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Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

どこまで意識して撮るか

2014年07月26日 | Photography
本日、写真茶話会RRの4回目。
前回の茶話会で見せた写真には「いくつかの作品が混在している」とSIGN氏がいうので、きょうはそのことを整理して帰りたい。
プリントをバイクの荷台にくくり付け、SIGN氏宅をめざす。



まず今月撮ったものを作業台のうえに並べてみる。
しばらく見たあと、SIGN氏は写真を三つのグループに分けた。
それぞれのグループごとに並べ替えてみて見ると、たしかに共通するイメージが見える。
要点は人物のあるなしとその大きさのようだ。
すなわち、人物が群像として大きく写っているグループ「群像シリーズ(仮称)」と、人物が点景として配置され一枚の風景画になっているグループ「印象派シリーズ(仮称)」、そして人物は写ってないが重量感・質感のあるものが主題となっているグループ「ベッヒャーシリーズ(仮称)」の三つ。

こうして分けてみると、撮影時に自分がなにに魅かれて撮っていたのかが、はっきり意識できておもしろい。
逆にいうと、夢中で撮っているときにはなにを撮っているのか、意外に自覚していないことがわかる。
第三者に見せることで、あらためて「こんなものを撮っていたのか」と認識するわけだ。
これは一枚の写真の中に情報が多ければ多いほど、撮影者の意識にないものが写り込むという、写真のおもしろさ・ふしぎさかもしれない。

きょうのグループ分けによって、もうすこし意識的に撮り分けることができたら、より作品としての質が上がると思う。
次回、ニューヨーク/ロサンゼルスの群像シリーズ。乞うご期待!

「沖縄へのラブレター」より

2014年06月22日 | Photography
NHKの日曜美術館「沖縄へのラブレター~写真家 東松照明」を見た。
わたしの重い尻を気持ちよく蹴飛ばしてくれた。
以下は番組のなかで語られたことばの抜粋。



しょせん、私の沖縄への恋は片思い。
そして写真はイメージで綴るラブレターである。
東松照明

日本の戦後史を一口で特徴づけよ、と問われれば、僕はためらいなく、アメリカニゼーションと答えるだろう。
アメリカニゼーションは米軍基地から始まった、という実感が僕にはある。
アメリカが、基地に張り巡らされた金網の網目から、じわじわっとはみ出して、やがて日本全土に染みとおっていったというイメージだ。
以来、僕は占領にこだわり続けている。
東松照明

東松や奈良原は、細江とは出発点がちがう。報道写真は特定な事実、特定な時間を尊重する。東松はこの報道写真の、特定の事実尊重を捨てた。
これはもっぱら印象だけの写真だ。
名取洋之助

名取さんは世界の説明、事象の解説、そういうことで写真を考えていた。
ある意味それはロマンティックにみえた。
東松さんの場合ははっきりロマンチシズムじゃなくて、リアリズムですよね。
でも事実べったりのリアリズムではなく、写真が本来持っているあいまいな部分をもからめとるという、そういう意味でのリアリズムだよね。
森山大道

シマにあって、僕は写真がまったく無力であることを思い知った。
そして、あらためて、写真とは何かという誰しも疑問を持つけれど結局わからずじまいの果てしない問いにめぐり合い、試行錯誤のすえ、自分の中の双頭の蛇を殺して、矛盾を止揚したつもりで、これからは好きなものしか撮らぬと言い切る。
東松照明

あの人、3億円の犯人じゃないか。
私たちは写真家としての名声を得ている東松照明と付き合ってきたのではなくて、
東松照明自身と付き合った。
下地恵子

「宮古大学」のメンバーの年は、ぼくを除くと20歳前後。
みんな頭の回転が速くて、相手の言葉に機敏に反応する。
ひとことしゃべってはドーッと笑いこける。
スコールのようにさわやかな青年たち。
真剣に考え込むかと思うと悦びをからだいっぱいで表現する。
むき出しの命がまことに美しいのだ。
東松照明

写真家は見ることがすべてだ。
だから写真家は徹頭徹尾、見つづけねばならぬのだ。
対象を真っ正面から捉え、全身を目にして世界と向き合う。
見ることにかける◯◯、それが写真家なのだ。(◯◯は聞き取れなかった)
東松照明

宮古での体験というものは、自分が裸になったように写真も裸になった。
自分が撮ったのではなく、撮らされた。
宮古によって写真家東松照明を解体し、もう一度もう一人の東松照明が誕生していく。
宮古はサンクチュアリ(聖域)の場だ。
仲里効

東松さんの写真はすべて写真の原質にもどっていく。
現象を撮っているというふうには見えてこない、どんな一枚もその原質みたいなものを保っている。
森山大道

写真を葬るということ

2014年06月04日 | Photography
ニコンサロンで開催していた大阪写真月間2014「写真家150人の一坪展」がおわった。
開催中、ご覧いただいた方々にお礼申しあげます。
あしたからニコンサロンでは「ハイスクール・フォトアワード」が、オリンパスギャラリーでは引きつづき「一坪展(後半)」がはじまる。



さて、今回わたしが出展した作品「旅立ち」は、今年の1月に他界した義母の亡くなるまでのようすを記録したものだ。
撮影は去年の暮れから約2週間にわたっておこなったが、写真にはわたしが義母に世話になったこの二十数年間の思いが写っている。
妻と彼女の妹たちが母親を看病する姿は非常に献身的なもので、わたしは彼女たちの姿をとおして親子の愛・姉妹の愛を強烈に感じた。
普遍的でありながら、わたしのなかには欠落しているその「愛」を、なんとしても写真に収めたかったのである。

人が写真を撮る理由はさまざまだと思うが、目のまえの光景を永遠に定着しておきたいという欲求がわたしにシャッターを押させることはたしかだ。
写真と気持ちはつねに連動している。だからなにを撮っても私写真にならざるを得ない。
そしてそれらの写真を作品としてまとめて形あるものにし、ブックにしたり展覧会に展示することで気持ちに区切りをつける。いうなれば写真を葬るのである。

そういう一連の作業を経て、またつぎのあたらしいテーマが生まれてくる。写真は崩壊と再生のくりかえしなのです。

とにかく急いで撮れ

2014年06月03日 | Photography
先日の写真茶話会RR以来、まるでターボチャージャーが付いたかのような勢いで作品の撮影をしている。
いま頭のなかにあるイメージが消えてしまわないうちに、とにかく急いで撮らねばならない。
かつて土門拳が弟子に「仏像はね、走っているんだよ」と語ったそうだが、それは撮りたいイメージがどんどん湧いてきて、撮影が追いつかないという意味だったのではないか。



きょうは朝からおにぎりをつくってバイクで明日香村へいく。
午後から天気が崩れてくるので午前中が勝負だ。
10時に石舞台古墳に着いたものの、見学者はわたしだけでほかにだれもいない。早すぎたか。
石舞台の内部を撮っていると子どもの声が聞こえてきた。遠足かな。
「飛鳥里山クラブ」と背中に書いた人たちが小学生を率いて、なにやら古墳の説明をしている。
子どもたちは熱心にメモをとりながら聞いていた。



石舞台の撮影をおえ、明日香の田舎道をのんびりと走る。
途中、きれいな棚田をさがして何度か停まりながら写真を撮る。最近は田んぼではなく畑にしているところも多いみたい。
しかし赤いニコンはよく写ります。

写真における共通認識

2014年05月31日 | Photography
真っ青な空に鯉のぼりの尾がはためいている。
その写真のタイトルは「空をおよぐ」。
まぶしいけど目を細めてでもじっと見ていたくなる。なんか懐かしいような、すこし切ないような、そんな感情を彷彿させる写真だ。

Kさんはそのステキな写真をひっさげて、きょうの写真茶話会RRにやってきた。
彼女の写真の魅力は、ふだんわたしたちが何気なく見ている(あるいは見落としている)ものを、彼女にしかないアンテナで受信して、そこにカメラを向けていることだ。
たいていは逆光の太陽だったり、足もとに伸びる影であったり、ざらついた地面や横断歩道だったのだが、「空をおよぐ」はいままでの彼女の写真とは明らかにちがう。
なにかが吹っ切れたような開放感と、しかし不安ののこる浮遊感のようなものが写っている。

←Hさん、ごちそうさまでした

1枚の写真がその後の自分の写真の方向を示すことはよくあることだ。
ただその「1枚」を自分が見つけなければ、つぎにつながらないこともよくある。
わたしが「この写真はいいよ」といっても、それが撮影者にとっていいかどうかはわからない。
つまり他人の尺度で評価されたものは、自分のなかにあるものと同じとはかぎらないのである。あたりまえだけど。

ところで写真における共通認識とはなんだろう?
青空を見て人はなにを感じるか。あるいは鯉のぼりからなにを連想するか。
だれもがおなじ気持ちになることはあり得ないにせよ、なんらかの共通する気分や感情があると思う。
写真を見る人は、その写真に写っている情報から撮影者の感情を読み解いていく。なにに感動したのか想像してみる。そして自分のなかにある感情と重ね合わせてみる。
そういう行為が写真を見るたのしさでもある。
だとすれば、撮影者は見る人と共有・共感する部分を意識的にコントロールして、作品に盛りこむことが必要だと思う。

ではYさん、あとのお導きはよろしく。