820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

いきいきと動く。

2008-03-31 | 稽古。
当日パンフレットが今出来上がった。あと今夜の俺の仕事は台詞を覚えることさ。
メモ程度に、今日のことを。

午前中、川井さんとの打ち合わせ。
昼から九品仏での稽古。この二ヶ月通った世田谷にもひとまずのお別れだ。
通しをまた夜に。
5回目の通しとなる。昨日よりは当たり前にいい。グルーヴを僕たちはまだ生み出せるだろう。

舞台監督の和木さんが来てくれた。なんだか不思議な気分になってしょうがない。
和木さんが稽古場に、いる。めちゃくちゃ頼もしいのだった。舞☆夢☆踏で出会った人たちが、過去最高の人数、今回の作品に関わってくれている。
感無量である。

雨。

帰りの地下鉄で熟睡してかなしい夢を見た気がする。なんだろう。

からだは疲れてはいるけれど、ずいぶんと胸が高鳴ってもきたのだ。これから一週間は怒涛の勢いで進んでいくだろう。本当に素敵な人たちと出会えた。『izumi』は幸福な公演であると今の時点から思う。何よりも多くの人に観ていただきたい。あなたはどう思うだろう。

まだお座席には余裕がございますが、ポツポツと埋まり始めてきました。
どうか、お早めにご予約くださいませ。

予約フォームへ。

いろんな場所に春が。

2008-03-30 | 生活の周辺。
『走れメロス』という物語を僕はあまり好きではないのだけど、セリヌンティウスの弟子がメロスに向けて言い放つ言葉は、生活しているなかで時々脳裏に浮かぶことがある。

「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい」

結局僕のなかに深く食い込んでいるということなのだろう。今日は走った。そうしたら間に合った。

渡辺ペコの『ラウンダバウト』にでてくる中学生とそっくりの女の子が二子玉川にいて、電車がホームに着くと列をガン無視して駆けこんでいき、席に座ったかと思うとまたすぐにホームへ飛び出して、置き忘れていた鞄を取って車内に引き返してきたところをドアに挟まれた。
無事に席に着くと、ニコニコと車窓からの風景を眺めていた。

通し。
疲れがピークに達していて、ちょっと、僕自身がもう動けない。
作品としては十分に土台ができた。
通し後、まだ時間があったが、稽古はトリにして帰宅。ゆっくりと休むことにする。しかし仕事がまだ多くある。当日パンフレットがね、厄介だ。眠りたい。金も時間もないのに椹木野衣の『なんにもないところから芸術がはじまる』を買ってしまった。どうしても俺に読まれたがって震えていたんだよ、そいつ。そうすると第一章から「イズミ」「ノック」等、今回の芝居のキーワードとなる言葉が続々と連なっていた。久しぶりに活字を読んだなぁ。というか久しぶりに本屋に入った。読みたい本が多すぎてクラクラする。片岡義男が日活映画を語った本なんて最高だろうな。でも読めない。
深夜、一瞬だけ友人の集まる飲み会に参加する。もっと語りたかったけどもコーラだけを飲んで早々に退散。申し訳ない。本当におめでとう。もう10年、君の遍歴を知っているわけだからな、俺は。君は果敢だった。偉大なるドン・キホーテだ。僕は君をたたえようと思う。だからきちんと紹介するように。

頭が死んでます。

2008-03-28 | 生活の周辺。
820合宿@波田野家で今は朝の5時になりました。
まったく、用意しなければならないことが多くて大変です。

深夜に近くの銭湯で劇団員3人でゆっくり湯船に浸かりました。気持ちよかったな。眠たいな。

もくもくとみんな作業をこなしています。
えらいなぁと思います。

昨日の通しはグッと作品が立ち上がってきました。しかもまだ良くなるだろう。ようし、みんな、もうちょいがんばろう。あらあらたいへんだ、と思うことも幾つもありつつ、でも本番一週間前になって、わくわくも高まります。あー、やばい。あー。時間ってのは本当にさらさら流れていくものですねぇ。僕はいまロールケーキを食べました。甘いものって大事。みんなもお元気で。すこし眠らないとほんとに稽古がたいへんだ。これ、眠れるのだろうか。

そして今、昨日中にしなくてはならなかったとても大事なことを完璧に忘れていたことに気づき、心が青ざめている。もう本当に自分がいやだ。だめだ。申し訳が立たない。

疲れが取れない。

2008-03-27 | 稽古。
そしてもう手を伸ばせば届くところに本番である。

稽古場に素敵な舞台模型を持参してくれた奥田君が、舞☆夢☆踏の皆様からの色紙も一緒に持ってきてくれて、まさかもらえると思ってなくて、本当にうれしい。ほとんどマイムの練習の場所で顔を合わせることのなかった新人の子たちが、一生懸命言葉をひねり出してくれているのが申し訳なくて泣かせる。網谷くんの言葉には笑ったよ。熱い言葉だよ。そうだな、まだまだ走れるよな、俺たちは。また伴走しよう。

最近いろいろなものをもらってばかり。
作品で、舞台で、返すということ。
今日はラスト付近の気になったところを細かく直したあと、オープニングから少しずつ流した。詰めるべき箇所は山ほどあるけれど形はこれで繋がったように思う。
面白いと思う。

もうほんと慌しくて宣伝を十分に出来ていないことがものっそい悔しいのだ。
春、期せずして、4月の観劇としては絶好の芝居になったはずである。
場所も場所で横浜は関内、中華街を目の前に、大通りを進めばすぐそこは海である。
絶好のデートコースではないか。
あるいは春先の散歩としては相当にセンスにあふれた道筋だ。

どうか、おいでください。必ずあなたの何かにひっかかる。あなたがたとえば長い間忘れていたものを水面に浮かび上がらす。
あなたというのは、あなたのことだ。多くの人に観てもらいたいのだ。だからどうか、だまされたと思って、どうかおいでください。

靴はガラスで踊るから。

2008-03-26 | 生活の周辺。
昨日は稽古の前に蒲田へ向かった。
改札を抜けて階段を降り、駅前の広場を横切って、なんだかとても最近にここを歩いたことがあるなと思ったらワークインプログレスの時に同じ目的でやってきていたのだった。あれからもう半年か。早すぎる。ああ、出来てないこと、放られてそのままのことが多すぎる。ひどすぎる。作品とは別のこと。
小道具を購入して稽古場へ。

後半を詰めて流す。
制作の川井さんからとてもとても素敵なプレゼントをいただいてしまった。
欲しくてたまらなかったのだけど高すぎて手の出せなかった本。サイン入り。
先日お手伝いさせていただいた別現場のお礼としていただいたのだけど、俺、その時ほとんど何もしてなかった。ただ30分ほど立ってるだけで、しかもそのまま公演まで観せていただいたのだ。そしてそれが今まで観たことのない種類の素晴らしい芝居だった。詐欺を働いた気分である。

世田谷の夜を歩き、820会議。
4月にオープンワークショップをやるから、みんな来てね。

それで今日はあれだった。
あまりこうはっきりとは言いたくないので一生懸命ふせながら記録するが、別に何も感慨深くないのは、なんていうんですかね、僕が今それどころではないからだろうか。
ただひとつ感慨深かったのは、市営地下鉄を降りた乗り換えのホームで、小学校からの付き合いで今同じ大学に通っている友人とばったり出会ったことで、同じ路線で通っているのだからこうして会うことは当たり前なのだが、こんな、あれの日に、示し合わせたわけでもなく、二人とも遅刻寸前の電車に乗ってるのがまず感慨深い。そのうえ二人ともダブってる。もう5年前になりますか、ある年の春、やっぱりこうして二人で晴れやかな気持ちで式に向かっていたのだった。今目の前にいる彼はカンボジア帰りで顔は浅黒く、現地の屋台で虫を食べた話を臨場感たっぷりに聞かせてくれた。
何千人が集まる会場に入り、彼らが歌をうたって腕を振る姿を眺め、まじめくさってかたい表情を崩さずにいた司会の人が最後の最後に破顔して「おめでとう」と力強く声を飛ばすのを眺め、肩を組んで右に左に揺れながら歌う人の塊を端っこから眺め、それは終了した。
懇親会や乾杯式に向かって華やぐ人の波をかき分けて稽古へ。遅刻である。

ひどくびっくりしたことにドアを開けた途端に胴上げをされ、花束を渡され、あまつさえ寄せ書きまでいただいてしまったのだった。
嬉しかったな、これは、本当に。いや、芝居やってて、芝居の場で祝われて、良かったよ。不覚にも感動しました。
ここではじめて無事にそれをした気持ちになれた。サンキュー、みんな。
「寄せ書きの内容が世知辛いよ」と忠告を受けてどれほど世知辛いのかおびえて読んだのだけど、ふふ、みんな、乾いていてあったけぇよ。煤だらけになっても踊ろう。

そしてもう一人、俺のほかに祝われるべき人がいて、それは本当に良いことが起きたので良かった。おめでとうございます。やっぱり一生懸命胴上げを。

チーズケーキをはむはむしながら稽古。
ずいぶんと絞られてきた。ここからだ。倍々で良くなれ。

あらゆることを。

2008-03-25 | メモ。
《人間は、苦役してみることだ。なにかに騙されて出發したのだとしても、あるきだすことで、風景はかはつてゆくのだ。》
(金子光晴『水勢』「跋」)

高校時代のバイブル、金子光晴詩集を引っ張り出して読み返し、その言葉の隅々にまだ失われずに通う体温と、持続する呼吸の深さに驚嘆。
激しい傷口の、滴り、こぼれ落ち続けるその淵に踏みとどまり出発を重ねる。

正しく嫌悪し否定するためには愛すること。

稽古後、820会議@自由が丘。
もろもろ公演のことと今後の調整。

もう桜が開き始めている。

2008-03-24 | 稽古。
昨夜は眠らなかったので昼間シーンを創りながら脳みそとからだが非常事態に陥り、稽古後、移動の電車の中で気絶するように眠る。いつからこんなに弱くなってしまったのか。

動きへのアプローチの仕方を少し取り戻せたと思う。どうも自分のからだ自体が鈍っていると、人の動きを考えることもままならない。鋭敏に体中を澄まして役者と対峙していかなくてはと思う。

町田で奥田くんとの美術の打ち合わせ。模型を作ってきてもらった。驚いた。精巧に作ってある。人物までいる。椅子に座っている。あいかわらず冴え渡る奥田くんの思考だが、ほとほと感心する美術プランを練り上げてくれた。打ち合わせを重ねる中で変わる可能性はあるものの、それは魅力のある空間、なによりそこにいたいと強く思わせる空間で、しかもシンプルで、彼の持つ空間構成の文法が僕にはとてもまぶしい。彼と組んで『スロウ』をやりたい。

夜、家に帰り倒れるように眠る。

今日は昼から稽古。最近の稽古場には、ケータリングのお菓子や果物が机からあふれるほどに並んでいる。とても幸せな事態だが確実に僕は太る。だって、はむはむしちゃうものな、ポテチやクッキーが目の前にあったらさ。100円でこんなに美味しいものが食べられるなんてすごいことだよ。
ラストでどうしてもうまくいかなかった動きをひとつ解決。細かな台詞の回し方を丁寧につけていく。演出の言葉が貧しい。もっと届く方法を考えなくては。方向を指示する言葉……。
二度目の通しをする。
やったことが形になっているのを見て俺は本当にホッとしたのだった。
いや、ホッとしてる場合じゃないんだけどね。桜も咲いたしさ。
まだ切れ切れの世界だけども、響きを重ねて歌にしよう。しんどいのはここからだ。楽しいのもここからだ。

☆ご予約はこちらから。稽古場ブログも絶賛更新中です。

敗北の歌でのどを一杯に膨らませ。

2008-03-22 | 生活の周辺。
波田野の初監督作品が今日クランクアップしました。

『夜の教室』

絶対に関係者以外誰も見ることのできない幻の作品となるわけですが、楽しかったな。クオリティは二の次で、彼女たちのいきいきとした姿、彼女たちにとってかけがえのない時間を、画面に捉えられていたら最高。
時間がもう少しあって、頭に余裕があればまた違ったものになったろうに。
何はともあれ肩の荷がおりてコーラで一人で祝杯をあげる。
皆、一生懸命やっていて、良かったよ。

映画を撮りたい。俺はいつか映画を撮るんだ。必ずだ。そのためにどう動き出したらいいのかさっぱりわからないが、撮りたい思いが着々と盛り上がり、決壊し、あふれ出し、周囲の人間を巻き込んで流れだしたらば、しかるべき時にしかるべき手続きを経て、俺は右手にメガフォンを持つだろう。そうでなければ家庭用カメラで何事もない情景の断片を切り撮り、深夜にコツコツ編集して一人で悦に入ってるだろう。それで幸せならいいけどそれは決して体に良くない。気持ちにも良くない。

言葉は自分を縛るからうかつなことは言えないが、最低でも5年は機会はなさそうだ。そのあいだに方法を学んでいきます。夢物語をあたためています。どうだい、俺はきっと、寄る辺ない夜に風にそよぐいっさいの風景を、音のない波紋を、負けた者への歌を、その場所に帰るほかない遠い記憶を、深淵からの光を、たたき上げていきますよ。まかせてください。声をかけるなら今です。僕は波田野です。いまだ無名の20代男子です。A型です。

焦ることとは違う回路を通って。

2008-03-21 | 稽古。
しかし雨の日は嫌だよ。
傘を壊されながら一生懸命に稽古場まで歩く。

音響のYU-YAさん、照明の佐瀬さん、舞台美術の奥田くんが稽古場に勢ぞろいされたなかで、全部のシーンにあたっていった。
全員が集まれなかったので、代役を代わるがわる転じながら、何とか最後まで。

さて初日の二週間前である。台詞が空回る。放られて落ちる。
まずもって、あたりまえのことを容赦なくやることだ。それが難しいから唸っているわけだけど。仮面はどんなに不恰好でもいい、仮面の解説を聞きにくるわけではない。

稽古後は奥田くんと打ち合わせ。
冷静に着実に思考を進めていくその仕方に俺は話を聞きながら大興奮。
今回の芝居には使えそうにないのだけど、一体どこから考えつくのだろうという力のあるプランがいくつも出てくる。
とても頼もしい。素晴らしい空間が生まれるだろう。

夜はアニメーションの隅田栄子さんと打ち合わせ。
これまた美しい映像が生まれそうである。隅田さんのアニメーションはそんじょそこらのアニメーションとは違うぜ。一篇の詩だぜ。
奥田くんと隅田さん、音響のYU-YAさんは、今週に公演が終わったばかりなのに、疲れた体に鞭打って駆けつけてくれている。感謝してもし足りない。
打ち合わせが終わって車に乗り込みエンジンをかけるとすぐ、10年前の自分を鼓舞してくれた懐かしい歌が、ラジオから流れはじめた。

さらに夜、仲間と電話で話し込み、頭が整理されていく。
なんて的確なんだろうと思う。そんなふうに言葉にできるようになりたいんだけどな。不甲斐ない。もどかしい。

最近デジャヴュが続いている。それによるとこの芝居は成功するはずである。その夢を見た頃、早くそこにたどり着きたいと、寝ぼけながら俺は思っていた。確かそうだ。この気持ちだった。
もちろん、こんな風に書くことが多いのは、抱えている不安の裏返しで、興行的に成功するかどうかわからない。悔しいがわからない。芝居そのものには僕たちはすべてを注ぎ込むのだし、遊べる余地を日々発見しているから、最後まで膨らんでいくだろう。
だからどうかご予約を、こちらから。

稽古場ブログ(http://820-izumi.seesaa.net/)も更新されていきます。みんなの奮闘の記録が、闘いに向けて勇むみんなの思いが、ひょっとしたらあなたを動かすこともあるかもしれません。ぜひご覧ください。

明日は稽古はない。最後の休みになる。呼吸をととのえる。

僕たちは今でも地味で地道です。

2008-03-20 | 生活の周辺。
心の調子がぐずついていると思ったら心に旅をさせるんだ。
想像力のタガをはずすんだ。

今日中に書き終えなければいけなかった小さな文章をなんとか形にすることができて、疲弊したハートをあとは潤すだけ。

ほんと時間が進むのが早いけど、でも時間は俺たち次第でのびたり縮んだりするからな。
稽古も残り少ない中、問題が起きていくのは当たりまえで、足りないものを地道に一つずつ埋めていくしかない。

そういえばこれはもうずいぶん前の話なんだけど、深夜のラジオをたまたまつけていたらアーカイブス特集か何かで坂口安吾と林芙美子のインタビューが流れ始めた。昭和24年時の音声だ。それはそれは驚きました。まさか肉声が残っているとは思わなかった。
でも考えてみれば2人とも戦後をしばらく生きていたのだから、それもあり得たわけだ。
スイッチをひねった時に、自分がちょっと大変な状況下にいたので、内容をしっかり聞くことはできなかったが、二人とももパンクなことを言ってた。ふつう1、2錠飲むはずの睡眠薬を、一度に50錠飲んだとか、大学出のどんな俊才も、ぼんやり生きてるなら人間のクズよ、とか。
安吾はどこか投げやりのようであるけれど、粘っこい声で、調子を崩さずに喋り続け、まぁ何というか、でたらめで小粋な親父だ。この人が「桜の森の満開の下」を書いたのだと、「白痴」を書いたのだと、「私は海を抱きしめていたい」を書いたのだと思うと、戦慄が走った。
芙美子は艶っぽい声をしていて、ふくふくと笑いながらインタビュアーの問いに誠実に答えていた。

最近本を読めていない。
読まないといけないものがたくさんあるのだけど、今は『izumi 場所と思い出Ⅰ』にすべてを注がないと。不器用だからよ。

ご予約はこちらから。
誠実に作っていますよ。