820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

ハードボイルドに年も暮れ。

2009-12-31 | 生活の周辺。
ああ、そうだ、今年のぼくの抱負は「元気をだす」と「ハードボイルドにいく」だった。見事に守れなかった。ハードボイルドは、こころのやわらかい部分を、やわらかいままに保つために。引き続き、続行せよ。
いつか台本が書けなくて、稽古場に行くたびにやせていき、髪がぬけ、苦しみ、のたうちまわる僕を見かねた俳優のひとりが、ちいさな栄養ドリンクを一瓶くれた。迷惑をかけたことへの戒めに、あるいはこれさえあればという安心のために、お守りとしてずっと鞄のなかに入れていたが、昨夜、ようやく飲み干したのだった。それで、20分くらいの、二人芝居の短編戯曲を書きあげた。上演のあてはまったくないが、おれだって、やればできるという、そのことを確かめたかったのさ。タイトルは『パーマネントブルー』。くり返すが上演のあてはない。どなたか波田野に場を与えてみようではないか。そうだ、おれは、やるときはやる男だ。ただ、いまはくたびれている。自分で場を設えるだけの力がない。よき波が訪れるように祈るだけだ。風が吹かなければそれまで。くたびれた年だった。創作のエネルギーが枯渇していた。まあ、一晩眠れば、また走りだせるかもしれない。そんなもんだ。そんなもんで年も暮れる。バイバイ、ゼロ年代。俺はこの時代に演劇をはじめたよ。来年もまた、たくさんたたかおう。どんなにちからがたりなくても。今年訪れたすべての出会いに感謝。起こったことはすべてが必然。本当にその通り。来年はまず何をしようか。旅にでようか。いや、三が日でもう一本芝居を書こう。ばりばりと書き殴ろう。いや、落ち着こう。温泉にいこう。それよりも鎌倉にいこう。腹をくくって演劇に臨もう。生活を営もう。また、たくさんの笑顔が訪れるように。

午前四時。

2009-12-30 | 生活の周辺。
ついさっき、帰省した友人二人とラーメン屋へ。替え玉につぐ替え玉で、結局三玉も食べてしまった。開幕ペナントレースの凱旋公演を観たり、来年の公演のための読み合わせをしたり、映画を観たり、後輩のたたかう姿に刺激を受けたり、お雑煮をいただいたり、書きたいことは山ほどある。まだ年内の仕事が終わらない。正念場である。いま、ようやく立ち向かう体力が生まれた。ただ、眠いんだ。永井均の『これがニーチェだ』を読んでいる。

まぼろし。

2009-12-25 | メモ。


あかいひとも、きいろいひとも、げんきでも、げんきではなくても、あたたかくても、それどころじゃなくても、とりあえずきょうを、おやすみなさい。

まぼろしをわすれても、おもいだせなくても。

酔いどれ日記、演出つき。

2009-12-21 | 生活の周辺。
(意味よりも音を追うこと。でも、じぶんの声を聞かないこと)

泣いているような月のいろ。
みっともないということはなんてチャーミングなんだろう。

見知らぬ町でふと耳に届く笑い声のような。
僕たちが友達でないことがふしぎに思えるような。
自分のいる場所はほんとうはそこではなかったかと疑うような。

(酔ったじぶんを笑うように。知り合ったばかりの女に、古い話を聞かせるように)

あいかわらず呆然と空を眺めていた。夜の車道だ。信号は赤になったばかり。ポケットは空っぽだった。紙屑しか入っていない。キャンディの包み。領収書。ビニールの切れはし。もう賭けるものがない。どこへ向かえばいいのかわからない。ただここはあまりに寒いのだった。星を数える相手もいない。呆然とするしかなかった。
ひときわ大きな笑い声が響き、そちらを向くと、ガススタンドに停車している自動車に、幾人かの若い男女が乗り込むところだ。なんの見覚えもないはずなのに、それなのに、ひどく胸が痛くなる。たとえば女のひるがえすコートの裾。それぞれが手に持つ買い物袋の中身。彼らの感じている寒さ。行く先はきっと海であること。まだ帰ってこない仲間がいること。それは僕であること。あとは駆け出せばよいだけのこと。車のなかの暖かさ。遅いよ、と責める声。退屈な冗談。絶えることのない笑い。海までの短い眠り。そして信号は青に変わり、彼らを残して、僕はひとりで、あてもなく走りだすしかなかった。

こっちだよ、と呼びかけるような。
もう走り出したあなたに、止まらないあなたに、届くかどうかわからなくても、大きく手をふるような。

(くり返し。なんでもない顔で、だんだんと確信に満ちて、しっかりと声を聞いて)

見知らぬ町でふと耳に届く笑い声のような。
僕たちが友達でないことがふしぎに思えるような。
自分のいる場所はほんとうはそこではなかったかと疑うような。

そんなお芝居をつくりたい。

そんなお芝居をつくりたいと、思う人は、いるのだろうか。

(呼吸を二つ分、間をあける。なにせ酔いどれているんだ。少しくたびれた)

会いたくてたまらない人がいるのだが。
取り返しのつかなくなる前に話したいことがあるのだが。
伝えたいことがあるのだが。
あなたがどこにいるのか、わからないんだ。

(溺れたあとで、水を吐き出すように)

ちきしょう。

『Rock'n'Roll』公演終了しました。

2009-12-19 | ごあいさつ。
5年間で出会えたすべての方に感謝します。
僕たちはこれからも演劇をつくり続けます。
いまこの瞬間に、この場所に、あなたとのあいだにしか存在できない、演劇という芸術を、その頼りない灯火を、これからもずっと、絶やさぬように、膨らませるように、あたためるように。
何度でもあなたに会えますように。

『Rock'n'Roll』公演情報。

2009-12-18 | アナウンス。
◆820製作所5周年記念特別公演
『Rock'n'Roll』
written by 波田野淳紘

◇Player
 佐々木覚
 加藤好昭
 印田彩希子
 波田野淳紘
 
◆日時&場所
 2009年12月11日(金)19:00
 @名曲喫茶ミニヨン(荻窪)
  JR中央線、東京メトロ丸の内線「荻窪駅」南口徒歩3分

 2009年12月18日(金)19:00
 @クラジャ(藤沢本町)
  小田急線「藤沢本町駅」徒歩5分

※両会場ともに受付開始、開場は開演の30分前。

◆チケット
 2,000
※荻窪公演ではコーヒー1杯つき。
※店内でのご飲食は別途となりますのでご了承ください。

◇ご予約は劇団ホームページの「ticket欄」およびメールにて承っております。
 予約フォームへ。
※メールにてご予約の際は件名を「チケット予約」とし、①お名前②電話番号③日時④枚数をご記入の上、お送りください。折り返し確認メールを返信します。
→info@820-haniwa.com

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☆終演後に加納由紀子によるピアノ・ギグ開催!



820製作所に楽曲を提供し、数々の場面から鮮やかな光を引きだしてきた加納由紀子による、はじめてのピアノ・ギグ♪
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◇Note

また今年も、冬が訪れます。
一年でいちばん好きな季節です。異論もあろうかと思います。
ですが、冬の乾いた風が吹きはじめると、あたりに漂っていた澱のようなものが、ずんずんと吹き散らされていくのを感じませんか。
澱、というか、それはただの湿気なのでしょうが、春から夏にかけてのやわらかな季節に花開き、過ぎ去ったものたちの残した息遣いのようなものがようやく運び出され、僕はなにもなくなった素舞台の上に立ち、なんだかどこへでも行けるような錯覚を覚えるのです。

冬のにおいというのは、「ここ」と「むこう」の幕が払われたあとに舞う、遠い埃のにおいのような気がします。
もちろん、だからこそ、ほんの少しさみしいような、すりむいた肌に沁みいるような、たまらない気持ちにもなったりするのですけれど。

「遠く」へとつながるこの季節に、820製作所は生まれました。

今年の12月で、この小さな劇団が結成5周年を迎えます。
5年というのは、長い。とほうもなく長い。何かが始まり、終わっていくには、じゅうぶんすぎるほどの長い時間です。
あっという間に、いつの間にか、そんなふうに驚きつつ、誇らしく嬉しい気持ちでこの機を迎えることができたことを感謝します。
応援してくださったり、気にかけてくださったり、こうしてこの文章を読んでくださっているあなたと出会えたことに、心から感謝。本当に、ありがとう。

旗揚げのメンバーは、実は僕以外、一人も残っていません。
いま、どこで何をしているのかもわからない人間がほとんどです。なんとなく伝え聞くこともあります。たったいまも、そこで懸命にたたかっていることを知り、わけもなく眠れなくなる夜もあります。会いたくなるときもあります。話したいこともあります。こういう時代ですから、連絡を取れないというわけではないのですが、でも、そこはグッと我慢して、ふとんにもぐりこみます。なにもかも忘れたふりをして朝を迎えます。それはたぶん健康なことです。僕たちは元気なのです。

続けている人間と、もう手をほどいた人間と。
それでも一瞬を共有した者どうしの、不器用な挨拶のようなものを。

この物語を書きはじめたとき、最初にノートに記したきり、行くあてをなくした言葉を、ここに連れ出してみます。
あんまりにも恥ずかしくて、えらそうで、どこか言い間違えてるようで、でも、いま僕の必要とする響きの片鱗がわずかに宿っているような気もするのです。

――ロックンロールはまず何よりも、きみがそこにいることを、きみ自身に赦す方法を与える。
鼻水を垂らすのもいいだろう。気取ったっていいだろう。きみはきみの好きに生きろ。ぼくがその場所を用意する。
ロックンロールの響きはそんなふうにある。きみとともにある。

ここにいるくそったれから、ここにいないくそったれに。どうかきみのいるところを、優しい音色で彩るように。
そんな響きを求めて、いま同じ船に乗る四人だけで、あたうる限りの上質な芝居を、創りだそうと思います。またこの次の、5年のために。

宝石と呆然。

2009-12-18 | 生活の周辺。
宝石のような夕焼けだ。
泣き言を諫めてくださったメールとか、和田くんが大事なお仕事のなけなしの休憩時間に小道具を揃えるためにハンズに走ってくれることとか、共犯者として手を組む仲間たちの覚悟とか、いつもの稽古場に通う道の熱々のコロッケパンとか、すべてに感謝しながら、あしたの本番へ。

小学校と、中学校のとき、エッチな話ばっかりするので、変態と呼ばれていた女の子がいた。
いつの時代にも変態と呼ばれる男子と女子がいて、僕は僕で、変態とか浣腸仮面2号とか呼ばれていたのだけど、男子と女子とでは比が違う。もっともっと、クラクラするような、具体的で、湿っていて、先の見えない、息が詰まるような想像力を、彼女たちはちいさな頭に秘めていた。

駅へと向かう道で、犬を連れていた女性が立ち止まり、夕焼けのほうを向いて目を細めた。
その横顔にはっきりと面影があった。
変態と呼ばれていた女の子が、子どもを生んだと、風の噂に聞いたのは去年のことだ。ずいぶん多くの、古い友人が、守るべきものを手にして、大切に抱きしめるようになった。あたらしい世界を築きはじめた。

つられるように顔を向けると、宝石のような夕焼けだ。
変態と呼ばれていた女の子はとてもきれいに風に吹かれて立っていた。

僕たちは、あの時代にきちんと役割を果たして、変態というそしりを受けたあとで、いまここで、燃える空に包まれて、ぼんやりと立っている。
何かだまされたような気分だ。
呆然としているうちに去っていったものがある。

それはそうと、『Rock'n'Roll』クラジャ公演、絶賛ご予約承り中です。

◇090-6476-8200

とはいえ、あと5人ほど。いえ、何人でも、大丈夫。お越しいただける限り、お席をお作りすることが僕たちの責務。
どうか、遠い町の喫茶店で、あなたとお会いできるように。

こんなものじゃない。

2009-12-17 | 生活の周辺。
ひどく疲れている。素直に書くべきだろう。取り繕う必要もない。ひどく疲れているのだった。そのおおもとは、結局、いま自分の手がけている芝居に、どれだけの力があるか、信じるべき何ものかがそこにあるのか、気をぬくとぶれてしまうことによる。あるに決まってる。けれど、われわれは、もっともっと、遠くをのぞめたはずではなかったか、こんなもんじゃない、なにを足踏みしているのか。おれはなにをやっているのか、こんなことをしたかったのか?
問いかけは際限なくつづく。そしてそのすべては意味がないのだった。これはロックンロールだ。そう、あまりにも恥ずかしく、かっこうのわるい、すでに時代を変革する意志をうしなった、これはロックンロールと呼ばれる響きなのだった。ド直球だもんな、タイトル。舌を出せよ。胸をはれよ。足踏みでリズムをとれ。みっともなくてもいい。こんなもんじゃない。ほとんど祈るような夜だ。

寝ぐせをなおせ。

2009-12-14 | 生活の周辺。
「芝居」と両思いである人が、たくさんではないけれど、僕のまわりにはいる。

僕はずっと、「芝居」に片思いしているような気がする。

それは見返りがないとか、「芝居」に愛されてないとか、見放されたとか、そういうことではなくて。

気取りすぎ、甘えすぎ、それでいて疑いすぎ、もしかしたら求めすぎ、つまるところ、独りよがりな「好き」になっている。
それはお互いにしあわせじゃない。

ただ、いっしょにいたい。きみがそこにいるだけでいい。どんなにはなればなれになってもだいじょうぶ。ほかのだれのことでもない。きみのしあわせをいのる。ふたりだけのやくそくをまもる。

そんなシンプルなことだ。
とりあえず僕は、ちゃんと稽古を、とにかく稽古を、何度でも稽古を。

パジャマのままのデートなんてドキドキしない。

『Rock'n'Roll』荻窪篇、終了しました。

2009-12-14 | ごあいさつ。
まずは荻窪まで足をお運びいただいた皆さま、本当にありがとうございました。
当日は雨で、開演が近づくごとに雨脚も強くなり、風も吹き荒れ、雷が落ち、浸水し、竜巻も迫り、旅をするには容易ではない環境でしたが、会場をいっぱいにするお客さまと出会うことができました。
本当に、幸せな劇団です。

「名曲喫茶ミニヨン」という会場のこと(珈琲が美味しくて、ママさんも素敵すぎる)、
加納さんのピアノ・ギグのこと(ありがとうあいしてる)、
久しぶりにお会いできたあなたのこと(元気?)、
打ち上げで聞くことのできたたくさんのお話(いままでのこと、これからのこと)、
まるで同じ繭のなかにいるような二人の絆のこと(幸せは周囲に伝わっていく)、

書き記しておきたいことは山ほどありますが、まだうまく言葉にならないみたいです。
もう少し胸にしまって、ゆっくりと溶け合うのを、待とうと思います。

僕たちはまた、今週末の藤沢本町篇にむけて、稽古がはじまりました。
湘南の風薫る喫茶店で、さらに深い表現へと、ひたひたと、熱く滴る珈琲のしずくのように、丁寧に、あたらしい器に、淹れなおします。

あと一杯のコーヒー、どうか、ご期待ください。