スピリチャル系の方々が
魂本来の道はスムーズで障害がない
と口々におっしゃるのを見聞きします。
『悟り』に興味を持たれている方
微かながらも気になっている方
そういった準備が整っているだろう方には
この法則が当てはまらない方もいるのではないか
と私は思っています。
私たちが住まう
二元性の価値観による
良い悪いの世界観を超えて
すべてを好き嫌いなく
どちらへの執着も捨て去り
起きている現象に対して
自分の感情を交えることなく
あるがままに受け入れる
ことが『悟る』状態だと。
私の記憶に寄れば
抱きしめの聖者 アンマ(関連 リンク 一覧)も
そんな事をしたら
人は自分の好きな事しかやらなくなってしまう
とおっしゃっていた様に思います。
万事塞翁が馬
すべてがスムーズに進んで成功した方は
それがその方の生まれてきた目的であったかも
しれませんし
その後に起こることのために用意された事かも
しれませんし
それこそ、人知を超えた世界観。
幼子が立って歩くためには
何度も失敗を繰り返します。
だからといって
その道がそれている訳ではありませんよね?
大人になると
困った時にすぐ助けを欲しがる
けれど
幼子を見ていて思うに
我が子が何度も失敗してる姿を見かねて
親が手を貸そうとすると
手を払いのけて
自分でトライしては
また何度も失敗する経験を選択するんだな と。
山登りをリアルに体験しなくては
たとえバーチャルで山頂の映像を見ることが出来るようになった今でも
登頂のすがすがしい達成感は得難い。
山頂の映像を見て感動した人は
リアルな体験を求めて
山頂を自らの足で登りませんか?
一つ一つのハードルを
丁寧に超えて行けば
歩けなかった幼子がいつかは
走れるようになるかごとく
大きな障害も
気が付いたら克服できるようになっている
のではないかと思う次第です。
困ったときは
自分で出来る限りを尽くして
上手く行かなかったら
人に助けを求め
それでも解決しない場合には
【忘我の中で(結果に対する執着を捨てて)】神に祈ってください。
その結果が
自分の意図とは違ったとしても
それが今のあなたに与えられた恩寵です。
自分の好み(望み)ではないと
その恩寵(プラサード)を捨て去らないで下さい。