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Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

モノクロプリント作家の良心

2013年08月19日 | Photography
知らない国へ行って、いろんなものを見たり、地元の人と話をしたり、あるいは見たこともないようなものを食べたりすることは、わたしにとって非常に刺激的で、かつストレス解消の清涼剤となっている。
でも、この夏は義母の病院通いや文章作成ゼミで東京通いなど、いろいろな事情が重なって、結局、海外へ旅行することができなかった。
そのうえ連日の猛暑で、なんだかテンションの上がらない毎日であるが、みなさん、いかがお過ごしですか。



9月の個展に向けて、写真を撮りにいったり、プリントをしたり、あるいはステートメントをまとめたりしているおかげで、かろうじて規則正しい生活が維持できている。
きょうはいよいよ本焼きの最終日。
10時から17時すぎまでかかって、あたらしいプリントを2枚、焼き直しを4枚、ブック用に3枚焼いた。
さあ、あしたからはマット切りとマッティングが待っている。

ところでモノクロプリントのペーパーには、大きく分けてバライタ紙とRC(レジンコート)紙の2種類があるが、ギャラリーや美術館に展示されているプリントは、ほぼまちがいなくバライタ紙である。
バライタ紙はRC紙にくらべて再現域が広いので、黒から白までのトーンが豊富である。
また銀の含有量も多い(らしい)ので、黒の最大濃度が高い。つまり黒がよく締まる。
さらに適切なアーカイバル処理を施したバライタ紙のプリントは、変退色しにくく、きわめて保存性がよい。とくにこの点が重要である。

アーカイバル処理といっても、べつに難しいことをするわけではない。
きちんと水洗したペーパーを処理液に浸して、さらに水洗し、乾燥させるだけである。
もっともポピュラーなのが、コダックのラピッドセレニュームトナーというものだが、これはもう国内では手に入らないようだ。(B&Hなら送料高いけど売ってます)
この処理液は劇薬なので希釈の方法などが仕様書に書かれているのだが、その中に成分が載っている。
化学の得意な人なら、自分で調合してつくれるかもしれない。(水 200ml + 亜セレン酸ナトリウム 2g + 亜硫酸ナトリウム 3g + チオ硫酸ナトリウム 20g )

わたしは化学が苦手なので、富士フィルムのAGガードというものを使っている。
これも水に溶いて水洗のあと浸して、あとは自然乾燥すればいいのでとても簡単。水洗はいらない。
また、乾燥させたプリントに原液を直接塗布する方法もあるので、わたしのような無精者には非常にありがたい処理液である。
ウチの暗室にはこの処理液を溶いたバットを置く場所がないので、水洗のあとには処理せず、後日、乾燥したプリントを一度にまとめて塗布している。
どちらが効果的なのかは両方のやり方で処理したプリントを、100年後くらいに見比べてみないとわからない。

つまり、アーカイバル処理をきちんとしたかどうかは、見た目では判断できないので、これはもうモノクロプリントを制作する作家の良心にかかっている。
わたしは処理したプリントにだけ、サインと日付(焼いた日)を入れて保管しています。

写真をことばで説明するワケ

2013年08月04日 | Photography
肺がんで入院している義母が一時帰宅しているので、妻といっしょに実家へ様子を見にいく。
ここで一泊し、明日また義母を病院へ送っていく。
ほんの5ヶ月くらいで彼女は5キロも痩せ、足もともおぼつかなくなった。
なんだかひとまわり小さくなったようにも見える。
他人の老いを見て、自分もいずれはこうなるのだと頭では理解するが、その姿を想像することをかたくなに拒むもう一人の自分がいる。
なにも成功していないのに、いまはまだ死にたくない。死ねない。



ここでの仕事は車の運転だけなので、食事の支度などは妻と妹に任せ、わたしはのんびりと田舎の風景を撮ったり、読書をしている。



完成に近づいたCVのアーティスト・ステートメントはこんな書き出しだ。
「わたしは崩壊と再生をくりかえす存在が持つ力強い美しさを表現する写真家です」
テーマをことばで表すと、ファインダーから見える光景がクリアになる。



ことばで説明できるなら写真なんて撮る必要はない、という人がいるが(わたしもかつてそうだった)、それは非常に傲慢で、独りよがりな態度だと思う。
自分の写真をいろいろな人に見てもらうのなら、もっと謙虚にわかりやすく説明する必要があるだろう。
生まれた場所や育った環境がちがえば、ものの見方も感じ方も当然ちがってくるからだ。

たとえば外国人に桜の写真を見せても、日本人が感じるような「はかなさ」とか「惜別」、あるいは「希望」などの感情は湧いてこないと思う。
寒い冬からやっと春になり、卒業や入学といった行事を通して醸成される、日本人ならふつうにわかる感情も、そんな体験のない人たちには伝わらないということだ。
だとすれば「写真を見ればわかるでしょ」ではなく、見てもわからない情報をことばで補填して、「だから日本人は桜を見てこう感じるんだ」ということを伝えなければ表現にならないのである。

あるいは同じ日本人であっても、年代によって共感できるものはずいぶんちがうと思う。
20歳代の若者が捉える「いのち」とか「老い」のイメージと、わたしのような人生の晩秋にさしかかろうとしているオヤジの捉えるイメージとは、やはりぜんぜんちがうだろう。
オヤジはこんな体験を通じてこんな風に見ているということを、若い世代に伝えることも表現かもしれない。

暗室作業は絶好調

2013年08月02日 | Photography
先日つくった二代目のラックを使って、朝から全紙プリントを焼く。
きょうは定着液もあたらしくつくる。
いつも大四切までのプリントを焼くときは、現像液と停止液は一日の作業が終われば廃棄するが、定着液はもったいないので2~3回は使う。
ただし作業の間隔が1週間以上あくときは廃棄してしまう。

今回の全紙プリントではそれぞれの処理液を3リットルずつつくっているが、大きなバットに注ぐと液の深さは1センチくらいしかない。
バットに印画紙を入れるときには、まず表面を下にして全体にムラなくすばやく浸し、それから裏返すようにしている。
でも停止液は表向きのまま、定着液は裏向きのままで返さない。
ラックをつくり直したおかげで、きょうは印画紙の出し入れする作業がとてもスムースにいった。
自分に合った道具や設備をもつということは、作業効率があがるだけではく、精神的にストレスがかからないので、結果的にいい仕事につながる。

そんなわけで、予定していたプリントを調子よく5枚午前中に焼きあげ、午後からは最近東京などで撮ったネガから何枚か大四切のプリントを焼いた。
その中の1枚にとてもいいのがあったので、これは展示用にまた後日焼こうと思う。

全紙でプリントを焼いていると、大四切サイズのプリントが非常に扱いやすい、ちょうどいい大きさに感じられる。
3年まえまでは六切サイズでワークプリント(試し焼き)をつくり、しばらく寝かした後に、大四切サイズで本焼きプリントをつくっていた。
でも今年のはじめに暗室を再開してからは、ワークプリントをいきなり大四切でつくり、そのまま本焼きまで行ってしまうことが多くなった。
その方がベタ焼きとネガを見てイメージしたものがストレートに出てくるのだ。
だから焼き込みをしないワークプリントは、本焼きができたらもう捨ててしまい、手元には残さない。
イメージに近いプリントだけをストックして寝かしておく。
イメージがブレなければ、それがそのままブックになるし、今回のように展示用として全紙に引き伸すための指針になる。

さて、きょうで全紙プリントが15枚できた。
まだ焼き方が気に入らないものが2~3枚あるので、それはもう一度焼き直す。
あとは大四切のストックの中からさらに3枚ほど焼くと、展示用プリントは一応完成。
つぎはマットを注文して窓を切る作業に入る。

あたらしいスタンダード

2013年07月25日 | Photography
満を持して、きょうから全紙のプリント作業に入る。
このプリントは9月の個展で展示するためのものだ。
プリントが完成しても、マットの切り抜きやマッティング作業、それと並行して案内状の宛名書きもしなければならない。これからちょっと忙しくなりそう。
ちなみに案内状は今年もブルームギャラリーにデザインと印刷をお願いしている。来週中にはできあがる予定だ。

さて、狭い風呂場を暗室にするために、まず、足元にあるシャンプーやリンスなどを片づけ、湯の入っていない湯舟に放り込む。
その足元に水洗用のバットを置く。
つぎに湯舟にフタをして、先日つくった木製のラックを置き、下から順番に定着・停止・現像のバットを置いて、それぞれの処理液を入れていく。
さいごに電球を暗室用の赤いヤツに交換すると準備完了。ここまで約40分。



いよいよプリント作業開始。
引伸し機のランプハウスを一番上に上げ、手づくりイーゼルの台板に画像を投影し、慎重にピントを合わせる。
ピントノブが上の方にあるので、ルーペを覗きながら必死に手を伸ばす。
つぎに基本露光の秒数を決めるためにテストピースをつくる。
ブック用の大四切プリントとテストピースを交互ににらみながら、秒数を考える。印画紙1枚の単価を計算すると失敗はできない。

そっと印画紙を現像液の中に浸すと、ふわっと黒い画像が浮かびあがる。この瞬間だけは何度見てもいいもんだ。
現像ムラが出ないように、現像液をたえずゆるやかに撹拌する。竹ピン(小さな印画紙を扱うピンセット)では間に合わないので、両手を突っ込んでぐるぐると回す。手荒れの傷口に現像液がしみる。
規定時間の15秒まえに印画紙を引き上げ、しっかり液切りして停止液に入れるのだが、10センチほどのすき間に印画紙を滑りこませるのは一苦労だった。
これでは作業効率が悪いので、木製ラックをつくりなおす必要がある。焼いてるうちに新しいアイデアが浮かんだ。



夕方までかかって予定の4枚を仕上げる。いやあ、たのしかった。
自宅の風呂場でも工夫すれば全紙プリントは焼けるんだ。
これからはこの大きさがわたしの作品のスタンダードになっていくだろう。

結局なにがいいたいのか

2013年07月24日 | Photography
きょうの24時が締め切りの期限なのに、CVの第3稿がまとまらない。
とくに一番カナメとなる「Artist Statement」がまだ揺れている。
つまり、撮りたいイメージはあるけど、「結局、それって何がいいたいわけ?」という根本的な問いに、まだ文章としてまとまっていないということだ。
でも、ここがはっきりしないと被写体だけ決まっているということはあり得ないし、ましてや作風や今後の計画などもはっきりとしてこない。
今ごろ迷っているなんて、いったい今まで何を撮ってきたのかと思う。

もともと回転数の低い脳みそなので、急に回転数を上げようとしても無理がある。
少し休ませるためにランニングに出る。
きょうは曇っていて、小雨もパラついているので走りやすい。ぐんぐんスピードが乗る。
10キロ51分台だ。最近、あまり走っていないわりには速かった。

スカッとしたところで、午後からまた作文。
だが考えれば考えるほど、思考が空回りして後頭部がアツくなってくる。ああ、ねむくなってきたぞ。調子にのって走りすぎたか。
どうしようもないので、氷枕を首筋にあてて、しばし午睡タイム。

目が覚めると頭がスッキリしている。氷枕が利いたようだ。
愛犬アルタの散歩の時間までになんとかCVをまとめ、横内先生に送る。
きっとまた手厳しい校正が入って返ってくるのだろうな。

でも、とりあえずこれで落ちついて全紙のプリント作業に入れる。いよいよ本焼きです。