820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

深浦さんのこと、それから彼のこと。

2008-08-29 | 生活の周辺。
うまくことばにできるわけがないのだけど、その写真がほんとうにかっこいいのだった。とても小さくて細部まではよくわからないその写真を見て、ぼくはようやく悼みを口にしてもいいと思う。おどろくほどたくさんの演劇人たちがその死を悼み、ことばを手向けてい、ほとんど茫然自失の態で、彼女の死と正面から出会っている。その台詞が、しぐさが、歌が、すがたが、これ以上ないほど幸福に時代と出会う女優。それにしても、その写真はほんとうにかっこいい。どうやら今の自分とほぼ同じ年齢の彼ら。何かが生まれようとする熱の、彼女はその中央で、ただ笑っている。おれたちはいまこんなふうにはけっして写されない。もっとかっこうわるく、困ったように笑いながら、そのぶんだけ意地悪く、たたかったり、いどんだり、あそぶ。その写真はほんとうにまぶしい。記憶のどこかのいつかの舞台ともういちど出会い直すにはとてもいい。また別の者には、何かが生まれようとする始まりの予感を与えつづけるだろう。そうしておれはいま23歳だ。

ぼくは彼の死とうまく出会えない。
それはとても優しい世界だった。おいつめられた子どもの用意した手製の武器。セロテだらけの精度ばつぐんなピストル。批評のふりもしようとしない罵詈雑言の群れに目の前が暗くなった。
だけどよくわからない。まだぜんぜん何もことばにできないや。

ただ、演劇という装置は、死者たちともっとも深くコミュニケイトし得る回路である、とかね。

合掌。

おさむしさん。

2008-08-26 | 生活の周辺。
友達のブログに手塚治虫の実験アニメ『人魚』の映像が貼り付けられていて、それを観ているうちに幼稚園にあがる前に観た『ユニコ魔法の島へ』という映画のことを思い出した。おとなになってあのアニメが、監督は違うとはいえ、手塚治虫の作品だったと知った時には驚いた。
役目を終えたガラクタたちが打ち寄せる海辺、という場面があって、そのシーンのあまりの怖さに、「終わりの風景」が心に焼きついてしまい、ことあるごとに思い返してはその印象を大事に育てていた、らしい。
高校生の頃、あの連れ去られる感じをもう一度体験しようと思って古いビデオテープを再生したが、結局、自分のなかの最果てのイメージが崩れ、時間の錬金作用をふいにしてしまった。もったいない。ああ、とりとめのないことを書いている。『人魚』を見て、線そのものが意思を持っている様子、輪郭が自由に溶けてまた新しい絵にまとまっていく一連の流れとか、キャラクターを包む世界そのものの暴威が怖かったのかもと思う。まあ、あとづけだ。

アニメーションってやっぱりパントマイムと似てるんだなぁ。イメージの連なりがとても近い。夢が肌に侵食してくる感じ。

どこかで読んだのだけど彼は自分のマンガのヒロインを描くときその造形(ハートを含めて、だと思う)を「自分が抱きたいと思うまで練り直す」のだそうだ。まったく偉大な人である。

コーデリア・グレイへ伝言。

2008-08-26 | 生活の周辺。
いいかい、めったにないことだとは思うが、万がいちあなたの周りにシナリオライターがいて、そいつが甘ったれのくそやろうで、ああだこうだ呻いてるばかりで台詞を進めず、あなたもそのことで困っているなら、こう言ってやるといい。書けない者にはどんな言葉も意味をなさないが、しかし言葉をかけてやる者がいるというのは大切なことだ。

「おまえの、あんたの書くものがおれは、あたしは好きだ。そう、あんたの表現が必要なんだ。焦ってもいいし焦らなくてもいい、またおれを、あたしを楽しませてみろ、楽しませてよ」

たいていの場合はこれでOK。精神状態によっては逆効果だが。あいつらは弱い。飛ぶことは飛ぶが、季節の推移に破れ落ちる蝶の羽根ほどに弱い。それで食っていけるってやつらは、ほんとうに心をこめてそう言われてるか、ほんとうに心をこめてそう自分に言い聞かせているか、どちらかだ。
いや、ちがった。
必要なのは自分の声。それがすべて。物語に潜行するとき、外野の声は聞こえない。
たぶんそいつも、自分に言い聞かす声が嗄れて書けないでいる。そんなときは、あんたの出番さ。引っ張りあげて、背骨をたたけ。

じゃあな、あばよ、伝えたぜ。しくじるな。

夏まだ去るな。

2008-08-24 | 生活の周辺。
夏なんかさっさと終われと思うけどこの冷え方はおかしいよな。たぶんもうひとつでかい波がくるんだろ。そうしてようやく夕方や夜の風に季節の変わるにおいが混じりはじめる。2、3日あいまいな時間がすすんで、気がつけば秋のなか。そうでなければやだ。こんな強制終了みたいな寒気に夏負けるな。俺を殺すくらい暑くなりやがれ。

物語は何かの終わりを繰り延べるために語られる。
この言葉をこのあいだ本のなかに見つけて、自分たちの作品づくりを支える大きな手がかりであると思って、あれこれ考えている。
『スロウ』も、じつは『izumi』も、この命題を劇のなかに抱え込んでいた。

そういえば、そろそろ生まれる時期だろうか。
いったいどんな感じがするんだろう。友人のからだとこころを受け継いで現われてくる小さな生きもの。

どうか無事にこっちへおいで。もうあと半分だ。油断せずにけれど天使のように大胆に登場してらっしゃい。みんな待ってる。きみの生きる時間にぼくはあまり関わらないかもしれないが、そういう人間がきみに会えるのを楽しみにしていることは、そう悪い気もしないだろう、大事なことなんだきっと。

アシベは雨のなか警官と大立ち回りし、加藤くんは雨のなかドラゴンズの応援で声を嗄らし、さとるさんは雨のなかアスファルトに倒れ遠くの銃声を聞いた。
うん、僕たちはそんな状況です。夏まだ去るな。

みんな持ってるはずのとびきりの力で。

2008-08-13 | 胸に旅人のバッヂ。
前日、無我ちゃんと会話をしながら、奈良へいこうと決めた。
この日は1日自由に使えたので奈良ざんまいの日にしようと思い、西大寺からレンタサイクルで平城宮跡へ、薬師寺へ、法隆寺へ、泣きべそでペダルをこいだ。15分に一回、500mlのペットボトルが空になるんだから、阿呆なことをしたと思う。

あんまり疲れたので明日香方面、石舞台古墳はあきらめ、とぼとぼと奈良の駅へ戻る。
するとちょうど「なら燈花会」の会期中で、駅前の三条通りから、興福寺、国立博物館、東大寺へと、ろうそくの灯りが道の脇にどこまでも続いていた。
夜中の興福寺は人が大勢いて、五重塔はライトアップされ、夕方には閉まるはずの宝物殿がとくべつに開いていたので、阿修羅像を見ようと思った。
阿吽像の筋骨隆々の見事さにも驚嘆したけど、阿修羅像のあの繊細な表情の造りにもほとほと感心した。なんつう悲しい顔をしてるんだ。あれは瀬戸際に踏みとどまって何かを守る者の顔だ。
出口には様々な角度からのプロマイドが大量に並ぶ。気の遠くなるほどの昔から、字義通りのアイドルを続けていたんだね。

そしてなにより鹿がかわいかった。とことこ近寄ってきておじぎをする。手を伸ばすと、フコフコフコフコ、においを嗅ぎにくる。

翌日、午前中は京都で、きなこから聞いた、おいしいくず切りのお店に行く。四条河原町のほうの、鍵善良房という、おそらくとても有名なお店。
あんまりおいしくて、泣きそうになる。
時間があれば祇園の町も歩きたかったのだけど、すぐにまた電車に乗り、名古屋へ。

ほんとうの旅の目的は大橋さんに会うこと。
来年の春に僕たちはカラフル3という演劇祭に参加するのだけど大橋さんはその企画の立案者。
マカロニノートを読んでいて、それほど大幅には年のひらいていない、けれど現在も大きな仕事を抱え、描いたイメージを実現すべくたたかっている彼と、会って話をしてみたかった。

地下鉄に乗ってるうちにずいぶんと外は暗くなっていて、事務所のある小学校跡地のほうへ向かうと、校庭では盆踊り、夏のちいさなお祭りをしているところだった。
少し迷って入り口付近をうろうろしていると、逆光で影になり、顔の見えないその人が「やあ」と腕をあげた。
大橋さんはたいへん眼光の鋭い方だった。

屋台で買っていただいたお団子とカルピス。演劇のお話。盆踊りのリズム。こどもたちの声。

そのうちにスタッフの方が現れ、来年のカラフル用のインタビューがはじまった。
何ひとつ気のきいたことを話せなかった。
前後の脈絡なしに「人間が背中にしょっているものを描きたい」とか「ポップに神話を描きたい」とか言ったって、そりゃなにも伝わらないよなぁ。そしてこういった場で、相手を説得する言葉を繰り出せないようなら、舞台を通して客を説得することも無理だろう。
時間と空間が固まってきた頃、連絡を取っていた大学の友人が訪れ、彼女は820の舞台を観たことがあるので、その感想とか印象とか、インタビューの矛先は彼女に向かい、クレバーで頭の回転の速い彼女は、きらきらすることばでそれをまとめて話してくれた。おかげでずいぶん助けられた。岩崎さん、ありがとう。大事な日だったのにごめんね。

それから、宿のない僕に付き合って、次の日も仕事があるというのに、大橋さんは銭湯から漫画喫茶まで、朝まで一緒にいてくれた。
過ぎた時代の積もり積もった仮事務所で、未来に求めている演劇について話したり。
大橋さん、ほんとうにありがとうございました。

カラフル3がますます楽しみになった。
祝祭の時間を。馬鹿みたいに嬉しくなって胸がさわいでみんな持ってるはずのとびきりの力でえんえんと駆けずり回るような時間を。
全力で遊びにいこう。

助けられてばかりの旅だった。820のメンバーにもとても助けられた。俺がふらっといなくなった内に、とても大事な話し合いが東京ではもたれたのだった。ありがとう。ちょっと生き返ったから、ガリガリ動き出す。

緊張せずぼんやりともしないこと。

2008-08-11 | 胸に旅人のバッヂ。
8時間、鈍行に揺られて、万博公園へ。
もちろん太陽の塔を見るために。
モノレールに乗ってその駅に着く頃、思いがけないというか、不意打ちにというか、べらぼうな光景があらわれた。
真下から見上げて、あまりの途方のなさに、笑うしかなかった。それもすごく幸せな笑い。太郎ふうに言えば、圧倒的で測り知れないものと正対し、必死で己をそのものに向かってひらいていくとき、静かに湧き上がる歓喜。
なんつって、それほど大したもんじゃないよ、って気持ちもどこかにあるんだけど。だまされねぇぞ、って思うんだけど。それすら飲み込まれるっていうか。
岡本太郎の力強くて大仰なことばは、創造物の豊穣は、自由を希求する精神は、いったい何に裏打ちされているんだろう。お茶目、というとどこか決定的に間違う。だって彼はどうしようもないほど真剣だ。子どもの時間が垂直に伸びているみたいに。
なにせ「コップの底に顔があったっていいじゃないか」である。

それにしても太陽の塔。
見間違いがずっと続いている感じ。何度見ても「うそーん」って思う。

夜ごはんはカレー。

取り立てていうことのない平凡な四人家族がお店に入ってきた。小さな姉弟と、中年の夫婦。取り立てていうことのないはずなのに、どこか、何かが、いやな感じ、と思って、観察してたら、男の子が、買ってもらったばかりらしい怪獣の玩具でずっと遊んでいて、料理が運ばれてきても誰も止めないで、ますます遊びはエスカレートし、ついにカレーをひっくり返してしまった。お母さんのズボンが汚れてしまった。だけど男の子は怒られない。拭き終えたお母さんは「坊、チキン、こっちなら辛くないよ」と自分のお皿を差し出すが、男の子はまだ怪獣同士をたたかわせている。ギャーギャーうるさい。お父さんはデジカメを夢中でいじくっている。笑顔で小さな画面を見つめている。隣にいる小さなお姉ちゃんが「怪獣で遊ぶなや。遊ぶなや。遊ぶなや。最悪や、あんた」と一人で怒っている。怒らないということは立派な虐待である。この家族の姿が現在のある部分の象徴に思えてならない。とか、高みの見物。

淀川は花火大会らしい。でも始まる前に突然の雷雨。
あきらめて駅へ向かう人の群れのうえに、ひときわ大きな雷が鳴り、びっくりして振り返ったら、それは鮮やかな花火だった、と見にいった人が言っていた。

僕はそのころスパワールドでお風呂に入っていた。年季の入った肩こりが一時的に治った。

駅からスパまでの短い道のりで、夜の新今宮を怖がっている自分に気づく。去年はなんとも思わなかったのに。朝市まで歩いたのに。守るものができたのかしら。去年はやけっぱちだっただけかしら。

翌日は松村武さんのワークショップへ。
会場に向かう途中、原付かっ飛ばしながらメール打ってるお坊さんがいた。びっくりした。

ワークショップに参加するのは久しぶり。そして松村さんを目の前にしてミーハー的にドキドキする。体のキレとか重心のとりかたとか瞬発力とかぜんぜん違う。ぎしぎし、体の錆を落としながら、かたい部分をゆっくりほぐしながら、あっという間の4時間。楽しかった。皆さん、面白かった。もっとゆっくりお話できたらよかったのだけど、それが残念。またどこかでお会いできたらとてもうれしい。

夜は梅田で無我ちゃんと会う。歯医者と探偵稼業の両立について。
居酒屋でごはん。食べるものがことごとくおいしい。おいしいものたち、きちんと俺を構成せよ。

旅立ちは夜のうちにおこなわれなければ。

2008-08-09 | 胸に旅人のバッヂ。
そういうもんだと思ってるのだけど、いろいろ事情があって、出発は今日のあさ。
ほんとうは今年の夏はどこにも行くつもりがなかったのだけど、急にカンボジアに行くことになり、急な話だったので結局チケットが取れずお流れになり、なんだよあたふたして損した、と悔しい気持ちになったので、西に行くことに決めた。

太陽の塔を見たい。
向こうでやってる芝居を見たい。
古い町をてくてくてくてく、あるきたい。
おっきなお風呂に入りたい。
ひとけのない電車に乗りたい。
知らないおっちゃんに屋台でおごってもらいたい。
あー。
会いたい人がいるな。

山本くん、元気ですか。
まだ詩を書いていますか。
辻利で抹茶パフェ食べようね、って言って、4年も経っちゃったね。しまったよこれは。
おたがい良い感じのときにひょっこり出会おう。たぶんどこかで歯車が合うよ。
あ、『リリィ・シュシュのすべて』ようやく観れた。
これも薦められてからずいぶん経っちゃった。田んぼで喧嘩するシーンとか好きだったな。
山本くんもたぶん、確信的に精力的にのんびりしてないと、生きていけない人種だろう。また会えるのが楽しみだな。白髪とかでもいいね。

おめでとう、となんども言う。

2008-08-04 | 生活の周辺。
いろいろあった。
いろいろあったはずなんだけど暑くてもう覚えてられない。
部屋がもうぐちゃぐちゃでたいへんなことになっていてさらに暑苦しい。

とにかく昨日は、小学校の時の友人の結婚式だった。
野良猫会が結集した。

野良猫会。
会規は「各自、生き延びる」

なんだかんだいってみんなバリバリ働いていて、頼もしくもいまだ誰一人おぼれることもなく荒波を泳ぎわたるそれぞれの経験から「はっちゃんの劇団を盛り上げるためにはどうしたらいいか」について喧々諤々語ってくれた。

1.動物を出すこと。
2.淡い恋愛をドラマの隠し味に。
3.心を売っても魂売らない。(by 山下達郎)

ありがたい話だよ。ぜんぶすでにやってるけどもよ。うれしい。
リサーチと営業。そのための人材確保。
アマチュア気分で甘えてんじゃねぇぞ、と突きつけられた。

結婚式、二次会。
なんだか不思議だった。あのころ一緒に給食を食べた彼が、その時とほとんど顔の変わっていない彼が、新婦のお腹にそっと手をあてる。
なにか特別な時間であるにちがいないのだけど、それはあたりまえにたどってきた道筋で、これからも続いていくわけで、その狭間の一瞬に立ち会って、二人の日常を送り出す、なんつうの、ブースターみたいな時間になれるように、おめでとう、おめでとう。

いや、もうほんと、暑いですね。
ぐでんぐでんです。からだには気をつけてください。生き延びてください。