最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●夢と現実(PART3)

2010-02-28 22:40:29 | 日記
●荘子(370BC~286BC)

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荘子はある日、夢を見る。
その夢の中で、荘子は、胡蝶となり、
楽しそうに飛び回る。

その夢から覚めたとき、荘子は、
こう考える。

「荘子が夢の中で胡蝶になったのか?」、
それとも「胡蝶が夢の中で、荘子になったのか?」と。

++++++++++++++++++

●胡蝶の夢

 荘子の、この『胡蝶の夢』の逸話を読んでいると、そのうち何がなんだか、わけがわからなくなってくる。
だから荘子自身も、「どちらでもいい」と、結論づけている。
「どのみち、すべては無なのだから」と。

 もう一度、荘子の見た夢について考えてみよう。
具体的に、あなた自身が見た夢として考えてみる。
あなたはどこかの切り株にもたれて、うたた寝をする。
そのとき、夢を見る。

 あなたは一匹の蝶が空を飛ぶ夢を見る。
その蝶は、フワフワと風に乗って、楽しそうに飛んでいる。
が、ふと気がつくと、蝶だと思っていたのは、実はあなた自身であった。
あなたは蝶のように、あるいは蝶の姿のまま、空を飛んでいた。

 そこで荘子は考えた。
「自分が蝶になったのか」、それとも「蝶が自分になったのか」と。

●現実と非現実

 (現実の世界)であるにせよ、(非現実の世界)であるにせよ、どこからどこまでが(現実)で、どこから先が(非現実)なのか、よくわからないときがある。

 私自身は、現実主義者と思っている。
サルトル風に言えば、(存在)と(認識)を基本に、ものを考え、その上に論理を積み重ねている。
そのため、そうでないもの、たとえば占いとか、まじない、迷信、霊(スピリチュアル)などというものを、まったく信じていない。
星占いや、血液型による性格判定にしても、そうだ。

 しかしこのところ、(生きていること自体)が、何か、夢の中のできごとのように感ずることが、多くなった。
つまり「私たちは、ひょっとしたら、とほうもないほど非現実の世界に生きているのではないか」と。

 たとえばそこに今、見えているものについても、たまたまそう見えるから見ているにすぎない、と。
言い替えると、今、そこに見えているからといって、それをそのまま信じてもよいものか、と。
あるいは実際には、私たちには、見えないもののほうが多いのではないか、と。

 よい例が、私たち自身の(過去)ということになる。

●夢

 (現実)は、常に、(過去)の結果でしかない。
(現実)は、今、ここに(存在)するものである。
それはその通りだと思う。
しかし(過去)などというものは、どこにも存在しない。
しないが、私の記憶の中には残っている。
その(残っている部分)が、今、こうして振り返ってみると、まるで夢の中のできごとのように思えてくる。

 そう、まさに(夢)。
私は子どものころ、父の酒乱でつらい思いをしたが、そうしたドラマでさえ、今、振り返ってみると、夢の中のできごとだったように思えてくる。
結婚してからのこと、子育てを夢中でしていたころのこと……、すべてが夢の中のできごとだったように思えてくる。

 言い替えると、今、子ども時代を過ごしている子どもにしても、子育てに奮闘している親にしても、やがてすぐ、夢の中へと消えていく。
「消える」というよりは、今の私のように、(夢の中のできごと)のように思うようになる。
そしていつか、あなたも今の私と同じようなことを言うかもしれない。

「過去を振り返ってみると、すべてが夢の中のできごとのように見える」と。

●再び、現実主義

 これは老人の共通した心理かもしれない。
そこにあるのは、(過去)ばかりで、いくらさがしても、(未来)が見つからない。
だから勢い、(過去)を振り返ることが多くなる。
で、その(過去)はというと、記憶の中にあるだけ。
だから、「まるで夢のよう」となる。

 若い人なら、このあたりで思考を停止して、今度は(未来)を見る。
(過去)は(過去)として、それを踏み台にして、(未来)に目を向ける。
しかし老人には、その(未来)がない。
だから(過去)を振り返りながら、「まるで夢のよう」と思いつつ、それを拡大解釈し、今、ここにある(現実)まで、「まるで夢のよう」と考えてしまう。

(この間、1時間ほど、すぎた。
あれこれ考えた。
で、スーッと、頭の中が整理されていくのを感じた。)

 しかしこの考え方は、まちがっている。
言うなれば、ジー様のたわごと。
いくら歳をとっても、またいくら死に近づいても、私たちは、(現実)を手放してはいけない。
(現実)を手放したとたん、私たちは(死)に向かって、まっしぐら。

 そう、そういう意味では、このところ、私はたしかに弱気になっている。
そこにある(現実)から目をそらし、(夢の中の世界)で生きようとしている。
晩年の母がそうだった。

 毎日、朝夕、欠かすことなく仏壇の前で手を合わせていた。
暇さえあれば、仏壇の金具を磨いてばかりいた。
そこにある(現実)を見失うと、そういう生き様になる。

●結論

 数回にわたって、『夢と現実』について書いてきた。
中には、「林(=私)は、いったい何を考えているのだ」と思った人も多いかと思う。
事実、私自身も、一連のエッセーを書きながら、ときどき自分でも何を書いているかわからなくなった。

 だからこの話は、ここまで。
考えるだけ、無駄。
簡単に言えば、たわいもない夢を見ただけ。
その夢に振り回されただけ。
「無」といっても、荘子が説く「無」と、サルトルが説く「無」とは、概念がちがう。
「無」と考えて、けっして、虚無主義に陥ってはいけない。

 私は私で、年齢など気にせず、その日が来るまで、前向きに生きていく。
今、そこにある(現実)の中で、戦って戦って、戦い抜く。
それが私の、今までの生き様だった。
これからも、それが私の生き様。

 さあ、今日も始まった。
心機一転、がんばるぞ!
みなさん、おはようございます!

(2010年2月28日、明日から3月)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●夢と現実(2)

2010-02-28 12:22:55 | 日記
【胡蝶の夢】

●夢と現実(2)

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昨日、「夢と現実」について書いた。
うまくまとまらなかった。
そこで今日、もう一度、それについて
書いてみたい。

またまたわかりにくい文章でごめん!

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●夢

 私は夢の中で、袋いっぱいの宝石を手に入れた。
中には、指の爪ほどの大きさのあるダイアモンドもあった。
ほかに、ルビーやサファイアなどもあった。

 が、夢の途中で、私はそれが夢であることに気がついた。
ときどきそういうことがある。
夢を見ながら、「これは夢だ」と。
そこでつぎに私は、どうすれば、この宝石を、現実の世界へ持ち帰ることができるか、それを考えた。
今までにも、そういう夢をときどき見たことがある。
が、目が覚めたとたん、夢の中で手にしたものは、すべて消えていた。

●強欲

 目が覚めてから、私は私が見た夢について考えた。
夢の中の私は、見苦しいほど、強欲だった。
それに警戒心も、猜疑心も強かった。
「だれかに盗まれるのではないか」と、それを心配した。

 日ごろ、私はそういう私になるのを、避けているはず。
また身近にそういう人がいると、そういう人を人いちばい嫌っているはず。
そういう私が夢の中では、見苦しいほど、強欲だった。
それを思い出しながら、「私の知性や理性は、どこへ消えてしまったのか」と。
あるいは夢の中では、脳の活動分野がちがうため、知性や理性は機能しないのかもしれない。
知性や理性をコントロールするのは、前頭連合野。
その前頭連合野は、まだ眠ったままだったのかもしれない。
しかしそれにしても、強欲だった。
欲望のまま……というか、私は完全にドーパミンに支配されていた。

●薄もやの向こう

 一方、こんなことも言える。
ときどき小学生たちを見ながら、「私にも、小学生だった時代があるはず」と。
で、私が小学生だったころを思い出そうとする。
とくによく覚えているのは、小学3年生のころの私である。
1年間だけだが、那須(なす)先生という、よい先生に恵まれた。
思い出の数が、とくに多い。
あるが、どれも、薄もやの向こうに隠れて、よく見えない。
大画面に大きく映像が映るというよりは、脳の一部に、小さく映る。
しかもそれぞれが断片的で、輪郭がはっきりしていない。

 そういう自分を思い浮かべてみると、あのころの私が、まるで夢の中の私のように思えてくる。
眠っているときに見る夢と、区別がつかない。

さらに今のように、人生も晩年になってくると、(私自身は、「晩年」という言葉が嫌いだが……)、今までの自分、つまり過去全体が、夢の中のできごとのように思えてくる。
つまり(現実)とは言うが、その(現実)が、夢の中のできごとのように思えてくる。

●非現実主義

 現実も夢も同じようなもの。
ちがいは、どこにもない。
あるいは、どこがどうちがうというのか……。

 ……というふうに考えるのは、危険なことでもある。
現実と夢、もっと正確に言えば、現実と空想の世界を、混だくさせることは、危険なことでもある。
よい例が、神秘主義。
あやしげな宗教団体は、その神秘主義をうまく操って、信者を洗脳する。
洗脳して、操る。
だからというわけでもないが、私たちは常に、現実主義に基盤を置いて、ものを考える。
生きる。

 「人生は夢のごとし」と口で言うのは構わないが、だからといって、人生は無意味とか、現実には価値がないと考えてはいけない。
その上で、「夢と現実」のつづきを書く。

●死ねばおしまい

 あの世があるにせよ、またないにせよ、私たちは死ねば、この世から消える。
脳みそですら、分子レベルまでバラバラにされて、地球上のありとあらゆるものに、再生されていく。
もちろんその一部は、人間を含めた、ほかの生物の一部となっていく。
それを「あの世」というのなら、「あの世」はある。
「あの世」という言葉に問題があるなら、「つぎの世界」と言い替えてもよい。

 ということは、(主体)である「私」が消えるわけだから、私たちは、この現実の中のモノを、ゴミひとつ、チリひとつ、つぎの世界へもっていくことはできない。
今、億万長者になって得意になっている人も、莫大な財産を築いて喜んでいる人も、死ねばおしまい。

 つまりこの「死ねばおしまい」という部分が、「目が覚めたらおしまい」という部分と似ている。
似ているというより、同じ。
私は目が覚めたとき、それを知った。
つまり私は夢の中で、袋いっぱいの宝石を手に入れた。
しかし目が覚めたら、それらはすべて消えていた。

●夢のごとし

 繰り返しになるが、平均寿命までまで、あと15、6年と言われるようになると、とたんに、今までの人生が、まるで夢の中のできごとのように思われてくる。
先に、私は私が小学3年生のときのことを書いた。
しかし何も小学3年生のときにかぎらない。

 20代のころも、30代のころも、40代のころも、同じようなもの。
どれも脳の中では、断片的な一部の記憶でしかない。
たしかに60数年生きてきたはずなのに、その実感がない。
もともと記憶というのは、そういうものかもしれない。
「記憶がある」といっても、それは脳の中の電気信号のようなもの。
「形」があるわけではない。
言い替えると、「人生は夢のごとし」と言うのは、それほどまちがっていないということになる。

 夢と現実。
今、ここに見えている世界は、たしかに現実だが、それは今というこの一瞬にすぎない。
それ以外は、すべて夢。
眠っているときに見る夢と、どこもちがわない。

●現実=夢

 そこでこう考えたら、どうだろうか。
ここにある現実そのものが、夢である、と。
今は、「現実」かもしれないが、一瞬先には、夢になる。
10年もすれば、脳の一部の断片的な記憶でしかなくなる。

 つまり私たちは、現実という夢の中にいながら、「これは夢だ」と気がつく。
つまり私があの夢の中で、袋いっぱいの宝石を手に持ちながら、「これは夢だ」と気がついたように、である。

 が、私はその夢の中で、何とかしてその宝石を、現実の世界へもってこようとした。
その方法はないかと考えた。
いちばんわかりやすい方法は、宝石の入った袋を、しっかりと手で握ること。
私は子どものころは、そうしていた。
「目が覚めても、放さないぞ」と。

 これは夢の中の話だが、しかし現実のこの世界では、私たちは、日常的に、同じようなことをしている。
お金はもちろん、名誉、地位、財産、肩書きにしがみついている人は多い。
(だからといって、それが無駄と書いているのではない。誤解のないように!)

 その「しがみつく」という行為が、「目が覚めても、放さないぞ」と、手を握った行為と同じ。

●パンコ

 夢の中で、袋いっぱいの宝石を手に入れた。
だからといって、それがどうしたというのか。
だれしも、こう言うにちがいない。
「夢は夢。夢の中で、そういう夢を見ただけ」と。

 しかしそれと同じことを、ひょっとしたら、私たちは、この現実の世界でしているのではないだろうか。

 わかりやすい例として、もう一度、私が小学3年生だったころの話をしてみる。

 あのころは、「パンコ」という遊びが流行(はや)っていた。
地方によっては、「メンコ」とか、いろいろな呼び名がある。
地面に置いた相手のカードを、自分のカードで叩いてめくったら、自分のものになるという遊びである。
私たちは毎日のように、カードの枚数を競い、絵柄を自慢しあった。
その遊びに夢中になったということは、それだけ強欲になったことを意味する。

 が、それも今となっては、まるで夢の中のできごと。
現実にそれをしたはずなのに、今は、何も残っていない。
夢の中で手に入れた宝石も、子どものころに手に入れたパンコも、同じ。

 あえて言うなら、眠っているときに見る夢は、数分前後で、消える。
が、過去は、もう少し長い時間をかけて、消える。
しかしそれが数分であれ、10年であれ、どういうちがいがあるというのか。

●宝石を持ち帰る

 夢の中の私は、見苦しいほどまでに強欲だった。
袋いっぱいの宝石をしっかりと握りながら、「だれにも渡したくない」と考えた。
「だれかに奪われるのではないか」と警戒した。
「これは夢だ」とわかっていても、そうした。

 で、つぎに考えたことは、その宝石を、現実の世界に持ち帰ることだった。
そこで私は、子どものころの私のように、その袋をしっかりと手に握った。
幼稚というより、それ以上の理性や知性が、働かなかった。
が、当然のことながら、目が覚めたとたん、その袋は消えていた。

 ……というのは、夢の中の話だが、実は、これと同じことを、私は現実の世界でもしていることを知った。
この現実の世界全体を、「夢」と考えると、それがわかるはず。

(だからといって、非現実主義に走るのも危険である。
これについては、先に書いたとおり。)

 つまりそう考えることによって、私たちは、つぎのステップへと、自分を昇華させることができる。

●欲望の虜(とりこ)

 「私」には、無数の(しがらみ)が取り巻いている。
「私」自身が、欲望の塊(かたまり)と表現しても、さしつかえない。
もちろんだからといって、「欲望」を否定してはいけない。
この「欲望」が、生きる力の源にもなっている。

 フロイトが説いた「性的エネルギー」、ユングが説いた「生的エネルギー」といったものは、それをいう。
その(エネルギー)を取り除いたら、私たちは、ただの生きる屍(しかばね)。

 しかしこの現実世界全体を、「夢のようなもの」と考えることによって、私たちは、欲望との間に一線を引くことができる。
つまり私たちを、より客観的に、外からながめることができるようになる。

 まずいのは、現実主義に走りすぎるあまり、欲望の虜(とりこ)になりながら、そうであることに気づかないこと。
そういう人を、仏教の世界では、「餓鬼」という。
その餓鬼になってしまう。

●夢は夢

 ……あの夢を見てから、数日が過ぎた。
で、今は、こう考える。

 「私たちが『現実』と思っている、この現実世界全体にしても、夢のようなものだなあ」と。
静かに目を閉じてみると、さらにそれがよくわかる。
その現実世界の夢の中で、私たちは、日々にあたふたとしながら、生きている。
先にも書いたように、名誉、地位、財産、肩書きにしがみついて生きている。
それが無意味とは言い切れない。
つまり人間がなぜ、こうして生きているかといえば、そのドラマを作るため。
そのドラマに意味がある。
価値がある。

 が、夢は夢。
どこまでいっても、夢は夢。
今の私は、そう考える。

●(補記)

 このエッセーを書きながら、脳の一方で、私は荘子の『胡蝶の夢』を、ずっと考えていた。

「荘子の思想を表す代表的な説話として『胡蝶の夢』がある。「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」この説話の中に、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れている(以上、「ウィキペディア百科事典」より転載)。

荘子は神秘主義に走り、俗世間からの徹底した離脱を説いた。
「無為自然」とは、それをいう。
『胡蝶の夢』は、その象徴的な逸話として紹介されることが多い。

 「荘子が夢を見て、蝶になったのか」、それとも、「蝶が夢を見て、荘子になったのか」。
たいへんわかりにくい話だが、私も今回、同じような経験をした。
「私は、夢の中で、現実を体験したのか」、それとも、「現実の中で、夢を体験しているのか」と。

 が、再三再四書いているように、だからといって、神秘主義に走り、「現実は無意味」と考えてはいけない。
私たちは、今、ここに生きている。
生きているからこそ、夢も見る。
眠っているときの夢もそうだが、「現実も夢のよう」というときの夢も、そうである。
生きていなければ、どちらの夢であるにせよ、夢を見ることはない。
この問題を考えるときは、いつもそこを原点として考える。
 

Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司


●夢と現実

2010-02-27 22:12:58 | 日記
【夢と現実】

(注:不完全な文章で申し訳ありませんが、そのまま公開します。
読み終えたあと、「林(=私)は、何を言わんとしているのか、よくわからない」と、どうか怒らないでください。
書いた私自身が、よくわかっていないのですから……。)

●夢

++++++++++++++++

数日前、こんな夢を見た。
目を覚ます直前のことだった。

私はどこかの小道を歩いていた。
その小道のそばに、土手があった。
段々になった墓が立っていた。
3段に分かれていた。
古い墓で、墓石の間には、大きな隙間があった。

その隙間を見ると、宝石がいっぱい詰まっていた。
大きなダイアモンドもあった。
オパールやルビーもあった。
サファイアもあった。

みな、何かの呪いがかけられた宝石という。
だれかにそう言ったわけではないが、
私には、それがわかった。
宝石を持ち帰ったら、不幸になるという。
手で触れるのも、よくないという。

私は、その場を離れようとした。
が、土手の反対側を見ると、
道の下に川が流れていた。
美しく、澄んだ川だった。
それほど深くなかった。
底がよく見えた。

で、歩きながらその川を振り返ると、
川の底で、キラキラと何かが
光っているのが、わかった。
よく見ると、それも宝石だった。
私はそれ拾うべきかどうか、迷った。

が、そのときのこと。
ときどきこういうことがあるが、
私はそれが夢であることに気づいた。
「これは夢だ」と。

+++++++++++++++++

●これは夢

 夢を見ながら、それが夢であることに気づくことが、ときどきある。
眠りが浅いときに、そうなるらしい。
それはそれとして、そのときも、それが夢であることに気づいた。
それだけではない。
私はこう考えた。

 「目が覚めたら、宝石は消える」と。
そのとき私は、川の中に入っていた。
指の爪ほどもある大きなダイアモンドを、何十個も、集めていた。
「どうすれば、このダイアモンドを現実の世界に持って帰ることができるか」と、
一方で、そんなことを考え始めた。

 おそらくすでにそのとき、私は半覚半眠の状態だったと思う。
「目を覚ましたくない」という思いが、強く働いた。
同時に、「この宝石は、私のものだ」「だれにも渡したくない」と、そんなことまで考えた。

●目を覚ましてから

 目を覚ましてから、夢の中の自分について考えてみた。
心のどこかに、「惜しいことをした」という余韻が、まだ残っていた。
で、最初に考えたのは、どうして私が「呪い」を気にしたかということ。
日ごろの私は、そういった類(たぐい)のものは、まったく信じていない。
占い、予言、まじない、霊の存在など、今流行のスピリチュアル的なものは、
認めていない。
生理的な部分で、拒絶反応を示す。

 そんな私が、夢の中で、「呪い」なるものを、本気で信じていた。
これはどうしたことか?
が、これには、2つの理由が考えられる。

 私は子どものころは、幽霊の存在を信じていた。
よく覚えているのは、家の前に、「髪結いさん」という、日本髪を専門に結う美容院が
あり、その美容院の男が、よく幽霊の話をしてくれたこと。
夏の夜などは、みなが道路に長椅子を並べて、その男のする話に耳を傾けた。
楽しかったが、恐ろしかった。

 つまりそのころの「私」が、心のどこかに残っていて、それが夢の中に出てきた。

 もうひとつは、反動形成。
本来の私は、そうした霊的なものにあこがれているのかもしれない。
まじないひとつで、この世の中を思い通りに動かすことができたら、そんな楽しいこと
はない。
「超能力のようなものがほしい」と思うこともある。
しかし私の中の理性が、すかさず、それを否定する。
「そんなもの、あるか!」と。
そこで私は、自分の本心とは、まったく正反対の自分を演ずる。

 が、夢の中では、ありのままの自分が出てくる。

●エス

 つぎに私の貪欲さ。
夢の中で私は、川に戻り、ダイアモンドを拾い集める。
そのとき始終、だれかに横取りされるのではないかという不安感を覚えた。
かなり強い不安感だった。

 いやな根性!
貪欲のかたまり!
日ごろの私は、そういう根性と、いつも闘っている。
そういう自分が、夢の中では、そのまま出てきてしまう。
赤裸々というか、フロイト流に考えるなら、(超自我)(自我)(エス)うち、
(エス)の部分だけが、そのまま夢の中で、拡大して出てくる。
(エス)というのは、動物的な欲望をいう。
そのため知性や理性によるコントロールが、どこかへ吹き飛んでしまう。

 これはおもしろい現象だと思う。
が、だからといって、それが原点にある「私」というわけではない。
「私」であるとしても、それはあくまでも「私」の一部。

●現実との混だく

 が、そのうち、こんなことを考えるようになった。
「これらの宝石を、現実の世界へもってくる方法はないか」と。
私はそのとき、目が覚めれば、宝石が消えてしまうことを、知っていた。
子どものころ、そういう夢をよく見た。
夢の中で、何かほしいものを手に入れるのだが、目が覚めたとたん、それが消えて
しまう。

 貪欲さは、そのままだった。
私はだれかが川の中に入ってくるのを、警戒した。
すでに私は、袋いっぱいの宝石を手に入れていた。
それでも警戒した。
「明日の夜、もう一度、来よう」と思った。
「それまで宝石は残っているだろうか」とも、思った。

 夢の世界というバーチャルな世界(仮想世界)と、現実が、混だくしていた。
が、私は必死で、夢にしがみついた。

●連続性

 と、そのときのこと。
ふと、私はこう考えた。
今までにない経験だった。
私は、そこが夢の世界ということは、よくわかっていた。
やがて目が覚めるということも、よくわかっていた。
同時に、手にした宝石も消えることも、よくわかっていた。
そこで、「では、夢の世界の中で、目が覚めたとき残っているものはないのか」と。

 夢の中では、私は、川の中に立っていた。
その情景も、目が覚めれば、消える。
すべてのものが、消える。
が、その中でも、現実の世界と連続性をもったものはないか、と。

 私はそのときすでにほとんど目が覚めかかっていたと思う。
夢の世界から、現実の世界へ……。
そのとき私は気がついた。

 こうして(考えている部分)だけは、夢の世界から、現実の世界へとつながっている、
と。
夢の世界で、私は、「残っているものはないか」と考えた。
つまりその考えた部分は、目が覚めても、現実の世界で、残っていた。

 私は目を覚ました。
覚ましたあとも、その夢について、ずっと考えつづけた。

●生きる力

 夢の中では、深層心理の、その奥に隠された部分が露出してくる。
フロイトはそれを利用して、「夢判断」という診断法を確立した。
ふだんは心の奥に隠れ、意識としてのぼってこない意識が、夢として現れる。
数日前に見たその夢にしても、そういう夢だった。

 貪欲な私。
だれかに奪われるのではないかという不安感。
それに焦燥感。

 全体としてみると、それが私の生き様を象徴している。
つまり原点には、そういう「私」が、確かにいる。
その私を、知性や理性が、包み隠している。
表面的に見れば、私はそれなりの常識人かもしれない。
そのように、行動している。
が、私だけが特殊とは考えにくい。

 私が夢の中で見た貪欲さにしても、それはあらゆる人が共通してもっているものと
考えてよい。
フロイトは、それを「性的エネルギー」と言った。
ユングは、それを「生的エネルギー」と言った。
その貪欲さが、(生きる力)の根源になっている。
貪欲さを否定してしまったら、その人は生きることそのものをやめてしまうかもしれない。

 が、本来なら、ここで私のもつ知性や理性が、働かなければならない。
「みなと、宝石を分けあおう」とか、「少しだけ拾って、あとは残しておこう」とか。
しかしそこは夢。
脳の働きそのものに、限界がある。
私は、そこまでは考えなかった。

●あとがき

 数日前の夢だったが、今でも、その夢を思い出すたびに、ふとこう思う。
「ひょっとしたら、今のこの現実の世界も、夢のようなものではないか」と。
言い替えると、「夢の中の世界が、本当の世界であり、現実のこの世界が、バーチャルな
世界ではないか」と。
どちらが本当の世界で、どちらがバーチャルな世界と決めることはできない。

 このことは、現実を、「死」と対比させてみると、よくわかる。
私たちは、死ぬことで、すべてを失う。
「あの世」があるならなおさらで、私たちはあの世へ、ゴミひとつ、チリひとつ、もって
いくことはできない。
「死」によって、私たちはそのまま消えてなくなってしまうと考えるなら、なおさらである。

 そこでたとえば過去の強大な権力を手中に収めた独裁者たちは、(現実)を、(あの世)へもっていくことを考えた。
秦の始皇帝を例にあげるまでもない。
つまり私が夢の中で、宝石を現実の世界へ持ち込もうと考えたように、秦の始皇帝は、
現実にあるものを、(あの世)へ持っていこうと考えた。
この発想は、夢の中の宝石を、現実の世界へもってこようとした私のものと、どこも
ちがわない。

一見すると、正反対の行動に見えるかもしれないが、中身は同じ。

●虚像

 私の身の回りには、無数のモノがある。
価値のないものが多いが、中には価値のあるものもある。
しかしそのモノにしても、分子と光が織りなす、虚像に過ぎない。
それを見て、判断している、私の脳みそにしても、分子と光が織りなす虚像に過ぎない。
つまり虚像である「私」が、虚像である「モノ」を見ている。

 死んで「私」を作り上げている分子がバラバラになれば、(死ななくても、毎日、肉体の何%かは、バラバラになっているが)、私はその(モノ)すら、見ることはない。
つまり消えてなくなる。
さらに言えば、私が夢の中で見た「宝石」と、現実に今、こうして見ている「モノ」は、
どこがどうちがうというのか。
区別できないというより、区別するほうが、おかしい。

●非現実主義

 ……と考えすぎるのは、危険なことかもしれない。
こうしたものの見方を総称して、非現実主義という。
これがさらに進むと、神秘主義となる。
狂信的なカルト教団の多くは、その神秘主義の上に成り立っている。

 しかし心のどこかにそういうものの考え方を、入れておくことは、けっして無駄なことではない。
というのも、私たちは日常生活の中で、現実に、あまりにも毒されすぎてしまっている。
現実に毒され過ぎるあまり、ものごとの本質を見失ってしまっている。
そういう例は多い。

 たとえばそこに山のようにある宝石を見ながら、私は金持ちだ。
私は成功者だ。
私はすぐれた人物だ、などと思ってしまう。
そしてその返す刀で、そうでない人たちを否定する。
その人の、人間としての価値まで否定する。

●光陰、矢のごとし

 どうであるにせよ、私には、不思議な夢だった。
いろいろ考えさせられた。
目を覚ましたあとも、そのまま、夢の内容について考えた。

 で、最後に一言。

 中には、「たかが夢ではないか」と思う人もいるかもしれない。
しかし今の私のように、平均寿命まで、あと15、6年という人間にしてみると、
今まで生きてきたことが、夢の中のできごとのようにも思えてくる。
長い、短いという判断もあるが、まさに『光陰、矢のごとし』。
数日前に見た夢が短くて、今まで生きてきた人生が長かったとも、これまた言いにくい。

 つまり「現実とは何か」、それが加齢とともに、ますますわかりにくくなる。
結論を言えば、そういうことになる。

●終わりに……

 何ともまとまりのないエッセーになってしまった。
そこで最後に、改めて、このエッセーを通して、何が書きたかったかを、整理してみる。

 私は夢の中で、袋いっぱいの宝石を手に入れた。
が、途中で、それが夢とわかった。
そこで私はその宝石を、何とかして、目を覚ましたあとの現実の世界にもってこようとした。
しかし目が覚めたとたん、手に握っていたはずの、宝石の入った袋は消えていた。

 しかし人生も残り少なくなってくると、今まで生きてきたこと自体が、夢の中のできごとのように思えてくる。
実際には、(夢)と(現実)が、区別しにくくなる。
ここで私が死ねば、あの世へ入ったとたん、(あくまでもあの世があるという前提での話だが)、今、私がもっているものは、すべて消える。
あの世へは、ゴミひとつ、チリひとつ、もっていくことはできない。
ちょうど夢の中で手に入れたものを、何一つ、現実の世界にもってこれないように、だ。

 つまり私は、(夢の世界)から目を覚まし、(現実の世界)に戻ることによって、(死)を模擬体験したことになる。
言い替えると、その夢を通して、私は、宝石に象徴される、モノや財産が、いかにむなしいものであるかを、改めて知った。
人間が本来的にもつ貪欲さにしても、そうだ。
さらに言えば、名誉や地位、肩書きにしても、そうだ。

 が、その中にあっても、ゆいいつ連続性を保つものがある。
夢の世界と現実の世界の間で、つながっているものがある。
それが「意識」、あるいは「思考」ということになる。

 このことを拡大解釈すると、こうなる。

 仮に私が死に、肉体が滅んだとしても、私が今もっている意識や思考は、この文章を通して、その読んだ人に伝わっていく。
つまりその時点で、私は、この文章を読んだ人の中で、生き返ることになる。
死を克服したことになる。

 ……とまあ、突飛もない結論になってしまった。
たぶんに手前味噌的な結論で申し訳ないが、今は、そう思うことによって、自分をなぐさめることにする。
というのも、ときどき、こう思うことが多くなった。
「毎日、こんなふうに、エッセーを書いていて、何になるのだろう」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●中日春秋

2010-02-26 11:15:11 | 日記
●中日春秋(2010-2-24)「直葬についての誤解」

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今朝の中日新聞、『中日春秋』に、こんなコラムが載っていた。
いわく「……葬儀業界には、『直葬』という言葉があるのだそうだ。
病院から火葬場へと直行、翌日葬儀なしで、荼毘(だび)に付す。
それが格安の『直葬プラン』らしい。
とにかく『省く』は、当節のキーワードだ。
第一は不況による節約ムードのせいだろうが、少し前、ある業界の卸売会社
の経営者から聞いた話には、やりきれない思いがした……」(以上、原文のまま)と。

つまり、節約ムードの中で、省く目的で、「直葬」がふえている、と。

以下、「省く」ということで、中間卸売会社が省かれる例、インターネットで、
小売店が省かれる例がつづく。

そしてしめくくりは、「……効率化の名の下、今後も一層、旧来の手順や仕組みを
「省く」方へと社会を押しやるに違いない。
そしてその都度、省くべきでない何かも一緒に省かれていくだろう」と。

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●すでに30%以上が直葬

 要するに、「直葬というのは、省くことから生まれた」。
その理由は、「不況による節約ムードだ」と。
しかしこのコラムを書いた人は、このコラムを書くまで、「直葬」という言葉すら知らなかったらしい。
「言葉があるのだそうだ」、つまり「……そうだ」と、書いている。
たぶん、若い人か、今まで葬儀を経験したことのない人なのだろう。
が、現実は、ちがう。
「不況」、「節約」、「省く」に関係なく、すでに首都圏では、30%以上もの人たちが、その直葬により、葬儀を行っている。

 もちろんその中には、ほかの宗教を信じている人も含まれる。
無神論の人も含まれている。
さらに主義主張をもち、自己の哲学に従って、直葬を行っている人もいる。
今ごろ「……そうだ」というのは、おかしい。

●思慮

 思慮の深さは、その人の書いた文章を読んでみればわかる。
とくに、こうしたデリケートなテーマについて書いた文章を読んでみればわかる。
……というより、人の死に関する文章を書くときは、この私でも細心の注意を払う。
このコラムを書いた人は、しかし、直葬というより、それを行う遺族たちの心を、「節約」と決めつけた上、「不況によるもの」と、大上段に切り捨てている。
無神経というか、傲慢というか……?
あまりにも思慮がない。
ないというより、浅い。
浅すぎる!
私たちの世界の用語を使えば、「切り口が甘い」。

 批判はさておき、直葬について、改めて考えてなおしてみたい。

●節約が理由ではない

 その第一。
私は、(私のワイフも)、直葬を望んでいる。
理由はいくつかあるが、何といっても、現在の葬儀の仕方には、おおきな疑問を覚える。
私たちの主義、主張に反する。
「不況」、「節約」、「省く」が、理由ではない。
またそれを押しつけられても、困る。

 あえて言うなら、3人の息子たちに、迷惑をかけたくないという思いがある。
さらに言えば、僧侶による読経を拒否したからといって、どうしてそれが「省く」ことになるのか。
その前に、僧侶による読経に、どれほどの意味があるというのか。
和式仏教、さらには北伝仏教に対する疑問が、それにつづく。

●金銭的な負担

 その第二。
現実問題として、たいていの人は、それまでの介護で、クタクタになっている。
「親の介護が2年つづけば、兄弟関係は壊れる」とも言われる。
遺産相続問題がからめば、なおさら。
みながみな、裕福なわけではない。
介護により、親の財産どころか、自分の財産まで食いつぶしてしまっている人も多い。

 私も一昨年、実兄と実母を相次いで亡くした。
それまでの30年以上、生活費、税金をすべて負担してきた。
その上で、葬儀となった。

 実兄のときは、葬儀費用だけで、200万円を超えた。
加えて僧侶への供養、戒名料などなど。
計250万円以上。
一方、親族などからの香典による収入は、60万円弱。

 2か月後に今度は、母が他界した。
私は質素に葬儀を行うことを決めた。
が、それでも、……つまりいくら節約(?)しても、僧侶を呼ぶような葬儀となると、100万円をくだることはない。
僧侶のほうから、「お宅は、みな、院号がついていますから」と、戒名に、院号をつけることを求めてきた。
戒名によって、値段が異なることは、すでにみなさん、ご存知の通り。

が、それで終わるわけではない。
それにつづく、七七回忌、一周忌などなど。
今年は三回忌。
私のばあい、仏壇を新調し、「精(しょう)抜き」「精入れ」の法事もしなければならなかった。

●中身は様々

 その第三。
親子関係、親族関係といっても、中身は様々。
「親だから……」「子だから……」という『ダカラ論』ほど、いいかげんなものはない。
『ダカラ論』は、論理ではない。
その『ダカラ論』で苦しんでいる人となると、ゴマンといる。
私自身が、そうだった。

 無神経な親族は、表面的な部分だけを見て、また一方的な意見だけを聞いて、容赦なく私に『ダカラ論』をぶつけてきた。
「浩司君、君は男だろが」とか、「何と言っても、親は親だからな」とか、など。
「本家だからな」と言った人もいた。
そうした『ダカラ論』から受ける苦痛には、相当なものがある。
そのつど、自分のもっている主義主張をねじまげなければならない。
世俗に妥協しなければならない。
 
 もちろん良好な親子関係、親族関係がベースにあれば、問題はない。
またそういう人たちから見れば、直葬というのは、「とんでもない葬儀の仕方」ということになる。
またそういう人たちの感覚からすれば、「不況」、「節約」、「省く」という言葉も出てくる。
先の中日春秋のコラムを書いた人は、たぶん、きわめて恵まれた家庭環境の中で、生まれ育った人なのだろう。
が、見方を変えれば、ノー天気。

●直葬

 私の恩師のT先生も、直葬を望んでいる。
会うたびに、私にそう言う。
東京大学の副総長(総長特別補佐)も経験している。
「天皇陛下のテニス友だちなのだから、先生は、そういうわけにはいきませんよ」と、私は言う。
しかしT先生は、すでにそう決めている。
意志は固い。

 T先生がそうであるからというわけではない。
それ以前から、私は戒名なし、葬儀なしの直葬を望んでいる。
私は、葬儀そのものの意義を認めていない。
それが納得できなければ、あなたも、一応仏教徒なのだから、釈迦からはじまって、現在に至る仏教なるものを、一度は、紐解いて調べてみたらよい。

 ためしに『地蔵十王経(地蔵菩薩発心因縁十王経)』あたりから調べてみたらどうだろうか。
和式仏教が、いかにインチキにインチキを重ねてできあがったものかが、それでわかるはず。
戒名の由来について、調べてみるのもよい。
が、何よりも重要なことは、釈迦の原点に立ち返って、仏教をもう一度、見直してみること。

 私は、その結果、直葬でよい……というより、直葬を強く望むようになった。

●人の死

 「誕生」が静かなものであるように、「死」もまた静かなもの。
仰々しく、儀式を行う方が、おかしい。
たとえば親類や友の死にしても、「ああ、あの人は、もう亡くなった」で、よいではないか。
私の死にしても、私は、だれにも知らせなくてもよいと、家族に伝えてある。
いつかだれかが、「あの林(=私)は、~~年前に死んだそうだ」と言ったところで、一向にかまわない。
そのほうが自然。

 もしその人を弔う方法があるとするなら、その人の(心)に触れること。
私のばあいなら、いつか、どこかでだれかが私の書いた文章を読んでくれれば、それでよい。

 さらに言えば、葬儀というと、死者を弔うための儀式と考える人は多い。
しかし現実には、葬儀は、その人の人生に終止符を打つことによって、その人の人生に、その時点で、区切りをつけてしまう。
「ああ、あの人の人生は終わった」と。
しかしむしろそちらのほうが、その人に対する冒涜ではないのか。

 少なくとも、私は「死」という死によっては、死なない。
肉体が滅んだからといって、死んだことにはならない。
反対に、ただ息(いき)ているだけなら、生きていることにはならない。
「死」のとらえ方そのものが、ちがう。
だからこそ、今、こうして自分をさらけ出して、文章を書いている。

●中日春秋

 中日春秋の論説が、年々、浅くなっていると感ずるのは、私だけだろうか。
この「直葬」に関するコラムを読んでも、そこにあるのは、「直葬は悪である」という、きわめて通俗的なものの見方でしかない。
中には、本当に貧しくて、したくても、それができない人もいる。
さらに独居老人、孤独死の問題もある。
それらを一緒くたにして、「省く」という言葉を使って、書き殴ってよいものか。

 一読して、「おかしい?」と感じたので、こうして文章にして書いてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 中日春秋 直葬 葬儀の仕方 葬儀論)

●2月26日(2010)

2010-02-26 09:48:04 | 日記
【パソコンと人生論】

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新しいパソコンを買った。
が、いくら性能がよくても、だからといって
それでよい文章が書けるようになるというわけではない。
大切なのは、使い方。
どう使うか?
磨いて飾っておくだけなら、無用の長物。

人生も、どこか、それに似ている。
ただ生きていれば、それでよいというのではない。
大切なのは、生き方。
生き方で、その人の人生の価値が決まる。

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●新型パソコン

 先日、ある母親から、その母親の息子のために、パソコンを選んでくれと頼まれた。 
こういう依頼は、うれしい。
楽しい。
が、その生徒のパソコンを選んでいるうちに、私も同じものがほしくなった。
これは私のビョーキ。
カタログをながめているだけで、物欲がググーッとわいてくる。

そこで買ったのが、TOSHIBAのMX33(白)。
店では、7万9800円(=ほぼ8万円)。
ネットで買うと、4万6000円(税込み、手数料こみ)。
ただし09年の秋・冬モデル。
ちがいは、ハードディスクの容量だけ。
もちろんネットで買った。

 TOSHIBAは、TX(16インチ、ノート)を買って以来、ファンになった。
デスクトップ以外は、みな、TOSHIBAと決めている。
性能が、安定している。
作りもよい。
そのパソコンを使って、今、この文章を叩いている。
言うなれば、処女作。

 キーの形状が、四角で、指をすべらせたようなとき、指がひかかるような感じがする。
エンターキーが、小さく、打ちにくい。
本で言えば、余白があるわけだから、どうしてその分だけ、エンターキーを大きくしなか
ったのか。
やや不満は残るが、価格が価格だから、文句は言えない。

 書き忘れたが、バッテリーだけで、9時間半ももつという。
(9時間半!)
すごい!

●ネットショップ

 私もこのところ、数万円を超えるような買い物は、すべてネットですませている。
便利で、早い。
代引きで買うから、安全。
少し前までは、多少の不安もあったが、今では、ショップの評価までネットでわかる。
「客の満足度、80%」とか、など。
そういうふうに評価される。
それを見て、ショップを選ぶ。

 ……ということで、今、ものの売買の仕方が、大きく変わりつつある。
それがどうこうということを考えても、意味はない。
この流れは、もうだれにも、止められない。
これから先、この仕方が、当たり前というより、主流になる。
そのうち、自動車も、ネットで買えるようになるかもしれない。

●小売店

 半面、小売店が苦境に立たされている。
製造メーカーが、直接、個人客にモノを売る時代になった。
小売店だけではない。
大規模店ですら、売り上げ高が減少している。
いわんや、小売店をや、……ということになる。

 が、すべてをネットの責任になすりつけるわけには、いかない。
実のところ、小売店の窮状は、15年以上も前から始まっている。
そのころから郊外に大型店ができ、客を奪われるようになった。
町によっては、市内の商店街がゴーストタウン化したところもある。
私がよく知っているのは、岐阜県関市のH町通り。

私が子どものころは、ゾロゾロと人ごみで埋まっていた。
が、今は、見る影もない。
ほとんどの店が、シャッターをおろしたまま。
もっともそのH町にしても、もとはと言えば、郊外の大型店ができたのが理由ではない。
車社会の発展とともに、「道」が、車に占領されてしまった。
車がビュンビュンと道路を走るようになった。
同時に、駐車場問題が起きた。
「駐車場がないから、買い物ができない」となった。

●時代の流れ

 こうして過去へ、過去へとさかのぼっていくと、そのときどきに、(時代の流れ)がある
のがわかる。
そのつど、ささやかな抵抗運動のようなことは起こるが、長つづきしない。
街中に駐車場をふやしてみたり、あるいは郊外の大型店の進出に反対してみたりする。
今は、ネット。

 では、どうすればよいのか。
方法はないわけではない。

(1) 高度に専門化する。
(2) 人員による直接サービスを充実する。
(3) 特殊技術を売り物にする、など。

 たとえば理髪店のように、客が直接、店に来なければできない仕事もある。
あるいは自転車店のように、そのつど修理で稼げる仕事もある。
こうした分野で、小売店は、生き残りを図るしかない。
残念ながら、その努力を怠った小売店は、ジワジワと、衰退の一途をたどる。

●復古主義

 「昔はよかった」と言うときは、注意しなければならない。
安易な復古主義は、さらに未来に向かう(時代の流れ)をも、敵に回すことになる。
しかしこと、「心」ということになると、昔のほうが牧歌的な温もりがあった。
私の父親などは、客が来ても、別の客と平気で将棋を指して遊んでいた。
時間が、今より、はるかにゆるやかに流れていた。

 が、さらにその昔となると、どうだったのか。
大正時代とか、明治時代とかである。
おそらく時間は、もっとゆるやかに流れていたにちがいない。
ということは、今のこの時間にしても、50年後、100年後になってみると、それなり
にゆるやかに流れているのかもしれない。

 で、そこで登場するのが、私の持論。
『……だから、それがどうしたの?』論。

●『だから、それがどうしたの?』

 私は近くの店での価格の半額程度で、新しいパソコンを手に入れた。
このことは冒頭で書いた。
で、この1~2年で買ったパソコンを並べてみる。

HPの1233(故障して、放棄)、
MSのWINDBOOK(生徒にあげた)、
AcerのASPIRE・ONE、
TOSHIBAのTX、
それにUXと、今回買ったMX。
その間に、MCJの最先端デスクトップ。
もう1台、NECのLavie(故障して、放棄)。
計8台ということになる。

つまり新しく買う必要など、どこにもない。……なかった。
現に昨日まで、モバイルには、TOSHIBAのUXを使っていた。
今、使っているMXと、性能はほとんど同じ。

 簡単に言えば、買わなくてもよいものを、買った。
もっと言えば、「だからそれがどうしたの?」という答がないまま、買った。
つまり世の中が高速で回転すればするようになるほど、ものの売買も高速で回転する。
たとえばこのパソコンにしても、だからといって、よい文章が書けるようになるわけでは
ない。
パソコンの性能がよくなったからといって、また7台もっているからといって、よい文章
が書けるようになるわけではない。

●使い方
 
 「進歩とは何か?」
たとえば情報。

ネット時代になって、情報量が、それまでの量とは比較にならないほど、ふえた。
以前だと、中央の図書館へ行かなければ手に入らなかったような情報が、瞬時、瞬時に手に入るようになった。
それだけではない。
以前だと、一部の特殊な人たち(=官僚)でないと手に入らなかったような情報ですら、手に入るようになった。
まだ、ある。
ネット時代になって、(中央)と(地方)を分け隔てていた、壁が取れた。
私の中からも、地方コンプレックスが、急速に消え始めている。
「東京だけが文化の中心」という考え方も、このところ改まりつつある。

 が、ここで立ち止まる。
「だから、それがどうしたの?」と。
つまりそこにある(現実)を、いくら変えても、意味はない。
大切なのは、その現実から、どう自分を組みたてていくかということ。
パソコンを例にあげるまでもない。
いくらよいパソコンをもっていたとしても、使い方がわからないようであれば、意味はない。

 情報にしても、そうだ。
へたをすれば、情報の洪水の中で、溺れてしまう。

●人生論

 こうして考えていくと、この問題は、人生論に直結しているのがわかる。
健康だ……だから、それがどうしたの?
生きている……だから、それがどうしたの?、と。
その反対でもよい。

 病気だ……だから、それがどうしたの?
死んでしまった……だから、それがどうしたの?、と。

 今、ここに「私」が生きているなら、大切なことは、どう生きるかということ。
その視点を踏みはずすと、生きる意味そのものを見失ってしまう。

 ……ということで、今は、指慣らし。
キーを時折、指先でこすりながら、指をキーになじませる。
あるいはキーを指になじませる。
キーが体の一部になったとき、思ったことや考えたことが、そのままモニター上に、文章
となって、現れる。

 そう言えば、つまり今、こうして書いた文章を読みなおしてみたが、どこかぎこちない。
バラバラでまとまっていない(?)。
新しいパソコンを使い始めたときは、いつもそうだ。
今、しばらく、こうして使いこなしてみるしかない。
そのうち、もう少しまとまりのある文章が書けるようになるだろう。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

【雑感】

●引佐町

 この引佐町に住むようになって、もう15年。
その前、6年かけて、土地の造成をした。
毎週、ここへやってきて、ユンボを動かした。
石垣を組んだ。
砂利を運んだ。
地目を変更するために、一度、植林もした。
たいへんだったのは、水道工事と下水道工事。
これらの工事は、私とワイフの2人でした。
ほかにもある。

私には、農業資格がなかった。
そのため直接、農地の売買をすることができなかった。
言い忘れたが、このあたりでは、南側の土地は、ほとんどが農地になっている。

農地を宅地にするためには、一度(山林)に転用し、法務局の検査を経て、宅地に転用
しなければならない。
家が建てられるようになるのは、そのあと。
だからこの町とのつきあいは、15+6=21年ということになる。
人生の3分の1を、ここ引佐町で過ごしたことになる。

●3分の1

 3分の1と知って、同時に私はラッキーだったと思う。
カナダやオーストラリアで住むようなわけにはいかないが、しかし自然に包まれて過ごすことができた。
「上を見れば、キリなし」。
私にしてみれば、ほどほどの人生だった。
だから「ラッキーだった」と。

 で、再び、「引佐町」の話。
「いなさ・ちょう」と読む。
この引佐町は、「引佐原人」が住んでいたとして知られている。
何でも日本最古に原人だそうだ。
わかるかな?
引佐原人だぞ!

 しかし不思議なことに、この引佐町の人たちは、引佐原人のことをあまり話題にしたがらない。
「村興(おこ)し」に使えば、もっと観光などにも、利用できるはず。
どうしてだろう?

●四季

 この引佐町に住むようになって……といっても、週に、1、2度来る程度だが、自然の変化に敏感になった。
森に囲まれて住むと、四季が、極彩色のカラー映画のように移り変わっていく。
春は、極端に春らしくなる。
夏は、極端に夏らしくなる。
それに比べると、浜松市内での生活は、セピアとまではいかないにしても、いつも灰色のモヤに包まれている。
季節の変わり目が、はっきりしないまま、冬が終わり、春になっていく。

 私が好きなのは、5月ごろの初夏と、10月ごろの晩夏。
5月ごろには、野生のジャスミンが咲き誇り、空をホトトギスが舞う。
野いちご、ビワの収穫とつづく。
しばらくすると、今度は、ヒグラシが鳴き始める。

 10月もすばらしい。
夕日が山の端に隠れたとたん、谷底から、湿った冷気が吹きあげてくる。
そういうとき私は、虫の大合唱を聴きながら、あたりが真っ暗になるまで、ベンチに座って、時が過ぎていくのを待つ。

 で、そのつど、私はこう思う。
「生きていて、よかった」と。
大げさに聞こえるかもしれないが、そう思う。
心底、そう思う。

 引佐町という町は、私にとって、そういう町である。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 引佐町 山荘ライフ 引佐)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司