Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

『署名で書く記者の「ニュース日記」』への3つの期待

2004年08月31日 20時50分59秒 | 参加型ジャーナリズム
お帰りなさい。小池さん、伊藤さん。

共同通信社内調整ひとつとっても、2ヶ月間ご苦労が多かったことと拝察します。
一方、このブログが契機となり、ネットの中でもさまざまな建設的な議論が巻き起こりました。
伊藤さんの書かれたこれは双方向というよりは、もっと多次元のやり取りですね。というのがそれです。
再開されたこのブログに期待したいのは、この2ヶ月の空白とその間の熟成を踏まえ、参加型ジャーナリズムの意欲的な実験を進めていただきたいということです。
そのために、以下の3つの点をご提案したいと思います。

■署名記事としての矜持を

今年の終戦記念日の石原都知事の靖国参拝で、共同通信は“自身の参拝が公人としてか私人としてか、という点については「都知事でもある石原が、ということ。人間はいろんな面を持っている」と述べた。”との記事を配信しました。
かつて、芦田内閣の副総理だった西尾末広氏が、当時の土建献金疑獄で「社会党の書記長である西尾個人」が献金を受領したと発言し、マスコミから批判されたことは、小池編集長はよくご存知と思います。私の乏しい知識では、これが今につながる公人私人論のはじまりです。
私は、靖国参拝における公人私人論にさほど意味があるとは思いませんが、おふたりの言論の責任が個人に帰属するのか、組織に帰属するのかという点については明確にする必要があると思います。
その意味で、当該の記述は「CH-K」編集長である僕個人の評論であり、共同通信の公式見解ではない。という小池編集長の表現はいただけません。
前半の「編集長である僕個人」というあいまいな言いまわしは不要です。「僕個人の評論であり、共同通信の公式見解ではない。」で充分ではありませんか?
それぞれのエントリーは署名記事の一種であり、その責任はすべて個人に帰着するというのが言論人としての矜持と思いますが、いかがでしょう。

■謝罪する勇気を

であるとするなら、小池編集長は、堀江社長に謝罪する勇気を持つべきです。
ワイツゼッカー元大統領が言うように「過去に盲目である者は、未来にも盲目」なのです。
個人攻撃ととれる表現だったことは確かで、反論や批判が寄せられるのは当然だ。僕自身、反省している部分もある。と小池編集長は書いています。
不祥事企業の社長が記者会見でこんな発言をしたなら、「謝罪しているのかいないのかどちらなんだ」との質問が記者から飛ぶことは小池さんも伊藤さんも理解できるでしょう。
他に求めながら、自らは問いかけから身をかわすことはフェアではありません。
言論人としての品格の問題でもあります。

■メディアスクラムへの批判精神を

コメント欄に寄せられた心ない罵詈雑言に心を痛められたことは想像に難くありません。私は、コメントの受け入れはOFFにして、トラックバックは受け入れるというのが正解と思っています。
ともあれ、今回の騒動は、メディアがメディアスクラムの対象になった事例です。
そして、一般人に対するマスコミのメディアスクラムへの反発が、今回の小池編集長に対する批判の根底には存在し、その意味でナベツネ氏の「たかが選手」発言への反発と通底するものがあると、私は感じています。アンチマスコミ感情のスケープゴートになったとの解釈です。
そこで、ネットメディアのメディアスクラムを経験されたお二人だけに、マスコミのメディアスクラムを批判的に見つめる視点と、それへの積極的な発言を期待したいのです。



とまあ、勝手な希望を書き連ねましたが、改めておふたりの復帰を心から歓迎するとともに、今後のご活躍と、このブログを中心とした、闊達でインタラクティブなディスカッションに期待します。

ライブドア 報道部門を設置

2004年08月29日 22時24分01秒 | 参加型ジャーナリズム
ライブドアが発表したプレスリリースを見てみよう。

2004.08.26
ライブドア、報道部門を設置し独自のニュースコンテンツを提供

■概要
株式会社ライブドア(代表取締役社長 兼 最高経営責任者 堀江 貴文 東京都新宿区:証券コード4753)は、総合ポータルサイトlivedoor(http://www.livedoor.com/)内の「livedoor ニュース」で、11月を目標にポータルサイトでは初めて独自の報道部門を用意し、オリジナルのニュースコンテンツをご提供してまいります。併せて、掲載コンテンツを大幅に拡充するなど、読み応えのあるニュースサイトにしてまいります。


ジャーナリズムの地殻変動の始まりなのだろうか。
大新聞の多くや国営放送など、日本の主要報道機関経営トップの老害傾向が目立っているときだけに、ライブドアの無謀とも思える挑戦には、フレッシュさへの期待を感じる。

堀江社長の2004年07月29日の「livedoor 社長日記」を読むと
7月末~8月頭にライブドアニュースの大幅配信記事増強を考えていたんだけど、順調に進んでいた読売新聞の記事配信がなぜかキャンセルされる。なぜだろう・・・。読売なくてもニュースサイト的には平気な気もするけど、どうだろう?
と書かれている。

現在のライブドアニュースの配信元を見ると、朝・毎・共同・時事を筆頭に、ダウジョーンズ・ゲンダイネット・ニッカンスポーツ・サンケイスポーツ、IT系メディアなど、広汎に情報を受けている。

今後の注目は、ライブドアが報道分野に進出したとき、これらの既存マスコミが今後ともニュースを配信してくれるかどうかだ。
率直に言って、記者クラブ制度という悪名高き護送船団に安住している既存マスコミは、既得権益擁護のため、ライブドア排除に走る惧れがある。
かつて、ブルンバーグが日本に進出した際も、記者クラブの門戸を閉じ強烈な妨害を行った。
近くは、田中康夫知事が記者クラブを開放した問題でも、マスコミの知事イジメは甚だしく、今も続いている。

ライブドアのニュースリリースによると
既存の報道機関とは異なる視点から多様なニュースを取り上げることによって、新しいスタイルのニュースコンテンツを提供していきたいと考えております。(登録を目指す方々への講習・研修制度や記事に対する評価制度など、記事の品質を高めるため様々な工夫も用意してまいります。)また、大手マスメディアが扱いきれない多様なニュースを取り上げることによって、ジャーナリズムのあり方に一石を投じるものと考えています。
とある。
既存マスコミとの軋轢は避けられないかもしれない。

既に、読売は記事配信を止め、日経はそのポリシーから自社サイト以外の配信は行っていないわけだが、他の既存マスコミがこれに同調することはありうるのではないだろうか。
例えば、毎日新聞のサイトは既にMSNと提携している。MSNはライブドアと競合することから、毎日がどう判断するかだ。
仮に毎日が引き金となり将棋倒しが起これば、ライブドアニュースの先行きは不透明なものとなろう。
ライブドア独自の約40人体制の報道部門だけでは幅広い取材をカバーすることは不可能だし、記者クラブ経由のニュースの取材に制限があるからだ。

こう考えてくると、既存マスコミ系の記事配信をどう確保するかが、ライブドアニュースの成否を決めるように思われる。
既存マスコミのうち、中央紙はライブドアと相性がいいとは思えない。朝日・日経はそれぞれ自社サイトを育てようとするだろうし、毎日は既にMSNと提携し、読売はナベツネ氏の存在が障害となるだろう。あえて可能性を求めればサンケイかもしれない。
ここで浮かび上がってくるのが通信社とのエクスクルーシブな提携である。
共同通信・時事通信・ロイター・ブルンバーグといったあたりと提携できれば、面白い展開に発展する可能性がある。
共同通信は社団法人で加盟社である地方紙の意向が強く反映することから、提携はさほど容易ではない。ロイター・ブルンバーグは海外には強いが、国内が弱体である。残る選択肢は時事通信だろうか。

結局のところ、サンケイ新聞か時事通信と記事配信の契約を締結できると、今回のライブドアの挑戦が大化けする可能性もないとはいえない。
堀江CEOはネクタイを締めて、この両社にアプローチする必要があるのではないだろうか。


米軍ヘリ基地外墜落問題

2004年08月18日 10時44分58秒 | PR戦略
明治外交の先達は不平等条約の改正に心血を注ぎました。
陸奥宗光がイギリスとの間で治外法権の撤廃に成功したのが1894年。ここに至るまでには大隈重信外相がテロにより隻脚を失うなど多大な犠牲が支払われました。治外法権の撤廃は過去の日本政府が血で贖った権利なのです。

日米地位協定という名の不平等条約に治外法権規定が含まれているとは、知りませんでした。

事実関係を整理しましよう。
13日午後2時20分ごろ、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学敷地内に米軍のヘリコプター1機が墜落しました。
沖縄県警はただちに令状を取り、翌14日に現場検証をしようと数十人の捜査員を待機させていましたが、米軍から拒否されました。
事故機は米軍の財産であり、これを捜査する為には米軍の同意が必要とのことです。
事故機だけでなく、民有地であるはずの事故現場も米軍が管轄下に置き、日本側の警察や消防の立ち入りも排除しました。
16日午前、米軍は沖縄県警の捜査要請に同意を与えぬまま、墜落現場の沖縄国際大学構内で周辺の樹木を伐採し、午後に入り機体を搬出しました。
17日に至り、在沖縄米海兵隊法務部は沖縄県警に対し、機体を含めた墜落現場の検証を、日米地位協定や日米合意議事録を根拠に拒否すると回答しました。
外務省はこの事態にどのように対応しているのでしょう。外務省の荒井正吾外務政務官は、日本側の要請を受け入れさせるべく、現地沖縄で精力的に動き回っているようです。
しかしながら本省は、川口順子外相を筆頭に及び腰です。
そして、われらが小泉総理は、16日には歌舞伎座で「元禄忠臣蔵」を泣きながら鑑賞し、夏休みを満喫していたようです。

拉致被害者や特定失踪者への冷淡な対応、アジアカップサッカーでの国旗焼き捨てへの不感症、今回の治外法権問題への沈黙。
国家主権に対する小泉内閣の無関心もしくは逃避的態度はいつまで続くのでしょう。

マスメディアはいずれも、この問題に注目し報道しています。しかし、アテネオリンピックの喧騒にかき消され、充分に国民には届いていないようです。
そこで、どうすれば国民的関心を呼べるのか、広報視点からいくつか提案したいと思います。


■宜野湾市の伊波洋一市長は直ちに上京し記者会見すべき

やはり情報発信の中心は東京です。
沖縄現地に入りたいが、東京を留守に出来ないジャーナリストはいっぱいいます。
東京で記者会見をすると同時に、沖縄好きの筑紫哲也キャスターのニュース23、日曜朝の報道番組への出演交渉を早速はじめたら如何でしょう。
その際、沖縄の特殊ケースではなく、国内のどこでも同様な事件が起きたら、地位協定により警察の捜査権が及ばない可能性があることを強調してください。

■沖縄現地で「画」になる集会を

墜落機の残骸が撤去された今、テレビメディアは動く画を欲しがっているはずです。
沖縄で画になるシチュエーションを作り出す必要があります。
「沖縄県警を応援する県民集会」が開けないでしょうか。
普天間基地の正面で開ければいいのですが、規制により困難な場合は、沖縄国際大学のキャンパスがいいと思います。

那覇の目抜き通りでの署名活動の絵柄も欲しいところです。

■喜納昌吉がんばれ

こんなときの為に、喜納昌吉は参議院議員になったのではないですか。
直ちにサンシンを抱えて沖縄に帰り、ゲリラ集会で抗議の意志を表してください。
阪神大震災のときの泉谷しげるのノリです。
できれば先島にも行脚し、カチャ―シーのリズムでおばさんたちと踊り狂ってください。

■アメリカへの直接抗議

どうせ小泉総理や川口外相に働きかけても糠に釘にきまってます。
むしろ米国へ働きかけたほうが、外務省はあわてて重い腰を挙げるはずです。
おりしもアメリカは大統領選挙。
しかも、ブッシュ大統領は、同盟国との調整抜きで海外駐留兵力の削減方針を発表したばかり。
アメリカと外務省、防衛庁との擦り合わせが充分でないときだけに、
思わぬ効果をあげそうです。
稲嶺恵一知事はただちに訪米し、日本政府にガイアツをかけることが有効です。

■評論家・コメンテータ・コラムニストのコメント集め

週刊誌や、沖縄の地方紙、琉球新報、沖縄タイムスは、新聞やテレビに登場する回数の多い評論家・コメンテータ、週刊誌に連載を持つコラムニスト・エッセイスト、沖縄フリークの文化人、芸能人など、数多くからコメントを取るべきです。コメントすることはすなわちコミットメントすることです。
なるべく多くの人にコミットメントしてもらうことは、関心を広げる触媒になります。

■ブログデモ

幸い、今年に入り、無料ブログサービスが充実してきました。
これを使わない手はありません。
これまでのデモは、街頭での示威行動を意味しました。
これからは、ネットの中のバーチャル空間でも示威行為が成立すると思います。
抗議するひとりひとりが抗議のためのブログを立ち上げ、トラックバックでつないで見ましょう。
世界初のブログデモが出来るのではないでしょうか。
英語の堪能な人は、ぜひ英語でブログを書いてください。
世界に広がるはずです。



参加型ジャーナリズムを考える

2004年08月14日 09時52分52秒 | 参加型ジャーナリズム
湯川鶴章氏は、時事通信編集委員という社会的立場を公開しつつ、"全く個人的な立場で"「ネットは新聞を殺すのかblog」を運営している。その文章には、常に良質なジャーナリストとしての真摯なまなざしが感じられることから、いつも愛読している。
同様に受け止める人が多いからなのか、5月中旬にスタートさせたブログであるにもかかわらず、日を追って来訪者が増え、多くにコメントやトラックバックが寄せられるサイトとなった。

このサイトでは、参加型ジャーナリズムはいかにして確立しうるのかという明快な問題意識のもと、きめ細かくチェックした国内外の情報を踏まえての主張が展開されているが、参加型ジャーナリズムをめぐるちょっとした論争というエントリーでは、「ジャーナリストとは何か?」という本質的なテーマについて、問題提起がなされている。

その中で、朝日新聞OBの本郷美則氏のジャーナリスト論が紹介されているが、私は、参加型ジャーナリズムを担うのは、必ずしもジャーナリストだとは考えていない。
参加型ジャーナリズムをジャーナリズムたらしめるのは、ジャーナリスト個人ではなくプロセスなのではないだろうか。
情報が集まり、選別され、相互に結びつき、オピニオンが加わり、時に対立することもある複数の論旨が相互作用により形成されるプロセスにこそ参加型ジャーナリズムの本質が存在するような気がする。


【擬似当事者】

では、どのような人が参加型ジャーナリズムに参加するのだろう。
ここでまず、「擬似当事者」という概念を提示したい。
私はインターネットとは擬似当事者を量産するシステムだと思っている。
BBSであれ、ホームページであれ、ブログであれ、何かを発言するということは、その問題にコミットするということである。
自らの発言が、誉められればうれしいし、否定されれば気が滅入るか反論したくなる。
注目されるためには、あえて奇矯な発言をしたり、時にはデマの流布もいとわない。
名誉欲とまではいわないが、「注目欲」「対話欲」(こんな言葉ないですね)が生まれ、その問題への関与度が高まる。
こうして、発言者はあたかも自分が当事者であるかのような認識を持つに至るのである。
これが「擬似当事者」で、これまでもネットの中の「まつり」では何人も擬似当事者のスターが生まれている。

代表的事例を挙げてみよう。
・1994年のインテルのペンティアム誤計算事件では、4195835÷3145727で誤計算が発生することをつきとめインターネットで発表したC氏がスターとなった。
・1999年のユーザーサポート問題では、公表された音声ファイルの素材を使ったジョーク音楽が、私の知る限り7作品ほどあったが、中でもプロミュージシャンのH氏が発表した「クレーマーラップ・テクノパージョン」は今聞いても笑える。
・エンロン破綻の際にも多くのエンロンジョークが発表されたが、「北朝鮮は核査察を受け入れるそうだ。査察するのがアーサー・アンダーセンならという条件付だが。」というのは傑作だと思う。
その他にも、説得力を持つ発言を重ねる人、時系列でのデータや発言のログ、FAQなどをまとめる人などに注目が集まり、ネットの中にはさまざまな擬似当事者が生まれる。この擬似当事者が参加型ジャーナリズムの参加者だ。

8月2日のエントリーに書いた共同通信記者ブログのライブドア騒動で新しい動きがあった。「ニュース日記」のコメント欄に、小池新編集長の名を騙るニセモノが現れたのだ。
「2004年08月12日 14:23」のタイムスタンプを持つ「Livedoor社長はなぜピンと来ないのか by Quasi 小池 新」がそれである。
擬似当事者の中には、当然のように、こんな流言蜚語を飛ばす愉快犯が現れる。このようなノイズを排除しサイトのクレディビリティを高める必要がある。


【書き手と読み手】

そこで、参加型ジャーナリズムでは、デマを排除し、優れた書き込みをクローズアップするプロセスをどうビルトインさせるかが問題となる。
その観点から、優れた「書き手」の存在が前提であることは言を俟たないが、優れた「読み手」が必要であると考える。
これまで新聞社においては、デスクと整理部とが出稿記事の読み手であり、ニュースバリューを評価していた。
ブログジャーナリズムでは、読み手の主力は読者サイドに移るのだろう。読み手は書き込みをその行間まで読み取り評価するとともに、他の書き込みとの関連性を考える「繋ぎ手」としての機能も求められるだろう。
湯川氏のブログにあるデーブ・ワイナー氏の発言はその意味で参考となる。
参加型ジャーナリズムの成否を決めるのは情報発信が少ないゆえに埋没しがちな「読み手」をどう発掘し、確保するかではないだろうか。
また、「読み手」が報道機関の内部にいるのか、一般読者の中に求めるのかは、そのジャーナリズムのビジネスモデルそのものの枠組みを決定することになると思う。当然、私は後者のほうがインターネットの性格にフィットし、ポテンシャルも大きいと考えている。

梅田宏介課長(仮名)の悲劇

2004年08月11日 21時53分20秒 | クライシス
【交通事故死】

02年1月9日朝7時45分ごろ、北海道恵庭市西島松の道道で乗用車が対向車線にはみ出し、トラックと正面衝突した。
乗用車を運転していた梅田宏介さん(仮名・45歳)は頭などを強く打っており、病院に運ばれたが間もなく死亡した。
現場は片側2車線の直線道路。雪こそ降ってはいなかったが、気温は氷点下3度。路面はアイスバーン状態だったという。
千歳市にある自宅から、札幌市の東隣の江別市にある酪農学園大学に向かう途上の事故だった。
北海道大学に学び、ラグビー部のラガーマンとして青春を送った梅田さんの亡くなった後には、奥様と、育ち盛りの3人の子息が遺された。

梅田さんは雪印乳業大樹工場(北海道大樹町)の元製造課長。同社製品による集団食中毒事件で業務上過失致死傷と食品衛生法違反の罪に問われ、上司の工場長、部下の製造課粉乳係主任とともに被告席に座ることとなり、前月の12月18日に大阪地裁でその初公判があったばかりだった。
梅田さんは、雪印乳業を退職し、千歳の清掃会社に役員として勤務するかたわら、酪農学園大学で専門であるチーズの研究を行っていたという。未確認だが酪農学園大学食品科学科乳製品製造学研究室であろうか。


【雪印乳業集団食中毒事件】

夕食のカレーとともにとった雪印の低脂肪乳1リットルが原因で和歌山県那珂町の姉弟(9歳、6歳、4歳)が激しく嘔吐したのは、2000年6月26日。これが、15府県に渉り14,780人の被害者を生み出した、雪印乳業の集団食中毒事件の幕開けだった。

7月1日。
株主総会を開催した札幌から、急遽大阪入りした石川哲郎社長は、午後3時から雪印乳業西日本支社で記者会見を行った。
この記者会見の席上、同席していた大阪工場長は「仮設配管をつなぐバルブの上部に十円玉大の乳固形物が付着し、そこから黄色ブドウ球菌が検出された」と発言。事前に知らされていなかった石川社長は顔を紅潮させ「きみ、それは本当か!」と叫んだ。
この工場長発言のインパクトは大きく、以降、バルブの乳固形物が食中毒の原因という暗黙の認識の下でマスコミの検証報道が行われ、雪印乳業のずさんな衛生管理の実態が次々と明るみにでた。

■バルブ以外に不衛生な乳固形物が放置されてはいないか?
大阪府警捜査一課と市の生活経済課は業務上過失致傷容疑で大阪工場を捜索し、バルブの汚染が弁の下部にも広がり、タンク内の低脂肪乳に直接触れていたことが判明した。

■低脂肪乳以外は汚染されていないのか?
雪印は、このラインで作られているのは低脂肪乳のみとしてきたが、「毎日骨太」と「カルパワー」も同じ配管を使って生産されていることが判明した。

■仮設配管は大阪工場だけなのか?
当初、大阪工場だけだと言明していた仮設配管だが、後日朝日新聞は、札幌、仙台、静岡、北陸、高松の5工場に存在すると報じた。

■黄色ブドウ球菌以外に問題となる汚染は無いのか?
雪印乳業の検査で、セレウス菌と大腸菌群が発見され、厚生省には報告していたが、マスコミには隠蔽していたことが、後日判明した。

■工程上食中毒を起こしかねない要因は他には無いのか?
雪印は出荷されなかったり、返品された牛乳を、原料として再利用していたことが明るみに出た。再利用に際しては品質保持期限は考慮されておらず、屋外で手作業で処理していることも判明した。しかも大阪工場だけでなく、いくつかの工場で同様の処理がなされていた。

こうした検証が進む中、当初想定した仮設配管バルブの汚染が真の原因ではないことが分かってきた。
1)この仮設配管を通らない製品も汚染されていたのだ。
2)バルブを洗浄した以後に製造された製品も汚染されていた。
3)大阪市環境保健局の鑑定によると、バルブの乳固形物からは、食中毒の原因である黄色ブドウ球菌が発見されなかった。

それでは、食中毒の真の原因は何なのだろうか?
7月12日、雪印乳業は全国21の牛乳加工工場の操業を停止した。


【大樹工場】

8月18日、大阪市は雪印乳業大樹工場が製造した脱脂粉乳から毒素(エンテロトキシン)が検出されたと発表した。
8月23日、帯広保健所は大樹工場に営業禁止を命じた。
ようやく食中毒の原因が特定できた。大樹工場製の脱脂粉乳が真犯人だったのだ。

発表にある「エンテロトキシン」とは何だろう。
黄色ブドウ球菌は、人間の体内に棲息している常住菌であり、黄色ブドウ球菌自体が人間に悪さをするわけではない。
黄色ブドウ球菌が食品中や人体内で増殖するとき、エンテロトキシンという毒素を放出する。この毒素が食中毒の原因で「腸管毒」または「腸毒素」と呼ばれることもある。

大樹工場の脱脂粉乳製造工程で、黄色ブドウ球菌が猛烈に増殖したことがあり、そのとき菌が産出したエンテロトキシンがふくまれた脱脂粉乳を原料につくられた大阪工場の製品が、中毒をもたらした。というのが事件の大雑把な原因である。
この詳細については、厚生労働省のサイトの雪印乳業食中毒事件の原因究明調査結果についてと題する、最終報告の概要を参考にして欲しい。

帯広から襟裳岬に南下する途中、西を日高山脈に接し東は十勝平野に広がる大樹町(たいきちょう)にとり、雪印乳業大樹工場は町の中心的存在である。町民7000人の内1000人が工場の従業員とその家族。町の酪農家の生産する生乳の全量が大樹工場に納められている。
工場の誇りは、東洋一とされるナチュラルチーズ工場。国内ナチュラルチーズ生産量のおよそ2割にあたる7000トンを製造していた。
なかでもカマンベールチーズは全国的なヒット商品となり、年間3000トンに及ぶ生産が見込まれていた。
同工場では、チーズ製造時に残る脱脂乳を加工して脱脂粉乳を製造。その製造装置内を温水で洗浄した際に生じる加水乳も、脱脂粉乳の原料として再利用していた。
こうして出来る脱脂粉乳の生産高は年間290トン程度で、カマンベールのわずか1割に過ぎない。その1割の脱脂粉乳がカタストロフィーを招いたのだ。


話しは3月31日にさかのぼる。
11時ごろ工場の電気室の屋根を突き破って氷柱が落下し、これが溶けたために電気系統がショートし、停電が発生した。
停電そのものは3時間ほどで復旧したが、一度止まったラインを再整備し通常の状態にもどすの時間がかかったため、一部の工程では9時間半にわたり原料乳は冷却されぬまま、菌増殖に適した環境に放置された。
黄色ブドウ球菌は死滅間際に大量の毒素を産出するという。この9時間半で黄色ブドウ球菌が増殖し、ラインの再稼動のため殺菌が行われた時、エンテロトキシンを放出したのであろう。
エンテロトキシンで汚染された原料乳は翌4月1日脱脂粉乳に加工された。3日になって工場内の出荷検査で、製品から基準を超える異常な数の細菌が検知された。


【責任の所在】

この工場の品質管理責任者が梅田課長である。
部下から黄色ブドウ球菌を多量に含有しているとの報告を受けたが、大量に製造した脱脂粉乳を全く出荷せずに廃棄処分とした場合の損失や責任問題を考えた梅田課長は、上司である工場長から強く叱責されることを恐れて当面の報告を見合わせた。
やがて、工場長は出張に出てしまったため、報告の機会を逸した梅田課長は、ひとり問題を抱え込み思い悩むことになる。
梅田課長の結論は、汚染が基準以下の製品は出荷し、それ以外は再利用することだった。
この時、梅田課長の念頭にあったのは、黄色ブドウ球菌の含有量であり、中毒を引き起こす毒素であるエンテロトキシンは視野に入っていなかったものと思われる。
大量のエンテロトキシンを含んだ脱脂粉乳は9日になり溶解され、希釈化のため別の生乳と混合し加熱殺菌の上、工場長の了承を受け出荷された。出荷前に黄色ブドウ球菌の検査は行ったが、エンテロトキシンのチェックは行っていない。
後日(8月23日)、工場長は「ブドウ球菌がゼロだったので…。毒素まで頭が回りませんでした」と述べている。

食中毒発生後、工場長は大樹工場の脱脂粉乳が事件の原因となったのではと危惧を覚え、操業記録の確認を命じた。しかし、工場には装置の洗浄記録など必要な記録はなく、書類の記載漏れも膨大だった。操業停止に追い込まれること恐れた工場長は激高し、部下に記録の捏造と改竄を指示した。

食中毒の原因が大樹工場と特定されたことを受け、梅田課長は判断の責任を問われ、翌01年7月、工場長、製造課粉乳係主任とともに、業務上過失致死傷で起訴された。
また、工場長と梅田課長は、記録を改ざんして保健所に提出したとして、食品衛生法違反の罪にも問われた。

梅田課長は交通事故死により公訴棄却となったが、残る2人の被告には03年5月、地裁において業務上過失傷害罪で(死亡との因果関係は認めず)有罪との判決が出た。
また、工場長は食品衛生法に基づく虚偽報告についても有罪と認定された。


【中間管理職の悲哀】

故人を鞭打つとの謗りを恐れずいうならば、近来に例を見ない大型食中毒事件である今回の事件での、梅田課長の責任は大きい。
と同時に、梅田課長の判断ミスを招いたのが、当時の雪印乳業に瀰漫していた、杜撰な衛生観念であり、社員教育の不徹底、安全と安心に重きを置かない当時のトップのリーダーシップであることも事実である。
このように考えると、そのポストに座ったのが、梅田課長以外の別の管理職であっても、同様な判断を行った蓋然性は高いといっても、あながち間違いではないだろう。企業の体質・文化こそがこの悲劇を招いたのだ。

あいついで、企業の不祥事が新聞紙面をにぎわす昨今。
不祥事の真の原因がその企業の企業文化にあると考えられる事例は数多い。
原子力関係の不祥事の多くは、通商産業省を頂点とする原子力関係者のサークルの閉鎖性と隠蔽体質に根ざしているのではないのか。
相次ぐ談合疑惑や社会保険庁のていたらくも、自動車会社のリコール隠しも、組織風土やお家大事意識が生み出しているのではないのか。

企業文化・組織風土・社員意識は決して被告席には座らない。
被告となり、社会から指弾されるのは、たまたま運悪く不祥事の引き金を引いてしまった個人なのである。

梅田宏介課長は、そんな役回りを担ってしまった他山の石なのである。
会社の常識にしたがって行動しても、いざとなったら、会社は助けてはくれない。会社の中にいても、社会の常識を判断基準とする健全さを持ち合わせることが、今まで以上に重要だとの教訓を、梅田宏介課長の悲劇から学びたい。

ご冥福をお祈りする。



本稿をまとめるにあたり雪印乳業食中毒事件を考えるを参考にしました。感謝します。

共同通信記者ブログのライブドア騒動

2004年08月02日 11時05分38秒 | Weblog
8月2日の「週刊!木村剛」と時事通信の湯川鶴章氏のネットは新聞を殺すのかが、ともに署名で書く記者の「ニュース日記」の休止騒動を取り上げている。

この問題については、上記二つと次のブログがすぐれた論評を掲げている。
大西 宏のマーケティング・エッセンス
カトラー:katolerのマーケティング言論
あざらしサラダ

【騒動の概要】

1.騒動の震源地の署名で書く記者の「ニュース日記」は、共同通信の編集委員室が開設しているチャンネルKの中にあるコンテンツで、01年の暮れからスタート。小池新編集長と伊藤圭一記者が執筆している。
04年3月18日からは、同じ原稿をブログでも公開しており、共同のサーバにブログ機能がないためか、ライブドアの無料サービスを利用している。

2.問題の発端は、6月26日に小池新氏が執筆した記事。
ライブドアのブログに公開されている、ライブドア堀江貴文CEOのブログ社長日記が、同氏のややバブルがかった生活ぶりを書き連ねていることを指摘し、以下の批判を加えた。
もちろん、ご商売のことも書いておられるが、はっきり言って、これこそ「スノッブ」以外の何ものでもないと僕には思える。要するに「成功した青年実業家とは、こういうふうにしているものなんだよ」というやつだ。たしかに、livedoorはBlogで成功しているようだし、僕もこうした新しいメディアが広がってほしいとは思う。が、そのこととこのことは全く別だ。いかに商売がうまくいっているといっても、この程度の内容を載せて、結果的に若い人たちをだまくらかすのはちょっとどうかと思う。さらに言えば、社長の日記をトップページにシルエット入りで紹介しているというのは、一体どういう神経だろうか。
ちょっと言いすぎたかもしれないが、こういうのが鼻持ちならないというやつだ。読んでいる人たちにはぜひ言いたい。こんなのにだまくらかされていてはいけない!


3.小池新氏は翌27日にも、トラックバックに答える形で、次のようにコメントした。
web上の文章もまた、書いた人間を表す。「文章は人」だからだ。長い(ただ長いだけだが)記者経験から、僕にはそれが分かる。だから、この「社長日記」の文章を読めば、この堀江というlivedoorの社長さんの人間が読める。人間は、どんなに背伸びをしても、正体を隠そうとしたとしても、しょせん、その人間以上の文章は書けないのだ。
また、会社の戦略であろうが、書いたものレベルが低いことの言い訳にはならない。以上をトータルして、僕はこの「社長日記」の内容は「スノッブ」そのものだし、鼻持ちならないと思う。それはたぶん、この社長さんの人間自体がそうだからだ。


3.これに対し堀江氏は、29日の早朝、27日付けの自分のブログでさらりとコメントした。
そうそう、このblogへのコメントで「署名で書く記者の云々」というblogで私の日記のことが書かれているらしく見に行ってみる。なんか鼻持ちならない人間らしい>自分。こんなこと言われたのはじめてかも。感動。もっと感動したのはスノッブだといわれたこと。
また、翌28日には、
署名で書く記者の云々は私が紹介したおかげで結構話題を振りまいているようだ。blogの良いところは本音がフィルタをかけずに気軽に書けるところだね。本音ばかりだとギスギスしがちなんだけど、情報化の世の中、隠し事は外っ面だけ良くしていても、すぐにばれてしまう。外っ面がよければよいほど、裏の顔がばれたときのダメージは大きい。すべてをさらけ出せとは言わないけど、パブリックな人ほど、いろんなことを最初っからさらけ出していることは一種の保険になる。隠せば隠すほど泥沼にはまっていく。

4.6月29日になり、署名で書く記者の「ニュース日記」は集中豪雨的なコメントとトラックバックの嵐に見舞われる。
このためか、6月29日の記事を最後に、このサイトは更新停止に追い込まれた。

5.更新停止後も書きこみやトラックバックを制限していないため、次々と新しいコメント・トラックバックがつけられている。
8月4日正午現在の状況は以下の通り。
□6月25日分 コメント   4 トラックバック  0  平常時?
■6月26日分 コメント 145 トラックバック 30  最初の記事
■6月27日分 コメント 135 トラックバック 27  2番目の記事
□6月28日分 コメント  30 トラックバック  1  他の話題
■6月29日分 コメント 376 トラックバック  8  他の話題 この日で記事掲載終了
記事の掲載された26と27、最終記事の29日に異常な書きこみがなされていることはあきらかだ。


【騒動の原因と背景】

この騒動に関するぼくの感想は、残念ながら、共同通信の小池編集長が一人相撲の末勇み足をし、桟敷席から座布団が乱れ飛んだという印象だ。
小池氏は、編集委員になってもうすぐ5年。論説委員兼務になって3年のベテラン。
ご本人によると、それまでの経歴は社会部の記者生活約17年。デスク3年のほか、警視庁3年、農水省・通産省(いずれも当時)2年、その他は遊軍(クラブ担当以外で、基本的には本社に常駐している記者)で、警視庁も「がさつ」な捜査1課3課担当。社会部の中で専門性があるとされる裁判所や文部省、厚生省(いずれも当時)、防衛庁などの経験がない。とのこと。

◆記事のクオリティ
今回の記事は、客観的な説明と説得力に欠けているといわざるを得ない。
「文章は人だからだ。長い記者経験から、僕にはそれが分かる。」というのが唯一の立証というのは、ジャーナリストとしていかがなものか。
その上で、「日記の内容はスノッブそのものだし、鼻持ちならないと思う。それはたぶん、この社長さんの人間自体がそうだからだ」とまで断じてしまっていいものなのだろうか。単なる誹謗中傷とどこが違うのだろう。

◆理由なき沈黙
29日を最後に、小池氏は沈黙の殻にこもる。なぜなのだ。
社会的な批判を受けた人や企業に、記者会見を迫るのはジャーナリストの常なる習性であり、批判を受けた以上記者会見に応じるのがその人や企業の責務ではないのか。
沈黙の理由はわからないが、報道機関としての自殺行為とは思わないのだろうか。
この不可思議な沈黙が、コメントの書き込みに拍車をかけている。
そこで理解しがたいのが、コメントの書きこみやトラックバック受信をストップせずに継続していること。

◆公私の弁別
そもそもこのサイトは共同通信としての公式なサイトなのか、小池氏と伊藤氏の個人的なサイトなのか。
チャンネルKのコンテンツである以上、企業としての情報発信であり、「署名で書く記者のニュース日記」と銘打つ以上、個人の思いを書き連ねたものだ、すなわち、共同通信としては、企業の枠組みの中で、どこまで個人のオピニオンを前面に出しうるかを検証するための実験サイトと読み取れる。
共同としての実験的トライアルだったのなら、それだけ個人の意見の出し方について、通常以上の慎重な配慮が必要だったはずだ。これでは、妬み嫉みといわれても反論できないだろう。
「社長日記」は多くの人に読まれ、ライブドアの株価にも影響を与えるブログだ。堀江氏は、会社からの公式発言とは一線を画し、堀江氏の個人的な日記の体裁をとるためにも、スノッブと評された個人生活の身辺雑事を書き連ねているのだ。このことに小池氏はなぜ気がつかないのだろう。

◆大企業、特に大マスコミへの反感
ネットコミュニティは概して大企業に冷淡である。基本的にネガティブであり、時としてアンチに転じることがある。
また、既存マスコミに注がれる視線には冷たい光が宿っている。
マスコミに対する視線は、ネットにとどまらず、一般社会でも変化してきている。
朝日新聞の論説主幹から代表取締役専務を歴任した中馬清福氏が退任後著した「新聞は生き残れるか」(岩波新書:03年)をひもといてみよう。
“新聞批判に質的な変化が起こり、重苦しいものになった、と気づいたのは九〇年代の後半、それも終わりのころだった。<中略>同じ仲間だと思っていた読者が「報道の暴力は許さない」といって、はっきりと背を向けだした。広がる一方の報道被害に原因があったことは明らかである。<中略>読者はわりあいに早くから人権問題に敏感になっていた。しかし、新聞が的確に反応したとはいえなかった。私自身、新聞は弱い市民に代わって権力と向きあってきたと信じていたし、読者もそれゆえに支持してくれていると思っていた。そこにあったのは昔ながらの〈権力〉対〈新聞(背後に市民)〉の構図だった。しかし、人権意識の高まりにつれて分かったのは、読者は「新聞イコール市民」などとは全然考えていない、ということだった。次第に〈新聞〉対〈市民〉という構図があらわになり、市民が権力といっしょになって新聞を糾弾する〈権力(背後に市民)〉対〈新聞〉という空気さえ出てきた。新聞は双方から敵視されるようになったのである”(58-59ページ)
「署名で書く記者のニュース日記」へのコメントに読み取れるのは、高い立場から啓蒙的な言辞を垂れるマスコミに対する市民的反感そのものではないだろうか。

◆身内意識の中の甘え
共同通信は、通信社という性格上、「天声人語」のようなコラムを持たない。小池氏は、ウェブやブログという場で、彼自身の「天声人語」を書きたかったのではないか。
しかし、チャンネルK中にあるコンテンツも、ブログ版も、一部の読者が読んでいるだけだったようだ。そして、その読者との間ではコメントのやり取りが存在していた。少数読者とのファミリアな空間であったことから、身内意識的な甘えが生じ、筆が滑ったのではないかと、ぼくは勝手に想像している。
一方、堀江氏のブログは多くの読者を持っている。特に株を持っている人たちの中には信者といっていい人も含まれている。
たまたま、この時期、堀江氏はいくつかの理由で注目されていた。
6月25日には、ショッピングモールサイト「livedoor デパート」のサービスを開始している。
さらに、7月3日付けで日本グローバル証券株式会社の商号を「ライブドア証券株式会社」に変更し、証券業務に名実ともに進出。
もうひとつ、6月末日にライブドア株は1株を10株に分割。
堀江氏のブログが注目されていただけでなく、YAHOO掲示板のライブドア板は、株価上昇期待で、近来にない盛り上がりを見せていたのだ。
堀江氏は自らのブログで「署名で書く記者の云々は私が紹介したおかげで結構話題を振りまいているようだ。」と書いている。
自分で反論しなくとも、さらりと事実を紹介するだけで、ネット内で急速に情報が増殖することが、堀江氏には読めていたのではないだろうか。


【増殖のメカニズム】

それでは、ほとんど読む人もいない、共同の記事が、いかにして騒動に拡大したか、その増殖のメカニズムを推理してみよう。
堀江氏が共同の記事の存在を知ったのは、社長日記へ読者が書きこんだコメントではなかったか。

2004年06月28日 03:48 
読んでいる人たちにはぜひ言いたい。
こんなのにだまくらかされていてはいけない!
・・と共同通信編集委員室の編集長さんが言っておりました
http://chk.livedoor.biz/


堀江氏は翌日これに返事を返す。
2004年06月29日 00:00
共同通信編集委員室の編集長さんのblog面白かったです。ははは。
後でblogでトラックバックしてみますわ。


そして、2004年06月29日 01:10に、27日付の日記に前掲のかきこみを行う。

「社長日記」がアップロードされて1時間少し経って、
YAHOOのライブドア板に最初の書きこみが現れる。
共同通信
2004/ 6/29 2:30
メッセージ: 250952 / 278399
投稿者: pj_site
共同通信編集委員室の編集長が「社長日記」に異議アリ!
http://chk.livedoor.biz/


これを契機に、29日以降YAHOO掲示板は共同通信ブログ問題で盛り上がりを見せた。
更にその翌30日、超弩級のニュースがさらに掲示板を盛り上げる。
近鉄バッファローズ買収問題の浮上である。
共同通信は、6月30日1時4分「ライブドアが買収の意向 プロ野球、近鉄球団を」の見出しで、このニュースをネットに流した。
ライブドアが突然注目を浴びたとき、これと足並みを揃えるかのように共同通信記者ブログのライブドア騒動も予期せぬ注目を浴びてしまったのである。
大西宏氏の「マーケティング・エッセンス」によると、アクセスの急増とコメントの殺到で、このblogは、いきなりLivedoorの総合ランキング20に登場するようになりましたが、この事件があるまえは、気の毒なくらいアクセスも少なく、私を含めた数人がコメントやトラックバックを送っているにすぎませんでした。とのこと。
その結果開設以来4ヶ月なのにアクセスカウンターは8000そこそこだった「署名で書く記者のニュース日記」は29日から30日にかけ荒れに荒れまくって2日間でアクセスカウンターが20000件ほども回ってしまったと「なんでも評点」ブログは書いている。


【残る問題】

この騒動からはさまざまな教訓が得られるだろう。
事実、方々のブログでこの問題が、多様な側面から論じられている。
ここでは3つの論点を提示しよう。

まず、この騒動をどう収束させるか。
小池新氏は、ジャーナリストとしての矜持にかけて、釈明なり謝罪なりの見解を表明すべきである。

次に、既存ジャーナリズムとブログとの関係をどう考えるかの問題がある。
ぼくは、通信社本体がブログを運営するより、ジャーナリスト個人が(仮に組織に所属していようとも)個人の見識のみに立脚し、ブログを運営すべきだと思っている。
この問題に付いては、時事通信の湯川鶴章氏がネットは新聞を殺すのかで、重厚な議論を展開しているので、ここでの議論の深まりを期待したい。

最後に、このケースはブログにまつわる騒動としては最初の大型事件であると思う。ブログにおけるリスクは今後さらに語られてよい。
たまたま、署名で書く記者の「ニュース日記」に次のような一節があった。
ネットの危険と背中合わせに生きていく。それが、この時代に生きあわせた人間の宿命だ。個人がネットを利用して人を傷つけるのは許されることではないが、そうさせてしまう教育や社会、政治にも問題がある。改善されなければならないのは、まずそちらのはずだ。
これを書いた小池氏が皮肉にもリスクの当事者になったわけだが、書きこみやトラックバックをコントロールする、技術的な側面と、古くて新しい「ネチケット」の問題が改めて論じられる必要があるのではないだろうか。