820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

緊張せずぼんやりともしないこと。

2008-08-11 | 胸に旅人のバッヂ。
8時間、鈍行に揺られて、万博公園へ。
もちろん太陽の塔を見るために。
モノレールに乗ってその駅に着く頃、思いがけないというか、不意打ちにというか、べらぼうな光景があらわれた。
真下から見上げて、あまりの途方のなさに、笑うしかなかった。それもすごく幸せな笑い。太郎ふうに言えば、圧倒的で測り知れないものと正対し、必死で己をそのものに向かってひらいていくとき、静かに湧き上がる歓喜。
なんつって、それほど大したもんじゃないよ、って気持ちもどこかにあるんだけど。だまされねぇぞ、って思うんだけど。それすら飲み込まれるっていうか。
岡本太郎の力強くて大仰なことばは、創造物の豊穣は、自由を希求する精神は、いったい何に裏打ちされているんだろう。お茶目、というとどこか決定的に間違う。だって彼はどうしようもないほど真剣だ。子どもの時間が垂直に伸びているみたいに。
なにせ「コップの底に顔があったっていいじゃないか」である。

それにしても太陽の塔。
見間違いがずっと続いている感じ。何度見ても「うそーん」って思う。

夜ごはんはカレー。

取り立てていうことのない平凡な四人家族がお店に入ってきた。小さな姉弟と、中年の夫婦。取り立てていうことのないはずなのに、どこか、何かが、いやな感じ、と思って、観察してたら、男の子が、買ってもらったばかりらしい怪獣の玩具でずっと遊んでいて、料理が運ばれてきても誰も止めないで、ますます遊びはエスカレートし、ついにカレーをひっくり返してしまった。お母さんのズボンが汚れてしまった。だけど男の子は怒られない。拭き終えたお母さんは「坊、チキン、こっちなら辛くないよ」と自分のお皿を差し出すが、男の子はまだ怪獣同士をたたかわせている。ギャーギャーうるさい。お父さんはデジカメを夢中でいじくっている。笑顔で小さな画面を見つめている。隣にいる小さなお姉ちゃんが「怪獣で遊ぶなや。遊ぶなや。遊ぶなや。最悪や、あんた」と一人で怒っている。怒らないということは立派な虐待である。この家族の姿が現在のある部分の象徴に思えてならない。とか、高みの見物。

淀川は花火大会らしい。でも始まる前に突然の雷雨。
あきらめて駅へ向かう人の群れのうえに、ひときわ大きな雷が鳴り、びっくりして振り返ったら、それは鮮やかな花火だった、と見にいった人が言っていた。

僕はそのころスパワールドでお風呂に入っていた。年季の入った肩こりが一時的に治った。

駅からスパまでの短い道のりで、夜の新今宮を怖がっている自分に気づく。去年はなんとも思わなかったのに。朝市まで歩いたのに。守るものができたのかしら。去年はやけっぱちだっただけかしら。

翌日は松村武さんのワークショップへ。
会場に向かう途中、原付かっ飛ばしながらメール打ってるお坊さんがいた。びっくりした。

ワークショップに参加するのは久しぶり。そして松村さんを目の前にしてミーハー的にドキドキする。体のキレとか重心のとりかたとか瞬発力とかぜんぜん違う。ぎしぎし、体の錆を落としながら、かたい部分をゆっくりほぐしながら、あっという間の4時間。楽しかった。皆さん、面白かった。もっとゆっくりお話できたらよかったのだけど、それが残念。またどこかでお会いできたらとてもうれしい。

夜は梅田で無我ちゃんと会う。歯医者と探偵稼業の両立について。
居酒屋でごはん。食べるものがことごとくおいしい。おいしいものたち、きちんと俺を構成せよ。