最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●日米関係

2009-12-11 09:37:31 | 日記
●日米関係(091211)

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日米関係が、急速に悪化している。
日本側が申し入れていた日米首脳会談についても、
アメリカ側が、それを拒否してきた。
ここにきて、あの古典的とも言える、『ジャパン・
バッシング(日本叩き)』が、再び始まった(?)。
私には、そんな感じがする。

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●小細工

 日本の外交の歴史は、「小細工の歴史」と言い換えてもよい。
日本は、世界を欺くため、小細工に小細工を重ねてきた。
これは日本人自身が生来的にもつ民族性のようなもの。
古い話で恐縮だが、「軍隊」を、「自衛隊」と表現したときも、そうだった。
当初、私がそれをオーストラリアの友人たちに話すと、みな、こう言った(1969年当時)。

「セルフ・デフェンス・フォース? ヒロシ、一体、それは何だ?」と。

 そう言われてはじめて、私は、「自衛隊」という言葉のもつ欺瞞性に、気がついた。
「専守防衛」を目的とした軍隊だから、日本政府は、「自衛隊」とした。
しかし古今東西、そんなことは世界の常識。
自国を守らない軍隊が、どこにある!
それを日本政府が、「自衛隊は軍隊ではありません。セルフ・デフェンス・フォースです」と説明したから、話がおかしくなった。

 これはほんの一例だが、こうした言葉のごまかしは、世界では通用しない。
とくにアメリカには通用しない。

●安保ただ乗り論

 アメリカの財政事情も、きびしさを増している。
こうした動きに連動して、これまた再び、日米貿易摩擦が再燃しつつある。
その顕著な例として、現在、アメリカでは、「TOYOTA・バッシング」が始まっている。
理由にもならない理由をこじつけて、TOYOTAの車が、ねらいうちにされている。
「アメリカの自動車産業が打撃を受けたのは、日本車のせい」と。

 そういう中、これまた再び、『安保ただ乗り論』が、浮上してきた。
「日本が安い防衛費で、平和でいることができているのは、アメリカのおかげ」と。
若い大統領ということもある。
オバマ大統領は、こうした一連の日米関係を、振り出しから、リピートし始めている。

(日本異質論・1970年代)→(安保ただ乗り論・1970年代)→(日米経済摩擦・1990年代)→(ジャパン・バッシング・1990年代)と。

 で、現在は、北朝鮮問題、中国の軍事的脅威にからんで、再び、『安保ただ乗り論』というわけである。

●アメリカの言う「ただ」
 
 アメリカが言う「ただ」というのは、「お金」のことではない。
「人命」のことをいう。
そこを誤解してはいけない。
イラク戦争だけをみても、実際のところ正確な数字は公表されていないが、アメリカ兵の死者は、5269人(05年1月まで)とも言われている(イラク・レジスタンス・レポート)。

 が、そういう現実を日本は見て見ぬふりをしながら、「思いやり予算」とか、「インド洋での給油活動」とか、アメリカ側から見れば、小細工に小細工を重ねて、「ただ乗り」をつづけてきた。
これが鳩山政権になって、一気に問題化した。

 だからといって、自衛隊員に死んでこいと書いているのではない。
もしそれがだめというなら、日米関係は、終焉させるしかない。
つまりこの問題は、それほどまでに深刻な問題であり、日本側にも大きな覚悟が必要ということ。
が、とても残念なことに、母親から小遣いをもらっているような鳩山首相には、荷が重すぎる。
きびしさそのものが、ちがう。

●今、アジアは……

 アメリカは、(冷戦)→(ベトナム戦争の敗退)→(それにつづくスタグフレーション)→(湾岸戦争)を経験している。
その間に、世界の勢力地図も、大きく変わった。
当然、アメリカの軍事戦略も、大きく変わった。
同時に、日本の地位、沖縄の戦略的立場も、大きく変わった。

 が、日本だけは、いまだに井の中の蛙(かまず)というか、井戸の中からときどき、外の世界を垣間見ている程度。
世界の動きを、つかみきれていない。
そのひとつが、あの『東アジア・サミット』。

 ASEAN10か国に、日本、中国、韓国を加えたのが、「ASEAN+3」。
そのASEAN+3に、さらに、オーストラリア、ニュージーランド、インドを加えたのが、鳩山首相が説く、「東アジア・サミット」。

 当初この東アジア・サミットに、アメリカを加えなかったから、さあ、たいへん!
アメリカの日本不信に、鳩山首相は、火をつけてしまった。
アメリカには、APEC構想というものがある。
東アジア・サミットは、それに対抗する構想として、理解(あるいは誤解?)されてしまった。
鳩山首相は、あわてて「東アジア・サミット構想には、アメリカも含む」と訂正したが、これはあとの祭り。

●「アメリカと社民党と、どちらが大切なのか」

 鳩山首相というより、それを裏で操る小沢政権は、早々と、「脱・アメリカ構想」を決め込んでしまった。(……ようだ。)
今の今、小沢氏は、総勢600人もの随行者を伴って、中国を訪問している。
アメリカやオーストラリアで、鳩山民主党政権の誕生を、「社会主義国の台頭」と報じているのは、そのため。

 が、これは現在の日本にとっては、たいへん危険なことでもある。
「なぜ今なのか?」という理由も明確でないまま、ここで脱・アメリカを事実上宣言するのは、この日本にとっては自殺行為に等しい。
北朝鮮問題ひとつ取りあげても、それがわかるはず。

 日本には、まともな外交能力はない。
北朝鮮がすでに実戦配備しているノドンミサイルや、化学・生物兵器に対しても、まったく無力。
中国を信用するには、まだ時期が早すぎる。
ジョン・ルース駐日アメリカ大使が、鳩山首相に向かって、「アメリカと社民党と、どちらが大切なのか」と息巻いた背景には、そんな(現実)がある。

●では、どうするか?

 民主党は先の衆議院議員選挙で、大勝利を収めた。
が、それは反自民というよりは、反麻生でかたまった浮動票層が動いたからである。
しかしだからといって、一気に反米へ進めということではない。
まただれも、そこまでは予想していなかった。

 鳩山首相は、もう少し時間をかけるべき。
どうしてこうも急いでいるのか、私にはその理由がわからない。
とくに国際外交、なかんずく日米関係については、そうである。
戦後60数年の歴史を、わずか1年足らずで、ひっくり返してしまうような政策が、はたして智策と言えるのか。

 それをいきなり社民党にすり寄って、沖縄問題についての日米合意を白紙に戻すとは!
そんなことは、国際常識からしても、ありえない。
またそんなことは、してはいけない。

 その選挙で民主党に一票を入れた人たちは、今、大きな失望感を覚えつつある。
「私たちが選んだ首相だから、しかたない」と、自分で自分を慰めている。
しかしそんな(慰め)は、いつまでもつづかない。
自民党もだめだが、民主党もだめということになったら、この日本は、いったい、どこに向かって進めばよいのかということになる。
その責任は、重い。
そんなことも考えながら、ここは慎重に!
自民党政権のそれというよりは、戦後の日本の歴史の中で、踏襲すべきものは踏襲しながら、時間をかけて軌道修正していく。

 私は、切にそれを望む!

(09年12月11日朝、記)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●欠食

2009-12-11 08:02:46 | 日記
【今、K国では……】

●餓死者

 K国では餓死者が出始めているという。
餓死者だぞ!
が、それはまさに氷山の一角。
その直前で、がんばっている人も多い。
その数10倍の人、あるいはそれ以上が、餓死寸前の状態にあるとみてよい。
あのピョンヤンの小学校でも、1クラス40人のうち、10人前後が、「欠食」で学校を休んでいるという(韓国紙)。

「欠食」?

「欠食」という言葉は、はじめて知った。
つまり食事をとっていないから、登校できないということらしい。

●そこは地獄

 世界でも1、2を争う最貧国。
それがK国。
で、そういう国がどういう状況になっているかは、同じく1、2を争っているアフリカの国々を見ればわかる。
表向きはどうであれ、その内部では、私たちの想像を絶するような地獄絵図が繰り広げられているにちがいない。
漏れ伝わってきた情報によると、「旧紙幣で払う」「受け取らない」で、殴り合いの喧嘩になり、死んだ人もいるとか。
さらに「もう生活できない」と言って、自殺していく人も多いという報道もある。
少し前に読んだ記事には、人肉まで、売買されているというのもあった。

 人肉だぞ!

 暴力、略奪、窃盗、強盗、殺人……。
「悪」として思いつくことすべてが、あの国の闇の部分で繰り広げられている。

●後遺症

 しかし本当にこわいのは、人心の荒廃。
一度壊れた心は、元には戻らない。
幼児期、少年少女期の子どもほどそうで、後遺症は世代連鎖を経て、そのあと何世代にも渡ってつづく。
そうした禍根を作りつつある現政権、つまり金xxの罪は重い。

 が、これはK国だけの問題ではない。
金xx政権はやがて崩壊するとしても、私たち日本人は、そのあと何10年も、そういう人たちと、付きあっていかねばならない。
現在の日本と韓国、あるいは日本と中国の関係を見れば、おおかたの予想はできる。
教育によって徹底的に植え込まれた反日意識、反日感情というのは、それこそこの先、何10年もつづく。

●戦後補償

 で、この時点で、改めて念を押しておきたいことがある。

 日本は戦後、中国、韓国をはじめとして、東南アジアの国々に、莫大な戦後補償を払ってきた。
とくに韓国には、日本の屋台骨を何本も抜くほどの補償をしてきた。
しかしお金では、心は買えない。
買えないばかりか、札束で相手の頬を払うようなことをすれば、さらに深い反感を買ってしまう。
戦後補償をするとしても、一般民衆にわかる形で、かつ一般民衆に感謝される形でしなければならない。

 さらに一度、(保護)(依存)の関係ができてしまうと、依存する側は、「助けてもらって当然」というような考え方をするようになる。
そうなると、いくら援助しても、それこそ乾いた砂漠に、水をまくようなことになってしまう。

 私が韓国にいたときも、日本は、日本のお金でどこかにダムを建設した(1967)。
そのときもダムの前に、「このダムは日本の援助で建設されました」というようなプレートを立てる約束だった。
にもかかわらず、韓国政府は、それ立てなかった。
たまたまその式典から帰ってきた日本政府の高官が、その話をしながら、かなり怒っていた。

 この先、そういう話は、山のようにつづく。
今から覚悟して、対処する。

●人間性

 『衣食足りて、礼節を知る』※という。
それは事実だが、一時的なものであってはいけない。
また一時的なもので、礼節は身につかない。
現在私たちが人間性、文化性と呼んでいるものはそうで、それを培(つちか)うには、何世代にも渡る(努力)と(時間)が必要である。

 一度壊れた心を元に戻すには、さらに長い(努力)と(時間)が必要となる。
そのことは、戦後生まれの私たちの世代なら、みな、知っている。
私たちはあのドサクサの中で、まさにその人心の荒廃を、身をもって体験している。
ただ幸いなことに、その期間が短かった。
5年とか10年。
その間に日本は経済を立て直し、今に見る繁栄を築きあげた。

 もしあんな状態が、半世紀もつづいていたら……。
日本も恐らく、現在のK国のようになっていたにちがいない。

(注※)原文……『倉廩(そうりん)実ちて 則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち 栄辱(えいじょく)を知る』(管仲著「管子」)。

●統領様がやって来た!

2009-12-11 07:15:26 | 日記
【統領様が、やって来た!】

●とある工場で……

 第一報が入ったのは、その3日前のことだった。
その工場長の工場に、何と、あの統領様が視察にやってくるという。
どういうわけか、そういうことになった。
軍の地方幹部からその第一報が届いたとき、工場長は気を失った。
椅子からころげ落ちた。
何しろ、この数日間、食べたものと言えば、トウモロコシの入ったお粥だけ。
それも全部で、4杯。

 工場長はそれでも気を取り直すと、工員たちに総動員をかけた。
工場長といっても、名ばかり。
「工場」というのも、これまた、名ばかり。
手で運べるような工具や工作機械は、とっくの昔に消えてなくなっていた。
残った工員にしても、ほかに何もできないから、そこにいるだけ。
つまりどうしようもない工員たち。
そういう工員が数人。
それなりに力のある工員たちは、みな、闇市での商売や行商に精を出していた。

●製品?

 工場長は、その少し前、「工場の自社製品」と偽って、ピルピル市(首都のある町)へ、ステンレス製の鍋や食器を送っていた。
隣の中京国から仕入れたものだった。
何も出すものがなかったから、そうした。
軍の幹部から、「100日闘争の成果を見せろ」と迫られたから、そうした。
で、そのときはそれで、何とか、その場をやり過ごした。
しかし先にも書いたように、工場とは名ばかり。
残ったのは作業台と、それを取り囲むようにして残った、大型機械だけ。
もともとは、プレス加工の工場。
軍用トラックのボンネットなどを作っていた。

 が、それでも「統領様が来る」というニュースに驚いたのか、その日の午後までには、工員たちがほぼ全員、集まった。
サボタージュしているとわかったら、それこそ家族もろとも、公開処刑。
命がけ。

●体裁

 工場長は、それらしい体裁だけは整えようと、みなに提案した。
異議を唱えるものは、いなかった。
その日のうちに、新たにいくつかの台が並べられた。
それらしい部品もいくつか、並べられた。
つかなくなった電球は、別の工場からもってきたものと取り替えられた。
が、肝心の製品がない。

 そこで工場長はありったけの金を集めると、工員の2人に、中京国国境まで行って、かってくるように命じた。
工場には、古いトラックが1台あった。
が、このところ仕事もなく、死んだ人を運ぶ霊柩車として使っていた。
葬式だけは、派手にやる国である。

 幸い中京国国境までは、トラックで、2時間あまり。
朝早く出発すれば、午前の検問時刻には間に合う。
その時間帯をのがすと、つぎの検問時刻は、昼からになる。
ということで、みなの期待を一身に背負いながら、運転手は、トラックを国境に向けて走らせた。

●水洗トイレ

 問題はトイレ。
工場には、2つのトイレがあった。
が、2つとも汚れて、使い物にならなかった。
そのあたりでは、ボットン便所が当たり前。
座式の水洗トイレは、隣町の駅の中にしかない。
しかもそのトイレというのは、政府高官用。

 工場長は何とか頼み込んで、そのトイレを1日だけ、借りることに成功した。
そして工場長の隣にある、小さな物置部屋を、トイレに改装することにした。
工員たちは汗を流しながら、その日だけは、懸命に仕事をした。

壁に板を打ち付ける者。
床に、タイルを敷く者。
壊れた窓枠を、直す者、などなど。

便器は台の支柱ごと、土の中に埋められた。
そのまわりを、大きな石で囲んだ。
最後に床の上に板を敷き、ジュータンでそれを隠した。
また道路から玄関先までは、木が植えられた。

 人手だけは、たくさんある。
困らない。
工場内は、足の踏み場もないほど、人でごったがえした。

 さらにあちこちの家を回って、家具をもってきた。
それを工場の中に並べた。
町にひとつしかない電話機も、並べられた。
が、そのとき1人の工員が、工場長にこう言った。
「水はどうしますか?」と。

 水洗トイレである以上、水が流れなければ意味がない。
が、そこで議論が始まった。
「統領様は、トイレを使わない」
「いや、使うかもしれない」
「見るだけだ」
「いや、大便だったら、どうする?」と。

●問題は水

 つぎの日の午後、隣町の駅から、便座式のトイレが届いた。
工員の妻たちが、それをていねいに手で洗った。
その一方で、男たちは穴を掘り、排水用の土管を通した。
土管を通しただけで、その先は、ボットン。
みな、穴掘りだけは、得意だった。

 が、やはり問題は、水だった。
以前、製品を洗浄するための水道管をとりつけたが、それは15センチもある大口径のもの。
しかし迷っている暇はない。
その水道管をトイレに取り付けた。
そのころ、中京国国境から、トラックが戻ってきた。

●メイド・イン・チュウキョー

 工場長は玄関先の陳列ケースに、(これは近くの中学校から持ち出したものだが)、それに食器を10点ほど、並べた。
「Made in Chukyo」と刻印が押してあるところには、紙テープを張った。
あの中京国という国は、それこそ箸一本にも、「Made in Chukyo」と書く。
工場長は、それをうらめしく思った。

 が、予算が足りなくて、鍋は、60個あまり、食器は大小さまざまなものが、100個あまりしか買えなかった。
「とりあえず」ということで、工場長は、それらの製品を台の上に並べた。
いくつかは茶色い紙でくるんだあと、小さな箱の中につめた。
ほかにも箱だけはたくさんあったが、もちろん中はカラ。

●再びトイレ

 再び問題は、トイレということになった。
もし統領様がトイレを使い、コックをひねったら、どうするか。
そこで工場長は、一案を思いついた。
コックの軸の先を壁の外に出す。
外でそのコックが動くのをみたら、別の工員が、水道管のコックをゆるめて水を流す。
しばらく流したあと、またコックを閉じればよい。

 そのために1人の若い男が、トイレの水係りとして選ばれた。

で、何とか夜中までには、リハーサルまでできるようになった。
徴兵前の、まだ17歳の若い工員だった。
 工場長が「大」のほうへコックをひねると、それを見て、外の若い工員が、水道管のコックをひねって、水を送る。
そして元に戻す。
「小」のほうへコックをひねると、やや少なめに、水を送る。
若い工員は、その手順を懸命に頭の中に、叩き込んだ。

 が、工場長は、その夜は一睡もできなかった。

●緊張感

 統領様の到着時刻は、その前日の夜にならないとわからない。
遠くの通りを見ると、兵隊たちが忙しそうに動き回っているのが見えた。
ときどき怒号と悲鳴も聞こえる、何とも訳の分からない声も聞こえた。
殺気立った兵隊たちが、住民に命令して、徹夜で道路の清掃作業をさせていた。

統領様がいるところから、半径1キロ以内にある銃器からは、すべて弾を抜かれる。
半径2キロ以内にある大口径の銃器は、銃口が反対側に向けられ、鉄線ですべて固定される。
町中が、その町はじまって以来の、大騒動となった。

工場長はそれを見ながら、ピルピル市に、鍋や食器を送ったことを、後悔した。
心底、後悔した。
「家族もろとも銃殺刑!」。
そんな言葉が、聞こえてきそうだった。

●やって来た!

 その日はやってきた。
到着の前日の午後に、連絡が入った。
そしてその朝。
兵隊たちが、線路脇に、ズラリと並んだ。
時刻は午前7時。
ふつうの人には、早朝だが、統領様にとっては、就寝前。
生活時間がちょうど10時間ほど、ずれていた。

で、統領様は、専用列車でやってきた。
豪華な専用列車だった。
町中が緊張感で包まれた。
住民たちは一着しかない民族服を着て、懸命に旗を振った。
その笑顔で忠誠度が調べられる。
笑顔を作るのも必死。
旗を振るのも、これまた必死。
保安員ににらまれたら最後。
そのまま収容所送り。

 統領様は駅で車に乗り換えると、そのまま工場のほうに向かってやってきた。
その様子は、通りに立っていてもよくわかった。
駅のほうから歓声があがった。
その歓声がだんだんと、工場のほうに近づいてきた。
工場長は、生きた心地がしなかった。

●世界の水準

 幸い(?)、統領様は、立っても20メートルほどしか、歩けなかった。
持病の糖尿病が悪化し、足の末端部は、紫色に腫れ上がっていた。
車から出るところから、統領様は大きな車輪付きの椅子に座った。
「車椅子」ではない。
彫刻をほどこした、金ピカの木製の椅子である。
それに4個の車輪がくっつけてあった。
それを3人の女官が動かしていた。

 統領様が立つのは、写真撮影のときだけ。
それ以外のときは、その椅子に座ったまま。
で、玄関のところで統領様はこう言った。

 「この工場の製品は、世界の水準に達している」と。

 それを聞いて、工場長は、あふれんばかりの涙を流した。
もちろん喜びの涙ではない。
恐怖の涙である。

●視察

 視察は、数分ほどで終わった。
終わったというより、終わらざるをえない状況になった。

その間、駆り出された工員たちは、統領様の前で、忙しそうに動き回って見せた。
鍋を磨きながら箱につめる工員。
その裏で、箱から鍋を取り出し、また作業台に並べる工員。
裏のほうから、食器を運んでくる工員。
その食器を再び、裏へ運んでいく工員。
食器だけが、ぐるぐると工場の中を回っていた。

 工場長は、統領様の気を引こうと、わざと大泣きをしてみせたり、反対に統領様の一言一句に、大笑いをしてみせたりした。
が、つぎの一言で、工場長は、あやうく気を失うところだった。

「トイレを使いたい」と。

●大洪水

 外で待機していた若い工員に、即座に、合図でそれが伝えられた。
若い工員は、トイレの外で待機していた。
その国の冬は早い。
若い工員は、カチカチになった手で、水道管のコックを握った。
「大」のほうにコックが回れば、水道管を大きく開いて、パッと水を止める。
「小」のほうにコックが回れば、それよりは、小さく開いて、パッと水を止める。

 電気もガスもない国だが、水だけは、豊富にある。
豊富にあるといっても、冬場だけだが……。

 若い工員はその瞬間を待った。
1秒、2秒、3秒……、と。
それが若い工員には、気が遠くなるほど、長い時間に思えた。
「まだか……」「まだか……」と。
若い工員は、コックが回るのを待った。
じっとそこを見つめた。
まばたきもしないで、そこを見つめた。

 が、その瞬間は、意外と早く来た。
コックが、一度、大きく「大」のほうへ振れた。
若い工員は、水道管のコックを大きく開いたあと、すぐさまコックを閉めた。
壁の向こうで、ザーッと、勢いよく水が流れる音がした。
「ホーッ」と息をついだつぎの瞬間、今度は、コックが左右に、カチャカチャと動いた。
「大なのか、小なのか……?」と。
何しろその若い工員は、生まれてこの方、水洗トイレというのを使ったことがない。
見たこともない。
「大なのか、小なのか……?」と。

 若い工員はあわてた。
コックは左右にまた揺れた。
中で統領様がコックを、カチャカチャと動かしている……。
そこで若い工員は、思いっきり水道管のコックを大きく開けた。
とたん、中から、ワーッという悲鳴が聞こえた。

 そのときトイレの中では、便器から洪水のように水が溢れ出し、大便もろとも、統領様の下半身全体をドドーッと濡らしていた。

●土下座

 みな、公開処刑を覚悟した。
その町でも、1~2か月ごとに、墓場の横にある空き地で、公開処刑がなされていた。
相手が統領様では、弁解の余地はない。
みな、その場で土下座した。
額を地面にこすりつけた。

 が、同時に統領様は気分屋としても、よく知られている。
そのときの気分で、判断が、180度変わることも、珍しくなかった。

あいさつの仕方をまちがえて、処刑になった兵士もいる。
しかしまちがえたあと、統領様の靴に、顔をすりつけて泣いた兵士もいた。
その兵士のばあいは、そのあと反対に、昇進している。

トイレから出てくるときには、付き添いの女官たちが、すでに統領様の衣服を取り替え、もとどおりのピカピカの防寒服になっていた。
そしてガタガタと震えながら土下座している工場長を見ると、こう言った。

「気にしなくてもよい。
トイレの故障は、今度来るときまでに、直しておくように」と。

また別れ際、こうも言った。
「お前の工場の製品は、ピンピン市でも、特設売り場を作って売るようにしてやる」と。

●みやげ

 こうして統領様の視察は終わった。
トイレでのハプニングのおかげで、視察も、最初の数分足らずで終わった。
鍋や食器などの製品については、地方軍部も事情をよく知っていた。
だから、お咎(とが)めなし。

 で、今でも、その工場は、開店休業状態。
工場長と数人の、どうしようもない工員たちが、ひまそうにタバコを吸っている。

 で、あの鍋や食器は、どうなったかって?

 鍋や食器は、みんな、軍の幹部たちが、みやげものとして、持ち帰っていった。
そのあとに残ったのは、「Made in Chukyo」と書かれた、カラ箱だけ。
それを横目で見ながら工場長は、何度も何度も、あくびを繰り返していた。

(以上の話は、すべてフィクションです。)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●「子どもは不要」

2009-12-11 07:09:43 | 日記
●「子どもは必要ない」(追記)

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先日、「子どもは必要ない」と考えている若い人たちへの
意見を書いた。
今では、50~60%の若い人たちが、20~30代の
人たちを中心に、「子どもは必要ない」と考えているという(内閣府)。

いろいろな意味に解釈できる。
「結婚しても、子どもは必要ない」と考えている。
「結婚そのものも、しない」と考えている。

後者の中には、「結婚しなくても、子どもだけほしい」という人も含まれる。
そうして生まれた子どもを「婚外子」というのに対して、「嫡出子」という。

ともかくも、私は、「子どもは必要ない」と考えるのは、おかしいと自分のBLOGに
書いた。
が、それに対して、いろいろな書き込みがあった。

「生き方の問題ではなく、現実に、結婚したい相手が見つからない」
「地球温暖化など、子どもの将来に不安を感ずるから」
「出産と同時に、70%の女性が職場を余儀なく、離れさせられている」など。
つまり私が考えているほど、単純な問題ではない、と。

「年収が200万円以下の男性は、結婚する率が、極端に低くなる」という
説もある。

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●山鳩の世界

 今年の春から、一羽の山鳩が、私の家の庭に住みついた。
たぶん雄だと思う。
ときどきやってくる別の山鳩に、ちょっかいを出すのだが、相手にされなかった。
理由はわからない。
山鳩には、山鳩なりの見方、考え方があるらしい。

で、その山鳩は、ずっとチョンガ(=独身)だった。
ときどき2羽でやってくる山鳩がいた。
その奥さんのほうに手を出そうとしたこともある。
しかしやはり相手にされなかった。
(山鳩というのは、想像以上に夫婦の絆が強い。)

その山鳩は、12月に入った今も、チョンガ。
そういう世界を見ていると、山鳩の世界も、人間の世界と同じだなあと思う。
あるいは、その反対でもよい。

●現実論

 つまり結婚したくても、相手がいなければ、どうしようもない。
子どもを作るとなると、なおさらである。
そういう相手が見つからない人たちが、「子どもは必要ない」と考えるようになったところで、何もおかしくない。

 生き方の多様性の問題というよりは、「現実論」の問題ということになる。
つまり現実を冷静にみていくと、必然的結果として、(結婚できない)。
そのため(子どもをつくることができない)。
それを合理化するために、「子どもは必要ない」と考える。

 またこうした傾向は、何も日本だけにあるわけではない。
世界的にみても、(1)晩婚化、(2)女性の社会への進出、(3)婚外子の増加は進んでいる。

 そこでここでは話を一歩進めてみる。
というのも、この問題は、多くの人たちがすでに論じているし、雑誌などでもたびたび取り上げられている。
何を書いても、私のばあい、二番煎じになってしまう。

●「孫は必要ない」

 「子どもは必要ない」の先にあるのが、「孫は必要ない」である。
これについてなら、私にも書ける。
二番煎じでもない。

 で、祖父母の立場で言うなら、ほとんどの人は、「子育ては一度で、こりごり」と考えている。
祖父母の世界には、『来て、うれし。帰って、うれし』という格言すら、ある。
「孫が来てくれると、うれしいが、そこまで。
帰ってくれると、ほっとして、それもうれしい」と。

中には、孫を目の中に入れても痛くないという人もいるが、これは当初から同居しているばあい。
しかしそうでなければ、そうでない。
つまりこれが祖父母の本音ではないか。

 子育てというのはぞれ自体、重労働である。
で、やっとその重労働から解放されたと思ったら、そこに孫がいる。
若い人たちは、「ジーチャン、バーチャンは、孫をかわいいはず」と思い込んでいる。
私もそうだった。
しかし孫といえども、人間関係。
ある日いきなり孫を押しつけられ、「かわいいだろ」と言われても困る。
私のばあいが、そうだった。

 私が自分の孫を「かわいい」と感じたのは、孫に会ってから、1週間目のことだった。
それまでは、「どうしてこんな孫がかわいいのか?」と、何度も自問した。

●「孫は必要かどうか」

 そこでこんなふうに考えてみる。
「孫は必要かどうか」と。

 私のばあい、たぶん不幸なことに、最初の2人の孫は、現在、アメリカに住んでいる。
会えるといっても、1~2年に1回。
息子のBLOGには、こうあった。
「高い旅費を払ってまで、日本へ帰る必要はあるのか?」と。
それを読んだとき、正直言って、私はがく然とした。
それを読んで以来、私は「日本へおいで」とは、言えなくなってしまった。

 もちろん孫たちに会いたいという気持ちは、強い。
しかしその気持ちを支えるの、これまたたいへん。
いろいろ努力はしているが、『去るもの、日々に疎(うと)し』という格言もある。
孫への気持ちが、年々、薄らいでいくのが、自分でもよくわかる。
恐らくあと数年もすれば、上の孫にしても、親離れを始めるだろう。
そうなれば、当然、私の姿も、孫の中から消える。

●私のばあい

 そのかわり……というと語弊があるかもしれない。
しかし私のばあい、そのかわり、生徒たちがいる。
年齢的には、4歳前後から高校生まで。
最近は、そうした子どもで、孫への思いを代償的に消化している。
たまらないほどの、「いとおしさ」を感ずることもある。

 これは若いころ経験しなかった感情である。
だからもし、私が今の仕事から、身を引いてしまったら、仕事から去るという(さみしさ)のほかに、それこそ身を引きちぎられるような(さみしさ)も覚えるにちがいない。

 一方、孫たちのほうは、どうか。

 少し前だが、こんな調査をしてみたことがある。

 私の教室に通っている、幼児、小学生の子どもたちに、こう聞いてみた。
「おじいちゃん、おばあちゃんが死んで、悲しく思った人はいるか?」と。
すると、ほぼ全員、こう答えた。
「何ともなかった」と。
1人だけ、「悲しかった」と答えた子どもがいたが、彼は(おじいちゃん子)で、しかも小学6年生だった。

 子どもたちは、老人の私たちを、「死にゆく者」と考えている。
「死んで当然」とまではいかないにしても、それに近い。
そういうふうに考えている。

●問題は別のところに

 こう考えていくと、「子どもは必要ない」と考える若い人たちを、一概に、まちがっているとも言えなくなる。
つまりその結果、子育てのもつすばらしさがわからなくても、また最終的に人類が滅亡することになっても、それはそれ。
しかたのないこと。
それについて、とやかく言う方が、おかしい(?)。
それぞれの人は、それぞれの考えに基づいて、人生を選択している。
言うなれば、あとは多数決の問題ということになる。

 ただ、これだけはまちがえないでほしい。

 だからといって、この日本や社会がかかえる問題を、放置しておいてよいということではない。
この日本では、子育てが、ますますしにくくなってきている。
少子化の問題も、その(結果)でしかない。
そういった問題については、積極的に考えていかなければならない。
それはそれ。

 ……ということで、この問題は、またの機会に、もう少し頭を冷やしてから考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 少子化 婚外子 嫡出子 子どもは必要ない 内閣府)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●マガジン(12-11)「人を愛すること」ほか

2009-12-11 06:50:44 | 日記
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   11日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人を愛するということ

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映画『歓びを歌にのせて』の中に、
こんなセリフがあった。
このDVDを見るのは、2度目。
星は5つの、★★★★★。

「顔を見ると幸せ
いつも想っている
いっしょにいると、とても幸せ
それが『その人を好き』という意味」と。

もう一度、まとめると、こうなる。

(1)顔を見ると幸せ。
(2)いつも想っている。
(3)いっしょにいると、とても幸せ。

++++++++++++++++

●『許して忘れる』

 人は「愛」という言葉を、安易に使う。……使い過ぎる。
しかし愛ほど、実感しにくい感覚もない。
で、その愛の深さは、相手をどこまで許し、どこまで忘れるかで決まる。
英語では、『for・give & For・get』という。
「許して、忘れる」という意味である。
つまり相手に愛を与えるために、許し、相手から愛を得るために、忘れるという
意味である。
その度量の深さによって、あなたの愛の深さが決まる。

 では、自分自身では、どうすれば愛を実感することができるか。
「私は、あなたを愛している」と、どういうときに言うことができるか。
それが冒頭に書いた感覚ということになる。

(1)顔を見ると幸せ。
(2)いつも想っている。
(3)いっしょにいると、とても幸せ。

●愛の実感

 失ってから、その価値をはじめて知るということは、多い。
健康しかり、若さしかり、そして子どものよさも、またしかり。
……ということは、前にも、何度か書いてきた。

 そこでここでは、その中身をもう一歩、深めてみる。

 実は「愛」も、「愛する人」を失って、それがどういうものだったかが、
わかる。
それまではわからない。
そのときは、まるで空気のようなもの。
いないとさみしい。
その程度。
そこで先の言葉に、いろいろつなげてみる。

(4)その人がそばにいると安心する。
(5)その人が何をしても、気にならない。
(6)その人がうれしそうだと、自分も楽しい。

 それが「その人を愛している」ということになる。

●身勝手な愛

 一方、身勝手な愛というのもある。
たいていは、心のどこかで(毒々しい欲望)と結びついている。
よい例が、ストーカーと呼ばれる人たちの愛である。
「いつもその人のことを想う」のは、その人の勝手だが、それでもって、「私は
その人を愛している」と錯覚する。
相手の気持ちなどお構いなしに、その人を追いかけ回したりする。

 が、これはある意味で、特殊な人たちの話。
(とは言っても、だれにでもストーカー的な要素はあるし、ストーカーをする人に
しても、そうでない場面では、ごくふつうの人だったりする。)

 実は、親子の間の「愛」についても、同じことが言える。
もしあなたが、自分の子どもといっしょにいるとき、それが楽しいなら、あなたは
子どもを愛しているということになる。
一方、子どもの側からみて、あなたという親といっしょにいるとき、それを楽しい
と思うなら、あなたの子どもは、あなたを愛しているということになる。

 が、現実はきびしい。
子どもも思春期を過ぎると、親子関係がうまくいっている家族となると、
10に1つもない。
(親は、「うまくいっている」という幻想を、いつまでも抱きやすいが……。)

そこであなたも、一度、自分の子どもにこう聞いてみるとよい。
「あなたは、お母さん(お父さん)といっしょにいると、楽しい?」と。
そのときあなたの子どもが、「楽しい」と答えれば、それでよし。
しかし「楽しくない」とか、「いっしょにいると苦痛」とか言うようであれば、
あなたの親子関係は、崩壊寸前、もしくは、すでに崩壊しているとみてよい。

 ひとつの診断法として、こんなことを観察してみるとよい。
あなたの子どもが学校などから帰ってきたとき、どこで体を休めるか。
(1)あなたのいる前で、平気で体を休める。
(2)あなたの姿を見たり、気配を感じたりすると、どこかへ逃げて行く。

 もし(1)のようであれば、あなたの親子関係には、問題はない。
が(2)のようであれば、「かなり危機的な状態」と判断してよい。

 ……とまあ、そこまで単純に考えてよいかどうかという問題もあるが、ひとつの
目安にはなる。

●物欲

 そこであなたが、もし祖父母なら、こう考えるかもしれない。
「子ども(孫)を楽しませてやろう」と。
そして子どもの物欲を満足させるために、あれこれといろいろ買ってやる。
そのとき子ども(孫)は、それに感謝し、喜ぶかもしれない。
しかしこうした満足感は、長続きしない。
数日もするとドーパミン効果は、脳のフィードバック現象によって、消失する。

(注:ドーパミン……欲望と快楽を司る、神経伝達物質。
フィードバック……脳内でホルモンの分泌により、あるひとつの反応が起きると、
それを打ち消すために、正反対のホルモンの分泌が始まる。それを「フィードバッ
ク」という。)

が、なおまずいことに、こうした満足感には麻薬性があり、幼いころには1000円の
もので満足していた子どもも、中学生になると、10万円のものでないと、満足
しなくなる。

 同じ「楽しい」という言葉を使うが、「いっしょにいると楽しい」というときの
(楽しい)と、「欲望を満足して楽しい」というときの(楽しい)は、まったく
異質のものである。

だからあなたの孫が、「おばあちゃん(おじいちゃん)といると楽しい」と言っても、
それで安心してはいけない。
あなたは孫に愛されていると思ってはいけない。
これは余計なことだが……。


●子どもの受験競争

 子どもの受験競争に狂奔する親は、少なくない。
親は、「子どものため」と思ってそうするが、子どものほうこそ、いい迷惑。
親は、自分が覚える不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。

 そこで改めて、自分にこう問うてみるとよい。

(2)「私は子どもといっしょにいると、楽しいか」と。

 あるいは、

(2)「私の子どもは、私といっしょにいると、楽しそうか」でも、よい。

 もしあなたが子どもといっしょにいるとき、楽しいなら、それでよし。
あなたの子どもも楽しそうなら、さらによし。
が、そうでないなら、あなた自身が「愛」と思っているものを、一度、疑ってみたら
よい。

 たいていのばあい、あなたはただの幻想にしがみついているだけ。
「私は子どもを愛している」という幻想。
「私は子どもたちに愛されている」という幻想。
子どもの心は、とっくの昔に、あなたから離れている。
が、自己中心性の強い人ほど、それがわからない。

毎日、毎晩、「勉強しなさい!」「ウッセー!」の大乱闘を繰り返す。
しかしそれは、とても残念なことだが、「愛」によるものではない。

●愛

 人を愛することができない人は、人に愛されることもない。
だから人に愛されたいと思うなら、まず人を愛する。
マザーテレサもこう言っている。
「愛して、愛して、愛しなさい。心が痛くなるまで、愛して、愛して、愛しなさい」
と。

 私たち凡人には、そこまでは無理かもしれない。
しかし努力することはできる。
その相手は、夫(妻)であり、子どもということになる。
もちろん親でもよい。

 で、その愛が相手の心に届いたとき、その相手は、「あなたといると楽しい」となる。
つまりその相手も、あなたを愛するようになる。
何がこわいかといって、この世の中で、「だれにも愛されないという孤独」ほど、
こわいものはない。
が、その孤独も、人を愛することによって、和らげることができる。

 ……などなど。
「愛」ほど、実感しにくい感覚もない。
また「愛」ほど、相手の中に見つけにくい感覚もない。
が、映画『歓びを歌にのせて』は、そのヒントを私に教えてくれた。
またそういう映画を、名画という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 愛の原点 愛とは はやし浩司 愛の意味 愛の内容 愛論 歓
びを歌にのせて 愛の意味)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●国家の意思(日本の教育、私の教育論)

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国によって、教育は異なる。
国として、どういう子どもに育てたいか。
そのとき国家として(意思)が働く。
教育の内容は、その意思に応じて、異なる。

日本には日本の、国家としての意思がある。
アメリカにはアメリカの、国家としての意思がある。
中国には中国の、国家としての意思がある。
その意思に応じて、国家は子どもの教育を組み立てる。

++++++++++++++++++++++++++

●もの言わぬ従順な民

 (もの言わぬ従順な民)の反対側に位置するのが、(ものを言う独立心の旺盛な民)
ということになる。
こと(組織)ということを考えるなら、(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
つまり明治以来、それが日本の教育政策の(柱)になっていた。

 一方、アメリカやオーストラリアでは、日本でいうような巨大企業が育ちにくい。
とくにオーストラリアでは、そうだ。
オーストラリアの街角を歩いていて気がつくのは、車の側面に、でかでかと看板を
描いて走る車。
「パイプ修理」「電気工事」「ネットサービス」「運送」などなど。
まさに何でもござれ。
それを見ながら、オーストラリアの友人は、こう話してくれた。

 「オーストラリアでは大企業は育たない。若者たちは、高校を卒業すると、
電話と車だけで、仕事を始めるようになる」と。

●不利イ~タ~

 (もの言わぬ民)から、(ものを言う民)、
(従順な民)から、(独立心の旺盛な民)へ。
今、この日本人は急速に変わりつつある。

が、この日本では(独立心の旺盛な民)は、あまり歓迎されない。
奈良時代の昔から、『和を以(も)って……』という、お国柄である。
で、今、独立して、ひとりで生きている人のことを、「フリーター」と呼ぶ。
「フリーター」というのは、昔風に言えば、「無頼」、あるいは「風来坊」。
社会が未成熟というか、フリーターを受け入れる土壌そのものが、育っていない。
何かにつけて、フリーターは、不利である。
だから「フリーター」のことを「不利イ~タ~」と書く。
(これは私の駄ジャレ。)

 一方、オーストラリアでは、年金制度にせよ、社会保障制度にせよ、職種によって、
差別しない。
官民の差は、ない。
その年齢になれば、みな、一律に年金が支給される。
「それ以上に……」と思う人は、あらかじめ保険会社などと契約をし、お金を積み立てて
いく。
保険制度についても、そうである。

驚いたのは、救急車を呼んでも、あとで請求書が回ってくるということ。
1回で、3~5万円(南オーストラリア州、私の息子の例)。
相手によって、差別しない。
そういった出費は、保険に入っていれば、そのまま返金される。

●キャンピング

 国策として大企業、もしくは組織(軍隊)に有用な人材を育てるには、
(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
そのためには、子どもがまだ小さいうちから、徹底して集団教育を繰り返す。
「集団からはずれると、生きていけませんよ」という意識をもたせる。
この日本が、そうである。

ほとんどの親は、自分の子どもが集団からはずれることを、極端に恐れる。
自分の子どもが不登校児になったりすると、狂乱状態になる。
骨のズイまで、学歴信仰がしみこんでいる。

 教師は教師で、(最近はそういう教師は少なってきたが)、子どもが学校を
休んだりすると、「後れます」という言葉を使って、親をおどす。
しかし、何から後れるのか?
どうして後れるのか?

 この点、オーストラリアでは、その反対のことを教える。
たとえば「キャンピング」という科目がある。
原野(アウトバック)で、生き延びる術(すべ)を学ぶ。
そこで私が、メルボルンにあるグラマースクール(小中学校)のひとつに電話を
かけ、それを確かめたところ、電話に出た事務員の男性は、こう話してくれた。
「必須科目(コンパルサリー)です」(ウェズリー・グラマースクール)と(1990年ご
ろ)。
(しかし最近、オーストラリアの友人にそれを確かめたところ、「unlikely(ありえない)」
という返事をもらった。※)

 また私が留学していたころ、日本でいう大学入試センター試験のようなもの
があった(1970年ごろ)。
その結果に応じて、学生たちは自分の選んだ大学へ進学できる。
その試験の直前に、受験生たちはみな、1週間程度のキャンピングに行くということ
だった。
私が理由を聞くと、「実力を正しく評価するため」と※。
(しかしこれについても、オーストラリアの友人から、「キャンピングが義務になって
いるということは、まったくありえない」という返事をもらった。)

 つまり日本式の、詰め込み学習を排除するため……と、当時の私は、そう解釈
した。

 話がそれたが、「独立(independent)」に対する考え方そのものが、日本と欧米
とでは、異なる。
それが日本の教育であり、それが欧米の教育ということになる。

●国家の意思

 どちらがよいか。
どちらが、これからの日本の教育として、望ましいか。
(もの言わぬ従順な民)のほうがよいのか。
それとも(ものを言う独立心旺盛な民)のほうがよいのか。

 しかしこの視点そのものが、実はおかしい。
「国の意思」とは言うが、では、その「国の意思」はだれが作るか。
独裁的な為政者が作るか、それとも国民自身が総意として作るか。
それによって、中身が大きく変わってくる。

つまり独裁的な国家では、(民)を国家の財産として考える。
「国あっての民」と考えるとき、そのとき、国家の意思がそのまま
その国の教育に反映される。
為政者も、「わが国民」などと、まるで国民を私有物であるかのように言う。

 たとえば中国では、上も下も、「立派な国民」という言葉を使う。
しかしそういう中国を私たちは笑うことはできない。
一昔前、つまり私たちが子どものころは、「役に立つ社会人」というのが、
教育の(柱)になっていた。
卒業式などのときも、それこそ耳にタコができるほど、そう言われた。
「どうか社会で役立つ人になってください」と。

 国家の意思……その意思に添って、その国の民は作られる。
教育によって、作られる。
「作られている」という意識をもつこともなく、作られる。
今のあなたのように……。

【補記】

●みなが、大企業に!

 私たちは日本が、ちょうど高度成長の波に乗るころ、社会に送り出された。
だから就職というと、だれもが迷わず、大企業を選んだ。
「大きければ大きいほど、いい」と。

 そして企業戦士となり、一社懸命に、その会社のために励んだ。
「それが人として、なすべき道」と。

 しかしこれはあくまでも私のばあいだが、私はオーストラリアへの留学中に、
その考え方が、ひっくり返されてしまった。
とくにショックだったのは、日本の商社マン(Business Men)が、「軽蔑されて
いた」ことだった。
これには驚いた。
心底、驚いた。
私は、M物産という会社から内定をもらっていたので、よけいに驚いた。
(このことは、『世にも不思議な留学生活』(中日新聞掲載済み)に書いた。)

 国がちがえば、職業に対する価値観そのものまで、ちがった。
それを思い知らされた。
で、しばらくして、私の考え方は、180度変わった。

 もちろん私の考え方が、正しかったというのではない。
それでよかったというわけでもない。
今の日本があるのは、企業戦士であるにせよ、一社懸命であるにせよ、
そういうところで懸命に働いた人たちがいたからである。
また私のような生き方をしていた人も、当時はまわりに、10人ほどいた。
しかし私をのぞいて、みな、ことごとく、事業に失敗したりし、そのあと、
どうかなってしまった。

 「フリーター」という言葉すら、ない時代だった。

 損か得かということになれば、この日本では、フリーターは決定的に不利。
損!
たとえばM物産の社員だったとき、うしろの席に、TJという同期入社の男がいた。
彼はそののち、政府の諮問機関の委員になり、活躍した。
今はHT首相の、首相顧問として活躍している。
そういう現実を見せつけられると、果たして私の選択が正しかったのかどうか、
それがわからなくなる。

 で、今度は、視点を国民側、つまり「民」に置いてみる。
「どういう生き方が、個人の生き方として、ふさわしいか」と。
すると、教育に対する考え方が、一変する。

 たとえばアメリカなどでは、教師が親に、子どもの落第を勧めると、
親は、喜んで、それに従う。
「そのほうが子どものためになる」と、親は考える。
この(ちがい)こそが、日本とアメリカのちがいということになる。
「国」の立場で教育を考えるのか、「子ども」の立場で教育を考えるのか、
そのちがいということになる。

 が、悲観すべきことばかりではない。
この10年で、日本というより、子どもをもつ親の意識が大きく変わった。
まさに「劇的な変化」。
「サイレント革命」と名づける人もいる。

 結果、たとえば今では子どもの障害についても、それを前向きにとらえる人が
ふえてきた。
(隠さなければならないこと)と考える人は、少ない。
障害児教育の拠点校になっている、ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「10年前には、考えられなかったことです。今では、この小学校に入学するために、
わざわざ住所を変更してやってくる親もいます」と。

 私たちはこうした意識を、けっして後退させてはならない。
はじめに「国」があるわけではない。
(そういう部分も必要だが、あくまでも「部分」。)

はじめに「民」がいる。
「子ども」がいる。
そういう視点から、教育がどうあるべきかを考える。
教育を組み立てる。

 みながそう考えれば、結果は、あとからついてくる。
この日本の教育は、変わる!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 日本の教育 教育論 教育はどうあるべきか はやし浩司 教育
論)

(注※)

 南オーストラリア州に住む友人に、このことを確かめると、その返事が届いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司