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Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

掃除は才能か

2016年12月19日 | Life
清潔でしずかな環境で暮らしたいと願っているのに、じっさいには理想とはかけ離れた部屋の中で生活している。
騒音に関してはだれもいない平日の昼間は、宅配や郵便配達の車以外、気になる音はないのだけど、雑然とした部屋の風景はあいかわらずで、これはもう見て見ぬふりをしなければどうにもならないほど絶望的である。



それなら日ごろから掃除すればいいと言われるであろうが、わたしが思うに、この掃除をすることは一種の才能ではないか。あるいは遺伝的なものもあるのではなかろうか。いや生物学的なことはなにもわからないけど、掃除ぎらいのわたしと妻の血を受け継いだ息子を見ていると、ときどきそんなことまで考えてしまうのである。(上の写真は息子の部屋)

とにかくわが家は汚い。この「汚い」というのは、ゴミがあふれていたり床がよごれているというわけではない。ゴミ出しも掃除機かけも定期的にわたしがおこなっているし、洗濯ももちろん毎日している。だが部屋全体を見わたすとまったく美しくないのである。「美しくない」つまり「汚い」という意味だ。

他人様の家をじっくりと見たことがないので、わが家とくらべようがないのだけど、たとえばテレビドラマなんかで出てくる家の中はとても整然としていて清潔で美しい感じがする。まあ、あれはスタイリストが考えて大道具・小道具さんたちがつくったものであろうが、あんな空間で生活できたらさぞかし気持ちも落ちつくのではないか。
バカみたいな話をしていることは承知しているけど、そろそろ今年もおわりなので、整理できるところは整理して、すっきりした気持ちで新年を迎えたいと考えている。どなたか、家の中がきれいに片付く方法を教えてくれまいか。

退化する視覚

2016年12月11日 | Life
日本画家のOさんから作品展「咲き誇れ」の案内が届いた。6人の作家とのグループ展だが、すでに会期ははじまっている。万難を排して、きょう観にいくことにした。
彼女は毎年2回のペースでコンスタントに作品展を開催している。この地道な創作態度にはいつも頭の下がる思いで、自分のきまぐれな作品制作を反省せざるを得ない。
今回は0号キャンバス3点と6号1点、8号2点の合計6点も出品している。

最近のモチーフでよく出てくる「舟」シリーズはわたしのお気に入りの作品だ。舟の上に森林や家などが乗っていて、月夜のなかをしずかにすすんでいく。Oさんの世界観がもっとも表れている作品のひとつだと思う。
そしてこの作品を読み解くヒントとなる作品がそのとなりにあった。山のふもとに大きな家が建っていて、そのまわりに星が降り注ぎ、ほの明るく輝いている。よく見ると広い庭には物干やベンチ・イスが置いてあり、エントツからは煙が出ている。この家でだれかが生活していることがわかる。
おそらくここは彼女の故郷で、心の原風景なのだと思う。そしてこの家と山の一部分を舟に乗せて旅をつづけているのが、先述の舟シリーズなのだと理解した。(誤解かもしれないけど)



Oさんの作品以外にペン画や刺繍、漆器、陶芸など日本画とちがう表現の作品が展示されていて、それぞれに見応えがありおもしろかった。
天上から垂れ下がった「ひらひら」という陶芸作品は、花びらのような小片が無数に細い針金でつながっている。けっこうな重さのはずだが、重量を感じさせないふしぎな作品だった。粘土を焼いているので素材と技法は「陶芸」だけど、これはもはや現代アートと呼ぶべき作品だ。その自由さが気に入った。



6人の作品に触発され、久しぶりに心斎橋〜難波でスナップを撮るも、ぜんぜんおもしろいものが見えてこない。仕事にかまけて作品づくりをサボっていたので、視覚が退化している。
何でもつづけなければモノにはならない。つづけることが才能なんですね。

片道20キロのしあわせ

2016年12月07日 | Life
11月の中旬にめずらしく風邪をひき、やっと体調がもどった。どうやら原因は根を詰めてアルバムの編集をやっていたせいだと思う。
で、先々週からずっと卒業アルバムの撮影でM大学に通っている。撮影の内容は研究室ごとの集合写真と個人写真、そして研究しているようすのスナップ撮影(ヤラセです)。
予約のすくない日はゆっくり撮れるけど、希望時間が重なったりすると走り回らねばならず、なかなかたいへんだ。でも要領のわかっているカメラマンが3人いてるので、制作会社のNさんの指示で臨機応変に撮影をこなしている。
どんな仕事でもチームワークはたいせつ。



ところで今週は月曜日から毎日バイクで通っている。自宅からこの大学までちょうど20キロ、時間にして40〜45分くらいかかる。車だと1時間はかかるから、その差15分はけっこう大きい。
通勤途中に国土交通省の寒暖計のついた道路標識を見るが、一番寒い日でも10度である。それ以下になるとさすがにオーバーパンツが必要だけど、今年の冬はまだ一度もはいてない。
ボアつきの厚手の革ジャケットを着て、ヘルメットの中ではSuperfly。国道163号を流していると、このまま奈良の方まで走りにいきたい気持ちになる。
ま、それは我慢するとしても、バイク通勤だと気分よく仕事につける。そして帰りはシングルエンジンの鼓動が一日の疲れを癒してくれる。ああ、しあわせ。SRと出会って、つくづくよかったと思う。

 帰りはこの景色を見ながらのんびり走る

証明写真とからだの歪み

2016年11月21日 | Life
パスポートや運転免許証などに添付する写真にはきびしい規格がある。
サングラスやマスク、帽子は付けずに、顔はまっすぐ正面を向き、表情は歯を見せて笑ってはならない。基本的に真顔である。写真のサイズや顔の大きさも細かく規定されている。(くわしくはこちら

これは本人であるかどうかを確認するための証明写真であるから、当然といえば当然なのだが、デジタル写真の時代になって修正がかんたんにできてしまうと、本来の証明写真という意味からすこし外れてくる。
じっさい高校受験用の願書に貼る証明写真は、大きな声ではいいたくないけど、わたしはかなりの割合で修正している。どこを修正するのかというと、髪の毛のハネ、顔のキズやニキビ、そして首やからだの傾きである。時々やんちゃな生徒さんの茶髪を黒くしてくれというリクエストもあるが、それは証明写真にはならないのでお断りしている。

←これは無修正です

さて今年もたくさんの中学生を撮影して、現在その後処理(つまり修正)に追われているのだが、首の傾いている生徒さんがじつに多い。あるいは首はまっすぐでもからだが傾いている人もいる。
もちろん撮影のときにまっすぐになるように指示するけど、なかなかそれをキープできないで、つぎの指示をするともう首(からだ)が傾いている。撮影時間がタイトなので、多少の傾きは妥協せざるを得ないのだ。
それにしても頭の先からヘソまでまっすぐに座れる人はすくない。この傾向は年々ひどくなっている気がする。

先日、何度やっても首がまっすぐにならず、しかも顔が正面を向かない生徒さんがいた。もしかして身体的な障害をもっているのかと思い、撮影中に担当の先生に小声で確認したほどだ。あとでわかったのは、勉強のしすぎで骨格(おそらく背骨)が歪んでしまってるということだった。
あまりにもひどいので後日撮りなおしさせてもらったが、それでもまっすぐにはならない。しかたないのでたくさん撮った中から顔が正面に向いているカットとからだが正面を向いているカット、さらに目が開いているカットを合成して、一応まっすぐに見える写真を完成させた。
はたしてこれが証明写真といえるのかどうか。

水の流るるありがたさよ

2016年11月17日 | Life
二日ほどまえ、シンクの排水が遅いなと思いそうじをしたけど、やはりなかなか流れない。それでもだましだまし使っていたら、いつものように流れるようになった。なにか詰まっていたものが水のいきおいで流れていったのかな。
ところが昨夜になって、今度は台所の真下にある風呂場の天井から水漏れがして、脱衣場がびしょびしょになってしまった。これはもう素人には手に負えない事態なので、「水漏れ・配水管づまり」というチラシにある会社に電話して、すぐ来てもらうことにした。



一夜明けて、今朝一番に配管工事の人がやってきた。シンクの下の配水管のさらに下の部分をペンライトで入念にチェックし、やおら年季のはいった重そうな吸引ポンプのノズルを引き出し、それをぐいぐいと中へ差し込む。
ものの10分足らずで作業はおわったが、配水管が古くなってひび割れがあるので交換しなければならないという。この際、きちんと修理しておいた方がいいので交換してもらう。



配管工はあっという間に交換作業をおえ、工賃を受け取り、帰っていった。なんでもその道のプロというのは手際がよくて仕事が早い。その技術に代価が支払われるのだね。
これで安心して台所仕事ができる。配水管なんてふだんはなにも気にしていないけど、水が流れていくことは水が出ること以上に大切だと気づいた。話が大げさだけど、日本の上下水道のインフラはすごいと思う。
みなさん、水漏れするまえに配水管は定期的にメンテしましょう。