手を出し逮捕されてしまった。

12年の歳月は多くの浮沈のドラマを描き出した。
毎日の特集は、サイバーエージェントの藤田社長の口を借りて「何が(ライブドア堀江社長を加えた)3人の明暗を分けたのか。藤田社長は今も紙一重としか思えない。」と記している。
その紙一重のファクターとはなんだろう。
ぼくの乏しい交友経験に基づく管見に過ぎないが、自分自身を見抜く眼力であるような気がする。
今日のITベンチャーは多かれ少なかれ資本の論理に左右されている。
期待価値>実体価値の関係式を成立させることで資金が流入し、事業拡大が可能になる。
有頂天になり、どこまでが実体価値で何が期待価値なのかを見極めないと高転びに転ぶことになる。
自ら頼むところが大きすぎ、社会からの期待価値以上に自分の考える期待価値が大きいと、焦りを生み無理を続けることになる。
今ふたたびITバブルが訪れている。自分を見極める力を持つ男のみが、このバブルを生き抜き、メジャーへの道を歩むことになるのだろうと思う。