☆~☆ カノン ☆~☆

~ 美しく成長するために ~

真理 と 例外

2005-10-25 09:55:16 | 
相変わらず、硬い お題だなぁ と、自分で 思う。

 真理とは、矛盾の無いもの。

数学の公式の様に、当てはめれば、解決する物
その様に、思っている 節がある。

私は、お子ちゃまに、
そこは、話を広げるところではないでしょう と
良く 口にする。

考えた。
それも OK。

私も、話を とことん 広げる性質だ。

真理が、つじつまが合うものだとすれば、
いろいろな方向から、考えてみたいから。

そこには、エニアグラムの 性格5 のタイプが
如実に 伺える。

 その人のことを 考えて、人を 殺めてよいか?

真理から 考えると、やはり NOだと 思う。
どんな人でも、自分自身で、人生をやり直したいと
思った時でなく、
人のモノサシで、人生を終わりにするなど、
どう考えても、つじつまは 合わない。

人に、殺められたら、
そこには、恨みが 起きるかもしれない。
また、その人は、次の人生で、一からやり直さなくては、
いけなくなってしまうかもしれない。

 世の中には、何事も、例外がある。

それって、何なんだろう?

カルマの清算や、成長過程で、起きて然るべき事もある。
でも、本当の意味で、それが、本当に 続く必要のある
ものなのだろうか?

続くという言葉は、地球という時空という意味において。
繰り返される 時代 (出来事) の ひとつとして、
残しておく必要のあるものなのだろうか?

 経験しなくても、考えた上に、スタンスを取れば
   問題を解決できるとも 思っている。

何か、仕返しをしてから、仕返しが無駄な事だと
気付く人も居れば、
考えた挙句、仕返しを 経験しなくても、そう思う事も
まま ある。

例外って、何かしら?

非暴力主義で、話を 続ければ、
意地悪や、不当な扱いをされた時には、
非暴力主義で いられるけれど、
家族を 殺められた時には、例外という スタンスが、
成り立つのか? という事 ・ 意味だとも、思う。

。 。 。 例外って、本当に、必要な物なのかしら?

コメント
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