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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 12月 2日号
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12月2日……1286号
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★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●今日で10月もおしまい
昨日、大急ぎで、マガジン11月号のHTML版(カラー版)の編集をした。
40分ほどで、できた。
あぶなかった!
ぎりぎり、セーフ!
数日前、「11月号は休刊にしようか」と、ワイフと話し合ったばかり。
このところ、ワイフですら、私のマガジンを読んでいない。
他人である読者なら、なおさら。
読んでいる人は、ほとんどいない?
自分でもよく、「どうしてこんなバカなことをしているのだろう?」と思う。
やる気になれば、40分でできる。
その「40分」を、自分の中で作るのが、たいへん。
子どもだって、そうだ。
30分でできるような宿題でも、なかなか、やらない。
「その気になって、早くすませばいい」と思うが、やらない。
その30分を作るのが、むずかしい。
今日は10月31日。
しめくくりに、午前中、近くの小学校で、講演というか、講話をしてくる。
時間が1時間しかないから、たいした話はできない。
雰囲気的には、雑談形式になってしまうかも?
で、そのあと、そのまま山荘へ。
今日は、山の草刈りをするつもり。
上半身の運動には、草刈りが、いちばんよい。
30分もつづけると、全身が汗だくだくになる。
それに今の時期から、落ち葉がひどくなる。
それを集めると、ふかふかのダブルベッドのようになる。
孫たちが近くにいれば、それで遊ぶだろう。
いつももったいと思いつつ、それを燃やす。
そうそう、昨夜、今度講演に行くことになっている、秋田県のY市を
ネットで調べてみた。
旅館の予約をしなければならない。
が、驚いた。
地図で見たら、浜松からだと、韓国のソウルと、同じ距離。
円を描いてみたら、ちょうど同じ位置だった。
「新潟の向うが秋田」と思っていた。
(たぶん、反対に、秋田の人たちは、「東京の向うが、浜松」と
思っているにちがいない。)
片道、7時間半。
秋田県は、はじめてなので、楽しみ。
もうひとつ驚いたのは、旅館の宿泊費が安いこと。
このあたりの半額といった感じ。
温泉旅館でも、一泊2食付きで、6~7000円前後。
ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●逆・母子分離不安(byはやし浩司)
+++++++++++++++++
母子分離不安というと、子どもだけの
問題と考える人は、多い。
しかし子どもほどではないが、母親側の
母子分離不安も多い。
称して、「逆・母子分離不安」(筆者)。
+++++++++++++++++
「母子分離不安」というと、子どもだけの
問題と考える人は多い。
つまり母子分離不安になるのは、子どもだけとはかぎらない。
母親側の、母子分離不安というのも、ある。
「子どもから離れられない」
「子どもがそばにいないと不安」
「子どもの様子がわからないと心配」と。
そして幼稚園や保育園でも、用もないのに、
出かけて行っては、そこで子どもの様子を見る。
園の先生が、「だいじょうぶですよ」「心配ないですよ」
「任せてください」と言っても、(実のところ、
そういう母親がいると、園にとっても、迷惑なのだが)、
そこにいる。
そこにいて、じっと子どもの様子を見ている。
ふつうの「母子分離不安」と逆の立場になるから、
「逆・母子分離不安」ということになる。
このタイプの母親の特徴としては、
(1)静かで、いつも憂うつそうな顔をしている。
(2)子どもから視線をはずさない。
(3)表面的には、穏やかでやさしい母親に見える。
(4)強く注意したりすると、おどおどしてしまう。
(5)歩くときも、手をつないだりして、離れない。
(6)「私は愛情豊かな母親」と誤解している。
原因は、母親側に、何らかの情緒的な欠陥、あるいは
精神的な未熟性。
とくに情緒的な欠陥、たとえばうつ病が原因となることがある。
当然、子どもにも、影響が出てくる。
そういう点では、母親の愛情を、過剰なまでに受けている。
そのため溺愛児プラス、過保護児プラス、過関心児を
統合したような症状を示す。
(1)静かでおとなしい。
(2)ハキがない。積極性に欠ける。
(3)全体に幼稚ぽいしぐさや、言動が目立つ。
(4)人格の核形成(=この子はこういう子というつかみどころ)が遅れる。
(5)他の子どもたちと交われない。
(6)柔和でおだやかだが、積極性がない。
(7)乱暴な指導になじまない。
(8)いつも親の視線を気にする、など。
T君(小1)という子どもがいた。
その子どものばあいも、親が授業を参観しているときと、
していないときとでは、別人のように違った。
親がいないときは、比較的表情が明るく、
積極的だった。
ものもしっかりと言うことができた。
親がいるときは、比較的……というより、明らかに
「いい子」という様子を見せた。
で、私はときどき「参観はもういいですよ」と
促した。
しかし効果は長つづきしなかった。
1、2回くらいは、参観をやめるが、またやってきて、
いちばん奥の席に座って、じっと子どもを見つめていた。
私もその視線を強く感じた。
ときに私の体を、ズキンズキンと突き抜けた。
授業もやりにくかった。
が、そういうこちら側の気持ちは、理解できない。
どこまでも身勝手で、自分勝手。
しかし母親のかかえる心の問題は、それをしのぐほど、大きい。
根も深い。
無理に引き離したりすると、母親自身の精神状態が、おかしくなってしまう。
それがわかっているから、私の方が、引きさがるしかなかった。
この問題は子どもの問題ではない。
(たいていの母親は、「この子は私がそばについていてあげないと、
何もできません」と言うが)、母親自身の問題と考える。
もっと言えば、母親自身の心の問題。
それを治す。
しかしそれは「教育」の範囲を超える。
父親の協力も必要だが、たいていのばあい、父親(夫)も、
もてあましていることが多い。
それ以上強く言うと、家庭内騒動の原因となったり、
そのまま母親が子どもの手を引いて、園をやめてしまったりする。
子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、
急速に親離れを始める。
親はそのときだけの様子を見て、「私たち親子は、いつまでもそういう
関係がつづく」と考える。
しかしこのタイプの子どもは、思春期に入るころ、豹変する。
「このヤロー! こんなオレにしたのは、テメーだア!」と。
母親を激しく罵倒したりする。
抑圧された別の心が、そのとき爆発する。
あるいは、極端なマザコンのまま、おとなになる。
比率としては、豹変して親を罵倒するようになる子どもが、70%、
マザコン化する子どもが、30%と、私はみている。
どちらであるにせよ、よいことは、何もない。
ひどいばあいには、そのまま激しい家庭内暴力へとつながる。
子どもを、自分の心の隙間を埋めるための道具に利用してはいけない。
【症例1】
毎朝、子ども(年中・女児)といっしょに幼稚園へやってくる母親がいた。
そして門のところで子どもを手放すと、そのまま門の端のほうに移動して
立っていた。
毎朝のことなので、園のほうも、あきらめていた
強く言ったこともあるが、そのときは、園の別の隅に移動し、やはり
そこで立って子どもの姿を見ていた。
ときどき家に帰ることもあった。
家までは、歩いて、5~10分程度。
しかし昼ごろになると、またやってきて、そこに立っていた。
たいていそのまま、帰りの時間まで、そこにいた。
いつも子どもの手を引いて、家まで帰った。
【症例2】
「娘が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしい」と、その母親は言った。
「娘といっしょに、一日を過ごせるから」と。
その子ども(年長・女児)の髪は、芸術とも言えるほど、こまかく編んでいた。
私が「ずいぶんと時間がかかるでしょう?」と聞くと、母親はこう言った。
「いえ、1時間ほどですみます」と。
毎朝、1時間!
その母親の口癖は、いつも同じ。
「死ぬまで、(この子と」いっしょ」。
「子育てが生きがい」。
「この子は、私がいなければ、何もできません」。
「結婚したら、どうします?」と聞いたこともある。
母親は、臆面もなく、こう答えた。
「結婚はしません。するとしても、養子で、家(うち)に入ってもらいます」と。
で、ある日、その母親は、こうも言った。
「私、夫なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします。
娘さえ、家にいてくれれば……」と。
母親の実家は、かなり裕福な資産家だった。
毎月生活費の大半を、実家からの仕送りで、まかなっていた。
【症例3】
T君(中2)が、激しい家庭内暴力を繰り返しているという話は、その隣に住む
母親から聞いた。
最初は、親子で怒鳴りあう声が、近所中に聞こえたという。
が、そのうち静かになり、T君の家庭内暴力は、ますます激しくなっていった。
暴力が激しいため、家の中のガラス戸などは、すべてはずしてあったという。
父親も母親も、中学の教師をしていた。
母親は、T君が幼稚園へ入るころ、教師の職を辞した。
父親も母親も、T君の部屋の前を通るときは、両手ではって歩いたという。
立って歩いている姿が見えると、T君は、容赦なくモノを投げつけた。
そのT君は、小学3年生ごろまでは、学校でも優等生(?)だった。
勉強も、スポーツもよくできた。
おとなしく、親や先生の指示にも従順だった。
私もそのころまでのT君しか知らない。
で、T君の話を聞いて、心底驚いた。
隣に住むその母親は、こう言った。
「T君が子ども(幼児)のころは、母親が毎日、手をつないで、近くの
ピアノ教室に通っていました。
いつもいっしょなので、たいへん仲のいい親子に見えました。
母親は、明らかに溺愛していました。
ただ教育ママで、T君が学校のテストなどでまちがえたところがあったりすると、
夜遅くまで勉強を教えていました」と。
そう言えば、T君には妹が1人、いたはず。
それを聞くと、その母親は、「そう言えば、妹さんは、父親の実家から、学校に
通っていました」と。
(補記)
子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、急速に親離れを始める。
男児だと、それまでは学校であったことを話していたのが、急に話さなくなる。
親や近親者を、露骨に毛嫌いし始める。
(本当に嫌っているというよりは、生意気な態度をわざとしてみせる。)
女児だと、それまで父親と風呂に入っていたのが、入らなくなる。
そこで大切なことは、
(1)じょうずに、親離れできるように、子どもを仕向けてやる。
(2)子離れイコール、親子の断絶ではない。おおげさに考えない。
(3)親自身が、子離れし、親は親で自分の人生を大切にする。
(4)夫の役割を認め、夫に積極的に介入してもらう。
西洋では『子どもを産み育てるのは、母親の役目だが、
子どもに狩の仕方を教えるのは、父親の役目』と教える。
母子関係の是正と、社会性を教えるのは、父親の役目と心得る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 母子分離不安 母子分離不安症 逆母子分離不安 逆・母子分離
不安 母親の分離不安 子離れできない母親)
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
【青春の仇討ち】
●息子たちのこと
親が子どもを育てるのではない。
そういう時期もあるにはあるが、そういう時期は、あっという間に終わる。
親は、あるときから、子どもたちに励まされて生きるようになる。
子どもたちが、がんばって生きている姿を見ながら、「私も!」となる。
経営再建中の航空会社でパイロットをしている息子。
「お前は、だいじょうぶか?」と聞くと、「ぼくには、関係ない」と。
「でも、子会社の人たちが、かわいそう」と、ポツリ。
この先、1万人を超える、大リストラが始まる。
アメリカの大学でコンピュータ技師をしている息子も、同じようなことをいう。
「ぼくには、関係ない」と。
そうした言葉を聞いて、「本当かな?」と思いつつも、ほっとする。
一方、息子たちが、私たちのことを心配するたびに、私は、こう答える。
この日本でも、まだいたるところで不況の嵐が、吹きすさんでいる。
「ぼくには、関係ない」と。
仕事がある。
仕事が楽しい。
生きがいもある。
それに健康。
何とか、昨年に始まった、あの大恐慌も乗り切った。
あとは、今の状態を維持するだけ。
そうそう、もうひとつ負けたくないことがある。
二男夫婦は、今でもラブラブ。
ハートのマークを10個ほどつけてやりたい。
今度結婚した三男も、ラブラブ。
ハートのマークを20個ほどつけてやりたい。
で、私たち夫婦は……?
先日も、「あいつら、みんな楽しんでいる。
ぼくらもがんばろう」とワイフに言うと、ワイフも、すなおに応じてくれた。
「そうね」と。
……だから今は、2人で、遊んでばかりいる。
若いときは、仕事と子育てに追いまくられた。
その分を、今、取り返す。
あのころできなかったことを、今、する。
称して、「青春の仇(あだ)討ち」。
62歳といっても、運がよければ、人生はまだ20年はある。
10年としても、青春時代より長い。
使いようによっては、学生時代の2倍、楽しめる。
で、あのころしたくてもできなかったことを、懸命に思い出そうとする。
「何だったのかなあ?」と。
●青春の仇討ち
青春時代に、やり残したことは多い。
不完全燃焼のまま、終わったことも多い。
が、ふと今、頭の中をかすめたのは、今井さん(実名)。
私が浜松に住むようになって、最初の友人。
市立図書館の入り口あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
人当たりいい、やさしい人だった。
心が広く、私のめんどうをよく見てくれた。
台風のときには、わざわざ私を迎えに来てくれた。
「うちへ来い」と。
私はそのとき、今にも壊れそうな、ボロ家の2階に間借りしていた。
今井さんとの思い出は多い。
が、その今井さんは、30歳になる少し前に、食道がんでこの世を去った。
タバコと焼酎が好きだった。
夢は、直木賞を取ることだった。
だから毎日、何かの原稿を書いていた。
さぞかし無念だっただろう。
その無念さが、今になって、ひしひしと私の胸に伝わってくる。
その無念さを考えたら、私がし残したことなど、なんでもない。
「青春の仇討ち」とは言うものの、それが考えられるだけでも、幸せなの
かもしれない。
仇討ちすらできないで、そのまま若くして、この世を去っていく人は多い。
そう言えば、近所に、60歳で定年退職した直後に、脳内出血で亡くなった
人(男性)がいる。
その人の奥さんは、こう言った。
「何のための人生だったのでしょうね」と。
現役時代は、したいこともできず、役所勤め。
黙々と働いてきて、「やっと楽になった」と思ったとたん、脳内出血。
そうそう、こうも言った。
「若いときから腎臓が弱く、食事制限ばかりしてきました。
こんなことなら、食べたいものを、もっと食べさせてやればよかったです」と。
そう言えば、あの今東光(こんとうこう)は、晩年、私にこう話してくれた。
「オレは、若いとき、修行、修行で、オレには青春時代がなかった。
今でも、『しまった!』と思って、女を買いに行く」と。
晩年の今東光は、ヌード画を書いていた。
「女を買う」というのは、「モデルの女性をさがしに行く」という意味だった。
大作家であり、政治家であり、かつある宗派の大僧正でもあった人物でも、
そう考える。
青春の仇討ちを考える。
●悔い
私は……。
私は早い時期に、サラリーマンに見切りをつけ、そのあと、自由気ままに生きた。
そのつどやりたいことだけをやって、生きてきた。
したくないことは、しなかった。
きびしい生活だったが、そういう点では、悔いはない。
ないというより、少ない。
あえて言うなら、「旅」ということになる。
息子たちが生まれてから、とくにそうだった。
が、だからといって、後悔しているわけではない。
息子たちがいたおかげで、がんばることができた。
息子たちがいなかったら、ああまでは、がんばらなかっただろう。
生きがいも生まれなかっただろう。
もちろん思い出も、できた。
ただ心の中では、いつも、「世界中をひとりで旅をしてみたい」と、
思っていた。
目的地を定めず、放浪の旅をする。
今なら、ワイフと2人で、旅をする。
青春の仇討ちということになれば、それか?
しかし今は、こう思う。
息子たちが、私の代わりに青春の仇討ちをしてくれている、と。
不思議なことに、みな、私がしたかったこと、できなかったことを、している。
自由奔放な長男。
アメリカに移住した二男。
空を飛んでいる三男。
みんなそれなりに、自分の人生を楽しんでいる。
それでよい。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【教育の自由論】
●何をもって「自由」というか?
事実を書く。
二男の嫁のデニーズは、主婦業をしながら、受験勉強。
07年に、日本でいう司法試験に合格してしまった。
独学である。
で、当時、二男は、転職を考えていた。
アメリカでは、より大きなチャンスをねらって転職するのが、常識になっている。
そこで二男は、カルフォルニア州にある、グーグル社と、ラスベガスにある、
ウォール・マート社の2社のどちらかに、転職が決まった。
カルフォルニアは、物価も高く、息子と娘の教育にもよくないと、ウォール・マート社
への転職を決めていた。
が、そのとき、デニーズが全額奨学金付きの、司法試験に合格してしまった。
「自由に大学を選んでいい」と。
そこでデニーズは、インディアナ州のインディアナ大学(通称、IU)に、決めた。
その大学のロースクールに入学。
二男は、「デニ-ズ(妻)の夢をかなえさせてやりたい」と、転職をあきらめ、
自分もインディアナ州へ。
先にも書いたように、端から端まで、車で2時間もかかるような、広大なキャンパスを
かかえた大学である。
で、就職先をさがしていると、運よく、同じ大学内のコンピュータ技師としての仕事
が見つかった。
当初は、コンピュータの保守のような仕事をしていたと思う。
が、そのうち、大学のスパコン(スーパー・コンピュータ)を扱うようになった。
で、それがさらに進んで、少し前は、「世界のスパコンをネットとつないで……」という
ような話になった
が、今回は、とうとう、「サーン」という名前が、口から出てきた。
そしてそのために12月に、スイスへ出張で言ってくる、と。
わかるかな?
日本の教育システムの中で、こうした(登用)が可能か、どうか?
アメリカでは、力のある若い人が、学歴とか、職歴に関係なく、どんどんと登用され、
自分の道を登っていくことができる。
念のため、あとで、この原稿を、TK先生(東大名誉教授・元副総長)に送ってみる。
「日本では、こういうことが可能なのか」と。
たぶん、TK先生の答は、「No」だろう。
派閥と子弟制度で、がんじがらめになっていて、研究者ですら、身動きできないはず。
つまり、それが日本とアメリカの教育システムの(ちがい)ということになる。
「自由」といっても、制度だけいじればそれでよいという問題ではない。
「意識」の問題ということになる。
その意識が整ってこそ、「日本の教育は自由化された」と、はじめて言える。
その二男だが、大学を卒業するとき、「NASAでも通用する男」という推薦状を
もらっている。
が、デニーズとの結婚を優先させて、地元のアーカンソー州にある、ソフトウェア
開発会社に就職した。
その入社試験でのこと。
二男は自分が作った、宇宙モデルを見せたという。
それで就職が決まった。
またコンピュータをつなぐという方法は、(今ではふつうになされているが……)、
二男が学生時代に開発したもの。
10台以上の古いコンピュータを回線でつなぎ、スパコンに似た仕事をさせるという
ものである。
一度、二男の大学を訪れたとき、その一部を見せてもらったことがある。
二男はいつもこう言っている。
「パパ、コンピュータの世界では、不可能という言葉はないよ」と。
どういうわけか、その言葉が、耳に強く残っている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 量子加速器 CERN サーン 教育の自由化 はやし浩司 自
由な教育 教育自由化論 教育の自由とは)
(追記)
今朝(10月30日)、以上の原稿をTK先生に送ったら、さっそく返事が来た。
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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40分ほどで、できた。
あぶなかった!
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数日前、「11月号は休刊にしようか」と、ワイフと話し合ったばかり。
このところ、ワイフですら、私のマガジンを読んでいない。
他人である読者なら、なおさら。
読んでいる人は、ほとんどいない?
自分でもよく、「どうしてこんなバカなことをしているのだろう?」と思う。
やる気になれば、40分でできる。
その「40分」を、自分の中で作るのが、たいへん。
子どもだって、そうだ。
30分でできるような宿題でも、なかなか、やらない。
「その気になって、早くすませばいい」と思うが、やらない。
その30分を作るのが、むずかしい。
今日は10月31日。
しめくくりに、午前中、近くの小学校で、講演というか、講話をしてくる。
時間が1時間しかないから、たいした話はできない。
雰囲気的には、雑談形式になってしまうかも?
で、そのあと、そのまま山荘へ。
今日は、山の草刈りをするつもり。
上半身の運動には、草刈りが、いちばんよい。
30分もつづけると、全身が汗だくだくになる。
それに今の時期から、落ち葉がひどくなる。
それを集めると、ふかふかのダブルベッドのようになる。
孫たちが近くにいれば、それで遊ぶだろう。
いつももったいと思いつつ、それを燃やす。
そうそう、昨夜、今度講演に行くことになっている、秋田県のY市を
ネットで調べてみた。
旅館の予約をしなければならない。
が、驚いた。
地図で見たら、浜松からだと、韓国のソウルと、同じ距離。
円を描いてみたら、ちょうど同じ位置だった。
「新潟の向うが秋田」と思っていた。
(たぶん、反対に、秋田の人たちは、「東京の向うが、浜松」と
思っているにちがいない。)
片道、7時間半。
秋田県は、はじめてなので、楽しみ。
もうひとつ驚いたのは、旅館の宿泊費が安いこと。
このあたりの半額といった感じ。
温泉旅館でも、一泊2食付きで、6~7000円前後。
ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●逆・母子分離不安(byはやし浩司)
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母子分離不安というと、子どもだけの
問題と考える人は、多い。
しかし子どもほどではないが、母親側の
母子分離不安も多い。
称して、「逆・母子分離不安」(筆者)。
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「母子分離不安」というと、子どもだけの
問題と考える人は多い。
つまり母子分離不安になるのは、子どもだけとはかぎらない。
母親側の、母子分離不安というのも、ある。
「子どもから離れられない」
「子どもがそばにいないと不安」
「子どもの様子がわからないと心配」と。
そして幼稚園や保育園でも、用もないのに、
出かけて行っては、そこで子どもの様子を見る。
園の先生が、「だいじょうぶですよ」「心配ないですよ」
「任せてください」と言っても、(実のところ、
そういう母親がいると、園にとっても、迷惑なのだが)、
そこにいる。
そこにいて、じっと子どもの様子を見ている。
ふつうの「母子分離不安」と逆の立場になるから、
「逆・母子分離不安」ということになる。
このタイプの母親の特徴としては、
(1)静かで、いつも憂うつそうな顔をしている。
(2)子どもから視線をはずさない。
(3)表面的には、穏やかでやさしい母親に見える。
(4)強く注意したりすると、おどおどしてしまう。
(5)歩くときも、手をつないだりして、離れない。
(6)「私は愛情豊かな母親」と誤解している。
原因は、母親側に、何らかの情緒的な欠陥、あるいは
精神的な未熟性。
とくに情緒的な欠陥、たとえばうつ病が原因となることがある。
当然、子どもにも、影響が出てくる。
そういう点では、母親の愛情を、過剰なまでに受けている。
そのため溺愛児プラス、過保護児プラス、過関心児を
統合したような症状を示す。
(1)静かでおとなしい。
(2)ハキがない。積極性に欠ける。
(3)全体に幼稚ぽいしぐさや、言動が目立つ。
(4)人格の核形成(=この子はこういう子というつかみどころ)が遅れる。
(5)他の子どもたちと交われない。
(6)柔和でおだやかだが、積極性がない。
(7)乱暴な指導になじまない。
(8)いつも親の視線を気にする、など。
T君(小1)という子どもがいた。
その子どものばあいも、親が授業を参観しているときと、
していないときとでは、別人のように違った。
親がいないときは、比較的表情が明るく、
積極的だった。
ものもしっかりと言うことができた。
親がいるときは、比較的……というより、明らかに
「いい子」という様子を見せた。
で、私はときどき「参観はもういいですよ」と
促した。
しかし効果は長つづきしなかった。
1、2回くらいは、参観をやめるが、またやってきて、
いちばん奥の席に座って、じっと子どもを見つめていた。
私もその視線を強く感じた。
ときに私の体を、ズキンズキンと突き抜けた。
授業もやりにくかった。
が、そういうこちら側の気持ちは、理解できない。
どこまでも身勝手で、自分勝手。
しかし母親のかかえる心の問題は、それをしのぐほど、大きい。
根も深い。
無理に引き離したりすると、母親自身の精神状態が、おかしくなってしまう。
それがわかっているから、私の方が、引きさがるしかなかった。
この問題は子どもの問題ではない。
(たいていの母親は、「この子は私がそばについていてあげないと、
何もできません」と言うが)、母親自身の問題と考える。
もっと言えば、母親自身の心の問題。
それを治す。
しかしそれは「教育」の範囲を超える。
父親の協力も必要だが、たいていのばあい、父親(夫)も、
もてあましていることが多い。
それ以上強く言うと、家庭内騒動の原因となったり、
そのまま母親が子どもの手を引いて、園をやめてしまったりする。
子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、
急速に親離れを始める。
親はそのときだけの様子を見て、「私たち親子は、いつまでもそういう
関係がつづく」と考える。
しかしこのタイプの子どもは、思春期に入るころ、豹変する。
「このヤロー! こんなオレにしたのは、テメーだア!」と。
母親を激しく罵倒したりする。
抑圧された別の心が、そのとき爆発する。
あるいは、極端なマザコンのまま、おとなになる。
比率としては、豹変して親を罵倒するようになる子どもが、70%、
マザコン化する子どもが、30%と、私はみている。
どちらであるにせよ、よいことは、何もない。
ひどいばあいには、そのまま激しい家庭内暴力へとつながる。
子どもを、自分の心の隙間を埋めるための道具に利用してはいけない。
【症例1】
毎朝、子ども(年中・女児)といっしょに幼稚園へやってくる母親がいた。
そして門のところで子どもを手放すと、そのまま門の端のほうに移動して
立っていた。
毎朝のことなので、園のほうも、あきらめていた
強く言ったこともあるが、そのときは、園の別の隅に移動し、やはり
そこで立って子どもの姿を見ていた。
ときどき家に帰ることもあった。
家までは、歩いて、5~10分程度。
しかし昼ごろになると、またやってきて、そこに立っていた。
たいていそのまま、帰りの時間まで、そこにいた。
いつも子どもの手を引いて、家まで帰った。
【症例2】
「娘が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしい」と、その母親は言った。
「娘といっしょに、一日を過ごせるから」と。
その子ども(年長・女児)の髪は、芸術とも言えるほど、こまかく編んでいた。
私が「ずいぶんと時間がかかるでしょう?」と聞くと、母親はこう言った。
「いえ、1時間ほどですみます」と。
毎朝、1時間!
その母親の口癖は、いつも同じ。
「死ぬまで、(この子と」いっしょ」。
「子育てが生きがい」。
「この子は、私がいなければ、何もできません」。
「結婚したら、どうします?」と聞いたこともある。
母親は、臆面もなく、こう答えた。
「結婚はしません。するとしても、養子で、家(うち)に入ってもらいます」と。
で、ある日、その母親は、こうも言った。
「私、夫なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします。
娘さえ、家にいてくれれば……」と。
母親の実家は、かなり裕福な資産家だった。
毎月生活費の大半を、実家からの仕送りで、まかなっていた。
【症例3】
T君(中2)が、激しい家庭内暴力を繰り返しているという話は、その隣に住む
母親から聞いた。
最初は、親子で怒鳴りあう声が、近所中に聞こえたという。
が、そのうち静かになり、T君の家庭内暴力は、ますます激しくなっていった。
暴力が激しいため、家の中のガラス戸などは、すべてはずしてあったという。
父親も母親も、中学の教師をしていた。
母親は、T君が幼稚園へ入るころ、教師の職を辞した。
父親も母親も、T君の部屋の前を通るときは、両手ではって歩いたという。
立って歩いている姿が見えると、T君は、容赦なくモノを投げつけた。
そのT君は、小学3年生ごろまでは、学校でも優等生(?)だった。
勉強も、スポーツもよくできた。
おとなしく、親や先生の指示にも従順だった。
私もそのころまでのT君しか知らない。
で、T君の話を聞いて、心底驚いた。
隣に住むその母親は、こう言った。
「T君が子ども(幼児)のころは、母親が毎日、手をつないで、近くの
ピアノ教室に通っていました。
いつもいっしょなので、たいへん仲のいい親子に見えました。
母親は、明らかに溺愛していました。
ただ教育ママで、T君が学校のテストなどでまちがえたところがあったりすると、
夜遅くまで勉強を教えていました」と。
そう言えば、T君には妹が1人、いたはず。
それを聞くと、その母親は、「そう言えば、妹さんは、父親の実家から、学校に
通っていました」と。
(補記)
子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、急速に親離れを始める。
男児だと、それまでは学校であったことを話していたのが、急に話さなくなる。
親や近親者を、露骨に毛嫌いし始める。
(本当に嫌っているというよりは、生意気な態度をわざとしてみせる。)
女児だと、それまで父親と風呂に入っていたのが、入らなくなる。
そこで大切なことは、
(1)じょうずに、親離れできるように、子どもを仕向けてやる。
(2)子離れイコール、親子の断絶ではない。おおげさに考えない。
(3)親自身が、子離れし、親は親で自分の人生を大切にする。
(4)夫の役割を認め、夫に積極的に介入してもらう。
西洋では『子どもを産み育てるのは、母親の役目だが、
子どもに狩の仕方を教えるのは、父親の役目』と教える。
母子関係の是正と、社会性を教えるのは、父親の役目と心得る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 母子分離不安 母子分離不安症 逆母子分離不安 逆・母子分離
不安 母親の分離不安 子離れできない母親)
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
【青春の仇討ち】
●息子たちのこと
親が子どもを育てるのではない。
そういう時期もあるにはあるが、そういう時期は、あっという間に終わる。
親は、あるときから、子どもたちに励まされて生きるようになる。
子どもたちが、がんばって生きている姿を見ながら、「私も!」となる。
経営再建中の航空会社でパイロットをしている息子。
「お前は、だいじょうぶか?」と聞くと、「ぼくには、関係ない」と。
「でも、子会社の人たちが、かわいそう」と、ポツリ。
この先、1万人を超える、大リストラが始まる。
アメリカの大学でコンピュータ技師をしている息子も、同じようなことをいう。
「ぼくには、関係ない」と。
そうした言葉を聞いて、「本当かな?」と思いつつも、ほっとする。
一方、息子たちが、私たちのことを心配するたびに、私は、こう答える。
この日本でも、まだいたるところで不況の嵐が、吹きすさんでいる。
「ぼくには、関係ない」と。
仕事がある。
仕事が楽しい。
生きがいもある。
それに健康。
何とか、昨年に始まった、あの大恐慌も乗り切った。
あとは、今の状態を維持するだけ。
そうそう、もうひとつ負けたくないことがある。
二男夫婦は、今でもラブラブ。
ハートのマークを10個ほどつけてやりたい。
今度結婚した三男も、ラブラブ。
ハートのマークを20個ほどつけてやりたい。
で、私たち夫婦は……?
先日も、「あいつら、みんな楽しんでいる。
ぼくらもがんばろう」とワイフに言うと、ワイフも、すなおに応じてくれた。
「そうね」と。
……だから今は、2人で、遊んでばかりいる。
若いときは、仕事と子育てに追いまくられた。
その分を、今、取り返す。
あのころできなかったことを、今、する。
称して、「青春の仇(あだ)討ち」。
62歳といっても、運がよければ、人生はまだ20年はある。
10年としても、青春時代より長い。
使いようによっては、学生時代の2倍、楽しめる。
で、あのころしたくてもできなかったことを、懸命に思い出そうとする。
「何だったのかなあ?」と。
●青春の仇討ち
青春時代に、やり残したことは多い。
不完全燃焼のまま、終わったことも多い。
が、ふと今、頭の中をかすめたのは、今井さん(実名)。
私が浜松に住むようになって、最初の友人。
市立図書館の入り口あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
人当たりいい、やさしい人だった。
心が広く、私のめんどうをよく見てくれた。
台風のときには、わざわざ私を迎えに来てくれた。
「うちへ来い」と。
私はそのとき、今にも壊れそうな、ボロ家の2階に間借りしていた。
今井さんとの思い出は多い。
が、その今井さんは、30歳になる少し前に、食道がんでこの世を去った。
タバコと焼酎が好きだった。
夢は、直木賞を取ることだった。
だから毎日、何かの原稿を書いていた。
さぞかし無念だっただろう。
その無念さが、今になって、ひしひしと私の胸に伝わってくる。
その無念さを考えたら、私がし残したことなど、なんでもない。
「青春の仇討ち」とは言うものの、それが考えられるだけでも、幸せなの
かもしれない。
仇討ちすらできないで、そのまま若くして、この世を去っていく人は多い。
そう言えば、近所に、60歳で定年退職した直後に、脳内出血で亡くなった
人(男性)がいる。
その人の奥さんは、こう言った。
「何のための人生だったのでしょうね」と。
現役時代は、したいこともできず、役所勤め。
黙々と働いてきて、「やっと楽になった」と思ったとたん、脳内出血。
そうそう、こうも言った。
「若いときから腎臓が弱く、食事制限ばかりしてきました。
こんなことなら、食べたいものを、もっと食べさせてやればよかったです」と。
そう言えば、あの今東光(こんとうこう)は、晩年、私にこう話してくれた。
「オレは、若いとき、修行、修行で、オレには青春時代がなかった。
今でも、『しまった!』と思って、女を買いに行く」と。
晩年の今東光は、ヌード画を書いていた。
「女を買う」というのは、「モデルの女性をさがしに行く」という意味だった。
大作家であり、政治家であり、かつある宗派の大僧正でもあった人物でも、
そう考える。
青春の仇討ちを考える。
●悔い
私は……。
私は早い時期に、サラリーマンに見切りをつけ、そのあと、自由気ままに生きた。
そのつどやりたいことだけをやって、生きてきた。
したくないことは、しなかった。
きびしい生活だったが、そういう点では、悔いはない。
ないというより、少ない。
あえて言うなら、「旅」ということになる。
息子たちが生まれてから、とくにそうだった。
が、だからといって、後悔しているわけではない。
息子たちがいたおかげで、がんばることができた。
息子たちがいなかったら、ああまでは、がんばらなかっただろう。
生きがいも生まれなかっただろう。
もちろん思い出も、できた。
ただ心の中では、いつも、「世界中をひとりで旅をしてみたい」と、
思っていた。
目的地を定めず、放浪の旅をする。
今なら、ワイフと2人で、旅をする。
青春の仇討ちということになれば、それか?
しかし今は、こう思う。
息子たちが、私の代わりに青春の仇討ちをしてくれている、と。
不思議なことに、みな、私がしたかったこと、できなかったことを、している。
自由奔放な長男。
アメリカに移住した二男。
空を飛んでいる三男。
みんなそれなりに、自分の人生を楽しんでいる。
それでよい。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【教育の自由論】
●何をもって「自由」というか?
事実を書く。
二男の嫁のデニーズは、主婦業をしながら、受験勉強。
07年に、日本でいう司法試験に合格してしまった。
独学である。
で、当時、二男は、転職を考えていた。
アメリカでは、より大きなチャンスをねらって転職するのが、常識になっている。
そこで二男は、カルフォルニア州にある、グーグル社と、ラスベガスにある、
ウォール・マート社の2社のどちらかに、転職が決まった。
カルフォルニアは、物価も高く、息子と娘の教育にもよくないと、ウォール・マート社
への転職を決めていた。
が、そのとき、デニーズが全額奨学金付きの、司法試験に合格してしまった。
「自由に大学を選んでいい」と。
そこでデニーズは、インディアナ州のインディアナ大学(通称、IU)に、決めた。
その大学のロースクールに入学。
二男は、「デニ-ズ(妻)の夢をかなえさせてやりたい」と、転職をあきらめ、
自分もインディアナ州へ。
先にも書いたように、端から端まで、車で2時間もかかるような、広大なキャンパスを
かかえた大学である。
で、就職先をさがしていると、運よく、同じ大学内のコンピュータ技師としての仕事
が見つかった。
当初は、コンピュータの保守のような仕事をしていたと思う。
が、そのうち、大学のスパコン(スーパー・コンピュータ)を扱うようになった。
で、それがさらに進んで、少し前は、「世界のスパコンをネットとつないで……」という
ような話になった
が、今回は、とうとう、「サーン」という名前が、口から出てきた。
そしてそのために12月に、スイスへ出張で言ってくる、と。
わかるかな?
日本の教育システムの中で、こうした(登用)が可能か、どうか?
アメリカでは、力のある若い人が、学歴とか、職歴に関係なく、どんどんと登用され、
自分の道を登っていくことができる。
念のため、あとで、この原稿を、TK先生(東大名誉教授・元副総長)に送ってみる。
「日本では、こういうことが可能なのか」と。
たぶん、TK先生の答は、「No」だろう。
派閥と子弟制度で、がんじがらめになっていて、研究者ですら、身動きできないはず。
つまり、それが日本とアメリカの教育システムの(ちがい)ということになる。
「自由」といっても、制度だけいじればそれでよいという問題ではない。
「意識」の問題ということになる。
その意識が整ってこそ、「日本の教育は自由化された」と、はじめて言える。
その二男だが、大学を卒業するとき、「NASAでも通用する男」という推薦状を
もらっている。
が、デニーズとの結婚を優先させて、地元のアーカンソー州にある、ソフトウェア
開発会社に就職した。
その入社試験でのこと。
二男は自分が作った、宇宙モデルを見せたという。
それで就職が決まった。
またコンピュータをつなぐという方法は、(今ではふつうになされているが……)、
二男が学生時代に開発したもの。
10台以上の古いコンピュータを回線でつなぎ、スパコンに似た仕事をさせるという
ものである。
一度、二男の大学を訪れたとき、その一部を見せてもらったことがある。
二男はいつもこう言っている。
「パパ、コンピュータの世界では、不可能という言葉はないよ」と。
どういうわけか、その言葉が、耳に強く残っている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 量子加速器 CERN サーン 教育の自由化 はやし浩司 自
由な教育 教育自由化論 教育の自由とは)
(追記)
今朝(10月30日)、以上の原稿をTK先生に送ったら、さっそく返事が来た。