Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

「これからのブランディングのための5つのポイント」

2010年07月18日 12時53分30秒 | ブランディング
銀座に「ロオジエ」というフランス料理の店があります。
もちろんおいしい店なのですが、そこで食事をする人は、ミシュランで三つ星を取ったとか、雅子妃がそこで食事されたとか、資生堂の経営であるとか、この店にまつわるさまざまなうんちくをスパイス代わりに料理を楽しみます。情報が料理のおいしさを倍加させるのです。
ベンツはすばらしい車ですが、この車が人々をひきつけるのは車自体の性能もさることながら、この車を持つことが成功者の証しであるとの定評が大きな要因になっています。
このように私たちは商品そのものの持つ物理的機能だけでなく、関連情報がもたらす心理的な魅力をも一緒に消費していると考えられます。
優れたブランドは例外なく、機能的な魅力とともに、ブランド情報のもたらす心理的魅力を備えています。
ブランディングとは機能的側面と心理的側面の二つの魅力を顧客の認識に印象付けることであり、その尖兵として、広報の持つ役割は大きいといわざるを得ません。特に心理的魅力の創造は多く広報の努力によっているのです。
ブランディングとは、つまるところ情報創造と伝達のプロセスでもあるのです。

とはいえ、それは決してたやすいことではありません。
特に昨今、情報量が幾何級数的に増加し、せっかく生み出した情報が顧客に届きにくい状況が生まれてきました。
総務省は前身の郵政省の時代から40年近く「情報流通センサス」という調査を続けていましたが、95年から2005年までの10年間で、われわれがアクセスできる情報の量は410倍に増大したという結果が出ています。このデータにはコンピュータ同士をつなぐ信号も含まれていますので、必ずし生活実感とフィットしているわけではありませんが、われわれが大変な情報洪水に巻き込まれていることは異論の無いところでしょう。

この状況をもたらした最大の要因はインターネットです。しかも、2006年以降ブログやツイッターなど消費者発信型メディアが猛烈な勢いで成長し、後戻りできないゾーンに突入しています。電子的クチコミを生み出す消費者発信型メディアは最近「ソーシャルメディア」と呼ばれ、大きな影響力を持つに至りました。
これとうらはらに、2008年以降のマスメディアの退潮傾向は明らかで、マスメディアに頼った広報の限界が明らかになっています。
加えて、企業は自社のウェブサイトや携帯サイト、メールなどを通じて顧客との情報受発信を行うことが容易になりました。かつて自社メディアといえばPR誌や展示会など、特定少数を対象としたものに限られていましたが、不特定多数を対象とすることが可能となったのです。これら自社メディアを、わたしは「マイメディア」と整理しています。
また、マスメディアとの接触の少ない若者にアプローチするために、交通広告や看板、イベントなど、街を舞台としたメディアが注目されています。昨今デジタルサイネージと呼ばれる電子的映像情報も第五のメディアとして、スーパー店頭や、電車内、エレベータ、街頭で見かけることが多くなり、大いに期待されているようです。これらは「マチメディア」といえるでしょう。
つまり20世紀の広報の業務でマスメディアとのリレーションは大きな比重を占めていたものが、21世紀にはいると、「マスメディア」「マイメディア」「マチメディア」の3つを使いこなし、それら情報の「ソーシャルメディア」を通じての社会的増幅をも計算することが求められるようになってきたのです。

一方、企業そのものの変化もダイナミックです。
松田聖子と中島みゆきを起用した、フジフイルムの化粧品『アスタリフト』のCMを最近よく眼にします。カメラがほとんどデジカメに置き換わった今、同社が写真フイルムの会社だとの認識は急速に薄れているようです。そういえば、同社の関連会社である富士ゼロックスのことを最近の学生は知りません。コピーといえばキヤノンやエプソンやリコーは思い出すものの、ゼロックスでコピーをとる経験が学生にはないからです。
ところで、サントリーって何屋さんなのでしょう?
最近こそハイボールで気を吐いているものの、テレビで見る限りは、ビールと非アルコール飲料の会社で、うっかりするとコンドロイチンやセサミンなどの健康サプリの会社と受け止められても不思議ではありません。
消費者の認識は変わらないのに、企業自体は大きく変わっているのです。商品についても同様な傾向を多く観察することが出来ます。

ブランディングとは情報創造だといいましたが、情報の主体である企業や商品の変化が進み、情報を伝えるメディアの構造が地殻変動を起こし、顧客の情報行動や消費行動の変化もあいまって、ブランディングの手法は今、大きな転換期に差し掛かっているのです。
そこで変化の中での今日的なブランディングの条件を5つのポイントにまとめてみましょう。

1)まず、どのようなブランドを目指すのか、そのコンセプトをはっきりさせようということです。訴求ポイントを絞らなければ、情報洪水に押し流され、伝わるはずのものも伝わりません。いろいろ伝えたいことはあっても、「捨てる勇気」が今まで以上に重要です。

2)次に、そのコンセプトに集約できるよう、さまざまなネタや情報を創造し、手を替え品を替え訴求することが効果的です。一つのコンセプトを伝えるために多様なコンテンツを創造するということです。
ブランドがらみのさまざまなコンテンツは、これまでファクトブックとして広報担当者が手許に置くことが多かったと思います。最近はそれらをウェブサイトで公開することで、地味な素材でも、検索を通じアクセスされることが多くなりました。

3)ここ数年広告クリエーティブの世界で聞かれるようになったのが、「トーカビリティ」というキーワードです。話題にしたくなる、誰かに話したくなるといった意味合いです。「せんとくん」はトーカビリティの高い素材でした。最初は奇異の念を抱かせたものの、彼のおかげで平城京1300年はほとんどの国民が認知するようになり、ライバルのキャラクターはみな忘れられてしまったのです。沢尻エリカのエステのキャンペーンもトーカビリティの高い仕事でした。

4)これまでの常識にとらわれず、「マスメディア」「マイメディア」「マチメディア」と「ソーシャルメディア」全般に眼を配ってください。特にソーシャルメディアについては炎上をおそれて躊躇する企業も多かったようですが、炎上の危険性は必ずしも高くありません。

5)最後に、ブランディングを成功に導く究極の決め手は、担当者の人柄であり情熱であるようです。特に広報の担当者の人間力はコミュニケーションの成否の重要な分かれ道になります。業務をこなすというスタンスではなく、ブランドにのめりこむことが周囲を巻き込みプロジェクトを成し遂げるための必須条件です。これだけは、どんなに時代が変わろうと永遠の真理ではないでしょうか。


詩を送ってもらった

2005年07月21日 05時38分06秒 | ブランディング
いつも目ざとすぎる
そのくせ放心している
なぜか ひとより先にいる
そのくせ ひとよりあとにいる
きみはどこか過剰だ
きみはどこか欠如している
人生はきみには無数の斜面で構成されており
まっすぐにあたりまえに歩くことができない
軽薄を矛に
饒舌を盾に
中世の夢みる騎士のように
苛酷な戦場にやみくもに打って出る
繊細を磊落にみせ
不器用を器用にみせ
はにかみを厚顔にみせ
博覧強記とありあまる才覚を武器に
野獣のゲームに参加する
見えすぎる相手 わかりすぎる明日が
きみをいらだたせる
だからかんじんのチャンスを逃し
ついミスをおかす
ゴルフは不向き マージャンは不向き
囲碁将棋は不向き 劇場は不向き
きみの本性は何者なのだ
忍者のように隠しているうちに
きみは自身を見失う
きみに向くのは 暗夜の荒海
剛毅な血を身体に甦らせ
きみは進むしかない
羅針盤のない舟にのり
胸騒ぎにかられ
まだ出会ったことのない
圧倒的な大波をもとめて

--------2005年8月




メディア文化の覇権を目指した鹿内春雄の戦略

2005年03月12日 20時54分38秒 | ブランディング
インターネットがいまだ登場しない20年前に、メディアの変身をリードした男がいた。
フジサンケイグループの議長だった鹿内春雄氏である。
当時の彼の抱いていた問題意識は「ニューメディア」時代の到来にフジサンケイグループはどう立ち向かうかだった。

手元に、「メディア軍団 0号」という1985年7月16日発行の資料がある。
フジサンケイコミュニケーショングループのCI推進室が発行するグループ内の情報誌で、面白いことに40歳以下の社員にのみ配られたものだ。
ここに発行前日に行われたフジサンケイグループ全体会議での鹿内春雄氏のスピーチの口述筆記が掲載されている。
この中で鹿内氏は、

>皆さん方もご存じのようにニュ」メディア時代、ニューメディア時代ということが言われます。
>で、テレビは変化するだろう、新闇は変化するだろう、ラジオは一体全体、中波は存立しているのどうか、
>FM放送はどうなっているんだろうか……いろんなことが言われております。
>これは全部、我々の企業を取り巻く環境でございます。
>したがって我々としては、この環境を黙って見過ごしていくわけにはいかない。
>一体全体どうなるんだろう、その中で我々はどうやって生きていけぱいいんだろうということを今、
>真剣に討議する時期ではないだろうかということから、2年以上前にこの作業にかかったわけです。

と前置きした上で、「フジサンケイグループはメディア文化の覇権を目指す、戦闘軍団である」とのスローガンを掲げ、

>皆さん方には、恐らく耳にタコができるぐらいなじみの深い言薬になったであろう「ニューメディア時代」。
>実は私、この「ニューメディア時代」という言葉が大嬢いなんです。なぜかというと、
>新しく出てくるニューメディア、それの時代であるならぱ、我々はオールドメディアなのか、
>既存メディアなのか、その時代は去ってしまうのか、我々の時代はもう古くなっちゃうのか。
>そうじゃないと思う。このニューメディアという、すぺてがとって代わるような呼び方というのは、
>私は必ずしも真理を突いている言葉ではないと思いますんで、私自身は好んで使っていない。
>むしろ、「新たなるメディア文化の時代」ということを言ってるわけです。

彼は、メディアの変化が、次の3つの複合で訪れると指摘します。
1)新たに登場するデジタルメディア。
2)それらと相互補完関係を構成する既存メディア。
3)ビル・ファッション・イベントなど従来はメディアとみなされなかったもののメディア化。
この3つの変化がアウフヘーベンし、新しい「メディア文化」の時代が到来する。
その時代の覇権を握るのは、そこでいかなるコンテンツを送り出せるかであり、ハードではなくソフトこそが死命を決すると訴えています。

メディア変化の時代には、三井・三菱・住友・安田などの財閥や東急・西武などの企業集団、そして新日鐵・トヨタ・NTT・AT&T・IBMなどの参入も覚悟しなければならないだろう。
このような大企業に伍してフジサンケイグループは存立するのか。
いかなる大企業が立ち現れようと、それに負けないだけの能力をフジサンケイグループは持っている、それは人を感動させる力だ、と喝破します。

>皆さん方の扱っている産業-新聞を含めてテレビであろうがラジオであろうが、
>すぺて人間の知恵、科学技術というものの中から生まれてきたものです。
>ただし、その中でお分かりいただきたいのは、その科学技術が大きな産業を生んだのではないということ。
>印刷技術というものは、決してそれ自身は強くはなかったけれども、そこにソフトというものが生まれてきて、
>そのソフトが発展したときに初めて大きな産業になり得た。
>テレビもそうです。向こう側にいる人がただこっち側に見えるという技術や機械だけでは、
>これは大きなものになり得なかった。そこのところに人々が楽しみ、新鮮な感動を得、驚き、
>そして人間くささ、人間のドラマ、喜怒哀楽というものを感じていったときに初めて一つの産業に進み始める。
>そしてそれが今日、マスコミ業界という非常にパワフルな業界に育っているということが言えると思います。
>つまり、どんなに素晴らしい技術であっても、そこに素晴らしいソフトがつかなげれぱ
>決して大きなパワーにはならない。

>お祭り好きと言われようが、事業屋と言われようが、イベント屋と言われようが何と言われようが、
>熱気をつくっていく、社会現象をつくっていく、流行現象をつくっていく、
>そういうカは他のマスコミグループには絶対引けを取らない。
>我々がもし勝つとしたならぱ、これだけが勝てる最大のプラスメリット、
>我々の武器ではないかなというふうに考えている次第です。

「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズはこの基本認識の下で生み出され、それらのシンボルがあの目玉マークだった。
この戦略は見事に成功し、フジテレビは暫く視聴率独走時代を突っ走る。そのエンジンとなったひとりが、当時の日枝編成局長だった。
・徹底した娯楽路線の追求
・夢工場などイベントとの連動
・グループ各社連携によるシナジー効果
など、テレビの枠にとどまらない柔軟でダイナミックな展開が勝利の方程式だった。

「ニューメディア」を「インターネット」に置き換えれば、鹿内氏の問題意識は今日でも少しも古びていない。
「財閥」を「IT企業」に置き換えれば、競合環境はより切実である。
鹿内氏が今日ありせば、今回のニッポン放送株問題にどう対応しただろう。
おそらく、「既存メディアとインターネットの融合の具体像が不分明である」としてかたくなに耳を貸さない姿勢はとらなかったのではあるまいか。