820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

『少女はどこで煙草を学ぶか』出演者紹介その1、荒井るり子さんのこと。

2014-10-19 | 生活の周辺。
ことし820製作所の芝居をお届けするのはこれで四度目となるわけですが、映像出演も含めて、そのどれもに荒井さんに関わってもらっています。皆勤賞ですね。
声や、佇まいや、存在のしかたが好きです。ぼくがいま創りたいと思っている世界を、伸びやかに呼吸してくれています。ほんの少し斜めな態度で、世界に対して中指を突き立てながら、傷つきやすいものたちへの優しい眼差しを保持しています。

はじめて稽古場で役者として接したときには、あまりのからだの暴れっぷりに目を見張ったものでした。いまでもからだは暴れますが、必死に制御しようと果敢にたたかっています。
せりふにしても、演出がずいぶん抽象的なことしか口にできなくても、すぐに意図を飲み込み、自分の言葉として演じることができます。稽古場で、何度も、たくさん助けられました。勘のいい役者です。

今回は初期の820製作所の演出をしているものですから、からだをぶるんぶるん動かしています。指先ひとつの位置が、せりふひとつの抑揚が、大きく芝居を決定してしまう傾向の作品です。ぼくも最近そういう芝居を創ってはいませんでしたし、彼女もそういう芝居に出演する機会はあまりなかったでしょう。こう言うのも何ですが、ものすごく戸惑わせています。いい経験です、と言えればよいのですが。

風を背負った役者です。
境目に立ちながら、踏みとどまる意志を感じさせます。猫のような人です。あるタフさを持ち合わせ、媚びることなく人と対峙しようとします。発声とか、からだを動かすすべを徹底的に意識し、学んだほうがよいかもしれません。世界に斜めに突き刺さるありようが、無関心のほうに傾いてしまってはもったいないと思います。考えるべきことは、発見すべきことは、まだ、やまほどあります。
舞台は本当に吹きっさらしの空間、そこに立つと真っ裸にされてしまう場所だ、と思います。役者が背負っているもの、見えているもの、聞こえているものが直接、客席に伝わります。舞台に風が吹くのはそういう瞬間です。美しいものを美しいと思う眼差しを、小汚いものを遠ざけずに張り手を食らわす意志を、でもなんかいろいろと間違えて苦闘するもどかしさを、ぼくは好きなのだと思います。
ぼくが世間に喧嘩を売りたいときには、ぜひ出演してほしい、といつも思います。舞台で、盛大に中指を突き立ててきてください。蜜を塗った中指を。

ぶん殴ってこい。全力で。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿