820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

最弱音の思想。

2007-08-31 | 生活の周辺。
もし世界の終わりが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。
ゲオルグ・ゲオルギウ

先日のサッカーの試合で、奪えるはずのないボールへ向かって突進していく選手の姿にはこの言葉が重ねられるだろうか。文脈において大いにズレ合っているとしても、松本さんが帰られた後、僕はこの言葉を思い出していた。そして隣では網谷くんが純真そのものの瞳で試合を見つめていたし加藤くんは服を脱いでいました。

テレビで南米の方にある滝の映像を見た。
Uの字型の幅何キロにもわたる広大な滝の、その地形と水量の途方も無さ。水の強さ。自然の噴出。何というのだろうなあれは。かなうはずがない相手を前にしている、感じ。つまり、聖なる感じ。

行き詰まったら星の遠さを見ればいい。小さな光の寄せてくるその距離と時間の途方もなさを感じることができたら、それで難関は突破だと言った劇作家がいた。
同じことを博物館で僕は感じる。あそこでは時間の感覚が揺さぶられる。目がまわる。一つの石片に込められた遠大な物語だとかそれを越えて今も残る誰かの息づかいとか、歩み寄らねば気づかれないような、かすかなもの。

創作の態度が「表現」に傾斜し過ぎていた。それは必要なことだったけれども、また「創造」に引き戻したい。
目眩の感覚。そこから派生する諸々。諦めること。愛すること。寂しさ。鈍痛。生活においてはやたらに感傷的で、それ故にloudになりがちなそれら一切をもう少し大事に丁寧に響かせて、メロディーに高めて、聞き取ることのできる耳を獲得しなければいけない。耳の精度をあげるのだ。だからあまりに広大な距離、遠すぎてどんな物音も届きそうもない距離を自分の内に確かめて、時にはその場所に落ちていって、じっと耳をすます時間が必要になる。そのような場所に立ってようやく感じ取られる響き。たとえ弱々しくて誰にも気づかれなくても、それはすでに途方もない距離を越えて伝わってきた音だ。その音で歌え。

深層は健全だ。

2007-08-28 | 生活の周辺。
涼しくなったせいかこの頃はよく夢を見る。
先日の朝、枕元に置かれていたメモにはこんな風に書いてあった。

《生協の店長、聖子の嫉妬、坂道で空を飛ぶ》

僕は生協の店長に赤ん坊の頃お世話になったらしく、ご挨拶をしている。いつの間にか一緒にいた友人(現実には知らない)が失踪した。店長は各方面に連絡をつけるために店に戻り、僕はその友人の後を追った。松田聖子がいた。
「店長とばっかり仲良くして!」
聖子は野菜や工具類を坂の上から投げつけてくる。それをよける内に足が滑り、転ばないようにもがいていると、体が空に持ち上がっていた。
やわらかい緑色の斜面を加速しながら登っていく。斜面にはゴムのような紐が幾重にもからみ合い、たとえば空と地面とで結ばれていて、行く手をさえぎる。
海の底で鉄骨を建てる。僕は指示を与えなくてはいけないし鉄骨を設置してそれがどのように見えるのか、集団にイメージを伝えなくてはいけない。旅から旅へ。いたるところで鉄骨を建てる。ゲネの段階からビデオ撮りをしていたため、各地の本番で撮る予定のテープが足りない。そのことを打ち明けるが皆は盛り上がって聞いていない。グラスを持ったまま廊下へ行き、会計を頼むが断られた。今計算してしまうとこれ以上の注文ができなくなるからだ。

秋の気配と、この一週間について。

2007-08-27 | 生活の周辺。
四日目は楽日。
無事にサマホリ終了する。
打ち上げは朝まで。
帰宅後に少し眠って、起きたら居ても立ってもいられず車に乗って走り出した。
行く当てはない。東名に乗ろう。静岡を過ぎたあたりで素泊まりの温泉に泊まろう。と思い、でも直前で東京方面に進路を変更した。走ったことのない道がいい。東北に向かおう。福島のあたりで中学の時転校したきり音沙汰のない友人を探そう。すぐに東名は終わり、首都高に乗った。
東京をはじめて車で走る。
夕暮れの、渋谷周辺の非現実感はすごい。すぐ向こうに、道路と同じ高さに電車が滑り込んでくる。
看板とビル、列になって並ぶ灯火と、淡く光るような川と、遠くまで続いて蛇行していく道路を観ながら川本真琴の歌を、『EDGE』を、頭の中でエンドレスリピート。
《街も人も渋滞のライトもBonnieとClydeには綺麗だったの》
途中で東北行きを諦めて首都高を降りる。東京の友人宅に寄る。夜もいい時間に突然現れた男に素麺を茹でてくれる友人は貴重だ。平謝りしたい。仕事が残ってるというのに朝までうだうだして昼まで眠るという残念なことをした。昼にはスパゲティを茹でてもらった。しかも以前に借りたお金を返し忘れた。僕は君と友人のままでいられるだろうか。
環七通りをひた走り、第二京浜道路を通って川崎へ。絵本を朗読する企画を観に行く。とても面白かった。小さな子どもたちの反応を見た。
役者が登場してからも彼ら彼女らは自由に喋るけれど、物語が熱を帯びれば引き込まれて静まり、光る紙片が降る場面では「きれい」と歌うようにつぶやく。
この子たちに向けて何か創りたい。嘘偽りのない心と遊びたい。

izumiの構成をたどりなおす。これは三部作の第一作であって、その後の二つの作品について漠然と考える。

前にエキストラで端役をいただいた映画のDVDが届く。感謝。15分の短い映画。監督の演出と美学が詰め込まれている。映像の演技は難しい。何もかもがすぐにバレる。一緒に出演したないんさんや、主演の三人の凛とした佇まいに比べて俺の不細工な体は物悲しい。変な声してるし。

インカ・マヤ・アステカ展を観に加藤君と上野へ。
どれもこれもがべらぼうに訴えかけてきた。聖地に行きたい。そこで空を見たい。人が多い博物館は雑念が展示物への集中を途切れさせる。疲れた。
なぜ死者に花を贈るのかを考えていて、たぶん探したらいろいろな人のいろいろな意見が見つかるのだろうが、アステカでは儀式の際の生贄にする人間を確保するために行う戦争のことを「花の戦争」と呼んでいるらしくて、そこにはやっぱり何かあるのだ。

ハッピィ吉沢氏のワイルドマジックショーを観に汐留へ。
ハッピィ吉沢氏は大道芸人であり、僕の師匠である。そう呼ばせていただくことが憚られるほど出来の悪い弟子だけれども、弟子としてはその芸を穴のあくほど見つめて、盗まねばならない。
仮面の奥にのぞく瞳のテンションにもうやられる。とろんと呆けて見てしまう。
格好良い…!
何十年と、身一つで、路上に立つことで、夢を人に与えることで、生活してきた人の凄み。
子どもたちが食い入るように見つめてる。
僕も食い入るように見つめてる。
本当に魔法かと思う。お客の興味を引きつけてやまないその身体性。練り尽くされた作品の構成。感服しました。芸を終え、投げ銭を待つ爽やかな笑顔の師匠とかたい握手をして、ここしばらくの無沙汰と不義理を詫び、退散。

サッカーを、僕はたとえばスタジアムで観たことは無かったのだけども、その機会に恵まれた。ありがとうございました。本当に良い経験になりました。ホームの人々の熱狂は何なんだ。笑った笑った。アウェーの人々のあの、何だろうなぁ、あの感じ。すごく良いよね。入場者の総数が19000人弱だったそうだが、アウェーの人々は500人くらいしかいなかった。そこに野次が飛んで応援歌はかき消される。
試合はとても面白かった。しゃかりきになってホームの人々は歌う。手拍子をうつ。興奮に飲み込まれるという事態がよくわかる。選手が走り出すと芝生のにおいが風で飛んでくる。ボールが高々と空中に蹴り上げられた時に言い知れない感動を覚えた。
フライドポテト。コーラ。選手が大体自分らと同年代という事実。ひっくるめてみんな楽しい。芝居のことを考える。スポーツと芝居と。試合と作品と。客の求めるもの。

表現・創造に携わるなら、「いつでもアウェー」であること。
去年、一人芝居の楽屋で聞いた言葉。

玉置くんと電話をする。
いろいろと話を聞き、謝り、驚き、力をもらう。もらってばかりではいけない、頑張らなくちゃ。小屋入り前の忙しい時期に感謝。

ずいぶん涼しくなった。好きな季節がようやくはじまる。


サマホリ07、無事終了いたしました!

2007-08-27 | ごあいさつ。
ご挨拶が遅くなりましたが、サマホリ、無事に終了いたしました!
ご覧いただいた皆様、遠くでそっと見守っていただいた皆様、本当にありがとうございました。
今年もまた非常に濃い団体が集まり、大きなパワーが炸裂しました。
難波さんの特権的な身体とそれが生む爆発の大きさ、静寂の瞬間に現れる生々しい恐怖には、これは太刀打ちできない。すごいものを観た。
ざくろさんのダンスの震えるような美しさには本当に驚いた。毎日、毎回が即興なのだという。ダンスという表現形式の持つ豊かさに今更ながら気づかされた。もっともっと観なくては駄目だ。ご一緒することができて本当に幸せだった。
ユルガリは過去に観た上演のなかで一番面白かった。彼女たちの姿勢と、受け止める側の気持ちとががうまく調和していた気がする。ポップだしロックだしビッチだし。ギリギリの痛くて悲しい部分を描きながら、でも「ぴくぴく」くたばるそのセンス。三人が本当にいいバランス。悔しかった。
山縣家はもう本当にすごい。言葉はいらない。怪物だ。なんでこんなに面白いのだろう。演劇の未知なる力をまた今年も観ることができた。
820は一緒に作品を創りたいと思う役者・スタッフの皆さんと関われて最高にハッピーだった。多くを助けられました。作品を創る過程においても、小屋入り後の時間においても、観に来てくださった方の言葉からも、考える契機を多々見出すことができた。必ず次に繋いでいこうと思う。
STスポットのスタッフの皆様には本当に頭が上がりません。様々ご迷惑をおかけしましたが、必ず作品で返します。返していきます。
820製作所の本公演は来年、冬の終わり頃、それに先立ってのワークインプログレスが今年の秋、10月半ばにSTスポットにて。
2006年の7月に上演した『izumi(リーディング)』を改訂して再演します。
ほとんど新作です。
新しく作品を生み出せるのが奇跡のように思える。何というかワクワクする。これは旗揚げの気持ちだ。全力で取り組む。確実に次へ進む。
これからもどうぞ820製作所をよろしくお願いいたします。

サマホリ:今年もホラー。

2007-08-19 | アナウンス。
Summerholic07-恐怖劇場-の公演チラシはこちらです!(画像小さいけどごめんなさい)

表側の絵柄は去年と変わりませんが、色合いが大きく変化しております。ホラー味を増しています。裏面なんて各団体の写真が(!)載っています。じわじわと配布されていきますので、ぜひぜひ見つけだしてはむしり取って、お部屋の机上、壁、ふすま、タンス、冷蔵庫、トイレ、などに貼りめぐらせてくださいませ。あなたの夏を演出します。
宣伝美術はユルガリの松村さん。力作とはこのことだ。
以下詳細情報です。

演劇・ダンス・パフォーマンス…全部ごちゃまぜ豪華5本立てショーケース!

◆劇場
STスポット
(横浜駅西口徒歩7分)
http://www.stspot.org

◆公演日時
2007年8月
16(木)19時
17(金)19時
18(土)14時/18時
19(日)14時/18時

◆参加団体
☆劇団 山縣家
『こたつカフェ花火の夜』
【作】やまがたひろとも
【演出】劇団 山縣家
【出演】山縣恵子、やまがたひろとも+α
【音響】山縣耕太

☆山賀ざくろ
『ゆうれい』
【作・ダンス】山賀ざくろ

☆難しい波
『アジアン・ビューティー~ナンちゃんのはにかみプラン~』
【作・演出】山縣太一
【出演】難波・ラ・幸太

☆劇団820製作所
『urashima』
【作・演出】波田野淳紘
【出演】加藤好昭、河野圭香、松本美香
【衣装】佐宗乃梨子

☆ユルガリ
『ユルガリ戦記』
【構成・演出・出演】印田彩希子、加納由紀子、松村翔子
【衣装】佐宗乃梨子

◆チケット
一般前売2500円
一般当日2800円
学生割引2200円(要予約&学生証)
(発売:7月1日)

◆チケット取扱
★ウェブ:http://yulgali.oops.jp/samaholi07/
(こちらから『サマホリチケット予約フォーム』へお進みください)
★メール:samaholi@yahoo.co.jp
(お名前・希望日時・チケットの種類と人数・連絡先をお伝えください。折り返し、ご予約確認のメールをお送りいたします。)

演劇のみならず、ダンスからパフォーマンスまで幅広く網羅したSummerholic07。五団体の競演により横浜に恐怖の熱風を巻き起こします。乞うご期待。

サマホリは続く。

2007-08-18 | 公演中。
三日目。
昼と夜、二回公演。
前説は両方カミましたけれども、伝わったんじゃないかな。
夜の公演に、愛知から加藤くんの後輩が駆けつけてきてくれた。愛知からってあなた。本当にありがとうございました。初日にも一人、彼の盟友という方がはるばるいらしたのだ。加藤という男はカリスマだ。愛知の皆さま、近い内に彼と一緒に名古屋で公演するのでその時にはよろしくお願いします。いつになるかわからないけど、必ず行きます。

観てくれたお客様から感想を様々いただき感謝する。
お世話になっている音響家の丸池さんは僕自身が考えつかなかった深い解釈を作品に加えてくれたし、友人が寄せてくれた、松本さんの長台詞がフランスの古典詩を読んでるようだという感想には驚いた。役者の力だ。
さまざま、未熟な点、観劇中の戸惑いについても多々ご指摘いただき、本当にありがたいと思う。

Project ONE&ONLYの座長の白土硯哉さんと、俳優の山崎いさおさんがお越しくださり、終演後に820組でしっぽりと飲んだ。それはもう深い話をしてくださったのだ。次の芝居を形にしていくにあたって、とても示唆的なこと。むちゃくちゃ勉強になった。受け取ったものを僕らもいつか返さなくてはならない。本当にありがとうございました。

サマホリがんばっている。

2007-08-17 | 公演中。
初日の朝は明け方まで眠れずにもんもんと枕を抱えて横になっていたら大きめの地震が来た。
サマホリ一大事だ! と思った。無事にやんで静かになった。千葉沖が揺れたらしい。南米も大変なことになっていた。

昼にゲネ。各団体の作品を観た。これはハッピーなショーケースになった。どれもこれもがべらぼうに面白い。濃いったらない。

本番へ。
大入り。感謝。しかし立ち見が入りきらないほどの盛況で、お客様にご迷惑とご不便をおかけした。本当に申し訳ありませんでした。また俺の前説がカミカミなんだ。真剣に怒られる。ダメ出しをされる。松本さんに「適材、適所」と微笑まれる。前説降板の恐れがある。
820は初日のためか、かたくてテンポが崩れる。自分が出ない自作の芝居って、緊張してしょうがない。今回は袖で観ているから客席の様子はダイレクトにはわからなくてまだ良いものの、手も足も出せないのがもどかしい。舞台は役者のものだ。

初日打ち上げを軽くして、解散。
生粋の野良猫が長野から帰ってきたので、真夜中に湘南台で落ち合う。
閑散としている。
長野・松本から帰省している彼の人生の選択に迷う姿を見て、一週間前までインドにいた男の目の眩むような話を聞いて、楽しく眠りそうになりながらシンと静かな居酒屋でジュースばかり飲む。
朝焼けの空がきれい、川沿いの道には靄がわいている。ゆっくりと歩いて帰る。並んで立ち小便をする。

昼まで寝て二日目。
早めに劇場入りして微調整の稽古。弛緩していた部分を引き締める。

本番へ。
前説は昨日の挽回をしようと思ったがまたカミカミで嫌な間が空いた。難波さんに怒られる。
そして僕は固唾をのんで820を見守っていたけれども、全員で生み出すという意識を全員が強く持ち、一瞬崩れても立て直すことができたし、アクシデントには冷静に対応して、最後の場面ではソリッドな空気が出現していた。

帰り、戸塚の古本屋に寄ったらテータム・オニールのフォトアルバムみたいな本があって、買う。
ペーパー・ムーンのラストが大好き。あれこそは映画。映画は一つの夢。映画は一つの記憶。力を与えてくれるもの。


『urashima』客演紹介③

2007-08-16 | 芝居の前に。
松本美香さんを紹介するにあたって僕は文体を変えねばなりません。
初めてお会いしたのは6年前の冬で、僕がまだ高校生だった頃です。
友達に誘われ、P.E.C.T.という劇団の主催したワークショップに参加したのが最初の出会いでした。
松本さんはP.E.C.T.の看板女優でした。
何をされても面白く、アドリブの苦手な僕は、その場その時にサッと面白いものを捕まえて表現する瞬発力の良さ、そのように動ける柔らかさ、当時出会った言葉によれば抜群の「心の運動神経」を駆使する松本さんに、すっかり圧倒されました。
夢見がちな高校生だった僕は、目の前で繰り広げられている即興劇を見ながら(たとえば川に突き出た岩に乗る女性二人が、おしっこを我慢する場面だったりしたのですが)、別の物語を透かしていました。
それはおそらく黒船来航の頃に、その騒ぎは遠い場所で静かに営まれる生活を描いた時代劇であり、タイトルは『都忘れ』になるはずで、装置は襖と幾種類かの紙、縁側だけがぽつんと置かれ、松本さんが中央奥に一人立ち、透徹した視線を遠くに送っているのです。
役者と呼ばれる人間の瞳に不思議な力がこもっているのを知ったのも、松本さんのエチュードを拝見している時でした。
松本さんが遠くを望む時、そこには本当に虚空が広がります。
それを見るといつも僕はドキッとします。
あまりにも自然に、途方もない世界の広がりを、彼女の瞳を通して感知していることに驚くのです。
てらいなく言えば、舞台の上からでしか望めない何かがあり、それを見る役者の瞳を通じて私たちはその微かな輪郭に触れることができるとして、しかしそのように私と虚空との媒介の役を果たすことのできる人間は探してみると数は少なく、というか滅多におらず、だとするならほとんどの役者は実は役者たり得てないのかもしれず、そうである状況の中で彼女は本当に貴重な、その瞳に深い世界を映し出す人です。

だから松本さんが820に出演していただくことが決まった時、関係者一同ずっこけました。

お茶目な女性です。
(写真を見てほしい)
美しい女性です。
(いったいどれだけの世界を背後に抱えているのだろう。しかし背はピンと張って決して弛まない。たとえば『マルサの女』の宮本信子を思い出す。小悪・巨悪にあくまでも立ち向かう背筋の強さ)
その言葉は慈雨のようです。
(僕がどん底の精神状態にいた時、立ち直る一つのきっかけをくれたのが松本さんだった)

サマホリがはじまります。

劇場へ足を運び、受付に並び、狭い客席に腰を落ち着け、独特の雰囲気の中で開演を待ち、パンフレットを眺めていると急に明かりが落ち場内が暗くなり、慌てて姿勢を正して舞台に立ち現れてきたものへ目を凝らすという一連の流れは確かに億劫です。億劫でしょうがない。
それはつまり役割が与えられてしまうからで、しかもかなり責任重大な役割で、あなたは芝居を構成するもっとも重要な要素になることを、劇場に足を踏み入れた途端に引き受けざるを得ない。
これがまた演劇の厄介なところで、あなたがいなければ始まらないのです。
ぜったいに損はさせません。横浜の真ん中で、地下の白い空間でサマホリが今年も始まります。
劇場でお会いできるのを楽しみにしております。


サマホリ最終調整。

2007-08-15 | 芝居の前に。
昨日が正式な小屋入り。
音の打ち合わせと確認のあと、通しをする。
一つ台詞のニュアンスを変えるだけで、芝居が別の顔を見せる。松本さんが仕掛けてくれた一語で劇の層が厚みを増した。こうすればこうなるのか。気づかなかった。演出の意識できる範囲が狭い。本当に多くを三人に助けられている。
そして今日は昼に最後の稽古をして、細かな部分を調整。稽古中、いつもお世話になっている上野さんからメールが来て、それに息子さんの写真が添付されていた。生後2ヶ月だ。可愛すぎて僕はぶっ飛んだ。どうかこの子がやりたいことをやれるように世界が動いてほしい。
夜、今度は明かり合わせの場当たり。興奮した。そうよ、その明かりが欲しいのよ! 820のすべての作品の照明を担当してきたふぐちゃん。今回も世界をぐいぐい広げてくれる。またいい具合に音が入るんだ。本当に多くを牛川さんと福島さんに助けられてる。
音と明かりをからめて通しをする。
準備万端。
明日の昼が全団体のゲネ。初めて他団体の作品を観る。これはもうぜったいに面白いことがわかってる。楽しみだ。

『urashima』客演紹介②

2007-08-14 | 芝居の前に。
『口笛でキスをしよう』で主役のいばら姫を演じたのが河野圭香さんだ。
信頼する何人かの先輩が観劇後、「よく彼女を見つけてきたな」と口々に言った。彼らは続けて「連絡先教えろや」と言ったのだった。

先々月に彼女が客演した舞台を覗きにいったら、そこの劇団の方に「ご兄弟のかた?」と聞かれた。
「そうです」と答えたが僕たちはまったく似ていない。似ているというのが失礼だ。けいかさんの目鼻立ちは人形のようにくっきりとしているのだ。だから顔じゃない。
似ているものがあるとすれば、二人ともファンタジーの世界を呼吸しているのだと思う。
あるところで見つけた彼女への的確な評を借りれば河野圭香さんは「稲中」からスッポリ抜け出してきたような女性だ。しかし迂闊に前野や井沢のノリで接していると危ない。その後の古谷実が傾斜していったように、内奥にはおびただしい毒を秘めている。油断しているとあなたは死ぬ。

思い出して欲しいのは、毒が夢を生むことだ。
酩酊を誘い、遠くへいくために人は毒を必要とする。
彼女の身にまとう雰囲気はそのように醸成されていく。

舞台では安定した台詞術と、パントマイムで鍛えた身体性、ファンタジーから落とされてきたような存在感とで、観る者に強烈な酔いを仕掛けにいく。
何せ出た芝居、出た芝居で、着実に次の仕事を勝ち獲って行く人である。悪いことは言わないからあなたも早めに観にくるといい。うかうかしているとスケジュールが埋まってしまうぞ。サマホリはもうすぐそこだ。戸を抜けて劇場へ。