最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●名倉先生のこと

2011-01-31 11:37:26 | 日記
●1月31日朝記

++++++++++++++++++++

昨日、NG先生の奥さんと、私とワイフ、
3人で食事をしてきた。
場所は、いつかいっしょに行ったことがある、
「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。
広い窓の下に浜名湖を見下ろすことができる、
「すてきな」レストラン。
「すてきな」という、どこか女性的な表現に
ぴったりのレストラン。
静かで、上品で、まるで中世の城を思わせるような
雰囲気。

NG先生は、昨年の暮れ、12月1日に亡くなった。
あまりにも突然の死だった。
いつものように日課をこなし、いつものように
医院へ……と。
そこでそのまま亡くなってしまった。
そのNG先生が、そのレストランを紹介してくれた。
覚えにくい名前だが、一度行ったら、忘れることの
できないレストラン。
それが「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。

私とワイフは、奥さんをなぐさめるつもりで、
奥さんを誘った。
奥さんはあれこれ都合をつけ、私たちの申し出を
快く受けてくれた。

+++++++++++++++++++

●NG先生

 話はつきなかった。
奥さんの話を聞きながら、そのつど私はNG先生の、あの静かな笑顔を思い浮かべていた。
私にとっては、もっとも大切な理解者だった。
短いエッセーでも、文の向こうにある私の心を読み取ってくれた。
たわいもない旅行記。
そんな旅行記でも、NG先生は、ていねいに読んでくれた。
感想文を届けてくれた。
「さぞかし、つらい旅行だったようですね」と。

 それが私にとって、うれしかった。
そのため毎回、「これは……」と思うエッセーをメールで送った。
NG先生は、かならず返事をくれた。
そのNG先生がいなくなってしまった。
心に穴が開いてしまった。

 私はNG先生の訃報を聞くと、そのまま家を出てしまった。
何時間も、家のあたりを徘徊した。
私は子どものときから、そうしている。
何かさみしいことや、つらいことがあると、決まって徘徊した。
その夜もそうだった。
その夜も家に帰ったのは、午前3時ごろ。
足が痛くなって、歩けなくなってしまった。
コンビニから電話をかけ、ワイフに車で迎えに来てもらった。

●NG先生

 人はなぜ、やさしくなれるか?
やさしさは、どこから生まれるか?
その答をNG先生は、よく知っていた。

幼いころより、苦労の連続。
「不運」というには、あまりにも過酷な人生。
そういう人生を通して、NG先生は、心の中に無数のポケットを作っていった。
そのポケットが、NG先生をやさしくし、あの深い人間性はそこから生まれていた。

 ……いつだったか、こんな相談があった。
まだ知り合って、間もないころのことだった。

「私の知人に不幸な女性がいましてね……」と。
その手紙には、その女性の不幸な生い立ちと、心の病が長々と書かれていた。
私はその手紙を読んで、あまりにもありえない境遇に驚いた。
が、それは事実だった。
やがて少しずつわかったことだが、それはNG先生自身のことだった。

 奥さんは、NG先生のことを、断片的に話してくれた。
それが私の頭の中で、ジグソーパズルのようにつながっていった。
NG先生の過去が、そして現在が、頭の中で浮かびあがってきた。
話の途中で、ワイフが奥さんにこう言った。

「先生が亡くなられたと聞いたとき、主人は、へんになってしまったのですよ」と。

●死

 私は基本的には、それがだれの死であれ、「死」を認めない。
たとえその人の葬式に出たとしても、認めない。
それはただの儀式。
その人は、いつもどこかで生きている。
ただ、「会えないだけ」。

 だれでも、事情によって、数か月、あるいは数年、あるいは数十年、会えない
ことはある。
それと同じ。
同じと思うことで、私は人の死を見送ってきた。

 だからNG先生の奥さんからメールが入っても、私はいつものように「NG先生奥様へ」
という書き出して返事を書いていた。
「NG先生は、そこにいる」と。

 それはそのまま私の死生観でもある。
私はいつもワイフにこう言っている。
「私が死んでも、だれにも知らせなくていい」と。
親戚、友人はもちろん、息子たちにも、知らせなくていい、と。
いつか、どこかで、だれかが「あの林は?」と聞いたとき、そのとき死んでいたと
わかればよい。

 さらに言えば、10年前に死んだ人も、50年前に死んだ人も同じ。
明日、死ぬ人も、20年後に死ぬ人も同じ。
この宇宙という時間枠で見れば、100年や200年、瞬時の、そのまた瞬時。
誤差にもならない。
こんな文章を書いている私だって、つぎの瞬間には、この世から煙となって消える。
 
●肩身

 奥さんを家に送り届けると、奥さんがこう言った。
「渡したいものがありますから、寄ってください」と。

 気遣いを感じたので、私は遠慮したかった。
が、どういうわけか、私はそれに素直に応じてしまった。
「NG先生の論文集を、HPにまとめて掲載したい」という思いがあった。
それをどこでどう頼むか、その糸口をさがしていた。
しかしそれはあまりにも、恐れ多い。

 奥さんは玄関前にある客間へ通してくれた。
私はそこでNG先生の遺骨を見た。
座って手を合わせた。

 「80歳まで元気でがんばりましょう」と、つい先日、誓いあったばかり。
学年は1級上だったが、年齢は、私と同じ。
享年、63歳だった。

奥さんは「主人は、先生のこと(=私)を尊敬していました」と言ってくれた。
それに答えて、ワイフがかわりにこう言ってくれた。
「主人(=私)も、先生(=NG先生)を尊敬していました」と。

 と、そのとき、奥さんが一着の服を私にうしろからかけ、こう言った。
「主人の肩身です。どうか、これを着てください」と。

 奥さんはサイズを気にしていた。
が、サイズなど、問題ではない。
「どうしてサイズが……!」と。
そう思った瞬間、目から涙があふれ出た。
止めどもなく、涙があふれ出た。
そのとき私ははじめて、NG先生の「死」を認めた。
自分の中の死生観が、サラサラと粉のように崩れていくのを感じた。

●帰りに

 ワイフがこう言った。
「あなたにとって、大切な人だったのね」と。
私はただ「うん」と。

そう、大切な人だった。
どこかの部屋に、こんな色紙が飾ってあった。

 「たったひとりでも、あなたをわかってくれる人がいたら、それでいい」と。
たしか「みつを」という署名があった。
人は、その「たったひとり」を探し求めて、人生という荒野をさまよい歩く。
とぼとぼと、あてどもなく、さまよい歩く。

 が、その「ひとり」の人がいなくなってしまったら……。
残された人は、どう生きていけばよいのか。
やっとわかりあえた、……わかりあえそうになったそのときに、NG先生は去って
しまった。
約束の80歳までに、まだ17年もあった。
それを思ったとき、また涙があふれ出した。

 ……いちばん最後のメールで、こんなことを言い合った。
「ぼくは、この先、小さな小さな希望を見つけ、その希望に向かって生きていきます」と。
すかさずNG先生から返事が届いた。
「私もそうです」と。

NG先生は、そのとき絶滅種になっている植物の探索をしていた。
「未発見のシダを見つけるのが、私の希望です」とも。

 NG先生へ

 11年間、ありがとうございました。
最後に奥さんに手紙を見せていただいて驚きました。

 先生と講演先の学校で知り合ったのが、平成11年12月1日、水曜日。
先生が亡くなったのは、平成22年12月1日、水曜日。
これは偶然なのでしょうか?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

1/2 子どもを非行から守るために(教育の自由化)

2011-01-31 09:59:29 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 1月 31日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもを非行から守る法】

●時事・雑感(Yahoo Newsより)


●性描写漫画の規制条例が成立(東京都)(注※1)


 石原都知事が言っているように、こんなことは、当たり前。
石原都知事は、こう言った。「当たり前。日本人の良識だ。
子どもにあんなものを見せられるのか」と。


ただし今となっては、焼け石に水。
手遅れ。
子どもたちの世界は、さらにその先に進んでいる。
漫画やアニメではなく、そのものズバリのDVDを見ている。


 また近くに高校があるが、日暮れ時になると、目のやり場に困る。
高校生たちが、木陰の隅のあちこちで抱き合っている。
少し前までは、まだ隠れながらしていた。
が、今は、堂々というか、車のライトに照らされても、平気。


 で、その話を、ある中学校教師(中高一貫校)に話すと、こう言った。
「ここ数年、さらに低年齢化してますよ」と。
驚いていると、「放課後なんか、使われていない部屋や道具置き場は、ラブホテル
みたいです」とも。
ほとんどの男子高校生は、コンドームを持ち歩いている。
携帯電話と同じ。
必携品。
「何も今さら……」というのが、私の実感。


 こうした規制は、20年近く前、「PT」という女子向き雑誌が、
国会で問題になったとき、しておくべきだった。
が、これに対して、いくつかの団体が、猛反発。
「表現の自由、言論の自由の侵害」「捜索活動を萎縮させる」と。


 しかしこういうのを、表現の自由とは言わない。
言論の自由を盾に取って守らなければならない、自由でもない。
むしろ逆。
表現の自由とか、言論の自由とか、そういう言葉を使って、自分たちの
醜い商業主義をカモフラージュしているだけ。


 日本には、モラル、哲学、宗教がない。
ないから、法律で規制するしかない。
たとえば援助交際にしても、話題にのぼらなくなったのは、それがなくなったからでは
ない。
あまりにも日常的になり過ぎたからにほかならない。
それがわからなければ、その時間帯(夕暮れ時)に、コンビニをのぞいてみること。
コンビニが待ち合わせ場所になっている。
携帯電話を片手に、女子中学生や高校生が、あやしげな車につぎつぎと乗り込んでいく。


 世界でも、ここまで退廃した国は、そうはない。


+++++++++++++以下、Yahoo Newsより++++++++++++


(注※1)【性描写漫画の規制条例が成立】=付帯決議で「慎重な運用を」


 過激な性描写のある漫画やアニメの販売規制を目的に、東京都が12月議会に提出してい
た青少年健全育成条例改正案が、15日の都議会本会議で民主、自民、公明各党の賛成多数
により可決、成立した。ただ、「創作活動を萎縮させる」との指摘もあるため、条例の慎重
な運用を求める付帯決議も行った。条例は来年7月1日までに施行される。共産党と生活
者ネットワーク・みらいは反対した。


+++++++++++++以上、Yahoo Newsより++++++++++++


●では、どうすれなよいか


 こうした風潮を改めるには、つまりあなたの子どもをこうした風潮から守るためには、
方法は、ただひとつ。
子どもに心の抵抗力をつける。
方法は簡単。
子どもに夢と希望をもたせ、その先に目標をもたせる。


 わかりやすく言えば、子どもが好きなことをできる環境を用意する。
それについては、何度も書いてきたので、その原稿を、このあとに添付する。
が、残念なことに、現在の教育環境は、子どものもつ多様性に答えるしくみになって
いない。
「学校以外に道はなく、学校を離れて、夢や希望を育てる方法もない」。
どうして欧米がみなしているように、教育を自由化しないのか。
多様な教育方法を認めないのか。
たとえばドイツやフランスでは、子どもたちはみな、クラブに通っている。
いろいろなクラブがある。
英数国社理のような基本科目は、学校で教えればよい。
しかしそれ以外の科目は、民間に任せればよい。


 私が言う「自由化」というのは、それをいう。
何も学校を解体せよと言っているのではない。


+++++++++++++++


心の抵抗力について書いた
原稿をさがしてみました。
2007年10月に書いた原稿です。


+++++++++++++++


【心を支える、3つの物語】
2006年5月期、講演レジュメ(要旨)より


●私が「私」であるためには、3つの柱が必要です。


(1)(したいこと)を、現実に(している)という実感、つまりは自我の同一性
(2)「いつも、私は、私でいられる」という連続性、一貫性
(3)他者との関係で、いつも良好な人間関係をもつことができるという社会性。


+++++++++++++++++++


  「したいことをする」という姿勢の中から、夢や希望、それに目標が生まれます。自
分の描いた自己概念と、現実の自分が一致している。それが「私」でいるための第一条件
ですね。
  つぎに、どんなばあいも、私は、自分でいられる。動じない。それが「私」というこ
とになります。
  また「私」は、いつも、社会というカガミの中で、映し出されます。そもそも社会性
をもたない「私」は、私ではないということです。
  今回は、これら3つの柱を中心に、時間が許すかぎり、私の個人的な過去もふまえて、
子どもの心を伸ばす、3つの物語を、みなさんに、お伝えしたいです。どうか、よろしく
お願いします。


+++++++++++++++++


【意外とシンプルな、心をはぐくむメカニズム】


●(自分のしたいことをする)……それが子ども自身を伸ばす原動力となります。
●(したいこと)をしている子どもは、生き生きとしています。夢や希望もそこから生まれ、
その先には、目標が生まれます。
●子どもを守るのは、子ども自身の中の、(心の抵抗力)です。目的がしっかりしている子
どもは、その抵抗力も強くなります。

 
***************************


●同一性の危機(1)


万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしている
こと)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子
どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの
自我の同一性は、危機に立たされる。


●夢・希望・目的(2)


夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のした
いこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感がある
とき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。
そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」
とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。


●子どもの忍耐力(3)


同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。ある
いは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。


●同一性の崩壊(4)


同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それ
は「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべ
きもの。当然、子どもは、目的を見失う。


●顔のない自分(5)


同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。
ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースで
は、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。


●校内暴力(6)


暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さ
と)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)
をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐
れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子ども
の心理的のメカニズムは、こうして説明される。


●子どもの自殺(7)


おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(し
ょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。


●自虐的攻撃性(8)


攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝
から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでい
るのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかり
やすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。


●自我の同一性(9)
 

(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分が
していること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が
一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつい
ていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。


●心の抵抗力(10)


「私は~~をしたい」「ぼくは~~する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ども
は、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年
から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同
一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘い
があると、スーッとその世界に入ってしまう。

2/2 非行

2011-01-31 09:58:54 | 日記


●夢や希望を育てる(11)


たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、
それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみまし
ょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。
が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言
う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。


●子どもを伸ばす三種の神器(12)


子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。


●役割混乱(13)


子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間
にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸
ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役
割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。


●思考プロセス(回路)(14)


しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんば
っていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。
しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロ
セスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入
る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんば
り始める。


●進学校と受験勉強(15)


たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的
になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのも
のが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考え
やすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好
きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢
をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。


●これからはプロの時代(16)


これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだ
けは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸
ばす。


●大学生の問題(17)


現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。


●自我の同一性と役割形成(18)


子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在しているこ
と)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまら
ない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子ども
が、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。
こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司●
同一性の危機●夢・希望・目的●子どもの忍耐力●同一性の崩壊●顔のない自分●校内暴力●子
どもの自殺●自虐的攻撃性●自我の同一性●心の抵抗力●夢や希望を育てる●子どもを伸ばす
三種の神器●役割混乱●思考プロセス(回路)●進学校と受験勉強●これからはプロの時代●
大学生の問題●自我の同一性と役割形成)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の抵抗力 子どもを非行から守る法 子どもの心を守る。)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●はやし浩司 2010-12-16

●寒い

++++++++++++++++++

今朝も、ふとんの中で、1時間ほど、
時間をつぶした。
寒かった。
が、ほんのりと外が明るくなったころ、
ふとんから飛び出した。
時計を見ると、すでに午前7時。
そのままウォーキングマシンへ。

このところ朝は、30分と決めている。
が、30分も運動すると、体中が汗ばむ。
ついで額から汗が吹き出る。

そうそう今朝は、その前にハナ(犬)に、
牛乳を温めて与えた。
白内障が進んでいるためか、目が白い。
が、そこは猟犬。
嗅覚だけはすぐれている。
庭に肉団子を数個放り投げてやると、
臭いだけで、それを見つけて食べる。
すごいね!

+++++++++++++++++

●日課

 パソコンに電源を入れながら、まず目薬をさす。
3種類、いつも用意してある。
どれがどれというわけではないが、色もちょうど3種類。
ライオン社のスマイル40(緑)、ロート社のクールEX(青)、滋賀県製薬会社の
B12(赤)。
その日の気分に応じて、使い分けている。

(ところで「滋賀県製薬会社」という会社名は、いいのかな?
こういうケースで、民間の一会社が、「県」という文字を入れるのは、たしか禁止のはず?
公的機関と誤解される。
あるいは紛らわしい?)

 そのあとメールに目を通して、返事を書く。
今朝はアメリカに住む二男と、オーストラリアの友人からの2通。
それがすむと、ニュースに目を通す。
昨日のアクセス数を調べる。

 おもむろに原稿を書き始めるのは、そのあと。
今朝は、東京都が可決した、性描写漫画の規制条例についての原稿をまとめた。

●「滋賀県」

 原稿を書き終え、一服したところで、「滋賀県製薬会社」なる会社に電話を入れてみた。
その前にインターネットを使って調べてみると、「昭和18年設立」とあった。
そのころから、その会社は、「滋賀県」と、「県」の文字を入れていたのだろうか?

 電話を入れると、女性が応答してくれた。
「県という文字を入れるのは、静岡県ではきびしく規制されていますが、滋賀県では
だいじょうなのでしょうか」と聞いた。
それについてその女性は、「私にはわかりません」「折り返し、わかるものに電話させます」
と。
それで終わってしまった。

 昭和18年には、規制が甘かったのかもしれない。
しかしこんなことは、現在は、許されない。
たとえば「静岡県運送会社」という会社があったとする。
名前を聞いたら、だれでも、静岡県という県が運営している公的な運送会社と思って
しまう。
「浜松市幼児教室」でもよい。
名前だけを見たら、「市」が運営している幼児教室と思ってしまう。

 電話をくれるということだから、もう少し待ってみる。

●朝食のとき

 朝食のときワイフと、名古屋市議会のゴタゴタ劇が話題になった。
新聞を読んでも、内容がよくわからない。
市長と市議会が、はげしく対立しているらしい。
少し前、名古屋市民も、すごい市長を選んだものと、感心していた。
何しろ、名古屋弁、丸出し。
名古屋市民の代表ということはよくわかる。
が、それも度を超すと、イヤミに聞こえる。

市民向けにはそれでよいとしても、外の世界、つまり全国に向けては、やはり
きちんとした標準語を使ってほしい。
テレビカメラが向けられたようなとき、など。

 オーストラリアの政治家なども、内の世界ではオーストラリア英語を使う。
しかし公的な場では、きちんとしたクイーンズ英語を使う。
それが知性の証(あかし)にもなっている。

 日本の政治家も、外国人にマイクを向けられたら、英語で答えたらよい。
それがその政治家の知性ということになる。

 今回の名古屋市のゴタゴタ劇の内容については、私にはよくわからない。
どうしてこうまでこじれてしまったのだろう。
あとでゆっくりと、それについて調べてみたい。

●東京と名古屋

 私が住む浜松市は、東京よりも、名古屋に近い。
浜松市から名古屋市まで、直線距離で、80キロ。
浜松市から東京都まで、直線距離で、210キロ。
グーグル・アースのスケール(ものさし)を使って調べてみた。

 が、浜松市は、東京都の文化圏に入る。
東京のほうばかり、目が向いている。
だから「東京から来た」というだけで、何でもかんでもありがたがる。
悲しき田舎根性かな。

 一方、「名古屋から来た」といったときには、ほとんど相手にされない。
浜松市に昔から住んでいる人には、それがわからないかもしれない。
しかし私のように、岐阜県という、名古屋市の文化圏から来たものには、それがよく
わかる。

 たとえば転勤族の人たちにしても、そうだ。
東京から来た人は、いつも浜松市を「田舎」(=下)に見る。
あの片山S氏(浜松市選出の国会議員)にしても、私たちを「田舎者」(雑誌「諸君」)
と呼んだ。
つまり、威張っている。

 こういうのを中央集権意識という。
奈良時代の昔から、日本人は、その中央集権意識が、骨のズイまで叩き込まれている。
列車にしても、方向によって、「上り列車」とか「下り列車」とかいう。
こういうバカげた言い方は、もうやめにしたらよい。
何も東京だけが日本ではない。
東京人だけが、文化人でもない。
おかしな上下意識が、こんなところにも、はびこっている。

(追記)

 たった今、滋賀県製薬会社という会社から電話が入った。
いわく、「昭和18年という戦時中から、この名前を使っている。
滋賀県とは、関係ありません。
滋賀県から行政指導が入ったということもありません」と。

 ……ということで、では、みなさん、おはようございます。
今日の予定。
ワイフと、午後に歩いて教室に向かう。
運動のため。
ほかに、大きな予定はなし。


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●講演のため、沼津に向かう

2011-01-30 09:19:11 | 日記
【沼津市での講演会】

●沼津へ

 夜行列車で沼津へ向かう。
今夜は沼津で一泊。
明日の講演会に備える。
地域の学校の先生たちが、集まってくれる。
予定では300人とのこと。

 が、出だしが決まらない。
どこから切り出そうか。
今、そんなことを考える。
……というより、私のばあい、いつもその場の雰囲気で決める。
壇上に立ったその瞬間、その瞬間に、決める。

●夜行列車

 「新幹線にすればよかった」と、先ほどワイフにこぼした。
夜行列車といっても、通勤列車。
客が一列に対峙して座る。
どうも落ち着かない。
横を見ると、ワイフはすでに本を開き、それを読んでいる。

 さっそく客の観察を始める。
これは私のいつものクセ。

反対側左から、40歳くらいの女性。
60歳くらいの女性。
真ん前は、50歳くらいの男性。
この男性は単行本を片手で持ち上げて、それを読んでいる。
5~6人をおいて、若いカップルが一組。
女のほうが、ペチャクチャと何やら話しつづけている。

●乗客

 列車は各駅停車。
そのつど駅に止まり、そのつど冬の冷気が足元に流れてくる。
あとは間断なくつづく電気モーターの音と、ガタンガタンという車輪の音。
軽い眠気が繰り返し私を襲う。

 そう言えば、斜め右前の男が気になる。
65歳くらいか。
浅黒い顔色をし、ときどき小さな魔法瓶に口をつけて、何やら飲んでいる。
職業は何だろう。

……たった今、その男が読んでいる本の表紙が見えた。
パソコン用めがねをかけているので、大きな文字しか見えない。
それには「台湾」とあった。
旅行案内の本か?
右脇に大きな黒いバッグ。
ワイフに「表紙に何と書いてある?」と聞くと、「食べ物の本みたい……」と。

●隣人 

 事務所の隣人が、入院しているという。
それほど親しくはないが、気になる。
穏やかで、誠実な人だ。
ときどき「何か手伝いましょうか?」と声をかけたことがある。
パソコンのことなら、多少の知識がある。
が、相手にしてもらえなかった。
隣人はいつもパソコンを前に、何かをしていた。

 が、見舞いに行くほど、親しくはない。
突然行くのも、好ましくない。
相手の都合もあるだろう。
大家さんの話では、げっそりと痩せていたという。
書き忘れたが、入院してもう1か月になるという。
検査入院とかで、入院した。
それが1か月?

●伯父の他界

 数日前、伯父が他界した。
おととい、香典を届けた。
岐阜の山奥で、峠を越えたら、一面の雪景色。
久しぶりの雪景色。
その美しさに、思わず声をあげた。

 母方の兄弟が13人。
父方の兄弟が5人。
私には18x2=36人のオジやオバがいた。
が、今は、もう2、3人になってしまった。
さみしいというより、「つぎは私たち……」。
そんなふうに考える。
ワイフも、「順番ね」と言った。

 伯父は、自宅のふとんの中で横になっていた。
若いころは色白だった。
大柄な人だった。
が、そこに見た伯父は、小さく、顔色も土色だった。
表情も、別人のようだった。

●封建主義

 その伯父。
よい意味でも、そうでない意味でも、昔の武士のような人だった。
私はいつもその伯父を通して、江戸時代を見ていた。
家父長意識が強く、家意識も強かった。
ものの考え方も権威主義的で、上下意識も強かった。
もちろんプライドも高かった。
封建時代というより、封建主義のかたまりのような人だった。

嫁いできた伯母などは、最初の10年ほどは、「女中」のような存在だった。
妻というよりは、「女中」。
みな、そう言っていた。

 ……あの封建時代を礼賛する人も多い。
「武士道こそ日本の……」と説く人も多い。
しかし封建時代の、「負の側面」を語ることなしに、一方的に武士道なるものを
礼賛してはいけない。
平たく言えば、「人間」を語ることなしで、武士道を語ってはいけない。

●前の男

 列車は掛川を過ぎた。
静岡までの半分の距離を過ぎた。
斜め右側の若いカップルは、相変わらず、ペチャクチャと話しつづけている。
その横の男は、本を読むのをやめ、今は、両手をコートのポケットに入れ、
眼を閉じている。
横には、大きな黒いバッグ。
 
 大きなバッグである。
通勤用ではなさそう。
どこかへ行くのだろうか。
それとも帰ってきたのだろうか。
頬は、ブルドックの顔のように垂れ下がっている。

●文を書く

 この列車は鈍行列車ということになる。
が、私は嫌いではない。
1~2時間の距離なら、いつも鈍行列車を利用する。
こうして列車の中で、文を書くのは楽しい。
新幹線だと、それができない。
……というか、落ち着かない。

 時間はたっぷりとある。
そう言えば、あのカップルが、先ほどの駅で降りた。
とたん、夜行列車独特の静けさが、車内に充満した。
みな、目を閉じて黙りこくっている。
聞こえるのは、車掌の声、笛の音、それに客が動かす荷物の音。

 ……またまたあの眠気。
もしこうしてキーボードを叩いていなかったら、私は眠っていただろう。
横を見ると、ワイフも目を閉じて眠っている?

●OFF

 たった今、ぐるりとあたりを見回した。
そのとき、斜め前の男と、視線が合ってしまった。
気がつかなかったが、向こうは先ほどから私のほうを見ていたらしい。
私は会釈する間も取らず、目をそらした。
そらしながら、左手で首筋をかいた。

 人間というのは、不思議な生き物だ。
こういう世界では、すべての人を、OFFにしてしまう。
人間を人間と見ない。
記憶にも残さない。
記憶にも刻まない。

 相手の男もそうだろう。
私をどう見たかはわからないが、見ると同時に、忘れているはず。
大脳生理学の本によれば、数分の1秒程度で、忘れてしまうそうだ。
でないと、脳みそは記憶だらけになってしまう。
パンクしてしまう。
この文を読んでいるあなたにしても、そうだ。
読んだ先から、内容を忘れていく。
それでよい。

●空想

 では、どうすればよいのか。
どうすれば、この瞬間を、脳に刻むことができるのか。
またこの文を読んでいる読者のみなさんの脳に、どうすればこの文を刻むことが
できるのか。

 何かの事件があれば、それでよい。
それを書けばよい。
何かないか……?

 そう、こんな話はどうか。
実はこの夜行列車は、今日死んだ人を、黄泉(よみ)の国へ運ぶ、死人列車。
昔、そんなようなテレビ映画があった。
「ミステリーゾーン(ツワイトライトゾーン)」というのが、それだった。

 が、列車の中の客たちは、自分が死んでいることに気がついていない。
いつもの自分と思っている。

 あるいは火星に向かう宇宙船でもよい。
ただの宇宙船では退屈するだろう.
そこでわざと夜行列車風に作り変える。
この列車の中の人たちは、みな、それなりの科学者。
外の景色も、作り物。
しかし速度は、秒速数万キロ!  
 
●乗り換え

 この列車は、静岡で乗り換え。
乗り換えて、沼津に向かう。
同じ静岡県なのに、結構、遠い。
少し尻が痛くなってきた。
この一週間、運動量をふやした。
筋肉痛が、あちこちに残る。

 ……それにしても、腹が減った。
沼津で何かを食べる。
それが楽しみ。

 明日は講演のあと、主催者の人たちが、昼食を用意してくれるとか。
先日、電話で「生ものでいいですか?」と聞いてきた。
沼津といえば、魚。
サシミ類なら、毎日でもよい。
私の大先祖は、肉食の魚だった!
楽しみ。
空腹なときは、とくに楽しみ。

●真剣勝負

 私にとって講演というのは、まさに真剣勝負。
集まる人の数には、左右されない。
関係ない。
10人でも、500人でも同じ。
まったく同じ。
「手を抜かない」というよりは、どこでも同じ。
真剣勝負。

 ……といっても、このところ心配なのは、気力。
気力がつづかない。
気力がつづかないと、途中で何を話しているか、わからなくなる。
脱線しても、話を元にもどすことができなくなる。
それが心配。

 だから講演の朝は、食事を抜く。
腹をからっぽにしておかないと、脳みそのほうに血が回らなくなる。
私は低血圧症。
上が110、下が60~70前後。
長生きはできるそうだが、その分、ボケやすい、とか。

 それに中には、同じ話をする人もいるとか。
私のばあいは、いつもちがった話をする。
会場ごとに、ちがった話をする。
で、明日の話は、やはり新家族主義から入る。

●新家族主義

 家族主義もよいが、行き過ぎはよくない。
現在は、その家族主義が行き過ぎている。
「仕事より家族」と言うのは結構だが、貧乏の恐ろしさを知った上でなら、それもよい。
貧乏の恐ろしさを知らないまま、「家族のほうが……」というのは、おかしい。

 たしかにお金では幸福は買えない。
が、お金がなければ、確実に不幸になる。
また多くの親は、子どもに楽しい思いをさせること、あるいは楽をさせることが、
親の愛の証(あかし)と考えている。
親の絆もそれで太くなる、と。

 しかしこれは誤解。
まったくの誤解。
子どもを「よい子」にしたければ、(「よい子」の定義もむずかしいが……)、
子どもには苦労をさせる。
その苦労が、子ども自身を育てる。

●苦労

 が、苦労といっても、二種類、ある。
自分のための苦労と、他人のための苦労。
(1)利己的苦労と、(2)利他的苦労。
よく「私は受験勉強で苦労しました」と言う人がいる。
しかしそれは自分のための苦労。

 子どもは、(おとなもそうだが……)、他人のために苦労を重ねて、自分の人格を
磨くことができる。
できれば無私無欲。
忍耐力も、それで育つ。

 これも誤解がないように、ここではっきりと書いておきたい。
子どもにとっての忍耐力というのは、(おとなにとってもそうだが……)、「いやなことを
する能力」をいう。
たとえばためしにあなたの子どもに、トイレ掃除でもさせてみればよい。
何の抵抗もなく、自然にそれができれば、すばらしい子どもということになる。
つまりそういう「力」は、苦労によって育つ。
「自分のための苦労」ではない。
「他人のための苦労」で育つ。

 ……反対に、よく「うちの子はサッカーだと一日中しています。忍耐力はあるはずです。
そういう力を、勉強面でも伸ばしたい」という親がいる。
しかしそんな力は、ここでいう忍耐力ではない。
自分のために苦労しているだけ。
好きなことをしているだけ。

 親としてはつらいところだが、……というのも、日本人は骨のズイまで、日本人独特
の育児観がしみこんでいる。
そういう常識を変えるのは、容易なことではない。
たとえばニュージーランドでは、学校から帰宅したあと、子どもたちは家事の手伝いを
日課としている。
夕食までの時間が、その時間。
その間に、親の指示に従い、自分の役割を果たす。
私が「学校の宿題があるときは、どうするのか?」と聞くと、その大学生はあっさりと、
こう言った。
「夕食後だ」と。

 それが彼らの常識。

●見返り?

 となると、明日の講演は、このあたりから話したい。
今どき、高校生はもちろん、大学生でも、親に感謝しながら学校へ通っている子どもは、
さがさなければならないほど、少ない。
実際には、いない。
中に、お金を受け取るときだけ、「ありがとう」と言う子どももいる。
が、それだけ。
親がへたに何かを期待(?)しようものなら、すかさず子どものほうが、こう反論する。
「あんた(=親父)は、見返りを求めて子育てをしてきたのか!」と。
子どものほうに、親が叱られる時代である。
また今どきの子どもたちは、それを「干渉」という言葉で表現する。

 「将来、親のめんどうをみる」などと考えている若者は、30%もいない!

●沼津東急ホテル

 沼津は、沼津東急ホテルで一泊。
食事はまだだったので、歩いて100メートルほどのところにあった居酒屋で夕食。
「さえ丸おじさんの店」。

サスガ!

さすが沼津。
私は、カンパチの頭(かしら)焼き。
ワイフは、サシミの5点盛り。
新鮮で、おいしかった。
私もワイフも、大満足。

●エジプト騒乱

 部屋に帰ると、午後11時のニュース。
九州の新燃岳の火山爆発。
全国的なインフルエンザの流行。
エジプトの騒乱。
断片的なニュースが、横にあるテレビから流れてくる。
今日も、あちこちでいろいろなことがあったらしい。

 ……そのエジプト。

先進国は今、自国の経済を守るために、「札」を大増刷している。
世界中が、インフレの荒波にさらされている。
が、当の先進国は、それでよい。
インフレを吸収するだけの余力をもっている。
たとえばアメリカドルにしても、いくら印刷しても、それをほしがる国がある。
自国の通貨よりも、アメリカドルのほうをほしがる国のほうが多いのではないか。
しかしエジプトの通貨は、どうか?

本来なら、同じ割合だけ札を増刷して、アメリカドルに対抗したい。
しかしエジプトの通貨など、だれもほしがらない。
つまりそうしたしわ寄せが、中進国以下に集まり始めている。

不況と高い失業率。
物価の高騰と食料不足。
そのひとつが、エジプトの騒乱となって表面化した。
この先、世界情勢は、ますます混沌としてくる。

●1月29日

 今朝は、よく眠れなかった。
朝、4時に、目が覚めた。
エアコンのせいか、空気がカラカラに乾燥。
目が覚めたとき、喉もカラカラだった。

 冷蔵庫から、スポーツドリンクを取り出して飲む。
ワイフも半分、飲む。
再び電灯を消し、目を閉じる。

 ……頭の中で、巨大な宇宙船を想像する。
円筒形の宇宙船である。
直径は、数100キロ以上、長さは、数1000キロ以上。
実際、それに近いUFOが、土星の環(輪)付近で見つかっている。
「どんなUFOだろう?」と想像する。

 ……いつも眠れない夜は、そんなことを考える。
いつもなら、そのまま眠ってしまう。
が、今朝は反対に、かえって頭が冴えてしまった。

●円筒形の宇宙船

 円筒形の宇宙船。
居住区は、円筒の内側に張りつくように位置する。
もちろん人工の山や海もある。
球体の表面に張りつく地球と、ちょうど逆ということになる。
宇宙船は、ゆっくりと回転する。
その遠心力を利用し、人工重力を生み出す。

 直径が100キロ以上もあるから、空のかなたに、別の都市群が見える。
もちろん地球上と同じような大気の気流もあり、天候も日々に変化する。
空を飛行機が飛び交い、海には船も浮かぶ。
中央にはプラズマ太陽。
それが24時間単位で、明るくなったり、暗くなったりする。

 この程度の大きさがあれば、1億人から数億人ほどの人たちが、居住できる。
で、今朝はこんなことを考えた。

 円筒形の宇宙船は、ゆっくりと回転する。
そのとき回転する方向と逆に、同じ速度で走る列車があったとする。
理屈で考えれば、遠心力はそれによって相殺されることになる。
つまり無重力状態になる。
となると、その列車は、そのまま宙に浮かぶことになる。
……浮かぶことになるのか?

 そんなことを考えていたら、かえって頭が冴えてしまった。

●さらに10兆円?

 現状のままでは、2、3年後には、赤字国債がさらに10兆円ほどふえるという。
寝る前に見たテレビで、解説者がそう言っていた。
これは、もうメチャメチャな額と言ってよい。
わかりやすく言えば、月給40万円しかない人が、毎月90万円近い生活費を使って
いることになる。
差し引き50万円は、借金。
その借金が、さらに10万円増える。

 ただ救いなのは、息子や娘のできがよく、資産を1000万円近くもっていること。
いざとなったら、息子や娘の預貯金を食いつぶせばよい。
一家の親父は、そんなことを考え、借金のことなど、どこ吹く風。
今月も庭の改造や、離れの改築に忙しい……。

 バカげているが、だれもそれを止めることができない。
本来なら親父の小遣いを減らし、道楽をやめさせる。
経済学者たちは、みなこう言っている。
「日本経済の破綻は可能性の問題ではなく、時間の問題」と。

●行政改革

 ここまで来たら、行政改革、つまり官僚制度の是正を断行するしかない。
わかりやすく言えば、公務員数の削減と公務員の給料の削減。
ボーナスにしても、公務員の人たちには、年4回も支払われている。
夏と冬の通常のボーナスのほか、年2回の「調整金」という名目のボーナス。
恩給にしても、「転籍特権」という特権がある。
その人が死んでも、家族は、それ以後も年金を受け取ることができる。
つまりそういう特権が無数に積み重ねあげられ、現在の公務員社会を作っている。

……いったいいくらの給料が支払われているのか。
支払われていないのか、それを正確に知る人は少ない。
が、計算方法がないわけではない。

 総人件費を、総公務員数で割るという方法がある。
いろいろな計算がなされている。
が、それとて、よくわからない。
複雑に入り組んでいる。

 で、昨日、政府は、公務員の給料を総じて2割削減するということを言い出した。
当然のことである。
が、O県のばあい、以前、5%(たったの5%だぞ)削減すると首長が提案しただけで、
大騒動になった。
提案は、そのままつぶされてしまった。

 さて、どうなることやら。
が、このままでは日本の経済は、確実に破綻する。
ある評論家はテレビ報道の中で、「残りの猶予期間は、ここ1、2年です」と言っていた。
それを過ぎると、赤字国債の買い手が見つからない。
つまり国家破綻!

 それぞれの公務員の人に責任があるわけではない。
が、ここまで丸々に肥大化した公務員社会。
そこにメスを入れないかぎり、日本に明日はない。

●会場へ

 会場へは、迎えの車で。
朝食は抜いた。
そうでなくても、眠い。
ここで食事をしたら、本当に眠ってしまう。
一度、そういうヘマをしたことがある。
昼に出された寿司を食べてしまった。
講演は、そのあと。
その講演の途中で、瞬間だが、コクリと眠ってしまった。
以来、講演の前には、食事をしないことにした。

 が、寒いせいか、今朝は、呂律(ろれつ)がよく回らない。
たとえば「きょう(今日)」というのを、「ケウ」などと言ってしまう。
こういうときは、発声練習をする。
脳と口の筋肉をシンクロナイズさせる。
合唱団員のとき、よくした。

 ……あるいは脳の微細脳梗塞が始まっているのかも?
血栓性の脳梗塞。
心配。
本来なら30分でもジョギングできればよい。
脳の回転がよくなる。
が、その時間もなさそう。
今朝はこれからこのまま会場へ。
あと30分。
チェックアウトをすませ、ロビーで待つ。

それでは、みなさん、おはようございます。
(2011年1月29日)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

1/2 グチはボケの始まり

2011-01-29 18:39:21 | 日記
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ウソと小細工

++++++++++++++++

私は、「ウソ」に対して、過剰とも
言えるような反応を示す。
心の中に大きなトラウマがある。
それが反射運動的に激怒となって、
外に現れる。

小細工にしても、そう。
私の心は、同じように反応する。
それが小細工とわかったとたん、
その人への信頼感は、その瞬間、
粉々に壊れる。

ウソと小細工。
見た目には大きく違うが、中身は
同じ。

ウソつきは、小細工が好き。
小細工をする人は、ウソが好き。

++++++++++++++++

●小細工

 小細工をする人は、繰り返し、小細工をする。
小細工しながら、生きている。
思考回路が、そうなっている。
だからそれが悪いこととは、思わない。
ごく日常的な行為として、それができる。
平たく言えば、一事が万事。

 だれがそうとは言わない。
しかしこのタイプの人は、あなたの周囲にも、1人や2人はいるはず。
こまかいことに神経をつかい、それでもって相手を、自分の思い通りに動かそうと
する。

少し前に観た映画に、『君に読む物語』(The Notebook)というのがあった。
その中で、ボーイフレンドは、ガールフレンドに毎日手紙を書く。
が、ガールフレンドの母親が、その手紙をそのつど握りつぶしてしまう。
これも小細工。
そういうことが平気でできる人というのは、心がかなり壊れた人とみてよい。

●壊れた心

 心というのは、一度壊れると、もとに戻すのがむずかしい。
一生、不可能ではないかとさえ、思う。
たとえば一度、人間らしい心を失ってしまった人、など。
そういう意味では、幼児期、少年期は、たいへん重要な時期と考えてよい。
この時期の子どもの心は、たいへん傷つきやすい。

 当然のことながら、穏やかで、静かで、心豊かな環境で育てるのがよい。
もちろん両親の暖かい愛情も重要。

 が、意外と甘く見過ごされてしまうのが、赤ちゃん返り。
下の子どもが生まれると、上の子どもにさまざまな変化が現れることがある。
そのひとつが、赤ちゃん返り。
嫉妬という、きわめて原始的な感情がからんでいるだけに、基本的な部分で人間性
そのものをゆがめる。
嫉妬がからむと、人間は、(動物の世界でも似たような現象が数多く報告されているが)、
相手を殺すというところまでする。

 そういう事例を、数多く、私は見聞きしている。

 だから「心」というのは、作るものではなく、壊さないようにするもの。
そういう意味では、私は性善説を支持する。

 人間は本来、みな、やさしくて穏やかな心をもっている。
が、それが何らかの理由で壊れ、そして心をゆがめていく。
たとえば「悪人」とか、「犯罪者」という言葉がある。

 しかし悪人も善人も、大きくちがうようで、それほどちがわない。
紙一重というか、どこかで歯車が狂っただけ。
最初は小さな狂いだったかもしれないが、それが時間とともに大きくなる。
大きくなって、悪人は悪人になり、犯罪者は犯罪者になる。

 少し前、法務省の依頼で、40分x2本の、受刑者用の講演テープを作った。
横浜のラジオ局で収録した。
そのあと全国の刑務所に配布された。
そのときも、そういう話をした。

 そこで重要なことは、まず自分を知ること。
その第一歩が、自分の幼児期を知ること。
「私」を知ることは、すべてそこから始まる。
その方法については、すでに何度も書いてきた。

 話がそれたが、ウソをつく。
小細工を重ねる。
こうした症状も、「壊れた心」という視点に立ってみると、よく理解できる。
繰り返しになるが、「子どもの心は壊さない」。
これは子育てにおける、もっとも重要なポイントということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 小細工 ウソ 嘘 子育ての要 壊れた心)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司


●Happy Learners


BW子どもクラブbyはやし浩司
浜松・Japan


●2010年の終わりに……(年長児、5-6歳のみなさん)2010-12-20


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Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●12月20日、夜記

++++++++++++++++

PSPを使っての将棋は、連戦連勝。
しかし画面が小さく、私には見づらい。
根を詰めて指していると、すぐ頭が痛くなる。
これはどういう理由によるものなのか。

だからそのつど1試合が、限度。
間に1時間以上の休憩が必要。
・・・というより、将棋ばかりしている暇はない。
楽しいが、そこまで。

++++++++++++++++

●失聴

 左の耳が聞こえなくなって、もう20年以上になる。
「突発性~~」という病名が使われ始めたころのことである。
正月も近いというある夜、左耳が焼けるように痛くなった。
熱もあった。
それが一昼夜つづいた。
いろいろな薬をのんだ。
扁桃腺か風邪かと思った。
が、その熱が冷めたとき、左耳は聴力を失っていた。

 で、左耳というのは、右脳に直結している。
身体の神経と脳の神経は、左右逆に交差している。
その右脳は、音楽やグラフフィックなど、アナログ的な働きを得意とする。
一方左脳は、論理や分析、言語や計算などの、デジタル的な働きを得意とする。
だから芸術家には、左利きが多いとよく言われる。
一方、作家や数学者には、右利きが多いとよく言われる。
もっともこの日本では、以前は、左利きは全体の5%前後と言われていた。
左利きは、嫌われていた。
左利きの子どもは、無理に矯正された。
が、実際には、左利きにしても、人類の約5%が、左利きといわれている
(日本人は3~4%)。
原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。
親からの遺伝という遺伝説。
生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

 それはともかくも、左耳を失聴してから、ステレオ音楽がわからなくなった。
音の方向もわからなくなった。
教えていて困るのが、これ。
幼児の声は、みな、よく似ている。
口の動きをみて、その子どもがしゃべっていると知る。
が、もっと困ることがある。

 たとえば一方向から、親の声と子どもの声が、耳に入ったとする。
こういうばあい、頭の中で、音を分離できない。
できないから、親の声と子どもの声が、混ざって聞こえる。
あるいは講演会の席などで、だれかが質問したとする。
そのとき講演会の外を走る車の音と、質問の声がまざって聞こえる。
つまり大きい音に小さい音が、負けてしまう。
質問した人の声が小さいと、声を聞き取れなくなる。

●右脳vs左脳

 さらに論理的に考えると、こうなる。
左耳が聞こえないということは、右脳に直接信号が届かないということになる(?)。
音楽を理解する中枢は、その右脳にある。
が、私は音楽が好きだし、よく聞く。
しばらく聞いていると、よい気分になる。
脳の中で、モルヒネ系のホルモンが分泌されるためと考えられる。
つまり左耳からの信号はなくても、右脳はちゃんと機能している(?)。

 大脳生理学の専門家が聞いたら、「おい、林、それはちがうよ」と言う
かもしれない。
右脳に音楽を司る中枢があるといっても、理解するのは脳の別の部分かも
しれない。
それに右耳から入った信号でも、右脳に届くということもあるかもしれない。
右脳と左脳は、脳梁(のうりょう)と呼ばれる、神経の太い束でつながっている。
左脳に入った信号が、右脳に伝わるということは、じゅうぶん考えられる。
さらに脳には、補完作用というのがある。
たとえば左脳がダメージを受け、言語中枢に支障が出たようなばあい、訓練に
よって右脳がそれをカバーする、など。
さらに最近の研究によれば、女性のばあい、右脳にも言語中枢があるという。
だから女性には、おしゃべりの人が多い、とか。
つまり脳というのは、私たちが考えるよりはるかに柔軟性や適応性がある。

 わかりやすく言えば、脳は使えば使うほど、よくなるということ。
そればかりか、失われた機能まで、回復することもあるという。
これも何かの本で、読んだことがある。
(本といっても、ちゃんとした研究論文だぞ!)

●ボケ

 一方、使わなければ、どうなるか?
・・・というより、50歳も過ぎると、脳の底に穴が開いたような状態になる。
それまで脳の中にあった知識や知恵が、どんどんと下へとこぼれ落ちていく。
みごとなほど(?)、下へとこぼれ落ちていく。
それが自分でも、実感として、よくわかるようになる。
つまり放っておいたら、バカになるだけ。

 それを防ぐためには、2つの方法がある。
(1) 頭をよく使う。(いろいろな刺激を多方面から与える。)
(2) 失われた分以上に、新しい知恵や知識を脳の中に叩き込む。

 これは私という人間の素人判断。
が、ときとしてボケは、その向こうで始まることがある。
血栓性の脳梗塞や、アルツハイマー病など。
こうなるとお手上げ。
言い換えると、自分ではどうしようもない。
その恐ろしさは、左耳を失聴した私にはよくわかる。
どんなに努力しても、一度切れた神経は、つながらない。
こうした状態が、脳全体で起こる。

●相手にされない

 ボケになると、人に相手にされなくなる。
それがさみしい。
たとえば私たちでも、相手がボケているとわかると、相手にしない。
適当にあしらって、それですます。
「どうせボケた人の言うことだから・・・」と。
言い換えると、自分がボケになると、相手は私を適当にあしらって、
それですますようになる。
相手にされなくなる。

 もっともボケた本人は、それに気づかない。
このことはボケた人と話していると、よくわかる。
「頭のほうは、だいじょうぶですか?」などと言おうものなら、即座に、こんな
返事が返ってくる。
「私は、だいじょうぶです。どこも悪くありません!」と。
アルツハイマー病の初期段階の人ほど、猛烈に反発するという。
取り繕(つくろ)いや、辻褄(つじつま)あわせ、弁解や言い訳が多くなるという。
何かの本で、そう読んだことがある。

 が、それも限度を超えると、つまり本人があきらめてしまうのか、
ボケは急速に進む。
もっともそうなれば、自分がボケていることさえ、わからなくなる。

●メガネ店で

 メガネ店では、補聴器も売っている。
補聴器といっても、ただ音を大きくするだけのものから、耳の状態に合わせて、
きめこまかく調整して使うものまである。
後者のばあい、耳鼻科の医師と相談して使うのがよい。

 それはそれとして、先日、骨振動系の補聴器を貸してもらい、試してみた。
ボリュームは最大。
わずかだったが、左耳でも音を聞くことができた。
そのときのこと。
音がすばらしく奥行きのあるものに聞こえた。
絵画にたとえるなら、それまで白黒だったものが天然色になったような
気分だった。

 けっして大げさなことを書いているのではない。
本当にそう感じた。
と、同時に「私は損をしている」と思った。
美しい音でも、その10分の1も味わっていない。

●相対的

 賢明な人は、それを失う前にその価値を知る。
そうでない人は、それを失ってはじめて、その価値を知る。
健康というのは、そういうもの。
しかし脳の健康には、それが当てはまらない。
失ったことにすら気がつかない。
気がつかなくても、生きていくうえにおいては、ほとんど支障がない。
ボケた人はボケた人なりに、何とか生きていく。
しかもボケというのは、相対的なもの。
私やあなたにしても、若くて聡明な人たちから見れば、ボケて見える。

●今日もがんばろう!

 今は、PSPを使って、脳トレをしている。
PSPの将棋(D3パブリシャー社「The将棋」)では、
レベル20まで難度を調整できる。
で、昨夜ふとんの中で、そのレベル20に挑戦してみた。
結果は、私の負け。
このゲーム機器で遊んで、はじめて負けた。
(もっともPSPのほうでは、そのつど30秒も思考を繰り返す。
私は、5秒以内の速攻。
これは負けたことの言い訳か?)

 ……しかし今朝は、脳がよく働かない。
目の前に、処理しなければならない書類が、4~5通、ある。
が、どれから手を付けようか……?
何かにつけて、投げやり。
迷っている間に、時間ばかりが過ぎていく。
やはり頭の働きが、悪くなったのか?

 ……ともかくも、今日も始まった。
12月22日。
みなさん、おはようございます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボケが始まるとき(グチ論・愚痴論)

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今日(12月18日)、東名西インターの
少し北にある、「S」というレストランで、
遅い昼食をとった。

そのときのこと。
運悪く(?)、その席に案内されてしまった。
隣の席、つまり背側の席に、2人の女性が
座っていた。
1人は、65歳~70歳。髪の毛は根本が
白く、始末の悪いなりをしていた。
ボサボサの頭に、ヨレヨレの衣服。
この女性を、女Aとする。

もう1人は、40歳前後。
この女性を、女Bとする。
最初、2人は親子かなと思った。
似たような顔をしていた。

が、席についたとき、瞬間、「しまった!」と
思った。
耳のそばで、間断なく女Aがしゃべっていた。
ペチャペチャ、クチャクチャ……
ペチャペチャ、クチャクチャ……、と。
そのうるさいことといったら、なかった。

脳に飛来する情報を、そのまま口にしているだけ。
話の内容が、クルクルと変化していく。
愚痴につづく、愚痴。
ところどころで、わかったようなことを言う。
「人生、前向きにいきなきゃあ」と。
が、それらはすべて、だれかの受け売り。

それに対して、女Bが、適当に相づちを入れる。
女Aはさらに気をよくして、しゃべる。
……しゃべりつづけた。

私は覚悟を決めた。
どんな話をしているか、確かめてみようと。
そういう気になった。

最初は、話のストーリーがつかめず、
苦労した。
内容が理解できなかった。
話の内容が、ポンポンと飛ぶ。
つかみどころがない。
が、5分もすると、おぼろげながら、輪郭が
見えてきた。
どうやら娘のダンナの話をしているらしい。
親類の話をしているらしい。
昔の仕事の話をしているらしい。

よく誤解されるが、ペラペラとよくしゃべるから、
頭がよいということにはならない。
頭のよさは、思考力のあるなしで決まる。
思考の深さによって決まる。
頭のよい人ほど、(子どもでもそうだが)、
相手の言ったことを、一度頭の中で反すうする。
が、女Aのばあい、一方的にしゃべるだけ。
相手の話を聞かない。
聞く耳すら、ない。

私は女Aの話し方の特徴を、そこでメモした。

(1)間断なく、よくしゃべる。
(2)聞き手の意見を聞こうともしない。
(3)相手に意見を求めない。
(4)話のないようが、つぎつぎと変化する。
(5)無表情で、口先だけで話す。
(6)内容が浅い。つまり思考を反復しない。
(7)自己の優位性を、相手に押しつける。
(8)不平不満、愚痴が多い。

私は女Aの話を聞きながら、「人間は、こうして
ボケていくもの」と確信した。