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Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

大阪写真月間2014はじまる

2014年05月29日 | Photography
きょうから大阪写真月間2014「写真家150人の一坪展」がはじまる。
トップバッターをきって、わたしはニコンサロンbis大阪の受付当番を買ってでた。
初日だということもあるのか、10時半のオープンから途切れなくお客さんがやってくる。常時10人くらいはギャラリー内にいる勘定だ。
老若男女でいうと圧倒的に高齢の男性が多い。昔から「ニコン一筋」って感じのおじいさまが、作品を熱心に見ている。

「あのー、ちょっと聞きますが」とわたしに聞かれても、他人の作品のことはなにもわからないのだが、受付にいると質問してくる人がいるもんだ。
 この写真の撮影場所はどこですか?
 このモノクロ写真は暗部がよく出てますが、銀塩(フィルム)でしょうか?
 このプリントはプロッターでプリントしたものですか?
わかることなら答えようと思ったけど無理でした。撮影場所や使用カメラやプリンターなんてわかるわけがない。

14時まで当番をして、そのあとあらためて展示作品を見てまわる。
大亀京助さんはあいかわらずうまいなあ。ひと味ちがいます。
Fabio Salvagnoさんの作品タイトルにぎょっとする。このネガティブなエネルギーはどこから来るのか?
稲葉一栄さんの写真もすごい。どこですか、ここは?

キヤノンギャラリー梅田で見たフチタカツコさんもよかった。まじめに写真をやってるって感じが伝わってきたよ。タイトルもナイス!

ビジュアルアーツギャラリーでは野田知明さんの作品がおもしろかった。わたしにはない感性と技術をもっている。
そして南哲二さんの写真には脱帽です。この人はまちがいなくアマチュアの写真愛好家だと思うが、プロ顔負けに写真を愛している。
しかも写真をまず自分のために撮っていて、その役割というものをよく理解している。
ああ、写真ってこうやって楽しむもんだよね。芸術写真なんてクソくらえって感じ。まいりました。

写真を語るな

2014年05月24日 | Photography
いよいよ来週の木曜日から大阪写真月間「写真家150人の一坪展」がはじまる。
今年はニコンサロンを引き当てて気分は最高なのだが、はたして作品のできはいかに。



展示については細かいルールがあり、各ギャラリーの担当者の指示に従わなければならない。
たとえば写真を壁に直貼りする場合、押しピンや虫ピンなどの使用はかまわないが、両面テープの使用は厳禁だ。あとで剥がすのがたいへんだからね。
またいくら一坪に収まるからといって、壁から大きく飛び出すようなもの(つまり立体作品)は展示できない。同様に鉄製の重い額などを吊るすのも不可。
要するにふつうに額装するか、アクリル仕上げか、あるいはパネルに張るか、直貼りのいずれかの方法ということだ。

それから作品のキャプションを添付したい人は、A5版で5ミリ厚のハレパネに貼ったものを各自がつくってもよいことになっている。
ただし紙の色は白、文字は黒かグレー。文字数は300字まで。やけにすくないな。
文字以外に自分の顔写真を入れてもよいが、営利目的の内容や広告はダメ。それに華美な装飾もダメなのです。
しかも「内容によっては、こちらの判断で撤去することがあります」とまで釘を刺されている。あー、めんどくせー。

わたしもキャプションをつくろうかと思っていたけど、どうしようかな。
木村伊兵衛の一番弟子の田沼武能さんがいいことを言ってます。
「写真を語るな、写真が語れ」
そうですよね、写真が語らないと。もうキャプションなんかいらねえ。



ところで知人のQさんも一坪展に出展するので、きょう、わたしの家にマットを切りにきた。
彼はA4サイズの写真を額装して、10枚組で展示するらしい。
窓の開け方は2通りあって、写真のイメージよりもすこし小さめに切る方法(左)と、イメージよりもすこし大きめに切る方法(右)がある。
どちらが正解というわけではないが、大きめに切ってイメージの余白にエンボスを押したりサインを入れる作家さんは多い。
モノクロ写真で黒縁を出す場合も大きめに切る。
Qさんは難なく10枚のマットを切りおえ、そのあとは楽しいおしゃべりをして過ごす。

さらば、コダック

2014年05月21日 | Photography


6月からコダックのフィルムのほぼ全銘柄が大幅に値上げをする。
わたしがよく使っているトライXというモノクロフィルムは税込みで1本1026円!
いくら需要が少ないといっても、いきなり5割増だなんてひどすぎる。
フィルムの現像代も加算すると、1本あたり1500円以上のコストがかかる計算だ。これじゃ手が震えてシャッターが押せないわ。

わたしの場合、フィルムでしか表現できないものがあるわけではなく、暗室作業によって現像するプリントにこそ魅力がある。
インクジェットによるモノクロ写真もそれなりに美しいけど、やはりバライタ紙のあの風合いとか、黒(シャドー部)のグラデーションに工芸品的な美しさを感じるのだ。
ならば、撮影はもうデジカメですることにして、プリント作業をアナログの暗室でする方法はないのか。

これがあるのですね、DGSMプリントというものが。
DGSMとは「デジタル・ゼラチンシルバー・モノクローム」つまり「デジタル銀塩白黒写真」という意味。
簡単にいうと、デジタル画像を透明のフィルムシートに出力してネガをつくり、そのネガを使って暗室で焼き付けるという方法だ。
もちろんネガはフォトショップなどで白黒を反転させたものを使う。
この方法だと暗室での作業はほとんど必要なく、ベタ焼きをつくる程度の労力ですむ。
そのかわり焼き込みなどの作業はネガをつくるまえの段階で、フォトショップでの調整によっておこなわうわけだ。
じっさいにやってみなければわからないこともあるが、細かくコントロールできそうで、これはいいかも。

というわけで、トライXの買い占めに走ろうかと思ったが、もうフィルムでの撮影はおわりにしようと思う。
さらば、コダック。こんにちは、ピクトリコプロ。

かくして写真茶話会RRははじまった

2014年04月26日 | Photography


ピカピカに磨いたエストレヤに乗って、きょうは写真茶話会RR(ダブルアール)へいく。
途中、IさんとYさんと落ち合って、景色のいい道を流しながら会場に着く。
このまま高野山まで走っていきたい衝動を抑え、写真茶話会RRはゆっくりとはじまる。



きょうの参加者はわたしを入れて6人。
まず最初ははるばる長野県から参加のJさんの作品を見る。
彼の住んでいる家のまわりには美しい伊那の大自然が広がっている。きょうはそんな写真が出てくるのかと思いきや、なんとすべてモノクロの写真だったのでおどろいた。本人曰く、原点にもどって撮ってみました。
主宰者のYさんはすこし困った顔をして彼の写真を見ている。
そして「マツノさん、モノクロってどう思います?」とこちらに振ってきた。げげ

わたしも日常的にモノクロ写真を撮っているが、色の情報がない分、写っているモノそのものの形や質感、あるいは光の陰影がより強調される。
そこにおもしろさがあるので、散漫な撮り方では絵として成立しない。
被写体の配置や画角、アングルなど構図と光の方向性を厳密に計算して組み立てないとおもしろくならない。つまりデジカメでふつうに撮って、単にPCでモノクロ変換しただけではモノクロ写真にはならないのである。
べつの言い方をすれば、シャッターを押すまえから目のまえの風景がモノクロに見えていなければダメなのだ。
もっと素直にいこうよ、Jさん。



Kさんの撮る写真はおもしろい。
なんでこんなの撮ったの? と思うようなカットでも、彼女の説明を聞くと「ああなるほど、そうかあ」と感じる。
わたしにはないその視線が新鮮で、いつも驚いてしまう。
これまでコンデジで撮っていたけど、このたびデジタル一眼レフ機を手に入れ、ますますパワーアップした。
きょうのプリントははがきサイズだったけど、あのニワトリの顔のアップをA3ノビくらいに引き伸したら、ぜったいにおもしろいと思う。
早くも独走体勢に入ってしまったKさんであった。RRだね。



さいごにわたしの写真を見てもらったが、まだ方向性がなにも決まっていないので、種まき的な写真を5枚見せる。
その話はすこし長くなるので、また後日に。

圧巻のグルスキー

2014年04月19日 | Photography
日本橋から歩いて博労町にあるプロカラーラボにいく。溜まっていたモノクロフィルムを現像に出す。
さらに中之島まで歩いて中央公会堂でオムライスを食う。
そのあと国立国際美術館で「アンドレアス・グルスキー展」を観る。
うまいぐあいに本日は学芸員によるギャラリートークが開催される。先着90人には無料でワイヤレス受信機も貸してもらえる。



アンドレアス・グルスキーといえば、ライン川を写した作品がクリスティーズの競売で430万ドルという史上最高額で落札されたことで有名なドイツの写真家である。
写真1枚が3億円だなんて、いったいどんな写真なんだと思うだろう。
それが現物を見るとおどろくほど素っ気ないというか、「ええっこれがそうなの?」というくらい、ふつうの川の写真なのだ。

学芸員の話によると、ここに展示してある「ライン川」の作品はじっさいに落札された作品の小型版だそうで、本物は高さ185.4 x 幅363.5センチという巨大な写真らしい。(写真なので小型でもニセモノというわけではないが)
そして本物は世界に6枚しかなくて、そのうち4枚は世界の有名美術館が所蔵している。のこりの2枚は個人が持っていたのだが、そのうちの1枚が競売に出たという話だ。
つまりこの作品が市場に出ることはきわめて稀なことなので、3億円を超える落札価格となったというわけである。



ま、下世話な話はこのくらいにして、作品のことをすこし。
グルスキーの作品はとても大きい。そして水平あるいは垂直の線が際立った構図が多い。
作品に近づいていくと高精細に描写されたいろいろなものが見えてくる。それは人間であったり、99セントショップの商品であったり、あるいはチャオプラヤー川にうかぶゴミや南極大陸の雪面であったりする。
共通するのはどの作品も隅々までピントが合っていてボケている部分がないということだ。

たとえばベトナムの籠編み工場のようすを斜め上から俯瞰で撮っている写真は、手まえの人から奥の人まですべてにピントが合っている。
すこし写真に興味のある人ならこの写真を見て「なんかヘン」と感じるだろう。
でも大型カメラのアオリ撮影を知っている人なら「これはレンズボードをティルトしてるのさ」と説明するかもしれない。
だけどデジタル技術を知る人は「この写真はすべて合成だ」と見抜くだろう。
すべて正解だけど、ある意味すべて不正解だ。



彼はいわゆるベッヒャー・シューレ、つまりルッセルドルフ・スクールで写真を学んでいる。
類型学的なアプローチと巨大プリントによる見せ方はベッヒャー派の作品に共通するものだ。
彼の作品がおもしろいのは、デジタル合成した虚構の風景であるにもかかわらず、その部分部分は実在するものであるから、ふしぎなリアリティを感じることである。
画面のすべてにピントが合っているので、どこにも曖昧なところがない。じっと見ていると吸い込まれそうになる。
たとえば無数の人間が写っているパリのアパートの写真などは、その厳格な水平垂直の構図によって現代アート的な美しさを感じると同時に、鑑賞者の覗き見的な欲望を誘発する。
そこに写真というメディアのもつ本質的なおもしろさを感じずにはいられない。

わたしが感銘を受けた作品は「オーシャン」というシリーズで、この写真はグルスキー氏が撮ったものではなく、人工衛星から撮影した画像を彼がデジタル技術によって加工し作品化したものだ。
したがって大陸どうしの距離感はじっさいとはちがうのであるが、海の深さをデータ化しそれを青色のグラデーションに置き換えているそうなので、その意味では真実性もある。
もうこうなってくると写真家の仕事とはなにか、写真とはなにか、ということを考えざるを得ない。
とにかくそのスケールの大きさが圧巻で、有無をいわさぬ説得力があるのだ。やっぱり写真ってデカい方がおもしろいなあ。

ここにグルスキー作品がまとめられています。