820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

みんな持ってるはずのとびきりの力で。

2008-08-13 | 胸に旅人のバッヂ。
前日、無我ちゃんと会話をしながら、奈良へいこうと決めた。
この日は1日自由に使えたので奈良ざんまいの日にしようと思い、西大寺からレンタサイクルで平城宮跡へ、薬師寺へ、法隆寺へ、泣きべそでペダルをこいだ。15分に一回、500mlのペットボトルが空になるんだから、阿呆なことをしたと思う。

あんまり疲れたので明日香方面、石舞台古墳はあきらめ、とぼとぼと奈良の駅へ戻る。
するとちょうど「なら燈花会」の会期中で、駅前の三条通りから、興福寺、国立博物館、東大寺へと、ろうそくの灯りが道の脇にどこまでも続いていた。
夜中の興福寺は人が大勢いて、五重塔はライトアップされ、夕方には閉まるはずの宝物殿がとくべつに開いていたので、阿修羅像を見ようと思った。
阿吽像の筋骨隆々の見事さにも驚嘆したけど、阿修羅像のあの繊細な表情の造りにもほとほと感心した。なんつう悲しい顔をしてるんだ。あれは瀬戸際に踏みとどまって何かを守る者の顔だ。
出口には様々な角度からのプロマイドが大量に並ぶ。気の遠くなるほどの昔から、字義通りのアイドルを続けていたんだね。

そしてなにより鹿がかわいかった。とことこ近寄ってきておじぎをする。手を伸ばすと、フコフコフコフコ、においを嗅ぎにくる。

翌日、午前中は京都で、きなこから聞いた、おいしいくず切りのお店に行く。四条河原町のほうの、鍵善良房という、おそらくとても有名なお店。
あんまりおいしくて、泣きそうになる。
時間があれば祇園の町も歩きたかったのだけど、すぐにまた電車に乗り、名古屋へ。

ほんとうの旅の目的は大橋さんに会うこと。
来年の春に僕たちはカラフル3という演劇祭に参加するのだけど大橋さんはその企画の立案者。
マカロニノートを読んでいて、それほど大幅には年のひらいていない、けれど現在も大きな仕事を抱え、描いたイメージを実現すべくたたかっている彼と、会って話をしてみたかった。

地下鉄に乗ってるうちにずいぶんと外は暗くなっていて、事務所のある小学校跡地のほうへ向かうと、校庭では盆踊り、夏のちいさなお祭りをしているところだった。
少し迷って入り口付近をうろうろしていると、逆光で影になり、顔の見えないその人が「やあ」と腕をあげた。
大橋さんはたいへん眼光の鋭い方だった。

屋台で買っていただいたお団子とカルピス。演劇のお話。盆踊りのリズム。こどもたちの声。

そのうちにスタッフの方が現れ、来年のカラフル用のインタビューがはじまった。
何ひとつ気のきいたことを話せなかった。
前後の脈絡なしに「人間が背中にしょっているものを描きたい」とか「ポップに神話を描きたい」とか言ったって、そりゃなにも伝わらないよなぁ。そしてこういった場で、相手を説得する言葉を繰り出せないようなら、舞台を通して客を説得することも無理だろう。
時間と空間が固まってきた頃、連絡を取っていた大学の友人が訪れ、彼女は820の舞台を観たことがあるので、その感想とか印象とか、インタビューの矛先は彼女に向かい、クレバーで頭の回転の速い彼女は、きらきらすることばでそれをまとめて話してくれた。おかげでずいぶん助けられた。岩崎さん、ありがとう。大事な日だったのにごめんね。

それから、宿のない僕に付き合って、次の日も仕事があるというのに、大橋さんは銭湯から漫画喫茶まで、朝まで一緒にいてくれた。
過ぎた時代の積もり積もった仮事務所で、未来に求めている演劇について話したり。
大橋さん、ほんとうにありがとうございました。

カラフル3がますます楽しみになった。
祝祭の時間を。馬鹿みたいに嬉しくなって胸がさわいでみんな持ってるはずのとびきりの力でえんえんと駆けずり回るような時間を。
全力で遊びにいこう。

助けられてばかりの旅だった。820のメンバーにもとても助けられた。俺がふらっといなくなった内に、とても大事な話し合いが東京ではもたれたのだった。ありがとう。ちょっと生き返ったから、ガリガリ動き出す。